坂村真民bot@shinminbot
働き疲れぐっすり眠っている人に知らせよう 月が光り 星が輝き あなたとあなたの家族とを 温かく守っていることを
病に苦しみ眠られずにいる人に知らせよう すべてを任せきることによって不思議な力が生まれ闇が光になることを
ramtha.bot@_ramtha
人生の中で、自己への愛よりも偉大な愛はない。それ以上に偉大な愛はないのである。なぜなら、自己を抱き容れはじめて、自由というものが存在するからだ。そして、喜びが生まれてくるのはその自由からなのだ。
マノマノ稲穂@manomano_farm
朝は「十月十日」と書く。
赤ちゃんが十月十日で生まれてくるのと同じように私たちも毎朝「生まれ変わり」ます。過去のことは気にせず目が覚めたらもうすでに新しい自分なのです。しがらみ、悔しさ、悲しいことは、ぜーんぶ過去のこと。今日も生まれ変わった新しい自分で前へ進んでいこう!
作家しりこだま(しりこ)@shiriko1971
昨日の夕暮れの色、今日の夕暮れの色、決して同じではない。昨日の心の彩り、今日の心の彩り、決して同じではない。僕らは1日1日、生まれ変わってるかも。変わりゆくことの美しさ、それを感じながら生きたい。昨日までの絶望が、今日からは希望に変わってることもある。今日の心の彩り、何色ですか?
Facebook若林俊彦さん投稿記事 【白の呪縛】
お亡くなりになった方で昔の友人にトーマイタルさんという方がいて彼のブログも感性も素晴らしく白い鎖について述べていた
黒い鎖と言えばこの世の支配やパワハラなどで誰もが制約がわかりやすいけど白い鎖とは「清くあるべきという心」これは哲学の中にもあるし清廉潔白といった宗教の理念に流れる「清く生きるべき」という制約がある この白い鎖が人の心の自由を奪っている話
そして人は清く生きるべきかという疑問に当たる 人は清いべき 清いとは何か それは自然なのか 無理してるのか? 何か精神的なショックを受けて その後の人生にネガティヴな影響を与えることをトラウマという 何か違和感を感じる 活力がない これが白の鎖の場合が多い そして最近流れてきたメッセージ
いや最近じゃない ずっと前からか 地のエネルギー 力これは「地から」と言える
地球のエネルギー 本能、欲望 性欲 それこそが地のエネルギー
そして今、日本では性の問題に 蓋をしてきた 縄文から江戸まではもっとおおらかだった
つまりは清いものを推奨される中で 自然のバランスが失われている
その影響がホルモン系の病気として 現れている ホルモン系の添加物の影響もあるでしょう
ただ人間本来の姿を見た時に封印された性や 歪んだ性が現在はあると思う
近年、色んなところに光が当たっている 政治の問題 医療の問題 芸能界の問題 雇用の問題 光が当たるのはそれだけでなく 封印された性の問題にも光が当たる
全ての概念が変わるでしょう それがこれからの時代だと思います
FacebookHiromasa Suzukiさん投稿記事
【壮大な愛のドラマだった🪽】今までは地元に帰って来るのも、実家にいるのも苦痛でたまらなかったのね。それは家族からの否定の声の影響力が強すぎたから。
地元に帰って来ることを考えただけで心から光が消えそうになって、ここにいると積み上げてきた「自分」が崩れ、心の希望の火が、いつ吹き消されてしまうんだろうと、いつも怖くてたまらなかった。
それくらい家族って、心理的な影響力が大きいですよね。
僕は自分の道を進むことが結果的に家族への恩返しにもなると信じ、ありがたいことに結果も付いてきてくれていても、でも家族にとってはそれには何の価値もないことが、悲しみに幾度となく突き落とした。
でも去年じいちゃんが亡くなって。
僕にとって、じいちゃんは世界でたった一人のじいちゃんに変わりはないけど、でもじいちゃんの言葉の影響がとても強かったから、じいちゃんの「その声」が消えたことで、そしてお父さんも理解者に変わったことで、実家に帰ってきて、感じたことのないような心の静けさや、土地の豊かさを感じています。
写真は2階の僕の部屋からの景色です。めちゃくちゃ素敵でしょ?🪽✨
こんな広い空を見て育ってきたんだなぁ。
家も広いし、畑も広いし、田んぼも持ってるし、ここで全国のみんなと何か出来たら楽しそうだなぁって想像してます。
みんなを宮城の素敵な場所に連れて回りたい😁そんな中、ゆうべふと思ったことがあって。
じいちゃんを筆頭に家族の否定の声があったから、それでこの場所の居心地が良くなかったから、僕は人生の遠い場所まで歩いて来ることが出来たんだなぁって。
ここで生まれ生きることが幸せだったら、それでいい。でも人生はいつも僕に、何かを告げていた。ここでの生き心地が良かったら、僕はその声を聞きながらも、それに従うことはなかっただろう。だって、その声に従うことは、愛する人や慣れ親しんだ場所と自分を引き離す痛みを伴うから。
でも僕は声に従い、進むことができた。それは、じいちゃんや家族からの強い否定の声があったから。
そう考えると、ここまでの道のりは実は、表面に現れる出来事のもっと奥深くに流れる、
じいちゃんとの壮大な人生の愛のドラマだったんじゃないのか?と、
もっと大きな世界(宇宙)の存在が、その背後に見えたような気がしたのです。
親が子を甘やかすと挫折や苦悩を知らずに育ち、自ら学ぶ機会を失うため、『可愛い子には旅をさせろ』という古くからの言葉がありますが、それを実践することはきっと、とても難しい。そう思うと、僕とじいちゃんは互いに魂の成長の機会を与え合っていたのかも知れないなぁと思います。
形を変えて今も。
今、同じように苦しんでいる人がいたら、それを翼と風に変えられますように🪽
僕の経験があなたの力になれますように。
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