生権力はいかに作動しているか【後編】

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学校や刑務所や工場といった閉鎖空間で作動し、独自の「進化」を遂げていく規律権力。それは、個々の身体に働きかけ特定の仕方で生きさせるという点で、違反者を取り締まり時に死へと追いやる法権力とは、明確に異な...

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重田 園江

学校や刑務所や工場といった閉鎖空間で作動し、独自の「進化」を遂げていく規律権力。それは、個々の身体に働きかけ特定の仕方で生きさせるという点で、違反者を取り締まり時に死へと追いやる法権力とは、明確に異なるものでした。こうした生きさせる権力=生権力が生まれ、社会の至る所へと広まった背景には何があるのでしょうか。

――すこし視点を変えて、規律というメカニズムの背景にある国家についてお聞きしたいと思います。近代国家は一般的に18世紀末のフランス革命によって誕生したといわれますが、それ以前のヨーロッパの国々はどういう状況だったんですか。

 中世のヨーロッパというのは国がまだちゃんとできていないんですよね。王や諸侯と呼ばれる封建領主があちこちにいて自分の領土を治めているんだけど、では全体は何かというと「神聖ローマ帝国」でした。つまり、ヨーロッパというのは一つのキリスト教の普遍帝国であり、その外部には「蛮族」であるイスラム教徒の国があるという世界観だった。

 そこから、各地の王朝と王朝がくっついたり離れたりということを繰り返して「領域国家」と呼ばれるものができるのが大体16世紀から18世紀。そして、いま言われたように、18世紀終わりのフランス革命によって国家と国民が重ね合わされるということが起きたわけですが、その前段階でポイントになるのが「ウェストファリア的秩序」というものです。

 これは1648年に結ばれた「ウェストファリア条約」にちなんだものですが、要するに、神という唯一の中心によるものではなく、それぞれが中心を持つ複数の国家が並立する世界秩序というものが、この頃からぼんやりと構想されるようになったのです。

 そうなると、それぞれの国がどれくらいの力をもっているのかが重要になります。たとえばA国とB国が同盟を結んだら、隣接しているC国が攻め込まれないためには、どこかの国と同盟を結ぶ必要がある。その相手をD国だとすると、AとBの同盟と、CとDの同盟が本当に同じくらいの強さなのかがわからないといけない。その時に、国の力とはそもそも何なのか、どうやったらそれを大きくできるのかといったことが考えられるようになったわけです。他国だけでなく自分の国の力も、誰も知らなかったのですから。

――すぐに思いつくのは民衆の数や領土の広さでしょうか。

 そうですね。最初は、人の数は多い方がいいし領土は広い方がいいと考えられていたようですけど、どうもそう単純ではないぞと。たとえばロシアです。ロシアの領土は全体がつかめないくらいに広いけど雪と氷ばっかりだし、農奴はほとんどゴミみたいに扱われている。力はあるにしても、領土の広さや人の数がそのままロシアの国力だとはとても思えない。逆にイギリスはあんなしょうもない場所にあって、天気もずっと悪くて、土地はじゃがいもしかできないようなところなのに、国としてはすごく力がある。それは一体なぜだろうと。

 そういった議論から出てきたものの一つに経済学があります。近代経済学の父といわれるアダム・スミスの主著は『国富論』です。つまり、国を富ませるにはどうすればいいかということです。スミスは、労働者の賃金は安いより高い方がいいとか、人びとの自由を認めた方がいい、他国との貿易の差額で儲けるのではなく自国に産業があった方がいいといったことを主張していますが、それらはすべて国力を高めるための方策であり、そこから政治経済学が確立されていったわけです。

人口の発見

――単純に多ければいいというわけではないにせよ、人の数はやはり重要な要素だと思うのですが、「人口」という概念が出てくるのはいつ頃ですか。

 言葉自体が出てくるのは18世紀の半ばから後半ですね。意外と遅いんですよ。人口というのは「マス」、すなわち一つの塊なわけですが、それができるにはまず人が集まって来ないといけないし、その集まって来た人が似たような価値観や生活様式を身に着けないといけない。身分社会では、王侯貴族も庶民も一括りにして人口として数えるという発想は生まれなかった。そういう意味で、人口と都市化と近代化とは深く結びついていますが、もう一つ重要なのが統計学です。

