Facebook西田 拓司さん投稿記事 < 今やるべきこと >
医療をしていると時々、もうだめだと思っているような病気の方が突然に劇的に良くなることを経験したりします。
とくにステージ4の癌の人などでは時々この現象が起こります。
いろいろな共通点はあるとは思いますが、その中でも目立つ共通点は今までと人が変わったねというくらい考え方やその人のあり方が変わる“変容”という現象です。
頑張る、いい人、我慢、モラル、、こんな表面の仮面を脱ぎ捨てて素の自分、子どもの時のような自分になった人はパラレルワールドのような全く違う人生を歩み始めることをたくさんの患者さんから教えていただきました。
表面的な医療のみではなく本当は多くの人がこれを求めている。
“みんな幸せ”の世界が作れるヒントもこの"変容"というキーワードにあると 思ってます。
だからクリニックの外の新しい“場”では<空間>+<人・コミュニティ>に重きをおいて
創造していきたいと思っています。
<空間>
・自然豊かで地球とつながる場所
・森羅万象・神様を身近に肌で感じることができる場所
・自分たちの手で食べ物を作れる場所(最終は自給自足)
・日常の生活の延長線上にあってすぐに行ける場所
・薬草など体を根本的に変えてくれる体に優しいものを使った医療の場
<人・コミュニティ>
・誰がトップでもない外に開かれた閉鎖的でないコミュニティ
・利害関係のない心がつながる仲間がいる
・皆がそれぞれ自律して、依存関係ではない
・お互いの"できる""ある"を持ち寄った相互支援の文化
・誰かが誰かの勇気や希望になり、 気づきや自己変容がすすむ組織
・お金を極力介さない循環社会
今やろうとしているのは、クリニックとは違うこんな“場”を作ること。
心ある人たちが今の世の中、どこか不調和で何か不自然だということに気が付き始めています。でも何から行動したらよいのかわからない。僕もそうですし、今も手探りです。
みたことがないものを作り上げるのも恐れも不安も0ではありません。
(むしろ恐怖や不安だらけです😅)でもこんな医療を絡めた“場”作りができれば、
本当に人は体・心・魂 すべてが自然に回復する。そんな気がしてならないのです。
一度きりの人生、どこまでできるかわかりませんが人生のなかでやりきってみます。
人が本当に幸せになるとはどういうことかを見届けて命を終えたいと思ってます。
それが自分にとって最高の幸せだと いうことに気づいたので。
Facebook船木 威徳さん投稿記事·【 恐怖を直視する 】
〈ちょうど1年前の私の記事を、そのまま引用します。私が自分で読み返して、改めて大切だと感じることが記されていることと、状況はむしろ、悪化しているかと感じられて仕方がなからです。〉
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。」(祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きがある。
沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという物事の道理を示している。おごり高ぶっている人(の栄華)も長く続くものではなく、まるで(覚めやすいと言われている)春の夜の夢のようである。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、まったく風の前の塵と同じである。)
日本の首相が交代なさるから、あるいは米国の大統領の選挙が近いからというわけだけでもないのですが、社会の大きな変容、とりわけ、「みんなでこうしよう」とか「多くの人にこう『させる』つもりです」という数々のメッセージを聞いてきて、私が最近、あらためて、頻繁に想い出す一節が平家物語の冒頭です。
まず、間違いなく、いま多くの人々の行動のきっかけになっているのは『 恐怖 』であり、そこからくる『 不安 』でしょう。
不安は、新たな恐怖、そしてさらに大きな不安を連鎖的に生みだしてゆきます。
話が私自身のことになりますが、私が医師になりたての頃、なにが怖かったと言って
眼の前で、声を出して苦しむ人や、意識がすでになく、どんどん状況が悪くなる人、噴水のように血を吐いている人、交通事故などで、手足がほとんど取れかけている人を見ることほど怖いことはありませんでした。
さらには、火事や溺水(自死しようとしたり、実際におぼれたりした場合)、縊首(首つり)、交通事故などで、すでに亡くなっている人を診ることは当初「恐怖」をはるかに超えた感情を持たざるを得ませんでした。
あるいは、死後何日も、何週間もたっている遺体を主治医である私しか確認ができない場合も
やはり「恐怖」を憶えたものです。
自宅外で亡くなった場合、後から来られるご家族に会ってもらう前には、できるだけ生々しいところが見えないよう、血液をきれいに拭き取ったり、骨や血管が見えかけている傷も整えたりします。
目を見開いて亡くなっている場合はその瞼を透明な糸で閉じておきます。
ただただ「無念」の想いを感じざるを得ないどこかを見つめた眼を隠すために、瞼を閉じてゆく「恐怖」は、相当なものでした。ただただ、怖い、の一言でした。
では、その「恐怖」の感情を、私がどうやって乗り越えたのか?
