西の国

https://1000ya.isis.ne.jp/0036.html 【陳舜臣 日本人と中国人】より

 陳舜臣のものは食わず嫌いだったような気がする。それがいつのまにか嵌まった。

 たしか『青玉獅子香炉』を読んで嵌まったような気がする。故宮博物館の文物疎開をあつかった香り高い話であった。直木賞の受賞作だった。

 その後は、著者の中国ものをいろいろ読むことになったのだが、そのうちの初期に読んだ『小説十八史略』などは、なんだか中学生のときに三国志に夢中になったような気分にさえさせられた。

 むろん何でもがおもしろいわけではなく、たとえば空海を描いた『曼陀羅の人』などはつまらなかった。が、中国ものはだいたいうまい。われわれが知らないことがさすがに突きとめられている。著者の名を高らしめたアヘン戦争についての小説やエッセイは、とくに考えさせられた。

 この本は昭和46年にノンブックスの一冊として刊行されて、話題をよんだ。

 イザヤ・ベンダサンこと山本七平の『日本人とユダヤ人』の大ベストセラー化にあやかって、おそらくは編集者がもちこんだ企画だったのだろうとおもうが、それを陳舜臣はまことにうまく料理した。

 うまく料理しただけではなく、まえがきに「あとで嗤われるかもしれないのに、私はあえてこの本を書く」という決断にも満ちている。当時、日本人を中国人から比較してみせて、その限界や特質をはっきりさせるなどという試みは、まったくなかったからである。まして中国人の特質を簡潔に言い当てるなど、当時の日本人には至難の技だった。なにしろ文化大革命が失敗してまもなくの状況だったのだ。

 いろいろなことが書かれている。

 たとえば、無礼講は日本にあって中国にない。中国人は他人に見えるところで食事をしたがる。中国人はカタログ・マニアで、日本人は保存したがりである。日本よりも中国のほうが格段にメンツ(面子)を重視する、すなわち徹底した形式主義である。日本は役に立つものをすぐ入れたがるが、中国では実用性だけでは文化をつくらない。ようするに新しいものを入れるのについて、中国人は慎重すぎる、つまりは用心深い。日本人は気心を知ることを重んじるが、中国人は説得を重んじる。

 まあ、こういったことがいろいろ列挙されている。列挙されているといっても、文脈がちゃんと展開されていて、そのなかで議論されているといったほうがいい。

 けれども、これらのことはそれほど重要なことではない。民族のちがいや習慣のちがいなど、どんな民族間にもあるものだ。そういうことばかりに注目しすぎると、日本人は顔を拭くのにタオルを動かすが、中国人は顔のほうを動かす、ええっ、ホントー? ウッソー! ということでおわってしまう。

 著者が言いたかったことは、このようなオモテに見える両国の特徴のことではなく、日本と中国は意外なほどに相互理解をしてこなかったのではないかということなのである。

 ただし、なぜそのようになったかということは、本書ではあきらかにされてはいない。その問題はわれわれが考えるべきことであるようだ。

 ところで、中国人による日本論というものは、驚くほど少ない。

 最も有名なのは黄遵憲の『日本国志』『日本雑事誌』と戴季陶の『日本論』あたりだろうが、これとて1887年と1928年のものだった。黄遵憲は明治のはじめに日本に来た清国公使館の書記官で、詩人でもある。

 後者を書いた戴季陶は、16歳で日本に来て法政大学に学び、のちに孫文の秘書と中日通訳をつとめた。宮崎滔天が「日本人より日本語がうまい」とほめたほどの日本通だった。

 それ以来、充実した本格的な日本論は書かれていないのである。やっと最近になって日本文化論や日本史論が出てきたばかり。どうもこのへんの日中事情には、かなり急がなければならない問題がはらんでいるようだ。

参考¶この本には『日本的・中国的』(祥伝社)という続編もある。こちらもなかなかおもしろく、とくに田岡嶺雲と嘉納治五郎にふれたくだりなど、多くの日本人が知らないことがよく示唆されている。なお、中国人と日本人を比較している本で、中国側が書いたものとして、孔健の『日本人の発想・中国人の発想』(PHP文庫)や『日本人は永遠に中国人を理解できない』『日本人と中国人、どっちが馬鹿か』(講談社)があるが、どうも正確な評価がしにくい。


https://in.newhistory.jp/tabook1_a_ppc_gdn_testb?cap=dis_jinmu&gclid=Cj0KCQjwteOaBhDuARIsADBqRehwf9UikiYHKo10d6FTBwAkh6CGN1joGr3xlXvUgrvF-cmhny1TnMAaAnGoEALw_wcB 【世界最古の国 日本 破滅を繰り返す国 中国】より

あなたは知っていますか?

