魂のずれ ととのへる

Facebook青山 典生さん投稿記事  『人に帰る道』

人の本質は理論や観念で定義づけられるものではないが、人体を持っている以上、人である事は事実である。しかし、人以外の観念を人と思い込んで生きて来た現在の我々には、真実の人の世界はわからない。故に人の本質を知るためには、今までの観念を一度全部捨てて素っ裸になった上で、更めて見直す以外にない。といって素裸になるということすらわからない。そこで次に書くことを理屈なしにやってみる以外にはないであろう。

①自己の生命に偽らないこと

これは一寸理解できぬかも知れぬが、要は自分を偽らないこと。少なくとも自己の良心を偽らないことである。

②物や金に支配されないこと

病気をした時の用意をしたり、まさか時の用意をすることは、自分の生命に約束したことになるから、用意が出来たら病気をするか、まさかのことが起こることが生命に偽わりをいわなかったことになるのだから、もし病気やまさかのことが起きるのが嫌なら、前以って用意しないことである。

物や金を貯えるのは無限に貯えたらよい。ただしそれは全人類のもので、自分だけや家族だけのものではないということである。

③弁解はしないこと

他人からどんなことを言われても一切弁解してはいけない。たとえ自分に理があると思っても甘んじて他人からの誹謗を受けることである。

「一寸用事があっておそくなりました」とか「途中でこんな事があって間に合わなかった」とか「私はこんなつもりであった」とか、一切言わないことである。

④自利本位を捨てること

今これをやれば儲かるとわかって、他人の立場を犯したり、自分の立場をよくするために他を責めてはいけない。今仮りに眼前に、自分にも他人にも利益になることがあったら、まず他人に優先の道を譲るべきである。

⑤自分の善行を他に知らさないこと

「私はあの人のためを思って」とか「わたしがこのようにしたから、あの人はよくなった」とか、一切言わないことである。

⑥自己を主張して自説を主張しないこと

自分のしていることは遠慮なくやればよいが、自分の主張や主義は一切他に押しつけないことが大切である。

⑦自分の適職を得ようとする前に、今の自分の場に精一パイ生きていること。

自分はどんな職業が適しているか、自分は何をやるべきかと、先のことを考えないで、今自分がやっていることを精一パイやって、そのことに自分なりに誇りを持てるように努力しておれば、自分の生命は必ず最も適した仕事と場を与えてくれる。故に過去も振り返らず、明日も思わず、今自分がやっていること、やろうとすることに全身全霊を傾けてやることが、適職を得る最も早い近道である。

⑧人生を遊びにすること

どんな苦しい仕事でも嫌なことでも、悲しいことでもすべて遊びに連なっていることが大切である。嬉しい時は思いきり喜べばよいし、悲しい時は思いきり泣けばよい。しかし、そのことにいつまでも捉われていないことが大切である。

⑨すべて罪は自分が背負うこと

他人の罪を背負うのではない。自分の不幸、病、争い等、自分に都合の悪いことは他のせいにせず、すべて自分の罪として祓うか融かしてゆくことである。

⑩思想、主義、団体から放れること

思想や主義は各自が自由に持っておればよいので、もしそれが自分に不適当になったら改めていけばよい。しかし、団体に縛られたり、団体の力を借りて思想や主義を広宣してはいけない。

共産党・自民党・公明党・社会党・民社党・経団連・労働組合・日教組等、その他多くの団体からすみやかに脱退することである。

⑪宗派宗団教団等からすみやかに脱退すること

どんな立派な宗教でも、教団でも、組織を持つものからはすみやかに脱退するがよい。それらがどんなに自分の利益になろうとも、すべてのためのものではないのだから脱退することである。

⑫人の為・世の為と思凝(しこ)らぬこと

太陽は人のためとも世のためとも思って照っている訳ではない。ただ照っているだけである。我々もただ自分を偽わらず精一パイ生きておればよいので、それが人の為になっていようとも、世の為になっていようとも、それは受ける側が決めることであって、自分が意識してやっている訳ではない。

先日剣道九段の六十三歳の老剣士に聞いた話だが、七段の昇段試合の時、相手の剣を意識しなくなったら、相手の動きがまるでスローカメラのような緩慢な動きに見えて、負けることがなくなったと言っておられた。

人の為、世の為等と相手を意識しないで、ただ今精一パイ生きておれば、人の動きも世の動きも緩慢に見えて、自分の進むべきに道がはっきりわかってくる。これがこの世の道の極意であろう。

とてもそんな事が出来るものかと思うであろうが、生死を超越して今に生きれば至極簡単なことである。相手に勝とうとも思わず、負けようとも思わない。自分が生きようとも思わず、死なうとも思わず、ただその時を精一パイ生きているだけであるから、そうむずかしいことではない。むずかしいと思うのは、自分をつかまえているからである。自分は精一パイやっているとも、生死を超越しているとも思わない。ただ精一パイやっているだけのことである。

他にもまだ色々あるかも知れぬが、以上のことに徹すれば何も不安はない。しかも、以上のことは当たり前のことで、決してむずかしいことではない。むずかしいと思うのは自分が捕らえているからである。こうすることがよいのだとも悪いのだとも思う必要はない。しかも、以上のことが出来ぬようで誰を教え、誰に導かれようと思っているのか。これほど楽で楽しい道はあるまい。そんな事はないという人があったら、まずやってみることである。やってみて、もし楽な道でなかったら、その時に文句を言って来てもらいたい。やってもみないで理屈や文句を言っても始まらぬ。これなら人に教えてもらう必要はないし、ばたばたあわてる必要もない。苦しんだ挙句ケモノになるより、楽で楽しい道を歩みながら次の不安のない嬉し楽しの神の世に行けるなら、こんな結構な話はないではないか。

(「人類は生き残れるか」P306~P311 浜本末造著)

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