それは、その患者さんの身体や傷を徹底的に「よく見る」「直視する」ことによってです。
私が実際にやったのは、「怖くても」よく見る「怖くても」もっと近づいてよく見る
「怖くても」よく触り、よく「感じる」ということ。
事故に遭って、悲しいことに手の指が複数切れてしまった高校生を診察したことがあります。
そこで、その「指」をよく見ることで、最初は底知れない恐怖を感じたその想いはどこかに消え、ご本人の精神状態、バイタルサインは?骨の断面は?見えている動脈は?と、冷静に、「いま」起こっているできごと、そのできごとの結果を、冷静に見ることができるようになり、さらには、「次にどうするか?」にフォーカスして頭が働き始めるのです。
もっと言いましょう。「不安」は、「恐怖」を「直視しないこと」から大きくなり始めます。
例えば、みなさんのご家族が、ひどい熱中症で病院に運ばれたとします。意識もなく、心臓も動いているのかさえよく分からない。もし、搬送された先の病院の医師、看護師が「怖い、怖い、死んでるかもしれないし、自分が触って死んでしまったらどうしよう」と、逃げ回っていたらどうなるでしょうか?そんな医師も看護師もいないでしょう。
私たちは、その人が生きているか、すでに死んでいるのかをすばやく見分け、1秒でも早く処置を施すことで、仮に死にかけている人でも、生き延びられる確率を上げるように考えると同時に、手が動くようにトレーニングされています。
そうできるようになるには、それなりの時間、経験が必要ですが、そこで繰り返しているのは
ひたすら近くで、起きている事実を、徹底的に「見る」「聴く」、そして「感じる」という単純なことなのです。
医療者が人の命を助けるために行うべきは、怖がったり、不安に思ったりすることではなく
そばで、その人に起きている事実を、ひたすら「見る」ことですから。いま、日本だけではなく、世界中を覆っているような「恐怖」と、それによって増大する「不安」。
私のクリニックにも、毎日多くの方々がいらして口々に「怖い、怖い、どうしたらいいか分からない」「これからどうなるのか、不安でしょうがない」と言います。
それでいて、私が「何が怖いのですか?」「一番不安なことはなんですか?」と尋ねると、多くの人は、こう答えるのです。「確かに、なんだろう?なにが怖いのかしら?でも、毎日、テレビでいろんな人が言っているでしょう?『このウイルスは怖い』って・・・。」
私から、「過去にテレビで『何万人もの死者が出る』と騒いだ人がいましたが、実際そうなりましたか?」「実際に亡くなっている人たちの数を知っていますか?」
「そもそも、~さんのまわりで、そのウイルスで亡くなった方が何十人もいるのですか?」と尋ねても、「そう言われると、そうですねえ・・・。」となってしまうのです。
なかには、とっさに深く考えることをする人もいて「じゃあ、なぜ、テレビや新聞は、『怖い』病気だから、ウイルスだから、みんなで家にいよう、外に出るな、とすごく『怖い』もののように言うのですか?」と尋ねてきます。
私は、こう答えます。「怖がらせることが、目的だから、です。」これは、あくまで私個人の考えなので、私の独り言だと思ってもらえばけっこうです。
あらゆる力、権力、パワーが、究極に求めるものは完全な支配です。客観的な評価ができない特定の思想に代々染まり、自己満足に狂う少数の者たちが、大多数の人間を完全に支配することを何千年と求めてきました。
それを実現するために、もっとも原始的でもっとも有効な方法は、多くの人々を「怖がらせること」です。
人間は「死」という本能に触れる想像をすると論理的な考えのもとに行動することができなくなってしまいます。客観的にどうなのか?科学的根拠は?といった現代人が当たり前にできていたことさえ忘れ、「いまは、すべきではない」あるいは、「そんなことを言う奴は敵だ」とさえ言い出すのです。
これは、社会主義国家だから、「民主主義」国家だから、など無関係です。