なぜ中国は何度も何度も、破滅の歴史を繰り返し、日本は2600年も変わらず一つの王朝であり続けられるのか...

中国王朝の歴史↓

夏、殷、秦、漢、宋、隋、唐、元、明、清 などなど...

中国の歴史には数え切れないほどの王朝が登場します。

これを日本で例えるなら、天皇陛下が誰かに殺され、皇統が破壊され、

そして別の一般人が王になって、新しい日本が作られるということ。

「中国4000年の歴史」なんてフレーズがありますが、国のトップが殺され、支配者たちが丸ごと入れ替わる...そんな破滅の歴史が幾度となく繰り返されてきているわけなのです。

(実際、現在の中華人民共和国は、まだ建国から73年しか経っていません)

でも、日本は2682年前に建国されて以来、一切王朝が交代することなく、現在まで続いてきています。

事実、日本は現存する「世界最古の国」であり、

皇室は「世界最古の王家」として、ギネス世界記録にも登録されています。

同じアジアの国で、日本海を隔てたお隣同士の国なのに、どうしてこんなに違うのでしょうか?

この例はなにも、中国に限った話ではありません。

ヨーロッパや他の国々の歴史を見てみても、ほぼ例外なく建国と滅亡を繰り返しています。

世界史年表を見れば、日本の圧倒的な存在感は、一目瞭然です。

なぜ日本だけが、これまで一切途切れることなく、2600年も続くことができたのでしょうか?

その理由は、単に「島国だから」とか「侵略を受けなかったから」というものではないようです。東北大学名誉教授 田中英道氏は、このように語ります。

私は日本の国史を語るときに「3つの力」を強く感じています。

第一に、伝統の力です。それは時の政治力、軍事力によっても消えない、共同体の力といってもいいでしょう。端的にいえば天皇の存在です。

第二に、美への情熱です。美術、文学、演劇、音楽、どれをとっても、他国と異なる独自のものをもっていて素晴らしい。

第三に、宗教の力です。日本人ほど、意識していないにもかかわらず、宗教的な国民はいないと思います。

戦後の歴史観にとってものすごく不都合な日本の歴史…田中教授はこう言います。

はっきりいいますと、戦後の「日本史」は、偏ったイデオロギーで書かれていました。社会は権力者と民衆とに別れ、権力者が必ず民衆を抑圧するという図式で書かれていたのです。人間はみな欲望をもち、欲望と欲望が対立して必ず争いを起こす。それを書くのが歴史だと考えたのです。

しかしそれはイデオロギーのメガネで見た歴史です。歴史というのものは、1つ1つの事実を発見し、そこから組み立てる以外ありません。そうすると、(日本は)争いよりも「和」のほうに主眼をおいた歴史があるのです。

権力、対立、欲望、争い…。この目線で歴史を見渡すと、いかにそればかり書かれているかに気づきます。だからこそ、世界の歴史は建国と滅亡の連続で溢れています。しかし、それに反抗するような歴史を歩んできたのが、私たち日本なのです。

https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/38300287  【「百姓(ひゃくしょう)」と呼ぶのはなぜ?】

世界最古の国・日本は、いかにして2600年も続いてきたのか...この事実は戦後の歴史観には不都合なため、抹殺され、隠されてきました。

日本人はどんな考え方をしてきたのか?

日本人は何を大事に守ってきたのか?

そこには、2600年変わらず培ってきた、日本だけの伝統・美・宗教があったのです。これは奇跡としか言いようがありません。その3つの力を軸にした文化の側面で歴史を見ると、戦後の歴史観で語られた日本のストーリーはみるみる溶解し、教科書で教わる歴史とは全く違う日本史が生まれてきたのです…

田中教授の描く、世界最古の国・日本の歴史物語には、こんなことが書かれています。

例えば...

旧石器時代の遺跡が日本に多すぎるワケ

朝鮮半島にはたった50、日本には1万以上...その違いは一体何?

なぜ人類は日本に来たのか?

アフリカで誕生した人類。わざわざ寒冷な地域に移動していった意外な理由

関東にある2つの神社の奇妙な謎

伊勢神宮より古く、最高格式なのに関東の奥地にある2つの神社。

その理由がスゴい

ピラミッドより巨大な古墳の謎

世界最大のお墓が日本にあった!一体どうやって作ったのか?

