写生

https://weekly-haiku.blogspot.com/2015/07/blog-post_18.html?fbclid=IwAR1w79NPU7QL8MLw1BvRCLkdQbBEaT2ZuaM9J4LY3udjemjaykRsC19jaGc 【真の「写生」 曾根毅句集『花修』 五島高資】より

俳句は、あくまで「写生」でなくてはならないと私は思っている。もちろん、私が考える「写生」とは、単なる「写実」に止まらず、文字通り生命の根源にどこかで触れるものでなくてはならない。それは取りも直さず「宇宙」の真実へと収斂されるものでもある。もっとも、そこへ辿り着くためには、前提として日常的「写実」を蔑ろにすることは出来ない。しかし、それは真実を写すという意味において、単なる些末的写実や観念的な寄物陳思とは区別されなくてはならない。そして、ついには、対象を写す自我さえも滅却された物我一如という詩境を体感したところから発せられる言葉しかなくなる。畢竟、それはまさに生命や宇宙の根源に根ざした言葉ということになる。

そうした真の「写生」を曾根毅の『花修』には多く見ることが出来る。

春の水まだ息を止めておりにけり  曾根毅

呼吸とは実に神妙な現象である。意識しても、あるいは無意識にでもコントロールできる生理機能であり、おそらく、そのあたりに意識と無意識の重要な接点があるのは間違いない。それは取りも直さず生死の境界でもある。春の水と一体化して初めて春の水の本質を知ることができる。そこまで自らを追い詰めてこそ春の水が生命の根源であることが体感されるのである。

桃の花までの逆立ち歩きかな  同

桃の花は、女性あるいは母胎を象徴させる。胎内での胎児の姿勢に似た逆立ちは、すなわち母胎回帰あるいは生まれ変わりへの願望を暗示しているのかもしれない。生々流転の中で詩魂も生長していくのである。

さくら狩り口の中まで暗くなり  同

桜はまさに枝から噴き出すように咲き誇る。花見の宴もそれにつられて騒ぎ出す。そうした排出とはもっぱら反対の生理機能すなわち食物を吸収する消化器の一部である口の中の暗さへと向かう作者の意識の底には春愁が感じられる。しかし、それが単なる観念に止まらないのは、「くら」という音韻による「さくら」と「暗」との無意識的な連想性が働いているからかもしれない。

初夏の海に身体を還しけり  同

「帰しけり」ではなく「還しけり」という措辞に生々流転ということが暗示される。海は川の終着点であると共に雲を作り出す水蒸気の発生点でもある。もちろん、生命の根源もまた海であることは言うまでもない。個体性に捕らわれた自我を捨てて身体を海に同化させることによって「初夏」も生きてくる。

時計屋に空蟬の留守つづきおり  同

近くの田園の中に一軒だけ古い時計屋がある。なぜこんな人気の少ないところに店を構えたのだろうといつも思う。もっとも、なぜこの店主は時計に興味を持ち、それらを販売しようと思ったのかと要らぬ詮索さえしてしまう。最近では、ショッピングセンターや家電量販店などにも時計販売のコーナーがあり、そちらへ客足が向かうことも多いだろう。それにもかかわらず、細々と田園の中の時計屋に並べられた時計の針は動き続けている。そこだけ別の時間が流れているかのようである。空蟬から現人すなわち経済原理に支配された現世を連想し、もう一度、その時計屋とその店主の情熱に思いを致せば、まさに空蟬も現世も空虚な感じがする。個人の特性が等閑にされれば、人間社会の多様性が損なわれる。時計屋の留守は逆説的に現代社会における人間性の喪失をも意味していると同時に、掲句には、時計屋の店主の人生もまた写し出されているのである。


Facebook人の心に灯をともすさん投稿 記事 【正岡子規の生き方】

小林正観さんの心に響く言葉より…

俳句の世界では、正岡子規という人が「写生」または「写実主義文学」と呼ばれる方法をやり始めています。

これは、現実のありのままを見つめ、それを描くというもので、そういう点では「自然主義」と同じでした。

しかし、「感想を一切排除し、客観的にありのままを俳句に詠もう」という子規の俳句に対する姿勢は、一時期流行った私小説の「自然主義」の表現方法とは、根本的に違うもの だったのです。

