Facebook平木 大士さん投稿記事 アーカイブブログ ~極楽寺~
極楽寺には、かつて出雲大神宮の神宮寺に祀られた本地仏である十一面観音菩薩像が
安置されているといいます。
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https://navihico.com/kameoka2/?fbclid=IwAR2xOcSeH6l09c3K_wn0rZ7n2cozvm2MQyn6PmX1VGxlHlchPXNMnwcSlCw 【亀岡めぐり2 ~極楽寺~】より
極楽寺
出雲大神宮(いずもだいじんぐう)から極楽寺(ごくらくじ)へ向かいます。
かつて、出雲大神宮にあった神宮寺(じんぐうじ)の十一面観音菩薩像(じゅういちめんかんのんぼさつぞう)が祀られるお寺です。
神宮寺
飛鳥・奈良時代に仏教が伝わってからは神道と仏教がまじりあう神仏習合(しんぶつしゅうごう)の時代がつづいたのですがそうしたなかで神社に付属してつくられた仏教寺院のことを神宮寺(じんぐうじ)といったようです。
これらは、明治時代の神仏分離(しんぶつぶんり)によってほとんどが取り壊されてしまったのですが極楽寺には、出雲大神宮の神宮寺の仏像が残っているというのです。
弁財天社
まずは、出雲大神宮の境内から弁財天(べんざいてん)社が祀られる神池にそって西へすすみます。
出雲大神宮の弁財天社の由緒
いまでは、市杵島姫命(いちきしまひめ)が祀られているようですがもともとは、弁財天(べんざいてん)が祀られていたのでしょう。これも、神仏習合の名残のようです。
出雲大神宮の神池の鯉
黒太夫社
西へのびる参道は黒太夫(くろだゆう)社へゆきあたります。こちらは、出雲大神宮の摂社だそうです。
黒太夫社の鳥居
黒太夫社の由緒
ここには、出雲大神宮の氏子の祖先神を祀っているともいわれるらしく本殿の参拝よりもさきにこちらに参拝するのが正しい順序なのだそうです。
吉祥山
黒太夫社から北東に100メートルほど進むと吉祥山(きっしょうざん)極楽寺(ごくらくじ)があります。
極楽寺の碑と寺門
浄土宗(じょうどしゅう)の寺院であり本尊は阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)のようです。
極楽寺の由緒
また、丹波七福神の6番札所でもあるらしく寿老人(じゅろうじん)も祀るようです。
ただ、山号も「吉祥」山ですし山門のそばには福禄寿(ふくろくじゅ)像もありますから
なんともおおらかです。
極楽寺の寿老人像
福禄寿の像
十一面観音菩薩像
十一面観音菩薩像を拝観させていただきました。なお、拝観には事前予約が必要だそうです。ぼくも、前日ではありますが電話にてご連絡させていただきました。
十一面観音菩薩像
なんという、お美しさでしょう。そして、堂々たるたたずまいでもあります。
十一面観音菩薩像
平安時代前期の木造りで重要文化財だそうです。千年ちかく前のものですからその年月の深さ重さにもあらためて驚かされます。
雨乞い神事のための仏像で雨乞観音(あまごいかんのん)ともいうそうですね。
十一面観音菩薩像
頭部の十一面はすべて落ちてしまったようですね。足元あるのものはその名残なのでしょうか?
