森羅万象のもとにある理

マノマノ稲穂@manomano_farm

出来ない理由を「忙しさ」のせいにした時心がなくなる。

出来ない理由を「歳」のせいにした時人は老いる。

出来ない理由を「誰か」のせいにした時自分が分からなくなる。

出来ない理由を「自分」のせいにした時できる自分が返ってくる。

何かのせいにした言い訳が全部自分に返ってくる。


OSHO International@OSHO_Japanese

もし地上が地獄であるとしたらその創造者はあなただ それにはあなたも一枚加わっているのだ いつまでも責任を他人になすりつけるのはやめなさい  Osho


作家しりこだま(しりこ)@shiriko1971

希望を感じる心でいよう。青春を感じる心でいよう。何歳になっても僕らは成長してる。感受性は衰えない。1日1日の経験が僕らの感受性を高めてくれる。心配事があるのは感受性がある証拠。その心配事を薄めてくれるのは希望です。希望を感じる心です。君が穏やかになれるよう僕は静かな朝を祈ります。


一指李承憲@ILCHIjp

·新しい空、新しい大地、新しい人、そして新しい人生の道、神聖なる空、豊かな大地の上にあらゆる生命が共存する平和な世の中、あなたはその夢を叶えるために地球にやってきた存在です。今はあなたがそのことに気づかないとしても。


慈愛マスター@TOMMYEL77

人間も 地球も地球に存在する全ては同じものでできている

私たちは特別なことをしなくても最初から1つだったのです


Facebook横山 航宜さん投稿記事  カムナガラ

見えない世界の意図とこの世で起こる現象は表裏一体となり同調している 

神の意図がこの世に搦むがゆえに現象化して様々な出来事が地上で起こり続けている。

理不尽な弾圧も、言論の抑制も、過去の隠蔽も、信仰の悪用も、命の調整でさえも

万物の靈長になれず動物的な人という生き物に成り下がった生き物も、すべては理の中でしかない。

氣とは、根本から末とながれさきわかれてゆくもの。

多種多彩に咲き別れた氣は、もはや根など見る影もなく咲き乱れている。

学ぶとは、子(ね)から生まれ列なり続くと書く。根本から生まれ永き世連なってきた経緯を学ぶということ。根本を見失った人類は迷子になっている。

種が降ろされ、芽吹き、脹らみ、育ち、繁り、咲き別れ、実を結び、枯れ、朽る、そしてまた新たな種が降ろされ芽吹くそれも根があることで生命の循環がたもたれている。

根を見失った花はまた万物を生み出す土へと戻り養分となる。人類はどこへ向かっているのかカムナガラ。

この世に生きている以上、この世の理からは外れることはできない。カムナガラ

神宿り この世の影は 搦みつつ 流れゆくものカムナガラ

日輪の 日の出と日暮れ 道見える 太陽背にし 道進むなり

https://ameblo.jp/pittali/entry-12503422416.html 【カムナガラノミチの歌 第49句】より

<カム>へ還る感じ について、前回、説明しましたので、これから、<カム>を土台として、「カムナガラのミチの歌」の訳に挑戦していきたいと思います!

直観によって感じる歌なので、俳句とは、また違う味がありますよ。

なにせ一万年以上もの前の人たちの思念を継承している歌なのです。

<ウタ>

カムナガラ  アシカビクマリ  キワミコヘ  オオサカタミヌ

アマココロ  ヤクサヒトミチ  カムカヘル

<意>

形の見えないものだけど、縦に成長する幹と横への連帯関係が織り交ざる

際を見定めて、超えてゆく 大小や方法論では満ち足りぬ

アマのココロは、 限界に達する軋轢の因が富める地です。

それらは、やがてカムという 元の地へ還っていきます。


Facebook長堀 優さん投稿記事

東大名誉教授の矢作直樹先生は、日本人は、「神性」を直接感じることができる民族と語ります。 矢作先生によれば、「神性」とは、「森羅万象のもとにある理そのもの」と「理を創造したもの」です。

 そして、「宗教」とは、「神性」を感じるためのしかけ、つまり組織や教義・戒律などであり、その一方で、理屈で説明できないものを信じることが「信仰」です。

 神典も戒律もなく、預言者もいないのに、神性を感じ、大いなる存在に感謝を捧げ、調和を大切にし、謙虚に暮らす、良くも悪くも、これが日本人が古来大切にしてきた「信仰」であり、生き方と言えるのでしょう。

