https://note.com/decco2020/n/n0993170c1528 【短歌を作ってみた】より
始めはただ つらつらと 気持ちを綴り 意味だけ残して、シンプルにシンプルに短歌にしました最後に短歌が出来上がります。心を整理整頓する作業 気持ちいい
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いつか 必ず 私の元から 旅立つ 息子
生まれた時の産声 手の柔らかさ お日様の汗のにおい 学生服に袖を通し 颯爽と 1人で自転車に乗り 坂道を消えて行く 可愛かった子の反抗期・・・
あと何年だろう 「気を付けて行くんだよ」と「お帰り」 を言えるのは 成長しながら その時々 母ができることをし うっとおしがられても 愛おしい
こんなに愛おしいものがこの世にあるのかと思う この思いを5.7.5.7.7の短歌に
シンプルに・・・ 成長が嬉しいけど、切ない気持ち 手放したくないけど、見送らなければならない覚悟 いつか来る旅立ちの春の覚悟
春の朝 鏡の笑顔 母の覚悟 →俳句もできた(笑)
いつか来るそんな日いつか旅立つ息子を思い今を愛しく思う
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反抗期 いつか旅立つ 日を想い
今日という日を 愛しく憶う
https://blog.goo.ne.jp/hainesen33/e/0508a175b6f139046f59cda8b1ad7826 【整理整頓】より
「断捨離」は得意です。シンプルに生きるのが好きなので、使わない物は、処分する。ガンガンです。でもね、そんな余裕がないこの1年でした。
な、な、なんと、「昨年」の秋物のセーター、やっと所定の場所に帰りました。
父の病院通いに、ハラハラしていた頃から、「整理整頓」する、余裕。
時間的な余裕は、ありました。けど、心の余裕をなくしていました。今、思い返すと、です。
その時は、ただただ。入院生活に突入したら、毎日を大過なく過ごすだけで精一杯。
介護、葬儀、母の入院、退院、介護。まぁ~なんという日々でしたでしょうか。
やっと自分のことをする余裕が出てきました。クローゼット、引き出しに詰め込んだものと格闘しておりまする。こういうとき、俳句できないんです…
しっぽ息子たちの、可愛い画像で、失礼をば。
Facebook長谷川 淳史さん投稿記事
https://ameblo.jp/tms-japan/entry-12820780619.html 【【腰痛:多くの原因は「脳」にある】】より
https://www.youtube.com/watch?v=ok5C1qS1P4c
慢性の痛みを打開するには、従来の古い考え方を捨て去り、破壊的なイノベーションを起こさなければなりません。そのためには、痛みに関するエビデンスに基づく正確な情報を取り入れ、実行に移すことが必要不可欠です。
それがとりもなおさず、「東日本大震災」「COVID-19パンデミック」「ウクライナ侵攻」といった、『ブラックスワンイベント』に巻き込まれた腰痛危機を回避する有効な戦略になり得るのです。
国民の利益になるかもしれません。もしご迷惑でなければ「シェア」をお願い致したく存じます。後世に負の遺産を押し付けないためにも、エビデンス(科学的根拠)に基づく情報の拡散にお力を貸していただけると幸甚でございます。
FacebookKen Kobayashiさん投稿記事
最近特に患者さんや私の話を聞いてくれているみなさんから、かなり切実な悩みの相談がたくさん寄せられています。
でも私の量子波的な判断からすると、なにか感情に左右されて、悩みの原因を知らずに繰り返しているように思います。その堂々巡りの間に、さらに4-5個の悩みが加わり、とんでもない思いつきで、ものごとを進めているきらいがあります。
例えば、人からの頼まれごとを断ったらどう思われるのかが気になり 、それを上手に断る解決策を考える時間を費やしたり、誰かが言った何気ない1つの言葉に引っかかり、それがどんな意味が相手に確かめることもなく、どんどん悪い方向に考えて自分を追いやっています。蓋を開けてみれば、相手はなんてことのない気持ちだったのに、どんどん自分で複雑化してしまっているわけです。
つまりそれらは 気づかないうちに傷になっていますよね。
例えるならば、サラダやお魚などにレモン汁を加えるとおいしい味になりますよね。でも手に小さな傷があるととてもしみますよね。
同じく自分が昔に比べて少し髪のツヤがなくなったとか 、弾力性がなくなったと感じてるところに 、友人に「あなた最近白髪が増えたわよね」と言われたとします。「まぁ私もね、中年になってるのでしょうがないわよね。美容師さんに相談しようかな!」と言えたら良かったかもしれませんが、特に感情の中でも「怒り」は莫大なエネルギーをもつため、モヤモヤな気持ちでいると、ネギを刻んでいる時に手を切ってしまったり、ドアに手を挟んだりしてしまうものです。
