十一面観音

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【本当に死にたくなって危ないときに救ってくれる存在】

以前、十一面観音さんが気になって気になって仕方が無い頃があって、宝山寺の山内にある御堂で拝ませてもらっていた。(特定の神仏がある時期無性に気になるというのは、よくあるんじゃないかと思う)

あるとき、サンマルクカフェで突然物凄い強烈な龍のエネルギー(神気が強い龍は痛気持ちいい)を感じると、数頭の龍のビジョンがうじゃうじゃ脳内に飛び込んでくる。その真ん中に、可愛い少女がいて笑ってるんだけど、何とも清々しく、それでいて魅力的だった。

十一面観音を少女だと言っている人はけっこう多いらしい。そして、仏教に取り込まれる前は水神として祀られていたらしく、日本でも古くから治水の神として水害のあった地域で祀られてきたとかなんとかいう話を知ったのは、随分あとのこと。

水神としての性質と、ニギハヤヒを祀っていた形跡のある場所で必ず十一面観音が祀られていることから、瀬織津姫信仰と強引に結びつけて考える人もいるみたいだけどね。

この存在に僕が感じるのは、少女のような無邪気さと可憐さ、全ての命に寄り添おうとする慈悲深さ、そして曲がったことを絶対に許さないという熾烈なまでの激しさ。優しい顔の仏像しかみたことないけど、きっと物凄い恐いんだと思うよ。

自殺した人の霊を迎えに来る存在ともいわれているんだけど、死にたいという想いにとらわれて苦しいという人は、十一面観音に助けを求めると心が楽になるし、かつてそんな想いに苦しんでいたという人にも必ず寄り添ってくれる。

ちなみに、頻繁に死を語る傾向のある人は「死にたいけど死ねないので早く死ねるように助けてください」みたいなことを言いがちだけど、願掛けをするなら「もっと楽に生きたい、早くこの苦しみを抜けたい、助けてほしい」がベストじゃないかな。


http://www.ma.mctv.ne.jp/~jr2uat/temple/smenu4.html 【十一面観音の秘密SPECIAL MENU】より

十一面観音

十一面観音・頭上の仏

 十一面観音(じゅういちめんかんのん)、梵名エーカダシャ・ムカ (ekadaza mukha)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。梵名は文字通り「11の顔」の意である。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一つでもある。玄奘訳の「十一面神咒心経」にその像容が明らかにされているとおり、本体の顔以外に頭上に11の顔を持つ菩薩である。

 頭上の11面のうち、前後左右の10面は菩薩修行の階位である十地を表し、最上部の仏面は仏果を表すとされるが、これは衆生の十一品類の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すとされる。「救わで止まんじ」の誓願を持つがゆえに、大悲闡提とも呼ばれる。六観音の役割では、阿修羅道の衆生を摂化するという。

 密教の尊格であり、密教経典(金剛乗経典)の十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経(不空訳)、仏説十一面観世音神咒経、十一面神咒心経(玄奘訳)に説かれている。

 十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる。

<十種勝利>

・離諸疾病(病気にかからない)

・一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)

・任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)

・一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)

・國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)

・不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)

・一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)

・水不能溺(溺死しない)

・火不能燒(焼死しない)

・不非命中夭(不慮の事故で死なない)

<四種功德>

・臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)

・不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)

・不非命終(早死にしない)

・從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)

 日本語では「十一面観音菩薩」、「十一面観世音菩薩」などさまざまな呼び方があるが、国宝、重要文化財等の指定名称は「十一面観音」となっている。

頭上の11の顔とは?

十一面観音(頭上仏の配置)

 十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされ、女神のような容姿に造られたものが多い。

 多くの十一面観音像は頭部正面に阿弥陀如来(けぶつ)を頂き、頭上には仏面(究極的理想としての悟りの表情)、菩薩面(穏やかな佇まいで善良な衆生に楽を施す、慈悲の表情。慈悲面とも)、瞋怒面(しんぬめん。眉を吊り上げ口を「へ」の字に結び、邪悪な衆生を戒めて仏道へと向かわせる、憤怒の表情。忿怒面(しんぬめん)とも)、狗牙上出面(くげじょうしゅつめん。結んだ唇の間から牙を現わし、行いの浄らかな衆生を励まして仏道を勧める、讃嘆の表情。牙上出面あるいは白牙上出面とも)、大笑面(だいしょうめん。悪への怒りが極まるあまり、悪にまみれた衆生の悪行を大口を開けて笑い滅する、笑顔。暴悪大笑面とも)など、各々に複雑な表情を乗せ、右手を垂下し、左手には蓮華を生けた花瓶を持っている姿であることが多い。この像容は玄奘訳の「十一面神咒心経」に基づくものである。通例、頭頂に仏面、頭上の正面側に菩薩面(3面)、左側(向かって右)に瞋怒面(3面)、右側(向かって左)に狗牙上出面(3面)、拝観者からは見えない背面に大笑面(1面)を表わす。

 「十一面神咒心経」によれば、右手は垂下して数珠を持ち、左手には紅蓮を挿した花瓶を持つこととされている。ただし、彫像の場合は右手の数珠が省略ないし亡失したものが多い。

 一方、真言宗豊山派総本山長谷寺本尊の十一面観音像は、左手には通常通り蓮華を生けた花瓶を持っているが、右手には大錫杖を持ち、岩の上に立っているのが最大の特徴で、豊山派の多くの寺院に安置された十一面観音像はこの像容となっているため、通常の十一面観音像と区別して「大和長谷寺型観音」と呼ばれている。

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