生きる・マニフェス・

https://www.amorc.jp/manifesto/ 【マニフェスト(宣言書)】より

バラ十字会AMORCのマニフェスト(Manifesto):宣言書のご紹介

話は、今からおよそ400年前にさかのぼります。1614年~1616年に、チュービンゲン(現在のドイツ南部)で活動していた当時のバラ十字会(薔薇十字団)は、3冊の宣言書を公表しました。(英語版をこちらで読むことができます)

 このことには、次のような事情がありました。

17世紀の初めのころのヨーロッパはとてもひどい状況だったのです。政治の失敗のため、さまざまな国で内乱が頻発していました。経済的な利益をめぐる多数の戦争に加えて宗教間の戦争が起き、平和な時期はほとんどありませんでした。 社会は疲弊し、貧富の差が広がり、貧しい人たちは読み書きすらできない状態で放置されていました。科学が急速に進歩していたことがマイナスに働き、精神面よりも物質を過度に重視する傾向が強まっていました。

そこで当時のバラ十字会は、この状況を打開するためには、人の内面と社会の両方に全体的な改革が必要であることを、この宣言書によって訴えたのです。

歴史は繰り返すということわざがあります。同じできごとが周期的に、しかも以前よりも大きなスケールで繰り返されるというものです。日々のニュースに表れているように、現在の世界の状況は17世紀の当時に似たところがあり、決して望ましい方向には進んでいません。

そこで、私たちも先輩のバラ十字会員にならって、世界の全般的な状況を改善する一助になることを心から望み、3冊の宣言書を発行しました。これらの宣言書は、政治家や学者などの一部の人々のためのものではなく、現代に生きるすべての皆さんに宛てて書かれています。

特に、人類の未来のことを心配に思っている方、教育に携わっている方、生きることの意味への問いかけを大切に思っている方、発展途上国の貧困や飢餓に心を痛めている方、自然環境の保護に興味のある方は、ぜひご一読ください。

新クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚(マニフェスト2016年版)

あなたがこの宣言書を読み始められる前に、まずは著者である私の自己紹介をさせてください。過去に私はクリスチャン・ローゼンクロイツという名前で、バラ十字会を創設した伝説の人物として知られていました。

私は自分が誰かを明らかにすることを望んでいないので、私がどこに住んでいて何をしているのか、そして私の身元がわかるようなことについては、何もお伝えすることはありません。友愛組織の仲間と私が、自分たちのために定めた規則に従って、私は“不可視”(invisible)でいなくてはなりません。

新クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚(マニフェスト2016年版)

おそらく私とあなたとは、いつの日かお会いすることになるでしょうが、もしそうだとしても、私の方からあなたに近づくことになります。

本当のところ、この文章を書くために、わざわざ時間と労力を費やそうなどとは考えていませんでしたし、そのようにする差し迫った必要を感じてもいませんでした。

ところが、2015年3月20日の夜、新たな春が到来した第一日目のこと、この夢の内容と本質について書くように突如として駆り立てられたのでした。

それが読むに値するかどうかは、どうぞあなたがご自身で判断してください…

続きはこちら >https://www.amorc.jp/pdf/manifesto2016.pdf


バラ十字友愛組織からあなたへの訴え(マニフェスト2014年版)

1614年に、宣言書『バラ十字友愛団の声明』(Fama Fraternitatis)を公表し、バラ十字会は社会にその姿を現しました。

それから400年を経た本年、バラ十字会AMORCの最高評議会の評議員である私たちは、善良な意図を持つすべての皆さんに次のことを訴えます。

バラ十字友愛組織からあなたへの訴え(マニフェスト2014年版)

人類がお互いや、自然界や、自身の良心と争うことを止めて、それらと再び調和して生きることを促す私たちの活動に加わってください。

精神性の重視(spirituality:スピリチュアリティ)、人間の尊重(humanism:ヒューマニズム)、環境の保護(ecology:エコロジー)という3つの柱によって、この『あなたへの訴え』が導かれ支えられ、あなたの心に届くことを心から願っています…