 ある地域にどれくらいの人間がいるかを把握するには、その地域の出生者数と死亡者数を知る必要がありました。これをまとめたものを「死亡表」といって、最初にロンドンで作られたんですけど、当時は出生届や死亡届を役所に提出しているわけではないので、そう簡単な話ではありません。ここで役に立ったのがキリスト教です。

 キリスト教には「教区」というものがあり、各教会はその区域で誰がいつ洗礼を受けいつ死亡したかが記された「洗礼名簿」をもっていました。それをかき集めて全体の数を推測したわけです。といっても火事で燃えていたり、牧師が代わって紛失したりしてなくなっている所も多かったようですが、中にはきれいに揃っている所もありました。そういう信頼できる数値をもとに全体を推測したわけです。

――まさに統計学的な手法ですね。

 死亡表は17世紀頃から出てくるんですけど、最初のうちはペストの流行等で死亡者が多い年だけ作られていました。疫病によってどこで何人死んだかを知るのがもともとの動機だったのですが、やがて定期的に作られるようになります。すると、各年の出生や死亡にある種の法則性があることがわかった。

 たとえば、1000人が生活する地域があったとして、ある年そこに2000人の子どもが生まれることはあり得ないですよね。でも、統計を取ってみると、毎年どうやら100人くらい生まれてそのうち50人くらいは死ぬ――当時は乳幼児死亡率がすごく高いので――といったことがわかってくる。それは別に誰かがそうしようとしているわけではなく、自然とそうなっているわけです。ここからある特性を有する人の集団、すなわち「人口」という概念が生まれ、統治の対象となっていくわけです。

分類される人間

 死亡表が作られるようになったのと同じ17世紀の半ばに、フランスでは「大いなる閉じ込め」と呼ばれる政策が実施されています。これは『狂気の歴史』に出てくるんですけど、「狂人」「浮浪者」「犯罪者」といった人びとが突然社会から隔離されて、一緒くたに閉じ込められるようになるんです。私たちの感覚からすると、すごく乱暴な話ですよね。でも当時は、そうした人びとは同じ一つのくくりだった。キリスト教的にいうと「恵まれない人」「何かを欠いている人」であり、「救いの手を差し伸べるべき人」だったんです。

――「閉じ込め」は、権力の側の言い分としては「救済」だったわけですね。

 かれらが閉じ込められた場所のことを「ロピタル」といいますが、これは英語のホスピタル、つまり病院を指す言葉です。日本語では「一般施療院」というなんだかよくわからない訳語になっていますが、ともかく、当時の「病院」というのは今とはまったく違うものでした。患者を入院させて治療する場所としての病院ができるのはずっと後になってからで、当時の医者は患者の家で診療するのが普通だったんです。

 やがて近代になると、それまで一緒くたにされていた人たちが分けられていきます。フーコーの本でいえば、「大いなる閉じ込め」から「精神異常者」がどう誕生してきたかを書いたのが『狂気の歴史』、犯罪者や監獄がいかに閉じ込め空間から独立してきたか書いたのが『監獄の誕生』ということになります。前者に関していうと、「精神病院」というものができてそこに「狂人」が入れられるようになるのは18世紀の終わり頃だそうです。

――ということは100年以上、「精神病患者」は「犯罪者」と同じところに収容されていたわけですね。分化が起きた要因は何だったのですか。

 これには都市化や工業化といったことが複雑に絡み合っているので一概には言えませんが、一つには科学の発展が関与していると思います。

 近代科学の発展は、大学のような高等教育機関によって知が囲い込まれたことを抜きにしては語れません。たとえば、患者の家で診療していたようなお医者さんは、大学なんて出ていないですよね。それこそ処刑人が兼業してたりしたわけですから。祈祷師や占い師と医師との区別も曖昧でした。また、薬草の知識は施療院にいる修道女が持っていた。そのような知は各自の経験によるところが大きく、あまり体系化もされていませんでした。