つまり私たちはその真の傷が心や脳の中に秘められているということです。
その起こった嫌な事実は、本当の意味では あなたが捨てきれなかった真の事実が起こしているわけです。
例えば行動不信になっている子どものお話がありました。たまたまみんなでジュースを飲んでいる時に、その子はジュースをこぼしてしまいました。その時とても上品なお母さんがパチンと手を叩いて「何やってるの!またこぼして」と嘆いていたそうです。なるほどその子が行動不信になるのが分かりますよね。
もし、そのお母さんがまず子どもを責めるのではなく、その場の汚れた場所をニコニコとクリーンして新しいコップにジュースを入れてあげたとします。そうすると、そのお母さんの明るい波動が全体に伝わり、周りにいる人が「私たちって話に夢中になって、ついつい手元が見えなくなっちゃうのよね。これから注意しましょうね」と明るくその場を収め、誰も恥ずかしい思いをすることはなかったはずです。
その本当の理由を気づかず、「みんなに見られて恥ずかしい!」というようなお母さんの感情がとった行いは、できれば慎みたいものですね。
今回私がみなさんに直接話したいことは、<思考>は今までの経験やその時のご自分の感情で「真の魂」からではない場合がとても多いと言う事です。
特に今は、とても忙しくて身近な人々の世話や、また無理してでも他の人と歩調を合わせなければならないと思って過ごしているのが現状です。 私は直接目を見つめ合いながらその”悲しい、寂しい、苦しい”と思っている事の秘められた真の理由や真の心、さらに「こんなに愛しているのになぜ理解してもらえないのか」とか「自分が長年我慢し、こんなに一生懸命やってきたのにふさわしい収入や名声がないなんて」など、本当に真剣に解決していく方法は私がまさに行動している考え方でもあります。その考え方は、自然界の摂理、言うならば”量子波”に常に感謝し、尊敬して、喜びとして行動しているからです。
目に見えない、触れないけれど、小さな光の波である恵みに超感謝し、感激した日々を送っているだけなんです。
私は子どもの頃の環境から得た自然量子波を授けて貰った幸せ者です。でもそれは私だけではなく、実はあなたの身体にも40〜50億の微小生命体があなを守っているわけです。あなたが考えるほど難しいものでは全くありません。感謝して敬っていると言う簡単なものです。
それは、全てあなたの中にあります。
私は皆さんと共に研磨し、地上最大、いやもっと宇宙最大な力をゲットする事を心から願っています。それができると、もっと自分の心が穏やかになり、巨大だと思っていた岩石ほどの悩みが実はもっとシンプルで、さらには解決策がふわっと向こうからやってくるという恵みを受け取れますよ。だって私はそれを星の数ほど経験しているんですから。
with Love, Appreciation and Respect Ken Kobayashi
Facebookレオナ 小静さん投稿記事
そんなつもりで言ったわけではないのに、ネガティブな捉え方をされてしまい責められてしまった・・・そういったお話を聞いて、ああ私もこういう経験あったなあと思い出した。
話すこと、伝えること、表現することこれについては私の人生を通しての、超えていくテーマだと感じている。
私は15歳まで、自分を守るため人と話さなかった。
幼少期の環境から、周りは敵ばかりだと思っていてとても孤独だった。
孤独はこの人生を終わらせたくなる。その感覚は9歳の時がピークだった。
話さないとずっと孤独なままだと思い決心して、高校生になったタイミングで話し始めた。
今振り返ると、話さない子供時代は人生の中で一番つらかったけど、自分の内側の世界を育てていたのだと思う。
そんなこんなで、少しずつ亀の歩みのように、伝えること表現することは鍛えていったわけですが
数年前に私のSNSでの発言や、ブログの記事を私の伝えたいこととは全く違う、ネガティブな捉え方をある方にされてしまった時期があった。
スマホの着信音が鳴るたびにビクッとして、また何か言われるんじゃないかとおびえていた。
私の一番の痛みと苦手意識がある分野を、直に批判されてしまうわけだから、そりゃあ怖いわけだし ちょうど感覚が開いて、目に見えない波動を捉えるようになった時期で 攻撃的な言葉に乗るエネルギーを、体が痛みとして受け取ってしまい、よけいに大変な時期だった。
その時は自分が悪いのかと、反省ばかりしていたけれど 今振り返ると、反省はこれっぽっちも必要なかったなあと思う。