続きはこちら >https://www.amorc.jp/pdf/manifesto2014_appellatio.pdf


バラ十字友愛組織の姿勢(マニフェスト2001年版)

この宣言書「バラ十字友愛組織の姿勢」は、いわゆる終末論的な論評とは一線を画すものです。また、決して黙示録のようなものでもありません。

この宣言書の目的は、今日の世界の状況に関する私たちの見解を述べ、その未来を私たちが憂えていることを明らかにすることです。

私たちのかつての兄弟たちが、当時既に行っていたように、私たちもまた、これまで以上に「ヒューマニズム」と「精神性」を訴えていきたいと考えています。

というのも、現代社会に広がっている個人主義と物質主義では、人々が当然の権利として望んでいる幸せを人間にもたらすことはできないということを私たちは確信しているからです。

この宣言書を人騒がせに思う人たちもいることも確かでしょう。しかしこのような格言があります。「自分の意志で聞くことも、見ることもしない人よりも、耳も聞こえず、目も見えない人がいるだろうか。」

今日の人類は、悩み苦しみ、混乱しています。物質的に大きな進歩を遂げてきましたが、それによって本当の幸せはいまだにもたらされてはいませんし、穏やかな未来を予見することもできないでいます。

戦争や飢饉、伝染病や生態系の大変動、社会的危機や基本的自由に対する攻撃などは、現在も続いている多くの悲惨なできごとのうちのほんのいくつかにすぎません。

そして、それは人間が未来に対して抱いている希望とは全く相反するものなのです。耳を貸していただける方に向けて、このメッセージを書こうと私たちが考えたのはこうした理由からなのです…     https://www.amorc.jp/pdf/amorc_positio_jp_111018.pdf


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「自分の人生を生きる」という言葉を聞くと、あなたはどのようにお感じになるでしょうか。

勇ましいチャレンジングな感じでしょうか。それとも、ちょっと漠然とした価値観だと思うでしょうか。エゴの匂いを感じる方もおられるかもしれませんが、もしかすると、今の私の目標そのものだという方も、いるかもしれません。

「自分の人生を生きる」とは

ワーク・ライフ・バランス

最近はワーク・ライフ・バランスという言葉がよく使われるようになりました。どのような人生を選択するかということは、多くの場合、さまざまな欲求の間で、どのようなバランスを取るかということのように思えます。

たとえば、会社勤めをされている方ならば、その仕事で十分な収入を得たいし、その上で、できれば世の中に目に見える形で役に立ちたいとお思いになる一方、家族や友人と一緒に豊かな時間を過ごしたいし、親しい人や同僚が困っていたら助けになりたい。

さらには、自分ひとりの楽しみのための時間も欲しいし、将来を楽しく幸せに過ごすための経済的な準備もしたいというような感じでしょうか。

このような多くの欲求がある中で、それらの間にどのようにバランスを取っていくかということが、多くの人にとって日常的な課題であり選択なのではないでしょうか。

「自分の人生を生きたい」と今切実に感じている人は?

「自分の人生を生きたい」という感覚を今切実に体験している人は、人のために生きるということに、心の天秤の針が少し傾きすぎているように感じていて、もう少し自分の欲求を大切にする方向に、人生の軌道を修正したいということなのかもしれません。

また、人生の分かれ道にあって、これから進む方向を決めかねていて、やや平凡で堅実な道を選択するか、自分の長所を生かしてリスクを取っても、自分の信じる道を進みたいという覚悟をしようとしている人なのかもしれません。

スポーツ選手や芸術家は自分の人生を存分に生きているか

たとえば、スポーツや芸術の世界に打ち込んで成功を収める人。このような人は、自分の人生を存分に生きている典型的な人のように感じられます。

このような人の多くが本当に「自分の人生を生きている」と感じているかどうかは別にして、そのような生き方にあこがれをいだく人は多いのではないでしょうか。

そこには、平凡では「自分の人生を生きる」ことにはならないというような価値観があるように思われます。

しかし、これらの人たちの多くもやはり、さまざまな欲求の間で、どのようなバランスを取るかということに悩んでいると思われます。少なくとも私が知っている人たちはそうです。