 でもそれがアカデミックなものに取り込まれることで一般化され、体系化され、さまざまな学問へと専門分化していく。それに伴って、これまでひとくくりにされていたものが、それぞれの学問の対象という形で分化していったと考えることができます。

――つまり、「精神病」という概念やそれを扱う学問が生まれたことによって、一緒くたにされていた「恵まれない人」から「精神病者」が分化してきたと。

 そういうことです。そして、精神医学が確立されたことによって、精神病者を保護する施設を作ろうという運動が起こりました。そこで語られているのは、精神病者たちは治療されることもなく、極悪非道な犯罪者たちと同じ場所に幽閉されていた。それを精神医学の父であるピネルが解放し、人道的な精神病院の中で治療を受けられるようにした、というストーリーです。ピネルによる「鎖からの解放」は、絵画の題材にもなっています。

 これに対してフーコーは、実際の精神病院では人道的でも何でもない滅茶苦茶なことが――それこそ規律の下で――行われてきたと主張しています。フーコーは近現代を、一般に言われているように、「人間一般」を尊重し解放する時代ではなく、人間をさまざまな種類に振り分ける分類法を編み出し、その分類のどれかに当てはまる個人を管理・統制することによって社会秩序を構築・維持しようとする時代として捉えていた、ということがいえると思います。

――まさに生権力の時代ですね。

 重要なのは、規律による調教の仕方もそうですけど、個人が振り分けられるカテゴリーも時代によって変化するということです。たとえば、精神医学ができる前には精神病者は存在しない。いたのに気づいていなかったのではなく、本当にいないんです。あるいは、昔はアスペルガー症候群の人なんていなかったけど、ある時急に出てきましたよね。それが今ではさらに自閉スペクトラム症に名前が変わったみたいですけど、それによって社会における病の意味づけやそこに分類される個人の自意識も少なからず変化するわけです。

――なるほど。私は子どもの頃すごく落ち着きがなかったので、たぶん「多動症」とかで

 今なら薬を飲まされているかもしれませんね。

――どっちがいいのかって話ですね。

 でも、どっちがいいかって言っても仕方ないですよ。その時代に生まれちゃってるんだから。ただ、今自分たちがされていることがおかしいと思ったとき、昔はそんなことしてなかったと言うことはできるわけです。人が社会でどう扱われるかは権力の問題なので、それを変えたいと思ったときに「昔は違った」と考えるのは、今を相対化する有効な方法です。そもそも今なされていることがおかしいんじゃないかと思うきっかけとして、それとは違う社会を想像できることは大切です。

新自由主義の統治

――最後に、新自由主義と生権力の関係についてお聞きしたいと思います。フーコーは自由主義がもつ統治能力に強い興味を持っていたとのことですが、そもそも18世紀、それこそアダム・スミスの時代の自由主義と20世紀後半以降に台頭する新自由主義というのは何が違うんですか。

 これはいろいろな言い方があると思うんですけど。

――なんとなくですが、スミスの時代は経済という領域内だけの自由を保障する感じなのかなと。

 そういう言い方もできるかもしれません。国家は市場に介入しないで、「見えざる手」に委ねるべきだというのがスミスの議論。つまり、経済という自律的な領域があるということが言われ出したのが18世紀だとすると、現代の新自由主義はその経済の論理や文法を、ありとあらゆる場面で適用しようとするものだといえます。

 教育は投資だとかっていうのはよくいわれますし、就職先や結婚相手を探すのとコンビニで弁当を選ぶのとは同じだと考えることもできる。そこにあるのは「コスパ」という原理です。希少な資源をどう配分すれば最大の成果が得られるのかということだけで、すべてが説明できてしまう。たとえば、結婚相談所の登録料が5万円・10万円・20万円の3段階あったとして、ここで20万払っておいた方が人生全体で見れば得かもしれないとか、結婚して子どもが3人生まれたとして、誰にどれだけ費用をかければ一番老後が安定するかみたいに。