十一面観音菩薩像の台座
十一面観音菩薩像の頭部
この像は、出雲大神宮の本地仏(ほんちぶつ)だといいます。本地仏とは、神道の神が仏教の仏の姿であらわれるというようなことですから出雲大神宮の祭神・大国主命(おおくにぬし)をあらわしているかもしれません。
けれども、白山(はくさん)信仰では白山の女神・菊理姫(きくりひめ)は十一面観音菩薩の姿であらわれたといいます。だとすれば、このお姿は出雲大神宮に祀られる女神・三穂津姫命(みほつひめ)のお姿なのかもしれませんね。
すっかり見惚れてしまいしばらくぼんやりと眺めてしまいました。
仏像リンク@butsuzolink
<大阪府・観心寺/如意輪観音坐像>乾漆技法の併用で、肌の柔らかい感触を表現し、密教彫像特有の神秘性と官能性を表現しています。秘仏で毎年4月の2日間だけ開扉されます。https://butsuzolink.com/nyoirin/ 【3分でわかる如意輪観音とは?真言、梵字やご利益|観心寺国宝如意輪観音など】より
如意輪観音の主な働き
まず、如意輪観音の名前に注目しましょう。「如意」というのは、思うままに智慧や財宝、幸せをもたらすという如意宝珠という宝の珠(たま)のこと。そして「輪」は、煩悩を打ち砕く法輪のことです。
その二つを手に持った観音さまなので「如意輪観音(にょいりんかんのん)」と呼ばれるわけです。
六観音の1つに数えられ、天界道に迷う人々を救うとされますが、6本の手で六道すべてに救いの手を差し伸べるともいわれる積極的な観音さま。
人々に金銀財宝を与え、しかも、その後の精神の幸せまでももたらすと約束し、篤い信仰を集めた太っ腹な観音ぶりは、アンニュイイメージとはちょっと違うみたいだけれど。そう考えるとアンニュイな表情は如意輪観音の余裕の現れとも言えるかもしれませんね。
また余談ですが、お気づきの人も多いかもしれませんが、仏像リンクもロゴも実は如意輪観音なんです。
これは仏像リンクが目指していきたい「つながり」を「輪」にかけて、如意輪観音をチョイスしました。よく見ていただくと法輪のかわりに「link」を持ってくれています。
そんな如意輪観音の見分け方、見た目の特徴を紹介していきます。
如意輪観音の見た目
如意輪観音の姿は色んなバリエーションがあることが経典や図像から分かっています。腕は2本から12本まで種類があり、坐像、半跏像がそのほとんどです。そして超レアケースですが立像も存在しています。
友人たちとの旅で出会った、超レア如意輪観音“立”像!
9世紀以降は6臂像がメインだったことが、現存する像から窺えます。原則として坐像または半跏像です。右膝を建て、その足裏と曲げた左足の足裏とを重ねるという特殊な坐り方をします。右は仏の足、左は人間を表わし、仏の智慧で自我を抑えるという深い意味がある坐り方なのです。
基本の特徴としては、
・腕が6本
・如意宝珠と法輪を持つ
・頬に手を添える
・右足を立てて座る
といったところ。
頬に添える手を思惟手(しゆいしゅ)と言い、これからどのように人々を救おうか考えている様子を表します。片膝を立てながら、6本の腕を違和感なく配置するというのは仏像を製作する仏師にとって、難易度の高い技術だそうです。
如意輪観音は女性的な仏像が多い!?
一般に観音さまを見ると男性か、女性かよくわからないことがありますね。柔和な容姿が慈母のように慕われていますが、基本的に仏さまには性はありません。女性的な像ではあっても、女性ではないのです。
特に如意輪観音像は女性的な像が多いと感じることが多い仏像のひとつ。如意輪観音が女性的だと感じるのは、それはもしかすると観音像のモデルが女性であることも関係しているのかも。例えば、観心寺の如意輪観音のモデルは嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子すなわち檀林皇后と言われ、また神呪寺のモデルは淳和妃の真井御前(如意尼)と言われています。知性を象徴する勢至菩薩などと比べるとずっと女っぽいのは明白です。
如意輪観音の成り立ち
一般に如意輪観音の信仰が日本に入ったのは8世紀頃。最初は2臂で片足を下ろした姿の観音像だったと言われます。
おそらく、後述する東大寺大仏殿脇侍像のようなものだったのでしょう。
その後、9世紀に密教が日本に伝えられると、曼荼羅と同様に六臂で片膝を立てた密教系の姿に造られるようになりました。女人救済の考えの広まりも信仰の広がりに関係したと考えられます。