子規のまなざしは、「ありのままの現実」の中の、暗い部分にではなく、常に明るい部分にのみ、注がれていました。

子規は28歳のとき、病床を抜け出して一人で奈良へ行き、「柿くへば 鐘が鳴るなり法隆寺」 という有名な句を残しています。

子規は、結核菌が肺の病巣から脊椎に入り込むという難病、脊椎カリエスの激痛に常時苦しみ、結局35歳でこの世を去りましたが、その痛み、つらさ、闘病生活ということは何も書き残していません。

この句は、痛みに耐えながらの旅路で詠まれた句とはみじんも感じさせないほど、人の心を癒やし、和ませるものでした。

脊椎カリエスの痛み、嘆き、死への不安というような当然あっておかしくない「ありのまま」の姿、しかしそれを表現したとしても人の心を和ませはしないであろうことがらについて、俳句に詠み込むことはしない人だったようです。

私たちは日常生活の中で、問題や暗さを認識した上でどうするか、を考えます。

しかし、それでは永遠に問題や暗さは依然として存在し続けるでしょう。

そういうことを「気にしない」、さらには「認識すらしない」。

そういう素敵な「ボーッとした人」になって、自分が表現することはいつも温かく、優しいまなざしが感じられるものにするという生き方もあります。

「世の中にはこんなひどいことがある」「こんなつらいことがあるじゃないか」と、暗いところを指摘して、評価論評している人より、「そんなこともあるよね」と言って笑顔で淡々と光を投げかける人のほうが、周りを明るくします。

「今日も暑くていやになっちゃう」「雨ばかりで気が滅入るよね」と言うよりも、子規のような明るさで。「晴れたら洗濯物がよく乾く」「雨の日は紫外線を気にしなくてすむ」と 言っている人は、魅力的ではありませんか。

『魅力的な人々の共通項』清談社

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斎藤一人さんは「病気が早く治る人」についてこう語っている。

『「病気が早く治る人」と「なかなか治らない人」の違いって、何だと思う?

それはね、人から体調を聞かれたとき、どう答えるかなんだよ。

例えば、ある病院に、二人のおばあさんが入院しているとするよね。

二人とも、同じ病気を患っていて、病気の進行具合も同じなんだよ。

お見舞いの人が、「あばあさん、体調はどうですか?」って聞いたとき、一人のおばあさんは笑顔でこう答えたの。

「おかげさまで、昨日よりだいぶ良くなりました」

もうひとりのおばあさんは、顔をしかめて、こう答えたんだよ。

「お腹の痛みは治まったんだけど、まだ腰が痛くてね…。 これ、いつになったら、良くなるのかしらね?」

この二人のおばあさんは、どちらが早く治ったと思う?

「おかげさまで、だいぶ良くなりました」って答えたおばあさんの方が、治るスピードがずっと早いんだよ。

病気が良くならない人の特徴って、「まだ、ここが…」って答えるの。

自分の体調がいちばん良かったころと比べて、「あそこが痛い…」「ここが痛い…」って、痛いところを探しては、ずーっと言っているんだよ。

痛い痛い…って言ってる方もイヤだけど、聞いてる周りの人もつらいよね。

いくら自分が痛くても、人の気持を暗くするようなことばかっかり言っている人って、天が味方してくれないよ。

天が応援してくれるのは、治ったところを見つけて感謝して、「おかげさまで」って言える人なんだよ。

「おかげさまで」という言葉は、漢字にすると「お陰さまで」になるよね。

これって、「陰で動いたすべての力に感謝する」っていう意味なの。

いま自分が生きているその裏で、たくさんの人の力が働いているから、生きていられるんだよね。』 (斎藤一人 人生がつらくなったときに読む本/KKロングセラーズ)より

文句や愚痴ばかりをSNSで発信している人がたまにいる。

コロナ禍において、それが特に顕著になっている。

しかし大事なことは、状況がひどくなればなるほど、やせ我慢をしてでも、まわりには明るく、ユーモアあふれる発信をすること。

そして、『素敵な「ボーッとした人」になって、自分が表現することはいつも温かく、優しいまなざしが感じられるものにする』。

正岡子規のような明るさを目指したい。


Facebook市堀 玉宗さん投稿記事

写生、写実の先駆者である子規の作品には月並句が多いかもしれないが、どの句にも「子規の実感」がある。表現足り得ている。文学足り得ている。それはおそらく、子規がものをよく見、そしてよく感じたからである。

※ブログ『再生への旅』「ありのままという幻想・俳句の場合 」より

  菜の花やふるさといつも眩しくて 玉宗

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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