Facebook新田 修功さん投稿記事 見えざる力……👀✨
おはようございます🤗💕
私たちの中には神様というと拒絶反応を起こす方がおられます 🤣
実は私もその一人でした😅
この世に神様がいるのなら、何故アフリカでどんどん子供が死んで行くのを見過ごしているのか❓
何故戦争はなくならないのか❓
地震や火事、殺人、その他、悲惨な事故に遭う人を神様は
見過ごしているのか❓
お願いすれば聞いてくれるのか❓
などなど、子供の頃から神様について疑念を抱いていた、ふとどきな子供だったのです 👦
大人になって様々な体験を経て、精神世界を勉強するようになり、「神様って何だ❓」という疑問を徹底的に研究しました。
結論のひとつとして、「神は生命を司る力だ」そして、生命はすべてのものに宿っている。すべてのものに意識がある。というところに行き着いたのです。
花の種をご覧下さい 🌱
黒い小さなゴマのような種から、あんなにきれいに咲くバラの花が想像出来ますか 🌹
黒い種を顕微鏡でしらべていくと、繊維のようなものが見えて来ます。
さらに倍率をあげていくと、分子や原子、そして何もないエネルギーの振動に行き着くのです。
このエネルギーの振動が神の力なのだと私は思います。
黒い小さな種から芽が出て、葉が出て、茎が伸びて来る、そして、決して他のものにならずに、バラならバラとして花が咲き、また種を残すのです。
この不思議な見えざる力、この同じ力が私たちにも宿っています ✨✨✨✨✨
この大いなる無限の力を信頼して、その力に感謝しながら身も心もゆだねて生きて行く。
これが人生のコツだと思います。
30年近く難しい理論や様々な哲学体系や宗教儀式などを研究してきて、辿り着いた答えです。
随分と遠回りしたものです😭
実は何も研究しなくても、誰にでも出来る、こんなに簡単な事だったのに 😊✨
難しくしているのは、私たちの思考ですね 😅
あまり考えすぎないで、ハートで生きる方が良いと思います 💕
ハートで生きる人が増えることで、世界は平和になります 🌎
今日も読んでくれてありがとう🙏
Facebook小坂達也の神道の心を伝える投稿記事
◉占いを国の機関に入れたのは誰?
512年に陰陽五行思想が日本に伝わり、聖徳太子時代には国政に大きな影響を与えました。この時代にはじめて暦が使用され、陰陽五行の徳目が木火土金水に与えられました。
木《仁》
火《礼》
土《信》
金《義》
水《智》
ここに徳を加えて大小に分けたものが、冠位十二階なのです。
また、天武天皇は占いや天文に精通し、占星台を設けました。
天武天皇といえば古事記編纂を命じた天皇です。
これにより、陰陽寮が国の機関として設立され、陰陽師の始まりとなりました。
陰陽師は長い間国政の吉凶を占ってきましたが、明治時代には西洋思想が導入され、二者択一法が主流となりました。
このため、曖昧な思想は排除され、医療分野でも漢方から西洋医学への移行が進みました。
この時期から目に見えるものだけを信じる傾向が生まれましたが、現代の科学や医学は目に見えないものを証明し、その存在を示す役割も果たしています。
しかし、曖昧な意見や思想があると国家を統一することが難しくなるため、人々を統制するために目に見えるものだけを信じさせる国家戦略がとられました。
その結果、陰陽寮も廃止され、一定期間占いが禁止されることとなりました。
論理的思考を重んじる人々は占いを信じない傾向がありますが、この世界には目に見えるものよりも目に見えないものの方が多く存在します。
また、目に見えるものであっても、知らなければ同じく目に見えないものです。深い見識を持つ人は、目に見えるものと見えないものの両方が存在することを理解しています。
私自身も若い頃は目に見えるものだけに意識を奪われ、知らないのに知っているかのように振る舞い、人を傷つけることもありました。
しかし、目に見えないものの存在を受け入れるようになり、人に優しくなりました。
それが目に見えないものの代表が【愛】です。
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)投稿記事 ·
気づきのヒント
幸福。別の言葉にすると・・・平安、平和、調和、平静、落ち着き、安泰・・・。素のときには多くの人がこんな言葉を思い浮かべるのではないでしょうか。言葉はそれぞれですが、口に出すと安らぎを覚えるものばかりです。
