https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/32182913/【近代俳句の超克「切れ」再考】
" I think haiku is the most beautiful form of poetry I know."
by John Lennon
1977年から1979年にかけて、ジョンは小野ヨーコと毎年日本を訪れて軽井沢で夏を過ごした。しだいに彼は伝統的な日本文化に深い関心を持つと同時に日本語を熱心に学ぶことになる。そして、「俳句」に出会ったのである。
その頃、ポール・マッカートニーが華美なロック音楽へ傾斜していったのに対して、ジョンは「俳句」にも似たシンプルな言葉とアレンジで心に残る音楽を作るようになる。「LOVE」や「イマジン」などがそれである。
さて、西洋音楽は、J.S. バッハの対位法を原点とする重層的な楽曲の展開を示す。しかし、東洋、特に日本の伝統的な音楽、例えば、尺八や笛などの楽曲は、そのシンプルな音律にもかかわらず、ある時には鹿の鳴き声になったり月の光になったりする。こうしたモノフォニーから湧き出るポリフォニーは日本の伝統的音楽の特徴であるが、それは音楽のみならず広く日本の伝統芸術における創造性に深く関わっている。「俳句」という一行の詩歌から様々な感動が生まれることも例外ではない。
因みに、ジョンは「俳句」のことをポエム(poem)と言わずにポエトリー(poetry)と表現している。このことは、彼が「俳句」の特性をよく理解していたことの証左と言える。ポエムが観念的な散文詩(prose)をも包含する概念であるのに対して、ポエトリーはより直感に根ざした韻文という意味合いが強い。世界最短の定型韻文詩である「俳句」が、まさに言葉と音楽とが一体化した究極の芸術であることをジョンは見抜いていたのである。
頰杖に月の盈ちゆくレノンの忌 高資
Facebook詩論そして詩学柏木咲哉さん投稿記事
ポエトリー
一篇の詩(うた)に込められた書き手の想い 切実で直ぐなる心情
真剣にふざけたり飛び越えたりひねったり突っ走ったり 詩面(しづら)に浮かび見える書き手の顔がある
詩は虹のようだ 悲しみや辛さなど思うに任せぬこの人生の 雨上がりの空に架かった虹だ
詩を書く人はいい奴ばかりじゃない 嫌な奴も酷い奴も駄目な奴もいる けれど詩に罪はない
一番手軽に出来て心を表せる一つの手段で 色々やっても全て上手く行かない者が最後に辿り着く自己表現の魂の砦なのかも知れない 誰だって書けるさ しかし誰にでも書けぬものさ
詩の海は深くそこにはありとあらゆる言葉の魚たちが無尽蔵に眠っている
詩人はその海に潜りサーチライトで自分の言葉を捕まえて来るんだ
詩はもう一つの命の置きどころさ
Facebook瑠 智瑠さん投稿記事
Art.Is TOKYOギャラリー 成田宙路之 ポエトリー&ミュージックLIVEお邪魔しました。
成田さんの詩と辻村マリナさんのギターとヴォーカル、TAHIさんのパーカッションのコラボ。
百回もがいて 百枚のメモを残した。 百回ゼツボーして 百枚の絵を描いた。
孤独は味方なのだ。 ゼツボーは道なのだ。 暗闇は教師で 光は同志だ。
『百回もがいて』の一節です。
人はなるべく、もがいたり、絶望したり、孤独になったり、を避けようとします。
いつも一生懸命考えています。
どうすればスムーズに物事を進めていけるか、希望を見出すか、独りぼっちを回避できるか。
順風満帆、いつも傍に誰かいて夢や希望を語り合える人生。それはとても素敵なこと。
でも私たちの魂は地球に降りてくるとき、喜び、楽しみばかりでなく、怒りや哀しみも体感して成長する宣言をしています。
孤独を味方に、暗闇を教師に、光を同志に。魂が求める生き方が生き生きと綴られた、この詩。いつしか闇をネガティブに分類してしまったことに気がつかされました。
毒親育ち。お手洗い共同、風呂なしクーラーなし、キッチンなしの狭い部屋。
利用されて、もう要らないと判断された瞬間棄てられる。でも暗闇は私にいろいろなことを教えてくれたように思います。なぜ毒親になってしまうのか?
大変な目に遭うとわかっていて、そこに生まれる子どもがいるのはなぜか?
輪廻転生、魂の年齢、様々な因果に向かい合えたのは、毒親がいたから。愛情に包まれて育っていたら。理解できなかったことがたくさん。働いて疲れ果てて帰るだけの部屋。でも、布団で眠れるのは幸せなこと。あの頃に比べたらバストイレ付、エアコンがあり料理が出来る今の家は天国。「もうあなたは要らない」と放り出してもらえたから、ライトワーカーになった私がいる。いろいろなことが頭の中を渦巻いて。
辻村マリナさんの歌声とTAHIさんの自然の化身のようなパーカッションの音色が、どこまでも優しくて。
小さな船で記憶を辿る船をして、文字が柱や壁、屋根になった世界を散策して。
気がついたらあたたかな拍手で幕が下りたポエトリー&ミュージックLIVE。
現世で出会う人たちとは予め約束している、といいます。
あちらの世界で成田さんと「2023年に代官山で」と約束。
一旦解散して地球に降りて、絶妙なタイミングで出会うなんて、ちょっとした冒険旅行みたいです。
ART.Is Galleryという空間がなければ体験できなかった素晴らしい時間。
オーナーのアヤさん、アーティストと訪れる人たちの縁結びをしてくださるMic Keyさん。
なによりそこへ私を連れて行ってくださった大切な友達。あらためて感謝申し上げます。
Facebook新田 修功さん投稿記事 風が世界を動かした……🍃
おはようございます😃1955年10月7日 サンフランシスコの「シックスギャラリー」での、ポエトリー・リーディングからビートの伝説は始まりました。私が生まれた年の事です 💦
中心人物は、ジャック・ケルアック、有名な「路上」の作者です。
アレン・ギンズバーグ、、ニール・キャサディーなどが主要メンバーでした。
この人たちが、次の世代、フラワーチルドレンの生みの親であり、ロック世代を生み出す原点でもあったのです。
詩人のアレン・ギンズバーグと、最近ノーベル文学賞を受賞して話題になったボブ・ディランが、ケルアックのお墓参りをした話は有名です。
ちなみに、ビートたけしさんのビートは、このビートジェネレーションからとったそうです。
ケルアックの親友だった、私の大好きな詩人「ゲイリー・スナイダー」の言葉をご紹介しましょう。
1974年に、ノース・ダコタ大学で行われた、インタビューでの発言です。
ビートニクの風が世界を動かしたのです🍃
「アレンやぼくや他の仲間達が、なんらの幻想も混えず、絶対的確信をこめて、しかも大きなプライドをもって言えることはなにか、っていうと……、
それはぼくたちは世界を、おそらく百万分の一インチだけ動かせたってことだろうな」
私も最近活動を開始した「風のプロジェクト」で、世界を百万分の一インチでも動かせたらいいな……🏃🌏
なんて思っています 😊🍃
https://www.facebook.com/kazenoproject/
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