諸行無常

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比叡山文庫で見つけた空海の書「倭歌製作の事」

お経にある「諸行無常」の理を、倭歌になおすと、「いろはにほへとちりぬるをわか」となる。そして、各句の末尾をつなぐと、「とがなくてしす」(科なくて死す)が現れることを記している。

弘和9年4月18日空海と署名しているが、これが本物とすると、国宝級のもの。(後世の写本であろうが)

いろは歌の初出は、承歴3年(1079)の「金光王最勝明経」とされているが、弘和9年(818)にこれが書かれているとすると、大変な発見である。

どなたか、全文を正確に訳して発表していただけないか。これを、高野山大学に至急伝えてほしい。(真偽含めて研究の価値あると思われる)


https://josenji.net/jousenji0731_02.html 【いろは歌 無常の歌】より

 いろはにほへとちりぬるを…。

四十七字のかなを重複することなく一字ずつ使って作られたいろは歌、きちんと意味の通る歌になっているのが本当に凄いことだと思います。

このいろは歌、仏教の無常観を歌った内容からか、一説には弘法大師空海が作者とも言われますが、どうもそれは眉唾らしく作者不詳の歌です。

いろは歌は以下のようなものです。

(仮名、漢字仮名交じり、意訳の順)

 いろはにほへと ちりぬるを

 わかよたれそ つねならむ

 うゐのおくやま けふこえて

 あさきゆめみし ゑひもせす

 色は匂へど 散りぬるを

 我が世誰ぞ 常ならむ(ん)

 有為の奥山 けふ(きょう)越えて

 浅き夢見し 酔ひもせず

 匂いたつような色の花も散ってしまう

 この世で誰が変わらずにいられよう

 いま現世を超えていく

 もう現実の中で浅はかな夢をみたりはしない

 最後の「浅き夢見し 酔ひもせず」の部分は、「夢見し」を「夢見し」と過去形と捉えるか「夢見じ」と未来への意思と捉えるかで意味が違ってくるようですが、ここでは後者として意訳してあります。

 この歌は、基本的に四つの句からなっていて、涅槃経というお経の中に出てくる無常偈(むじょうげ)の意訳であると言われています。

以下が無常偈です。

 諸行無常(諸行は無常である)

 是生滅法(それはつまり、すべては生と滅とを繰り返すということ)

 生滅滅已(この生と滅とを超えたところに)

 寂滅為楽(寂滅という真の安楽がある)

この偈を上のいろは歌と見比べてみると、なるほど確かにそれぞれ四つの句がうまく対応しているように思えます。

仏教の要諦を説いた無常偈を四つの句の形そのままで、いろは四十七文字を重複することなく一文字ずつ使い意訳して歌にする。こんな超人的な創作を成し得た人物はいったいどんな人物だったのでしょう?

単語の文字の順序を入れ替えて違う単語や文章を作るアナグラムというパズルがありますが、せいぜい十文字か多くて二十文字くらいの並べ替え。四十七文字とは、その文字の数だけで既に常人には不可能と思われます。

もし会えることなら会ってみたい気がします。

以上、実は仏教の歌だったいろは歌について書いてみました。

何気ない言葉や習慣の中に実は仏教に深く関わりがあるものが沢山あります。

また何か取り上げてみたいと思います。

今回はこれまで。

住職記


http://www2.spacelan.ne.jp/~t-kawabata/newpage23-1.html 【第1回 「般若心経に親しむ」】より

仏教に関心がある人はもちろん、ない人でも、「般若心経」というお経があることは、ご存知ではないかと思います。般若心経は曹洞宗などの禅宗各宗派はじめ、天台宗や真言宗の密教系宗派で唱えられます。また、写経をされたことがある方は、一度は般若心経を写経した経験がおありなのではないかと思います。

お正月などのご祈祷で、お坊さんが太い経本を左右にバラバラと扇子を広げるようにしているのをご覧になったことがある方もいらっしゃるかと思いますが、あれは「転読てんどく」と申しまして、600巻もの長大な経典を転がすかのようにして、全て読んだことを意味しています。

この600巻の経典は「大般若波羅蜜多経だいはんにゃはらみったきょう(大般若経だいはんにゃきょう)」と申します。それを古代インドのサンスクリット語から漢語に翻訳し、262字にまとめたのが、般若心経です。実際、262文字については、末尾の「般若心経」という言葉を入れるかどうか、また、お経のタイトルを入れるかどうかで、文字数が変わるため、様々な解釈が存在しており、文字数に関するはっきりとした定説があるわけではありませんが、だいたい260字程度のお経だと解釈をしておけばよろしいかと思います。

この般若心経を漢訳した人物の一人が中国・唐代の大経訳家の玄奘げんじょう(602~664)です。あの「西遊記」に出てくる三蔵法師さんぞうほうしというお坊さんとして有名ですね。ちなみに三蔵法師とは仏教の「経蔵」・「律蔵」・「論蔵」の三蔵に精通した訳経僧を指し、玄奘は多くの三蔵法師の中の一人です。(他に玄奘以前の訳経僧で、最初に般若心経を漢訳した鳩摩羅什くまらじゅうも三蔵法師のお一人である)

そんな般若心経が説くみ教えとはいったいどんなものなのでしょうか?

それは、「諸行無常」の現実を受け止め、少しでも仏様のお悟りに近づいていくことです。

「諸行無常」というと、特に私たち日本人は「平家物語」の冒頭にある「祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常の響きあり」という一句を思い浮かべるからか、何だか寂しい印象を持ってしまいがちです。最愛の人との別れ。大切にしていた思い出の品々との別れ。諸行無常という言葉には、そうした決別とか最後(最期)という意味が込められているような気がして、どこか寂しさを感じずにはいられません。

しかし、この世で、永遠不滅のものはあるのでしょうか?いのちあるものは、この世に誕生したら、少しずつ、老いていき、そして、必ずや最期をむかえるのです。今、新築した家も、何十年か建ったときには、建て替えときがやってきます。それが諸行無常という「この世の道理(この世のしくみ)」なのです。そうした道理を受け止め(認め)、少しでも心安らかに、生き生きと毎日を過ごし、仏の悟りに近づいていくことが「般若心経」に込められた願いなのです。

また、諸行無常とは「万事が変化する」ということです。変化とは、決別のような寂しさを伴うものばかりではありません。成長のように喜びを伴う変化もあります。大切なことは自分だけの見方で変化を捉えないということです。すなわち、自分の都合や好みだけで、変化を選り好みせず、どんな変化も受け止めていくことが仏の悟りだということです。

諸行無常であるという日常を生かされている我々が、どのような生き方を目指していけばいいのか―?それが般若心経の約260字の世界の中には、凝縮され描かれているのです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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