「権力」とか「権威」などは思い浮かびません。これらは口に出すと、安らぎよりも緊張や闘争心を覚えます。
いつからか、どこからか。錯覚というか幻というか。幸福が権力とか「権威」というものにすり替わっていたようです。この緊張感の中では、息苦しいですね。
社会は複雑になり、混乱を極め、人の精神活動も巻き込まれているようですが、実はそれも錯覚ではないかと思います。苦しみを味わい、突き詰めたところでは、やはり原点というか素のところに戻ります。
現代の常識や かくあるべきという束縛で、人生までもいたずらに複雑化させる必要はないのですね。
その「錯覚」「幻想」に近づけないことで生まれる苦痛は、たとえば、足りない、出来ない、遅れている、劣っている・・・。自己嫌悪や他人への憎悪もそこから生じてきます。本来、ないはずの「問題」ですが、幻想によってあらわれてきますね。
実際は、自分のありかたというよりも、「問題」のほうに「問題」があります。
人は、遅かれ早かれ、優しさや思いやりというものを学ぶようにできています。それまでは、いろんな現象が降りかかります。みな、優しさや思いやりに到達するまでの気づきのヒントと言えでしょう。
「利他」という言葉をあちこちで見かける現在。大きな規模で気づきのヒントが与えられているような気がします。時代の進化のためでしょうか。
【言葉とシンボル】
ヨハネ福音書の冒頭に 「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。」と記されています。
また「言靈」という言葉があります。
その意味をWikipediaでみると 「森羅万象が それによって成り立っているとされる五十音の云々」と記してありました。
また母子一体であった幼子がことばを獲得することにより
母子分離をし 個別化の過程を歩むと言います。(本来持っていた一体感を失います。)
ことばとはいったい何なのでしょう?
世界が現象として現れ出るのにことばが 大きく関与していると考えていいのでしょうか?
混沌として一体だった世界が 言葉で規制されることにより 現象として現れたと言えるのでしょうか?
然し[自然]とはなにですか?「森」とは何ですか?「空」とは何ですか?「人間」とは何ですか?「コップ」とは何ですか?
一人一人「自然」という言葉から思い浮かべるイメージはあまりにも異なります。
そして 森という言葉からも、 空という言葉からも、人間という言葉からも、コップという言葉からも、 思い浮かべるイメージは誰ひとり同じになりません。
一人一宇宙と言われる所以でしょうか?ことばは一体感を失わせる道具だとも言えます。
宇宙は波動(原子雲)で満ちていると言われます。
実であり虚である,在って亡きが如しといわれます。
全ては一体であり、相互に依存しあい、循環し続ける故、和多志はあなたであり、あなたは和多志である、しかも絶えず変化し続けているゆえ 和多志に実態を与えることは不可能です。
ある日 Jさんに 「幼子は 魂感覚(ESP感覚)があり、一体感に包まれているが ことばの獲得とともに それらは失われると言われるのに ここでは教学を一番大切にしている理由はなぜか?」と尋ねてしまいました。
答えは「毒を以て毒を制す」でした。
幼い時から学習してきたことを 単なる想念として白紙に戻し ダルマという真理を全ての規範に置き換える作業が教学と言われるものなのかと解釈しました。
修行の中で 自分の想念の一つ一つを消してゆき、消している自分までも消した時 胸からエネルギーが立ち上がり 光の海が見えました。
ことばによる縛りがなくなった時 自分という幻想が消え エネルギーの吹き溜まりのような実感を持ったりします。
通常和多志たちは顕在意識で現実認識しますが 真実に自分を突き動かしているのは潜在意識です。
一般に顕在意識のコミュニケーション手段は言語、潜在意識のコミュニケーション手段はイメージ(シンボル)と言われます。
心理健康オフィスでの セッションは クライアントさんに 今一番必要なメッセージを掴んでいただくため 言葉でも色々話してはいただくのですが 箱庭を置いていただき 筋肉反射テスト(身体からのバイオフィードバック)を使って 箱庭で表現されたイメージ(シンボル)の世界を言語化しながら進めます。
それほど言葉は曖昧で 言葉の背後にある内実は人それぞれ異なります。
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