一匹だけ体色の異なる熱帯魚の群れ(自分の人生を生きるイメージ)

現状に対する違和感

「現状に対する違和感」という言葉が、この問題を明確に把握するヒントなのかもしれません。

つまり、現在の自分の人生の状況の多くは、過去の自分の選択や決断が主な原因で、おおむね今のようになっているのでしょうが、そのような選択や決断を行った自分の心よりもさらに深い、通常は気づかれない心の部分が自分の中にはあって、その部分が、今の状況を望ましいとは評価していないと考えると、この問題を把握することができるのではないでしょうか。

そうすると「自分の人生を生きる」ということは、心の表面的な部分とは価値観の異なる、心の奥深くに忠実になることを意味していることになります。

表面的な自己と「内なる自己」

「内なる自己」の望み

以上のように考えを進めていくと、「自分の人生を生きる」ということの意味が、明確になるのではないでしょうか。

つまり、私たちの表面な自己は、親しい人や、趣味や仕事で関係している人や、受けた教育やニュースや読書によって、まるで湖にさざ波が立ったり、風の方向に流れが生じるように、考えていることが時事刻々と変化します。

そして、この人に気に入られたいとか、流行に合っているとか、社会的な高い評価や人気が得られそうだとか、そのような考え方に影響されながら、日常の行動を選びます。

しかし、その行動が、自分の本来の部分、本質的な「内なる自己」の望んでいるものではない場合には、「何となく違う」、「楽しくない」、「深い満足が得られない」と感じてしまいます。

「内なる自己」のイメージ

心理学的な見方

表層意識・深層意識、あるいは顕在意識・潜在意識という言葉が使われるようになってから、もうずいぶんと長い歳月が経ちました。

潜在意識とは通常は把握されていない心の部分のことですが、その存在を発見したのは、オーストリアの心理学者ジークムント・フロイトです。彼が心に病を抱えている人たちを研究して、この発見にたどり着いたのは今から130年ほど前のことです。

潜在意識に焦点をあてて本格的な研究を行ったのはフロイトが初めてなので、彼はこの分野の先駆者として深く尊敬されています。しかし、特に後の時代になって批判されている点もあります。

そのひとつは、人の心をあまりにも物理的にとらえていて、いわゆる決定論、機械論と言われる考え方に偏っているのではないかという批判です。

たとえば、子供の頃に心に深い傷を負った人は、その後の人生に心理的な問題が生じる可能性があるということが知られていますが、それを可能性としてではなく、あまりにも決定的、機械的な因果関係だととらえているというような批判です。

この当時、潜在意識にまつわるイメージはとてもネガティブなものでした。潜在意識に押し込められ潜んでいる心の傷(コンプレックス)が、不安症やヒステリーなどの原因であるということが強調されていたからです。

潜在意識の高度な働き

ところがその後、健康な人の潜在意識の研究が進むと、状況は一変します。

潜在意識は、画家や音楽家などが斬新な着想を得る源泉だとされるようになりましたし、潜在意識には、望んでいることの実現に役立つ秘められた力があることが知られるようになりました。

たとえを使って言うならば、それはまるで、船の自動操舵システムのようなものです。いったん潜在意識に目標を伝えると(そしてそれが承認されると)、潜在意識は私たちにそれを実現するためのアイデアを常に小声でささやいてくれるようになります。

また、バラ十字会の研究により、潜在意識の主な働きのひとつは、体全体の健康を保つことだということも知られています。人の体のさまざまな部分では何十万という化学反応が同時に行われていますが、まるでオーケストラの指揮者のように、自律神経系を通してこの活動のバランスを保っているのが潜在意識です。