――おっしゃる通り、今は本当になんでも「コスパ」ですよね。スミスの時代には社会の中の一領域でしかなかった経済がすべてを飲み込み、社会全体が市場になった。その結果、社会を構成する我々もコスパの最大化のみを追求する存在、「ホモ・エコノミクス」になってしまったわけですよね。そんな中で、フーコーの関心を惹いたのは何だったのでしょうか。

 それはやはり統治に関する問題だと思います。たとえば、犯罪者もコスパを考えて行動しているということであれば、麻薬を取り締まるにしても、捜査を一律に強化するのではなく、締め付けるルートとあえて緩めて泳がせるルートをつくるといった発想になる。こういう犯罪政策は、『監獄の誕生』の規律化論とはぜんぜん違う発想なので、フーコーもかなり驚いたんじゃないかと思います。

――規律ではなく、心理を利用して犯罪を抑止するわけですね。

 そうですね。コストがあまりにも大きかったら犯罪者も思いとどまる。たとえば、「振り込め詐欺」をやっているような人たちは、対策が強化されるとすぐに別の犯罪に移りますよね。痴漢や幼女へのわいせつ行為にしても、電車内に監視カメラを設置したり、公園の木を低くして外からでも何をしているかが見えるようになると、おかしなことをする人が減るそうです。あくまでもその場所では、ですが。

――その場合のコストは、見つかったり、捕まったりするリスクということですね。監視カメラの存在をあえて知らせたりするのは、その「コスト」を意識させる効果があるわけですね。

 サポートセンターの電話で流れる「この通話は録音されています」とかね。そういうのは全部、人間はコストが大きすぎることはやらないということを前提に、望ましい行動をとるように促すやり方なんですよ。「ナッジ」っていうんですけど。

――ナッジ?

 こうした方がいいんじゃないって肘でつつくのを、ナッジっていうんですよ。規律のように命令したり強制したりするのではなく、自発的な行動変容を促すやり方。

――それも生権力なんですか。

 生権力のテクニックの一つだと思います。ナッジはマーケティングなんかでもよく利用されていますけど、根本にあるのはやはりホモ・エコノミクス的な考え方です。人間をすごく単純化して、ある意味動物のように捉えている。ここをつついてやればこういう風に動くよね、みたいな。そういう発想がいまはすごく多いです。

――コスパという本能で動く動物というわけですか……。でも、教育も就職も結婚も犯罪も、ぜんぶ同じ原理で説明できるというのはたしかにすごいですね。

 そうなんです。本当は違うんだけど、説明しようと思えばできてしまう。そんな便利なものはなかなかないですよね。フーコーもそのことに感嘆していますが、じゃあ彼が新自由主義を肯定していたかというと、それは違います。フーコーは新自由主義を称賛していたとかいう人がいますけど、私はそうは思いません。彼はチリで起きた新自由主義化を標榜したクーデターも知っていたはずなので、恐ろしいとは思っても、素晴らしいなんて思わないでしょう。

 実はフーコーってぜんぜん読まれてないんですよ。せめてちゃんと読んでから言ってよとは思います。

――私もぜんぜんちゃんと読めていませんが、素人目にも一筋縄ではいかないというか、なかなかすっきりとわからせてはくれない哲学者ですよね。

 そうなの。そこがいいんですよ。わからないからもっと読みたくなる。すっきりわかったらそこで終わっちゃうじゃないですか。でも今はすっきりわかりたい人ばかりですよね、しかもなるべく短時間で。それこそコスパですよ。

――最初の方で、「なぜ」ではなく「何がどう起きたか」を著述するのがフーコーの書き方だというお話がありましたが、だとすると、フーコーを読んでよくわからないということは、この世界で起きていること自体がなんだかよくわからないということなのかなと思いました。

 そうだと思います。フーコーは、みんながわかっていると思ってることは、ほんとうはわかってないんだってことを言い続けた人なんです。気の遠くなるような準備と調査と思考を重ねて、ほらね、わかってなかったでしょって。ある意味、ヒューマニティーをすごく信じている人ですよ。人間には自分で考える力がある。この先を考えるのはあなただよって、問いを投げかけているんです。それこそが哲学者というものなのではないでしょうか。

(2022年7月5日)


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