十分な根拠を示さず、十分な議論を尽くさないまま(それでいて反対意見は決して取り上げないで)「みんなの恐怖を取り除き、みんなが安心できるようにするのは『みんなでこうすべきだ』」と言う論調のメッセージが、いったいこれまで何度、歴史のなかで繰り返されてきたでしょうか?
私たちが、まともな大人として、一方的な支配のもとにしっぽを振って自分から飛び込んでゆくことのないよう、注意しておかねばならないのは、「マスコミやネットを通じて、私たちに
もたらされる『恐怖』の感情を起こしうる情報、すなわち、病気、食糧、天災、戦乱、経済や教育に関するネガティブな情報は、そのままに受け取らない」ということです。
もし、なんらかの情報を聞いて、そこで、「恐怖」を感じたなら、なおさらのこと、できごとを直視し、逃げないで、そのできごとにもっともっと近づいて「真実はなにか」をできるかぎり調べることです。
平家物語は続きます。
~遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらは皆旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れむことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざりしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
(遠く外国の例を探すと、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらの者はみな、
もとの主君や前の皇帝の政治にも従わず、享楽の限りを尽くし、他人の諫言も気にかけることなく、天下が乱れていることを理解せず、民衆が心を悩ませていることを認識しなかったので(その栄華も)長く続くことはなく、滅んでいった者たちである。)
もう一度言いますが、あらゆる力、権力、パワーが、究極に求めるものはその他大勢の人々の完全な支配です。
客観的な評価ができないまでに固定された特定の思想に代々染まり、自己満足に狂う少数の者たちが、大多数の人間を完全に支配することを何千年と求めてきました。
それを実現するために、もっとも原始的でもっとも有効な方法は、多くの人々を「怖がらせること」です。
人々が「怖がる」のは、支配する側にとって、とんでもなく都合のよい状況です。
「これをしなくてはならない」「特効薬がはやくできて欲しい」「予防注射を打たなくてはいけない」など、私たちがなんらかの行動を取ろうとする、取らなくてはいけないと考えるとき
その、動機、理由を考えてみましょう。
「みんなが言っている(らしい)」「テレビで言っていた」その理由が、もしも、落ち着いて考えてもはっきりとした根拠がなく、得体の知れない「恐怖」に基づくものならそれは、はっきり言って、ほぼすべてウソです。
勢いよくあおられているだけ、恐怖を作り出され、不安を大きくするよう一部の狂った力にコントロールされているだけの可能性が非常に高いと、私は考えています。
どれだけうまくやっているつもりでも、この世界の善や秩序に根本的に反した行為は、完全に成し遂げられることはないと信じています。
しかし、その本質的な悪を信じ、その悪に命さえも捧げる者たちがいる限り、相当の犠牲者、被害者は今後も増えてゆくでしょう。
私たちが、それを少しでも抑えるためには、人間は、学び続け、自分で考え続けるしかほかに方法がないと思うのです。
人間の「考える」力も、「ひとつになる」力も人間が生き抜くための最強の武器であると私は考えています。
~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり
https://doctorsfile.jp/h/140898/df/1/ 【西谷 雅史 院長の独自取材記事 響きの杜クリニック】より
(札幌市中央区/円山公園駅)
