https://www.city.ohtawara.tochigi.jp/docs/2013082765673/ 【雲巌寺】より
八溝山地のふところ深く、清らかな渓流に沿う境地に、臨済宗妙心寺派の名刹、雲巌寺があります。
開山当時は、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれ、山門の正面にある朱塗りの反り橋を渡って石段を登ると、正面に釈迦堂、獅子王殿が一直線に並ぶ代表的な伽藍配置となっています。
俳聖松尾芭蕉は、この地で「木啄も 庵は破らず 夏木立」の句を残しています。春の新緑・秋の紅葉・冬の雪景色は見事です。
雲巌寺は、禅の修行のための道場ですので一般の方は堂内に入れませんが、参拝は自由に許されています。
(注意)雲巌寺へのお問い合わせは、ご遠慮ください。雲巌寺の観光についてのお問い合わせは、市観光協会(営業時間:午前8時30分から午後5時まで 連絡先:0287-54-1110)へお願いいたします。
雲巌寺では、御朱印帳等への墨書、押印の対応はしておりません。
玄関に書置きの御朱印が用意されておりますので、御朱印代を志納し自由にお持ちください。(御朱印代300円)
雲巌寺周辺の駐車場には限りがございますので、公共交通機関をご利用ください。
https://uzumagawanikki.seesaa.net/article/2016-05-05.html 【新緑の雲巌寺へ】より
今日5月5日は立夏、暦の上では夏になります。そして昨日に続いて今日も、暦通りの暑い1日となりました。今回は新緑があふれる、大田原市の雲巌寺を訪れました。
私が初めて雲巌寺を訪れたのは、40年以上前になります。そして最近では一昨年2014年に訪れました。雲巌寺は大田原市東部の黒羽地区で、大田原市の中心街からでは、車でも40分ほどかかる、茨城県との境に横たわる、八溝山地の中に位置します。車で10分ほどで茨城県との県境になります。
雲巌寺の南側を東から西に、武茂川(むもがわ)の渓流が、新緑に包まれた谷の下を流れています。この武茂川左岸の道路脇に有る広い駐車場に10数台の車が止まっています。
雲巌寺にはここから、武茂川に架かる朱塗りの反り橋「瓜瓞橋」を渡った先に石段が有り、その上に重厚な山門に向かいます。この景色は40年前と殆んど変わっておりません。丁度2014年秋に訪れた時に、入口となる「瓜瓞橋」の高欄の塗り替え作業中だったのかビニールシートで養生されていました。今回は鮮やかな朱色の高欄が、新緑の中に浮き上がります。
(1973年撮影、雲巌寺山門) (2016年5月撮影、新緑の雲巌寺山門)
雲巌寺は正式に「東山雲巌寺」と称し、臨済宗妙心寺派の寺院で、御本尊は釈迦牟尼仏になります。山内に寺の由緒を記した説明板が建てられています。
「神光不昧」と書かれた額が掲げられた山門を潜って、中に入ります。正面に緩やかな曲線を以って左右に広がる銅板葺きの屋根を頂いた「仏殿」。山号「東山」と大書した額が掲げられたいます。
(ご本尊の釈迦牟尼仏を安置している仏殿)
仏殿に向かって左手正面に「平和観音」の額が掲げられた堂宇。右手には鐘楼が建っています。
(観音堂) (鐘楼)
鐘楼の前に「雲巌寺略図」とその下に、山内での心得が記されています。
(鐘楼前に建てられた「雲巌寺略図」)
仏殿の裏手の石段を更に登り「獅子王殿」へ。参拝の後方丈前から自然豊かな山内を眺めます。「釈迦堂」「鐘楼」「山門」の屋根が緑色の空間に点在します。
(手前露盤宝珠を頂いた屋根は仏殿。右奥が山門、左奥が鐘楼の屋根)
(右手の建物が「獅子王殿」) (獅子王殿わきに咲いていた牡丹の大輪)
帰りは山門を通らず左側を下る坂道へ進む。裏門の前を過ぎると、右手に橋の高欄親柱に擬宝珠を付けた石橋が掛かっています。「瑞雲橋」と親柱に刻されています。
(武茂川に架かる「瑞雲橋」) (瑞雲橋の文字を刻す、石造りの親柱)
雲巌寺前を流れる「武茂川」には「雲巌寺五橋」と呼ばれる橋が架かっている様です。今回そのすべてを見てくることは出来ませんでしたが、山門前に架かる「瓜瓞橋」、そしてこの「瑞雲橋」さらにこの上流側の「涅槃橋」「梅船橋」そして下流側に「独木橋」の五橋だそうです。