 では、この日本独特の神道は、世界から見ればどう映るのでしょうか。

 この点について、たいへん興味深いお話に触れることができました。

 高千穂神社、後藤俊彦宮司のご著書「神と神楽の森に生きる」からの抜粋です。

 1989(平成元)年の秋、高千穂神社は2度目のヨーロッパ(ユーロパリア・ジャパン)での神楽公演を行いました。

 ユーロパリアというのは"古代ヨーロッパの収穫祭"という意味の合成語です。

 ECが、毎年加盟国の中から一国を選んで、その国の文化や歴史を紹介する欧州最大限の文化と芸術家の祭典です。

 平成元年は、ヨーロッパ共同体に加盟している域内の国々が一巡したため、域外の国としてヨーロッパで関心の高いわが国が選ばれました。

 平成元年とは、またなんというタイミングでしょうか。

 ユーロパリアは権威ある催しであり、この年も、名誉総裁は主催国ベルギーのボードワン国王夫妻で、日本側の名誉総裁は皇太子殿下でした。

 開会式は、ボードワン国王・王妃両殿下と皇太子殿下の御臨席のもとブリュッセルで開催されました。

 ベルギーのマルテンス首相が、世界で二つの重要な文明、文化を所有するECと日本とが、文化の面でも深い交流を行なうことの喜びを語りました。

 日本人として、なんとも誇らしい思いがします。

 日本側からは竹下登元首相が特使として答礼の言葉を述べたそうです。

 後藤宮司は、神楽の公演に先立ち、いつもと同じように、舞台と奉仕者と観客をおはらいしました。

 そして、公演終了後には神前に向かって、その国の平安と人々の幸福を祈って神道式の拝礼を行いました。

 この行為について、外国では一切の批判が出ることもなく、むしろはらいについては、

 「あれは私たちをピュアファイ(お清め)したんでしょう」と感動の言葉もかけられるほどでした。

 帰国後、現地で通訳を務めた女性が後藤宮司に感想を寄せてくれました。

 「神々の道は美しい言葉だと思います。 日本の国でもきっと大切な役割を果たしてきたに違いないと思います。特に、神道は『自然』を意味するので、空気と同じく、自然を吸い込むような『自然の感覚』を与えてくれるものと思います。

 天地のあらゆるものは、国民に幸せと希望をもたらしてくれる神となりうると思います。

 人々は皆それぞれの神を信じていますが、神道では人々は自分の信仰をなくさないで、異なる宗教を信仰することができる寛容な心を持っているように思いました。」

 日本人よりも、神道について深く理解されているようで、えもいわれぬ感動を覚えます。

 宮司様は、このような体験を踏まえ、

 「日本文化の根源にある神道を、外国人の軍事占領下で作った憲法の一文で日本人自らが忌避している現状こそ異常に思えてならない」と語りますが、私もまったく同感です。

 高千穂神楽の第一回欧州公演は、1985年にフランスで行われた国際伝統芸術祭で行われています。フランス文化庁の招待により、世界14カ国から選ばれた団体が集まっていました。

 他の国が30人から70人以上のグループで構成されていたのに比べ、神楽は一人舞でした。

 しかし、主催者からは大歓迎を受けたばかりか、次のような言葉をかけられました。

 「ヨーロッパには宗教と演劇の一致したものがなく、西洋の演劇界は行き詰まりの状態にある、その意味で神楽のような神事芸能には強い関心を持っている」

 そして、公演後には、神楽日本の神楽が最も伝統的様式を残し伝えている、との評価を受けることになったのです。

 これを受け、後藤宮司は、「一人舞の『手力男(タヂカラヲ)』や『入鬼神(イレキジン)』の舞が、他国のそれを圧倒するような迫力と重みを持っているのは、高千穂神楽が守り伝えてきた数百年の伝統の重みと信仰の深さではないか、と思った。

 そして信仰と伝統を失った演劇と同様に、民俗国家もまた固有の伝統文化を失っては力強い発展を遂げることはできないのだと思われた。」

 私自身、留学の際、日本の古典芸能である雅楽について何も語ることができず、恥ずかしい思いをしたことがあります。

 自らの国の文化を大切にしない者は、他国の文化にも敬意を払うことができない、と外国では捉えられることがあるのです。

 戦後、世界最古の皇室を抱くことさえ教えられることのなくなった我が国は、大袈裟ではなく、民族存亡の危機にあるといえます。

 日本人としての矜持を思い起こさせてくれる大切な一冊でした。

 また長くなりました。ここまでお読みいただきありがとうございました。

 高千穂神社、必ず参拝させていただきます。

https://www.youtube.com/watch?v=nggG_ZkPpwI

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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