人間の潜在意識に、途方もない優れた能力があるということは、近代科学が始まるはるかに以前の、遠い昔から知られていました。たとえば、ギリシャのデルポイの神殿の門には、「汝自身を知れ」という格言が掲げられていたとされます。

これを「身のほどをわきまえなさい」と解釈するのは間違いであり、「心の奥深くの声に耳を傾けなさい(そこには素晴らしいアドバイスと能力が秘められているから)」という意味です。

別の例ですが、チベットの仏教では古代から、「オーン・マニ・パドメ・フーン」という言葉が聖句だとされてきました。この言葉は「蓮(ハス)の花の中の宝石」を意味するという説が有力です。

泥に根を張り水面に花を咲かせる蓮は、濁世に生きる人間の象徴であり、この言葉は人間の心の深層に宝石のように貴いものが存在していると解釈することができます。

宇宙からから見た地球と日の出(人間の心の深層に宝石のように貴いもののイメージ)

自己啓発分野の誕生

1960年代になると、潜在意識のこの莫大な能力を活用して、望む人生を実現しようという、いわゆる「自己啓発」分野の草分けとなる人たちが現れました。

そのころは、この分野の人たちの多くが専門家であり、良質な提案が多かったのですが、後に自己啓発のブームが起こると、専門家ではない人たちも本を出したり、セミナーを行ったりするようになりました。

現在では、控え目に言っても、本当に価値があるものとそうでないもの、科学的なものとそうでないものを見分けることが難しくなっています。

瞑想とマインドフルネス

話を戻します。「自分の人生を生きる」という目標が、心の奥深くが望ましいと評価している状況を実際にもたらすということを意味するとしたら、それをどのようにして実現したら良いのでしょうか。

単刀直入に言ってしまえば、心の奥深くの声に耳を傾けて、その声に従って行動し、現状をその方向に変えていくということが、直接の解決策になります。

ですが、心の奥深くの声に耳を傾けるのは、実際には簡単なことではありません。潜在意識とは、日常意識ではアクセスできない心の部分にあたるからです。

しかし、そのためのテクニックは昔から知られていましたし活用されてきました。皆さんもご存じのことでしょうが、それは「瞑想」です。最近では、マインドフルネスという瞑想法が、よく知られるようになりました。

マインドフルネスはもともと、古代仏教で用いられていた瞑想法のひとつですが、数十年前から米国で盛んになり、今ではアップルウォッチやフィットビットのアプリにも含まれており、多くの人が実践しています。

瞑想には、リラックスやリフレッシュという効果だけでなく、仕事の能率や創造性が高まることが科学的に実証され、多くの企業で、特に米国の大企業で社員研修に取り入れられています。

職場で瞑想するビジネスマン

自分の人生を生きる方法

瞑想を活用する

瞑想の効果として創造性が高まることには、先ほど話題にした潜在意識の能力が大きく関係しています。

このブログでは、今までに瞑想を話題として取り上げたことが何度もあります。下記に記事をまとめていますので、ご参考になさってください。

神秘学を活用する

ストレートなご提案ですが、バラ十字会が提供している神秘学(神秘哲学:mysticism)の通信講座を受講することを検討してみてください。最初の3ヵ月で、人間の顕在意識と潜在意識について学習し、そのまとめとして瞑想の具体的方法を練習することになります。

世界的な研究機関であるバラ十字国際大学の成果をまとめ、科学的で、真に役立つ知識とテクニックだけをお伝えしています。

ご興味をお持ちの方は、このページの下にあるオレンジ色のボタンをクリックして、一ヵ月の無料体験をお申し込みください。教材の内容は下記で読むことができます。

自分の人生を生きるために - アドラーの心理学

さて、もうひとつお勧めがあります。

この記事の途中で、フロイトとは異なる潜在意識の見方をするようになった人たちがいるということをご紹介しました。その中でも有名なのは、アブラハム・マズロー、カール・グスタフ・ユング、アルフレッド・アドラーです。