(山門前、擬宝珠を載せた朱塗りの反り橋「瓜瓞橋」)
(武茂川の流れの上に架かる新しい「独木橋」。隣りに古い橋が残っている)
(現在の「独木橋」の隣りに残る、古い「独木橋」) (道と川百選、雲巌寺周辺の武茂川の碑)
今は更にその下流に架かっている、「三和橋」「錦雲橋」「心橋」を含めた、「雲巌八橋」と言う呼び方もあるそうです。
今度来た時は、ゆっくりと歩いてこれらの橋の有る風景を見てみたいと思いました。
補陀落にもみぢ散りたる御堂かな 高資
もみぢ散る閻浮檀金や雲巌寺 高資
黄落や堂宇羽ばたくけはひあり 高資
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6418734/ 【お堂】
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%96%BB%E6%B5%AE%E6%AA%80%E9%87%91 【閻浮檀金】より
えんぶだんごん/閻浮檀金
閻浮提の北方にあるジャンブ樹の林間を流れるジャンブーナダー河(ⓈJambū-nadī)に産する砂金。ⓈJāmbū-nada-suvarṇaⓅJambūnadaⓅJambunadaⓉdzam bu’i chu bo’i gser。「えんぶだごん」とも。『大智度論』三五に「閻浮提の如しとは閻浮は樹の名にしてその林、繁茂し、この樹は林中において最も大なり。提は名づけて洲となす。この洲の上にこの樹林あり。林中に河あり。底に金の沙あり。名づけて閻浮檀金となす」(正蔵二五・三二〇上)とある。ヒンドゥー教では、閻浮樹の果液を吸収した砂が微風に吹かれて乾燥して砂金になると説明する。『観経』では「無量寿仏の身は、百千万億の夜摩天の閻浮檀金の色のごとし」(聖典一・三〇〇/浄全一・四三)として阿弥陀仏の身体の色をこの黄金に譬える。その他、極楽の宝樹の華、観音・勢至の放つ光、阿弥陀仏の坐像、観音菩薩の顔色が同様に譬えられる。なお長野善光寺の阿弥陀如来像は、釈尊在世のとき「竜宮第一の重宝」である閻浮檀金三七〇〇両をもって造られたとされる。
https://ihatov.cc/blog/archives/2022/05/post_1027.htm 【『大智度論』の閻浮檀金】より
「亜細亜学者の散策」の下書稿(一)は「単体の歴史」と題され、下記のような内容です。
一五四
単体の歴史
一九二四、七、五、
紺青の湿った山と雲とのこっち 夕陽に熟する古金のいろの小麦のはたけ
いいえ、わたくしの云ひますのは いまのあんな暗い黄金ではなく
所謂 竜樹菩薩の大論の あるひはそれよりもっと前の
むしろ quick gold といふふうの そんなりっぱな黄金のことです
いま紺青の夏の湿った雲のこっちに かながらのへいそくの十箇が敬虔に置かれ
いろいろの風にさまざまになびくのは たしかに鳥を追ふための装置ではあるが
またある種拝天の余習でもある ……粟がざらざら鳴ってゐる……
※ 物質の特性は定量されないほどの 僅かづつながら時間に従って移動する
といふ風の感じです 誰でももってゐる ありふれた考ですが今日は誰でもそれを
わざと考へないやうにしてゐるやうな 気もするのです
ここでは、色づいた小麦が夕陽に照らされ輝く様子が、「古金のいろ」と形容されています。
賢治の言う「古金のいろ」とは、「いまのあんな暗い黄金ではなく」、「所謂 竜樹菩薩の大論の/あるひはそれよりもっと前の/むしろ quick gold といふふうの/そんなりっぱな黄金のこと」だとのことですが、これはいったいどういうことなのでしょうか。
※
テキストの最後にある註釈的な部分を参考に推測してみると、賢治が言いたかったのは、「金」という「物質の特性」は、「僅かづつながら時間に従って移動」していて、昔は今よりももっと美しく立派な色だったのではないか、ということのようです。