札幌市営地下鉄東西線・円山公園駅6番出口を出てすぐの場所にある「響きの杜クリニック」。婦人科の一般診療や定期検診、排尿トラブルの相談、妊娠中の健診など、女性の健康に関することに広く対応しているクリニックだ。特徴は、病気を心と体全体からとらえ、西洋医学、東洋医学、そして生活環境面にまで着目した「統合医療」を提供していること。「体に起きている現象だけを見るのではなく、その現象がなぜ起きているのか、体と心のつながりも診ながら原因を追求していくことが大事なんです」と、院長の西谷雅史先生は話す。人間が本来持つ自己治癒力を重視した医療を実践しているという、同院の考え方について詳しく聞いた。
学生時代に関わった薬害調査が医師としての原点
まず、先生が医師を志した経緯について教えてください。
実は物心ついた時から、医師になることが定めだと悟っていたんですよね。小学生の頃、野口英世先生について学んだのが医師という職業に興味を持ったきっかけでした。その時、宇宙の歴史の中では人の人生100年なんて一瞬でしかない。その一瞬の中でこの世に生きた証を残すとするなら、医師になるしかない、と思ったんですよ。私が存在したことで誰かの命が助かって、その人の人生を変えることができたら、それが私の生きた証になる。名前を残したいとは思いませんが、後世に良いことを残したい、社会のためになることがしたいと考えたとき、医師以外の職業は思い浮かばなかったんです。両親が医療関係者というわけではなかったので進学は大変でしたが、念願かなって北海道大学医学部に入学することができました。
学生時代の思い出は?
医学部の「スモン研究会」という、スモン病の患者さんを支えるサークルでの活動が強く印象に残っています。スモン病とは、昔販売されていた整腸剤の副作用で、下半身の麻痺と痺れ、視力障害などを発症する病気です。病気発見当時は薬害との認識がなく、風土病ではないか、などあらぬ疑いもかけられていましたが、整腸剤が原因だとわかってからはその薬は販売禁止となりました。全道に多くの患者さんがいらっしゃったので、私たちは国の補償が受けられるようにサポートしたり、病気の実態を訴えるデモ活動を行ったりしていたんです。その時感じたのは、自分も将来、知らないうちに害のある薬を出して加害者になってしまうかもしれないということ。今の常識をうのみにして機械的な診療をするべきではない、医療を変えなければと強く思いました。また、医学部生の時から患者さんに寄り添う活動に携わったことが、その後の医師人生に大きな影響を与えてくれました。
どのような見方をするようになったのですか?
人の体についてはまだ解明されていないことが多く、今の医学を学んですべてがわかった気になるのは禁物だということです。また、西洋医学は今ある症状を取ることに重きを置きがちですが、その症状が起きるに至った根本原因が必ずあるはずで、それを解明すべきだとも考えるようになりました。その点東洋医学は、生理学的にバランスが崩れた状態の体を元に戻す、という考え方を取っています。その視点に共感したので、西洋医学に限らず東洋医学を含め広く知識を習得することを心がけました。産婦人科を専門に選んだのも、内科・外科・出産・がん治療など幅広い診療に携わることができるからです。女性の一生を診ることができて、生命の誕生にも関われる点に魅力を感じました。
調和と統合を重視した診療を提供
卒業後のご経歴と、開業した理由についてお聞かせください。
開業する前は札幌厚生病院産婦人科で主任部長を務めていました。当時から西洋医学に限らずさまざまなアプローチによる治療を試みていましたが、やはり病院では自分の思いどおりの治療を提供することは難しく、もどかしさも感じていたんです。そんな折、ある日脳出血を起こしてしまったんですよ。命に関わる状態になったことで、自分の医師としての人生には限りがあることを思い知らされ、ある種の使命を感じて開業することを決意しました。2006年、私が50歳の年です。突然思い立ったので資金面の用意もあまりなかったのですが(笑)、ありがたいことに知り合いや元患者さんのサポートを得ることができ、いい土地に自分の理想のクリニックを建てることができました。
このクリニックの診療方針は何ですか?
