https://miho.opera-noel.net/archives/183 【第十四夜 平畑静塔の「かなぶん=金亀子」の句】より
Posted on 2019年11月23日 by mihohaiku
死にて生きてかなぶんぶんが高く去る 平畑静塔
季題は「かなぶん=金亀子(こがねむし)」で夏。
句意は次のようであろうか。
「夏の夜、うなりながら灯に飛んできて、ポタッと落ちて、死んだまねをするかなぶん。あらあらと思って外に放り投げるとかなぶんは勢いよく高く飛んでいきましたよ。」
ぶんぶんと音を立てて飛び込んでくるから「ぶんぶん」または「かなぶん」と呼ばれる。「かなぶんぶん」とは「かなぶん」の幼児語か語呂合わせの呼び方であろう。
終戦直後に生まれた私の小さい頃は網戸がどこの家にも取り付けられていたわけではなかったので、真夏の暑い夜などは窓を開けっぱなしにしていると、かなぶんは凄い勢いで飛んできて、電球にぶつかっては落ちたものである。床に落ちてひっくり返ったかなぶんは自ら起きることはできない。死んでしまったかのようにピクリとも動かない。私は触れなかったが、父がいる時は父が、父の帰りが遅い時は母がつまみ上げては窓の外に放り出した。すると、窓の下に落ちるのではなく、死んだと思っていたかなぶんは、手を放れるや、高々と飛んで闇に消えていくではないか。
高浜虚子の〈金亀子(こがねむし)擲(なげう)つ闇の深さかな〉の句のように。
「死にて生きて」は、死にまねをするかなぶんの習性をうまく捉えた表現である。死んだと思ったから窓の外に放り投げられ(現代であったらゴミ箱行きだが)たが、人間の手から放れたかなぶんは、生き延びることができる。
生物たちは、人間だけでなく動物も植物も自ら工夫してなんとか生き延びる叡智をそなえ持っている。
平畑静塔は、一九〇五(明治三十八)年、和歌山県生まれ。京都帝大卒で医学博士、精神科医。昭和八年に「京大俳句」を創刊、編集。新興俳句運動では、西東三鬼、渡辺白泉らと無季俳句の立場。昭和十五年の新興俳句運動弾圧により、検挙される。戦後は山口誓子主宰「天狼」の創刊同人。戦後は「有季」の立場となる。
評論集『俳人格』の中で静塔は、「虚子という人格は、その俳句は既に俳句の特殊性を厳然と踏まえたものであると同時に、その表現にかけた虚子という人格は、俳句そのものと云うべき完成した俳句的人格に化し去っている。」と述べている。
http://blog.livedoor.jp/lean_0406/archives/2064409.html 【かなぶん◇平畑静塔】より
死にて生きてかなぶんぶんが高く去る 平畑静塔
「死にて生きて」、虫たちはよくこんな姿をとる。即ち、死んだふりをするのだ。勝れた智恵である。きっと、神の授けた生きる知恵に違いない。
あの青銅色の艶のある、勢いよく飛ぶかなぶんであるから、「高く去る」がよく響き合う。意志ある生の飛翔である。(『死 秀句350選』倉田紘文著より)
たとえ重篤なる患者への治療に大いなる緊迫感をもって対したとしても、「死にて生きて」は医の日常なのである。医者の宿命といってしまえばそれまでだが、気心のしれた患者であっても死の瞬間は一医師と一患者なのである。生死の感情におぼれていては冷静な治療も覚束ないが、こうであってさえ一瞬の判断に悩むこともある。
hirahata 掲句。「かなぶんぶんが高く去る」ことに一抹の寂寥感を覚えたことによる「医の自己」との対峙。「人の心情とは本当に不可思議だ」とお感じになられているのではないだろうか。医者は常に精神的にも肉体的にも並々ならぬ強さしなやかさが要求されているのである。
春昼や腑分けして来したゞの顔 静塔
確かに「擬態」という解釈も可能だが、それには作者の内にこれにあたる生活感情が存在しなければならない。
いまだ率直な俳人という印象である。
http://sogyusha.org/saijiki/02_summer/koganemushi.html 【黄金虫(こがねむし)】より
夏の夜に突然窓のすき間などから室内に闖入し、盲滅法ぶんぶん飛び回ったりする。「かなぶん」とか「ぶんぶん」と言われる甲虫である。ずんぐりむっくりした体つきは亀の子に似て、緑色あるいは黒褐色の甲全体が黄金色の光沢を帯びているところから「金亀子」「金亀虫」と書かれることもある。
子供たちが大好きなカブトムシもコガネムシ科の昆虫だが、これが今では希少昆虫になっているのに対して、カナブンはかなり環境変化にも強いらしく、都会地の小公園などにも生息し
て、町中でもよく見られる。
幼虫は薬指の先ほどもあるかなり大きなウジ虫で、木の葉や枯れ草が積った土中に巣くい、あらゆる植物の根っこを食い荒らすのでネキリムシと呼ばれる。晩春から初夏に成虫になり地
上に飛び出すと木々の樹液を吸ったり、葉を食い荒らす。とんでもない害虫なのだが、その形も、ぶんぶん飛び回る様子もなんとなくユーモラスなので、許されてしまうところがある。
明るい灯が好きなのか、夜間、灯火を慕って家の中に飛び込んで来る。非常にやかましく飛び回った後、窓枠などにとまったところを捉まえて外に放り投げるとまた飛び込んで来る。こ
いつめ、とばかりに床に叩き付けると死んだ振りなのか、脳震盪を起したのかしばらくじっと動かずに、やがてもぞもぞと足を動かし始めるが、一旦仰向けになるとなかなか起き上がれな
い。「まったくお前ばかじゃないか」なんてつぶやいたりしているうちに、そんなことをしているこちらこそばかじゃないかと気がついたりする。
金亀子擲つ闇の深さかな 高浜虚子
モナリザに仮死いつまでも黄金虫 西東三鬼
黄金虫雲光りては暮れゆけり 角川源義
死にて生きてかなぶんぶんが高く去る 平畑静塔
恋捨つるごと金亀虫窓より捨つ 安住敦
金亀子死はかがやきて居りしかな 河原枇杷男
弱視われ金亀虫のごとぶつかりぬ 木村蕪城
黄金虫つまめば六肢もて拒む 立岩利夫
山小屋の灯に星よりの金亀子 西村椰子
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