このような、物質の(仮想的な)時間的変化のことを、賢治はタイトルで「単体の歴史」と呼んでいるのでしょう。「単体」とは、固体なら金(Au)とか銀(Ag)とか、気体なら酸素(O2)や水素(H2)のように、一つの元素だけでできている純物質のことです。
本文5行目の「所謂 竜樹菩薩の大論の……」の箇所で賢治が言おうとしているのは、その昔の立派だった黄金については、龍樹が「大論」で言及している、ということなのでしょう。龍樹ナーガールジュナは、紀元2世紀のインドの高僧で、その著作としては「空」の理論を大成した『中論』が有名ですが、ここに出てくる「大論」とは、(真偽に諸説あるものの)龍樹の作とされ鳩摩羅什による漢訳のみが残っている『大智度論』のことです。
20220429a.jpg そこで、『大智度論』を調べてみると、(全100巻ある)その第35巻に、「閻浮檀金えんぶだんごん」という黄金が出てきます。(右画像は、国会図書館デジタルコレクションより、『国訳大蔵経:昭和新纂. 論律部 第5巻』p.25)
閻浮提えんぶだいの如しとは、閻浮は樹の名にして、其林そのはやし茂盛もじやうし、此樹このじゆは林中に於て最も大なり。提だいは名なづけて洲しうと為す。此洲の上に此樹林あり。林中に河底有り、金沙あり、名なづけて閻浮檀金えんぶだんごんと為す。
この「閻浮檀金えんぶだんごん」について、「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」では、次のように説明されています。
サンスクリット語 Jambūnada-suvarṇa の音写。閻浮那陀金,えん浮那他金などとも書かれる。仏教の経典中にしばしばみられる想像上の金の名称。その色は紫を帯びた赤黄色で,金のなかで最もすぐれたものとされる。経典にみられる香酔山の南,雪山の北に位置し無熱池のほとりにある閻浮樹林を流れる川から採取されるのでこの名称がある。
ということで、この閻浮檀金というのは、やはり「想像上の」存在なのです。
上の説明にもあるように、この「閻浮檀金」は「仏教の経典中にしばしばみられる」ようですが、たとえば『観無量寿経』には次にように出てきます。
【十七】仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「この想成じをはらば、次にまさにさらに無量寿仏の身相と光明とを観ずべし。阿難まさに知るべし、無量寿仏の身は百千万億の夜魔天の閻浮檀金色えんぶだんごんじきのごとし。仏身の高さ六十万億那由他恒河沙由旬なり。」(本願寺出版社『浄土三部経』p.324)
このような理想化された「金」のことを、賢治は上のテキスト中で"quick gold"とも呼んでいます。『定本 宮澤賢治語彙辞典』によれば、これは「水銀の英語 quick silver から連想した造語であろう」ということです。ここでの"quick"は「素早い」ではなくて、古い英語の「生きている」という意味だそうで、つまり「生きている金」ということになるのでしょう。
すなわち、諸々の経典や龍樹の『大智度論』に述べられている昔の立派な「閻浮檀金」は、「いまのあんな暗い黄金」と比べると、「生きている金」とも言えるというわけです。
結局のところ、豪華なレトリックを散りばめられた昔の神話的な・伝説的な物質と、いま私たちの目の前にある現実の物質とを比較すると、どうしてもギャップを感じてしまうことから、「その差は、物質が歴史的に少しずつ変化してきた結果ではないか」と、賢治がファンタジックな想像をしてみたということでしょうか。
※
しかし、冒頭に掲げた初期形のテキストにおいて賢治が本当に言いたかったのは、夕陽に照らされた小麦の輝きは、現実のどんな黄金よりも美しい、ということだったのでしょう。その喩えのために、現実の黄金を超越する美の象徴として、仏典中の伝説の黄金が挙げられたということかと思われます。
思えば、黄色と青色に塗り分けられたウクライナの国旗も、平原に広がる小麦畑の黄金色と、空の青色から来ているという説があります。
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