響きの杜という名前のとおり、響き合いや調和をテーマとしています。西洋医学と東洋医学の良いところをかけ合わせ、人間が本来持っている自己治癒力を十分に発揮させることで、心と体の調和をめざしていくというのが私の考えです。これを「統合医療」と呼んでいます。どんな疾患に対しても、対症療法にとどまらないアプローチに努めています。それから、人は少なからず普段の生活環境から体の不調が生じかねない影響を受けていると考えています。今は昔と違って電気や電磁波に囲まれて生活を送っている人がほとんどですが、それは自然の中で生きてきた人間にとっては負荷が大きいのではないかと私は考えるのです。当院は床に電気を抜くアース加工を施すなど、人が癒やしを感じられるように環境設計を意識し、患者さんにリラックスしてもらうことを心がけています。
どんな患者さんが多く来られますか?
がんの治療で行き詰まっている方や、何となくの不調を長年抱えて苦しんでいらっしゃる方がご相談に来られますね。体の不調は医学の領域だけでなく気持ちの問題も大きく影響していると考えますから、当院では患者さんの心を癒やすため、診療スペースの他にも施設を備えています。いろいろなクリニックを回ったけれど、不調の原因がわからなかったという方も、ぜひ一度お越しいただければと思います。
生活環境を含めて患者をサポート
診療の際に心がけていることはありますか?
良くも悪くも医師の言葉は患者さんに大きな影響をもたらすと考えているので、コミュニケーションを取るときには患者さんの気持ちを考え、慎重に声をかけています。よく「余命あと1年と宣告を受けた」という話を聞きますが、そうすると患者さんは余命にばかり意識がいってしまって、今の人生を楽しく生きることはできないのではと懸念します。例えば、コップに水が半分入っているのを見て、「半分しかない」と思うか「半分もある」と思うか。人はいつかは死を迎えるものですから、死ぬのを恐れすぎて今やりたいこともできずにいるよりは、前を向いて進むほうが充実した人生を送れるのでは、と思うのです。その「気持ち」の部分までサポートすることが、統合医療をめざす当院の役割だと自負しています。
休日は何をされていますか?
昔から自然が大好きなので、休みの日はアウトドアを楽しみます。「医・食・住」を自分で完結できるようにするのが私のポリシーです。「医」の部分である体の自己管理はできているとして、「食」に関しては、自分の食べる分をまかなうために家庭菜園をつくっています。稲って、とても従順で適当に植えてもちゃんと育ってくれるものなんですよ。それから「住」に関しては、少し前に友人と3人で丸太小屋を造りました。北海道が舞台の有名なドラマに出てくる小屋をまねしたのですが、素人が造ったので隙間だらけになってしまいました(笑)。そんな自然に囲まれた生活を楽しんでいます。
今後の展望とメッセージをお願いします。
開業から15年がたって、いかに「暮らし」の面で苦労をされている患者さんが多いかを思い知らされました。医療だけでなく、「食」と「住」まで満たして初めて治療がうまく進むと考えているので、今は患者さんの生活面のサポートを含めた統合医療を実践できる場をつくろうと廃校を取得しました。「ひびきの丘」という名前で、持続可能な社会をめざして自然の中で生き方を学ぶ学校にしたいと考えています。特に環境的要素によって不調を抱えている人をサポートしていきたいですね。人には自己治癒力が備わっていて、海に浮かぶ船のように、不調で体が傾いたら元に戻そうとする力が働きます。その力が発揮できるようにサポートして、皆さんに充実した人生を送っていただきたいと願っています。
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