近世においては、安産や子育て、子供の健康を祈願するための女性の集まりである毎月19日の夜に集まる十九夜講の本尊ともなっています。別名子安講(こやすこう)とも言われました。
如意輪観音のご真言と梵字・ご利益
この文字が如意輪観音を表わす梵字の種字、「キリク」と読みます。
ご真言は「オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン」。智慧、財福、福徳授与、安産、延命のご利益があるとされています。
日本各地にある主な如意輪観音像
大阪府・観心寺/如意輪観音坐像【国宝】(平安時代)
観心寺如意輪観音像
日本の仏像より
如意輪観音といえばこの像とも言うべき存在!観心寺は大阪府河内長野市にある高野山真言宗の寺院。南北朝時代に建立された国宝金堂の、内々陣の厨子内に本尊の如意輪観音像が安置されています。
長く秘仏だったので保存状態がよく、彩色や紋様などが今でもきれいに残っています。基本は木造仏ですが、乾漆技法の併用で、肌の柔らかい感触を表現し、夢見るような顔立ちで密教彫像特有の神秘性と官能性を表現しています。
絶妙なのは、6本の腕の位置。顔が少し右(向かって左)に傾くかんじで、光背の中心からはずれていますが、それが動きを感じさせています。日本における如意輪観音像の傑作。
嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子すなわち檀林皇后がモデルだと言われている像です。
秘仏で毎年4月17日と18日に2日間だけ開扉されるためなかなかお会いできない観音さんですが、お会いできる方はぜひ訪れていただきたい仏さま。
如意輪観音は比較的小さな仏像で表現されることが多いですが、こちらの如意輪観音さんは等身よりも少し大きなサイズの像で大きいんです!
御開帳時は少し遠目から拝観になりますが存在感を感じることができます。
この観心寺の如意輪観音さんのご開帳大祭はこの河内長野地方の春の風物詩ともなり、多くの参拝客で賑わいます。
東京都・護国寺本堂/如意輪観音坐像【無指定】(平安時代)〈伝恵心作〉
東京都・護国寺奥の院/琥珀如意輪観音像【無指定】(唐時代)
東京でお会いできる如意輪観音さまをご紹介いたします。護国寺は東京都文京区にある真言宗豊山派の寺。徳川綱吉が母・桂昌院の願いをうけて創建した寺院です。東京メトロ有楽町線の駅名にもなっているのでご存知の方も多いかもしれません。こちらには2体の如意輪観音が存在しています。
1つ目は本尊の桂昌院念持仏の琥珀如意輪観音(絶対秘仏)で、天然琥珀製の六寸五分(約20cm)の如意輪観音像。1700年に奥の院に移されました。絶対秘仏なので我々は拝むことができません。
2つ目が本堂の厨子の中に祀られている本堂本尊の六臂如意輪観世音菩薩像。堀田正虎(幕府の大老)の母・栄隆院尼が寄進したものです。通常の如意輪観音よりもうつむき気味で何かを考えているような表情が特徴的です。女性的で、その控えめな表情とは対称的に、まばゆいばかりの冠と装飾に圧倒されます。五尺六寸(約170cm)で、恵心僧都作と伝えられます。こちらは毎月18日にご開帳となり、一般のわたしたちも拝むことが可能です。
兵庫県・神呪寺(かんのうじ)/如意輪観音坐像【重文】(平安時代)
日本の仏像
兵庫県西宮市甲山山麓にある仏教寺院です。
こちらに大阪の観心寺、奈良の室生寺の如意輪観音像と合わせて日本三如意輪と呼ばれる本尊の如意輪観音が安置されています。
寺伝にいう空海の時代の作ではなく、10世紀後半から11世紀前半の作とされます。こちらの如意輪観音像は6臂像ですが、通常とちょっと違ったポーズが特徴的。通常の如意輪観音像は右脚を立て膝にするのですが、この像は右脚を斜めにして左脚の上に乗せる珍しい形です。また、頭部が斜め上向きになってちょっと首を傾げるような点も印象的。柔らかなイメージの像です。
家業繁栄・商売繁盛のご利益があるとされ、秘仏となっています。融通さん、融通観音とも称されており、5月18日に融通観音大祭の時のみ、本尊の開扉があります。
神呪寺のモデルは淳和妃の真井御前(如意尼)と言われています。
※2018年に東京国立博物館で開催された特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」に出展されました。
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