この中でも、「自分の人生を生きる」ための勇気をもらうために、アルフレッド・アドラーの心理学に触れてみることをお勧めします。

常識と対立する考え方

アドラーの考え方には、従来の常識と真っ向から対立するものが多くあります。いくつか挙げてみましょう。

ひとつは、他の人から認めてもらいたいという私たちの思いについてです。このような思いを「承認欲求」と呼びます。

私たち人間は、社会生活をしていて、他の人から認められることによって自分には価値があるということを確認するのではないでしょうか。このような承認欲求は、人の心の自然な働きのように思えます。

ところがアドラーの考え方では、人は他人から承認を得ようとすべきではありません。

承認欲求と賞罰教育

アドラーの心理学を紹介した有名な本のひとつに『嫌われる勇気』があります。この本では、職場でのゴミ拾いの例を挙げて、このことが説明されます。

「あなたが職場でごみ拾いをしたとします。それでも、周囲の人々はまったく気づかない。あるいは、気づいたとしても誰からも感謝してもらえず、お礼の言葉ひとつかけてもらえない。さて、あなたはその後もごみを拾い続けますか?」

「みんなのために汗を流しているのに、感謝の言葉ひとつもらえない。だったらやる気も失せるでしょう。」

「承認欲求の危うさは、ここにあります。いったいどうして人は他者からの承認を求めるのか? 多くの場合それは、賞罰教育の影響なのです。」

「適切な行動をとったら、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。アドラーは、こうした賞罰による教育を厳しく批判しました。賞罰教育の先に生まれるのは『ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない』『罰する人がいなければ、不適切な行動もとる』という、誤ったライフスタイルです。」

(『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)より)

常識に挑戦するアドラーの言葉

他にも衝撃的な言葉があります。いくつか列挙してみましょう。

・ 「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。

・ 場の空気を読んで縦の関係に従属することは、自身の責任を回避しようとする、無責任な行為です。

・ 人が他者をほめるとき、その目的は「自分よりも能力の劣る相手を操作すること」なのです。そこには感謝も尊敬も存在しません。

(いずれも上掲書より)

他者尊重

いかがでしょうか。一度きりに人生を後悔することなく生きていくヒントとして、これらの考え方を受け入れるのは、覚悟がいることでしょうか。

この考え方は、現実の人間関係に悪影響を及ぼすと否定的に感じる方もいらっしゃることと思います。

しかしアドラーの心理学は、他者を尊重するという考え方に貫かれています。具体的に言えば、自分の課題と他者の課題を分離し、他者の課題には決して手を出さない、他者の尊厳に土足で踏み込まないという考え方を採ります。

この指針は、人間関係をひどくこじれさせないために有効に働きます。

雄大な風景を見つめる人

ユダヤのことわざ

しかし、自分の人生を生きるという選択を貫いたとき、それは他者の否定につながる場合があり、親しい人や周囲との関係が悪化するのではないかという心配は、特に同調圧力の強い日本では、もっともなことです。

この本に書かれていた、あるユダヤのことわざは、この点に関して大いに勇気を与えてくれます。

「10人の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。そして10人のうち2人は、互いにすべてを受け入れ合える親友になれる。残りの7人は、どちらでもない人々だ。」(上掲書より)

ご紹介してきたアドラー心理学の内容は、「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)に紹介されています。読みやすく、数時間で読み終えることができます。この本を3回繰り返し読んだだけで、人生が一変したと語る人もいます。

どうか一度手にしてみてください。

まとめ

「自分の人生を生きる」ということは、心の表面的な部分とは価値観の異なる、心の奥深くに忠実になることを意味していると考えることができます。

それを実現するために、瞑想・マインドフルネスを活用する方法、神秘学を活用する方法、アドラーの心理学をご検討することをお勧めしました。

以上、あなたのご参考になる点が少しでもあったら、嬉しく思います。

区切り

筆者紹介:

バラ十字会日本本部AMORC代表 本庄 敦(筆者のプロフィールはこちら↓)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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