丹生家

https://www.thm.pref.miyagi.jp/wp-content/uploads/2020/11/49d1be408dca53c75fcb1b5066c138fe.pdf  【阿弖流為と坂上田村麻呂】

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故・三代目東核芒種大伝道師.加古藤市先生の神のみ教えが沢山の皆さまのお陰様で

毎日 毎日どんどん伝わっています。ありがとうございます❤️

(昭和4年2月16日~昭和30年4月9日)  鑑真和上(687~763)

丹生家の主だった方々が、僧侶・大師となられて三尊をお祀りする日本仏教を立ち上げてきた為、神武派にとりましてはそうした事に脅威を感じるようになりその動きに圧力を掛けるために[鑑真和上]を中国から招いたのでした。

そして、日本仏教は偽りであるとさせて丹生家の僧侶たちを追放しようとしました。

[鑑真和上]は日本に行ってみたいと常々想っておいででした。

735年に来朝されたのですが、日本の仏教を知れば知るほど、その素晴らしさに驚きこれこそ本物であるという霊魂(たましい)になられてついに朝廷の意に添わなくなってしまい

数年でこのお役を解かれ追放されたので御座いました。

   坂上田村麻呂(さかのうえのたむまろ)  (758〜811)

坂上田村麻呂は蝦夷大将軍となり727年、蝦夷(えみし)を平定してゆく中、 [私が必ず天皇に取り持つから]と言って丹生家の人々(えみし・えびす)を都に連れて来てことごとく惨殺してしまいました。

✳️この御霊魂を慰めたお寺が福井県小浜市門前の[明通寺]で御座います。

加古藤市先生は、神聖画をお届けし、世界恒久平和のお話をされると、中嶋鉄演和尚さまは

その後、本殿横に[神聖画]を掲げ、原子力発電所が仏様の名前を付けて稼働している事に

反対運動をされ、日本全国にお活動氣されたお方です。

なお、明通寺の近くでは、地元の方に加古藤市先生の講演会も何度も開いて下さいました。

   ⭕️桃太郎の鬼退治

鬼とは[大丹生(おに)]で太陽から産み出された[丹]が、霊命の丹生丹生(にしょうにゅう)魂遺伝子となり生命界地球において生命遺伝子として誕生された人祖の嫡子を天皇家[大丹生家]とし後の御子を分家18家を[丹生家]とされました。

今から720万年前の事ですが、約2700年前の神武天皇を初代の天運とするために丹生家(分家)の人々を徹底的に弾圧してゆき社会から抹殺していった哀しい歴史がありました。

これが大丹生「おに」退治として遺されました。

関東以北に住み暮らしていた丹生の方々は[蝦夷(えぞ)]を征伐として(平安時代以前は「えぞ」とは言わず、えみし・えびすと言っていた)隼人族は熊襲征伐として、丹生家を弾圧してゆきました。

桃太郎の鬼退治はかって丹生家が住んでいた地方に遺っています。

神武権力者たちが、丹生家の人々をうまく騙したり手懐けたりして利用した事を、犬・猿・キジに団子を与えて家来にしていった事で表現されているのです。

岡山の桃太郎伝説は有名ですが、岡山は西の地方の丹生家が中心地でありました。

そのため吉備の国を平定するために

四道将軍のお一人の吉備津彦尊が派遣されたと伝えられています。

✳️四道将軍とは

[日本書紀]に登場する皇族(王族)の将軍で大彦命(おおびこのみこと)

武渟川別(たけぬなかわわけのみこと) 吉備津彦命(きびつひこのみこと)

丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)の4人を指す。

次回[弘法大師・空海(774~835)]]に続く

✡️今日も神よりの御啓示

[世界平和神宮院] 竝宮 [昭和神宮]を

愛知県名古屋市緑区大高町氷上山

熱田神宮元宮[氷上姉子神社]

日本武尊が民草和気の剣

[二度と争い戦いは致さぬ]と誓った剣を

納められた地に建立せよ‼️に従い

天皇の名の下に国民が一人一円の錠剤をもって

建立する事なのです。

日ノ本の歴史、生命界の歴史の御身生れ祝詞を奏上させて頂きます。合掌


https://blog.goo.ne.jp/meimay130/e/4f071bd664cb65736a7b52bcfd82b88d 【空海のこと】より

さて、アテルイのTVドラマ、大和政権(5万を超える軍勢)と蝦夷(2000未満の兵力)の戦いがあったことは確かなことで、阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)は、囚われの身となり東北から都に連れてこられる。

坂上田村麻呂は朝廷に恩赦を願いでるが叶わずアテルイとモレは処刑されてしまうのです。

京阪電車、牧野駅近くの公園にアテルイとモレの首塚だと伝えられている場所があります。

ところで、弘法大師という名でも親しまれている空海。幼名は 佐伯真魚 といいます。

父方、佐伯氏は常陸(現在の茨城県北東部)にて、蝦夷の俘囚(俘囚とは蝦夷のことで、大和政権に服従し帰服した人たち。又は、連行された罪人(とされた))の集団である佐伯部(大和政権に捕らえられ従い、兵力、労働力として全国に配された蝦夷のこと)を管理する仕事をしていたといわれている。

つまりは、俘囚が俘囚たちを管理していたということでしょうか。

「常陸風土記」には、山の佐伯 野の佐伯 というものがいたと記されてます。

蝦夷たちは播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波へ移配俘囚されたというから、佐伯氏がエミシの系統であってもおかしくなく、佐伯氏は蝦夷=縄文人で、空海縄文人説も出てくるわけです。

佐伯氏はいくつかの流れがあって、空海は讃岐の佐伯直(あたえ)氏出身。母方は阿刀(アト)氏で物部系。

砂鉄や水銀の採鉱にもたずさわっていて、空海の先祖はその功績により四国讃岐に移住してきた、または、四国に封じされた、空海が生まれた頃には讃岐の佐伯部を管轄する身分だったらしい。

空海には 空白期 がある。

空海の空白期は「アテルイ」「モタイ」を破った坂上田村麻呂率いる軍隊が東北に居た時期(800年前後)と重なり、東北の戦い後、エミシたちまつろわぬ民は全国へ散り、サンカ、土蜘蛛、鬼といわれる民が出てきます。

空海の空白期間は修業期間であり、野山を駆け巡り先住民(エミシ)といわれる民から俗世にはない知識と知恵を授かり修業に明け暮れていたのではないか。

空海は出自は父方が先住民族(エミシ)系、母方は物部系。

藤原氏に鬼とされた出自であり、空海の修業時代は鬼とされた民たちから森羅万象の霊験力を賜ったにちがいないのであります。

私にとって空海は、ぜんぜんよくわからない人で こわい というイメージがあります。

深くて怪しいものを感じるのです。

これが弘法大師という呼び名になると親しみも感じるんですが。

まあ、空海の生きた時代は大変な変革期(いつの時代も変革期のような気もするけど)で、あの当時は物の怪とか祟りとかがまさに当たり前に信じられていた時代だったと思います。

「和をもって尊しとなす」という言葉の意味がちがって聞こえてきそうな古代の有様。和をもたないと祟られて大変な世の中になりますよ、ということなのかもね。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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