ついに発見、神武天皇がいた証拠

教科書にも絶対に載っている、“あの遺跡”に隠されていた。

聖徳太子、一体何がすごいのか

十七条の憲法だけじゃなかった。あまりに凄すぎる偉業の数々

蝦夷(えみし)の正体

初代将軍・坂上田村麻呂は、なぜ蝦夷討伐をしたのか?その裏には縄文時代からの因縁が

あった

藤原道長の本当の姿

なぜ戦後の歴史家は、道長を“権力欲の塊”に仕立てたのか?

世界に誇る日本の和歌

万葉集、古今和歌集...名歌から読み解く日本人のルーツと精神

田中教授の『日本国史』を読み終わった後、きっとあなたの「日本の歴史のイメージ」はガラリと変わっていることでしょう。それだけでなく、日本人のルーツをはじめ、近所や旅先で訪ねる博物館、史跡、神社仏閣などへの意識も、以前とはまったく違うものになるかもしれません。

ぜひ、この本からあなた自身で何が真実なのかを判断してください。

目次

はじめに

なぜ書名を『日本国史』としたのか

第一話 日高見国

縄文・弥生時代、関東にあった祭祀国家

○旧石器時代の遺跡が日本で数多く発見されているのはなぜか

○太陽の昇る場所を求めて日本にやって来た人たちがいた

○縄文・弥生時代の記憶に基づいてつくられた高天原神話

○日本は村落共同体が緩やかに結びついてつくられた国

◯高天原は関東にあった?

◯縄文土器の縄目文様に込められた古代人の願い

◯火焔土器が表す日本人の水信仰

◯記紀に描かれている日高見国誕生のストーリー

コラム

土偶にはなぜ異形のものが多いのか?

第二話 天孫降臨

関東から九州へ、船で渡った瓊瓊杵尊

◯大国主命の国譲りは日高見国への恭順を表している

◯天孫降臨はフィクションではない?

◯瓊瓊杵尊よりも先に天孫降臨していた饒速日命

第三話 大和時代

神武天皇と日本の統治

◯神武天皇は神話ではない――古墳が示すその理由

◯神武東征によって誕生した大倭日高見国

◯隼人や熊襲は関東・東北から九州にやって来た人たちの子孫 なぜ、『魏志倭人伝』の信憑性を疑わないのか?

◯神武天皇の実在を示す、日本独特の巨大な前方後円墳

◯ピラミッドより大きい仁徳天皇陵は、どのようにつくられたのか?

◯漢字そして仏教をもたらした、朝鮮半島への出兵

コラム

埴輪を見れば古墳時代の社会が見えてくる

第四話 飛鳥時代

日本人の神髄「和」の思想の確立

◯仏教をめぐる対立は新たな思考方法をめぐる争いでもあった

◯「法隆寺は聖徳太子が建てた」は、間違いのない事実

◯神道と仏教の二つを受け入れたことにより成熟した日本人の精神

◯法隆寺とは、日本人の精神性が結晶したものである

第五話 白鳳時代

律令国家の誕生と国家意識の確立

◯白村江の戦いを契機に生まれた日本の対外的国家観

◯牧畜ではなく、農業を選択した天武天皇の恩恵

◯天皇の地位を不動にした、天武天皇という偉大な存在

◯公地公民の理想を実現しようとして生まれた律令国家・日本

第六話 奈良時代

日本の古典を成熟させた天平文化

◯天平文化は古代ギリシャ文化に匹敵する

◯日本人の民度を高めた大学寮の設置

◯聖武天皇の偉大な業績、土地の私有を認めた墾田永年私財法

◯神道をベースとして仏教を受け入れる神仏習合というあり方

◯社会福祉活動を政治に反映させた光明皇后の功績

◯飛鳥文化から出発し、日本の古典として成熟した天平文化

◯天平文化を担った天才仏師・国中連公麻呂

◯『万葉集』の歌はなぜ現代人の心にも響くのか

◯女性天皇の危うさを露呈した宇佐八幡宮事件

第七話 平安時代

貴族が極めた宮廷文化の頂点

◯約四百年続く安定した宮廷政治・平安時代のはじまり

◯東北にいた日高見国系の人たちとの戦いだった蝦夷征伐

◯権勢をきわめた藤原道長、大宰府に流された菅原道真その光と影

◯国家を安定に導いた藤原氏の摂関政治

◯仏教の教えに大転換をもたらした最澄と空海

◯神道と仏教の一体化はどうはじまったのか

◯傑出した女流文学者――エッセイの清少納言、小説の紫式部

◯すぐれた文学作品が続々誕生した理由

◯極楽浄土への強い憧れから生み出されたすぐれた芸術作品

◯末法思想の中で台頭する地方の豪族

◯日本の歴史上、初めて外敵が襲来した刀伊の入寇

コラム

世界の神話の中でももっとも重要な記紀神話

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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