お相手は自分の人生がうまくいかない理由を、外側に探していてたまたま私は近くにいて、もらい事故みたいなものだったのだ。その大変な時期を通過して学んだことは自分の素直な思いや、感じたことを発言しているならばお相手にどう受け取られようが、発言した側にはいっさい何の責任もないということだ。(もちろん嘘やでまかせ、相手の尊厳を損なうような発言は除く)もしネガティブに受け取られたなら、発言者側ではなく受け取る側に、反応してしまう何かがあるということ。ネガティブに取られて責められても、反省をする必要は全くない。
気にしないでと言っても・・・気にしちゃうだろうけどなんか台風が来たくらいに捉えて、やり過ごすくらいかな。
だからそんなことがあっても、伝えることはけっして止めないで自分の思いや感覚を、自由に発言できて共感したり高めあえる幸せなコミュニケーション世界を周りに少しずつ作っていく方に、意識を注ぐのがベストなんだと思う。
あともし自分が誰かの発言に対して、ネガティブな反応をしたなら自分の癒されてない部分を見つけるチャンスだね😉
https://jphaiku.jp/how/omoi.html 【風景や物に想いを載せる】より
喜びや寂しさ、感動などの心の動きは、そのまま「子供が死んで寂しい」などと書いてしまうと、単なる説明になってしまいます。
とんぼつり今日はどこまでいったやら
これは江戸時代の女性俳人、加賀千代女(かがのちよじょ)の作品です。
彼女には息子がいたのですが、幼い頃に死んでしまいます。
いなくなってしまった息子は、きっとどこか遠くまでとんぼつりに出かけてしまったのだろう、早く帰ってこないかなぁ、という子供を偲ぶ句です。
あるいは、息子は天国でもとんぼつりをして楽しく暮らしているのだろうか、という解釈もできます。
作者の感情を断定的に書かないで、とんぼつりに託したことで、読み手は千代女の気持ちを想像して、より深く、その悲しみや寂しさ、親心などを理解し、共感することができます。
松尾芭蕉の高弟、服部土芳(はとりどほう)は、その著書『三冊子(さんぞうし)』の中で、この点について、次のように述べています。
物によりて思うふ心を明かす。その物に位をとる。
引用『三冊子』 著者:服部土芳
「物に託して、心を表現することが大切です。
その心にふさわしい品位を物によって表します」
という意味です。
例えば、正岡子規の句で、次のような作品があります。
いくたびも雪の深さを尋ねけり
これは病気で寝たきりになってしまった子規が、雪景色を見ることができずに、どれくらい雪が積もったか、何度も尋ねてしまった、という意味です。
『雪』の儚い、それでいて冷たく冬の厳しさも感じさせるイメージが、病床にある子規の気持ちを代弁してくれています。
物に気持ちを託す場合には、その物の持つ品位、言い換えるとイメージが大切であるということです。
感情を述べずに、物に託して伝えることで、単なる説明では伝えきれない深い心の動きまで読者に伝えることができるというのが、俳句の醍醐味です。
ポイント
物の持つイメージ
物に気持ちを託す場合は、物の持つイメージが大切です。
我と来て遊べや親のない雀
これは、小林一茶が母親と幼くして死に別れた不幸な子供時代を思い出して読んだ句です。
「親のない雀の子、一緒に来て遊ぼう」という意味です。
ここでは、雀の持つ、小さくて可愛らしいイメージ、いたずら子供っぽい感じが、一茶の気持ちを表現するのに役立っています。
これがキツネやタヌキだと、なんだか小ずるそうな感じがしてしまい、まったく違った印象を受けるでしょう。
Facebook相田 公弘さん投稿記事【書くことで人生は明確になる】
書くとは、頭の中を整理整頓することです。
人は部屋の掃除はするのに、頭の中の整理整頓はまったく手つかずなことが多い。
言葉にすることで、自分の心を整理整頓できるのです。
「自分にとって、ほんとうに大事なことってなんだろう。自分にとって、ほんとうに大切な人って誰だろう。このふたつを、本気で思っているだけで、いい人生が送れるような気がする」
でも、ほんとうに大切なことが整理されていないから、時がなんとなく過ぎていってしまう。
明確にすると、どうなるか?
「いちばん大事なものに いちばん大事な命をかける」一番大事なものがわかってこそ、
そこに命をかけることができるのです。
人生において、あなたの行きたい先はどこなのでしょうか?
あなたにとって、ほんとうに大事なことってなんでしょうか?
あなたの夢や使命、そして本心をこれから整理整頓してみましょう。
「紙」に向かう。それは、自分の心の中の「神」(本心)に向かう時間なのです。
ひすいこたろう
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