https://togetter.com/li/796996 【カタカムナとヌーソロジーまとめ】より
kohsenさんのカタカムナに関するツイートをまとめました。
半田広宣 @kohsen
ヌーソロジーがなぜカタカムナに関心を持つのか。答えは簡単で、OCOT情報がカタカムナ文明の存在を肯定していたから。
2015-02-18 12:01:50
半田広宣 @kohsen
OCOT情報に拠れば、カタカムナはヌーソロジーでいうヒト(覚醒期における意識を持つもの)の思考形態の名残だという。1990年代にこのカタカムナの存在を知った僕は、当時、相似象学会を主催されていた宇野さんに電話を入れて、関連する書籍を全部入手したりもした。
2015-02-18 12:02:46
半田広宣 @kohsen
何と言っても重要なのは、横線と縦線で表現されるアマウツシとカムウツシという基底思念である。これについては、レクチャーや講演でも折に触れて話している。
2015-02-18 12:06:11
半田広宣 @kohsen
カタカムナでは横線のアマウツシは生命の広がり、縦線のカムウツシは生命の持続を意味すると言われている。これらを抽象的な観念として解釈しない方がいい。これはダイレクトに「幅」の世界と「奥行き」の世界の関係を表している。
2015-02-18 12:06:42
半田広宣 @kohsen
そして、この二種類の空間の質的な違い、それは空間のセクシャリティー(男女性)と言ってもいいものなのだが、これをしっかりと把握することにカタカムナを単に古代の知識としてではなく、今尚、この現在に潜象として働きかけている精神の息吹として感じ取っていくためのカギがある。
2015-02-18 12:10:42
半田広宣 @kohsen
くわえて、カタカムナの解明に一生を捧げられた楢崎皐月氏と宇野多美恵さんの気高い精神性にはほんとに頭の下がる思いである。ありがとうございます。
2015-02-18 12:19:53
半田広宣 @kohsen
今回、カタカムナの音声符と図象符を眺めていて一つだけ面白い発見があった。それは以前、OCOTに不確定性原理について尋ねたときのことに関するものだ。
2015-02-18 12:31:27
半田広宣 @kohsen
不確定性原理の本質は奥行きが縮まれば幅が拡大し、逆に奥行きが大きくなれば幅が収縮する「空間の見え」にあるのだが、それは何に由来するのか?と尋ねたときのことだ。OCOTは「それはチカによるものです」で言っていた。チカ?地下?地価?それとも、千佳ちゃん?(笑)。
2015-02-18 12:34:03
半田広宣 @kohsen
訳の分からない言葉だったが、カタカムナでチカの図象符を構成してみると、アマウツシとカムウツシを挟んでの90度回転に対応していた。それもご丁寧に「マリ」がついている。マリとは微分量の意味である。位置と運動量のイメージにピッタリだ。こういうものがたくさん見つかるといいのだが。。
2015-02-18 12:38:37
半田広宣 @kohsen
講演会のためにカタカムナの概要を再確認中。自転と公転の反転性にも触れている。いい感じです。マワリ性(自転)とメグリ性(公転)、マワリは膨張、メグリは収縮。その通りですね。何度も言ってますが、地球の自転空間と公転空間はアマナとカムナの関係です。科学はいつ気づくことやら。。
2015-02-18 18:02:06
半田広宣 @kohsen
昨日、カタカムナの資料を見ていたのだけど、カタカムナでいうなら、アマウツシ主体からカムウツシ主体へと意識の切り替えを行なうということ。サヌキ(右旋性=男)からアワ(左旋性=女)へと存在の性をトランスさせること。それによって存在の力は生成の力へとチェンジします。
2015-02-19 12:06:38
半田広宣 @kohsen
こうしたカムとアマ(アワとサヌキ)は正反の対向発生としてあるというのがカタカムナの基本原理なのだけど、ここに自己と他者というのを考慮しないといけない。つまり、カムとアマは捩じれて二組あるということ。カタカムナは残念ながらこれを銘記していない。
2015-02-19 12:25:42
半田広宣 @kohsen
つまり、カムとアマが「フ」(正反のふたつ)と「ト」(重合・対向・統合)によって「フト」となり、そこに「タマ」が生まれて、「フトタマ」としてカムアマの「始元量」となっている。このへんはカタカムナが言う通り、素粒子構造の基礎と全く同じ。いわゆる複素2次元での回転。。。
2015-02-19 12:32:36
半田広宣 @kohsen
この複素2次元での回転の仕組みがホロンのようになって、もう一つ大きい回転まで作っているフトタマの発展性が、たぶん、太陽の中に見られるpp反応だね。つまり、持続空間において人間の心の構造が作られている。哲学がいう超越論的構成ってやつだけど。心理学的には無意識構造と言ってもいいけど。
2015-02-19 12:41:56
半田広宣 @kohsen
物質の成り立ちだけに限って言うなら、実はカタカムナとドゥルーズはほとんど同じことを言っている(笑)。何が言いたいのかというと、言葉の色にこだわらない方がいいということ。そういうものはそれぞれの自我意識の好みの表出でしかないということ。大字なのは思念が持ったカタチ(だと思う)。
2015-02-19 14:51:23
半田広宣 @kohsen
相似象学会誌第四号を再読中。久々に読んだけど面白い。時間と空間に対する考え方がヌーソロジーと全く同じ。「トキトコロは現代人の時間空間とは全く関係なく、物質の中に存在するマリ(粒子)であり、物質の質量といわれているものは、このトキトコロのマリの量によるもの云々」P.126。
2015-02-20 11:40:54
半田広宣 @kohsen
空間や時間といった延長性がどのようにして微粒子の中へと入り込むかという仕組みがカタカムナ人には見えていたんだね。ただそれが「奥行きを通して」というところまでは、楢崎さんや宇野さんは思考していなかったようだ。
2015-02-20 11:47:08
半田広宣 @kohsen
思考の場を奥行き=持続において、それ自身をカム(潜象化)と見なせば、アマ(延長性)とカム(収縮性)の接続のルートが開き、思考は自在にマリ(粒子)と化し、ヒビキ(霊引き)によって、アマナ(原子核)の構成の場所へと入って行ける仕組みになっている。それが複素空間だね。
2015-02-20 11:52:14
半田広宣 @kohsen
そう考えると、現代物理学というのは潜象界のヒビキの地図作成術に携わってきたアマ側の活動のようなものだったとも言えるんじゃないかな。そこに見出されたのがヤサカノマガタマ(七種の単玉)で、これを現代物理学は余剰次元としての7次元球面S^7として見ている。そんな感じだね。
2015-02-20 12:13:32
半田広宣 @kohsen
でも、大事なことは、こうした知識を対象として所有することではなくて、やっばり「それに成ること」なんだと思う。これがぶ厚いカベ。だから、自分を持続の中に溶かし込んで、持続そのものとなって思考する努力と忍耐が必要不可欠なんだね。
2015-02-20 12:20:37
半田広宣 @kohsen
●カタカムナ人の世界へ
相似象学会誌第四号を再読中。久々に読んだけど面白い。時間と空間に対する考え方がヌーソロジーと全く同じ。... fb.me/7i38eBW9b
2015-02-20 13:17:10
半田広宣 @kohsen
昨日に続き、相似象学会誌第四号より。——トキ トコロ ウシ 時間と空間とは「ウまれてくるウシロ(客観的背後)の示しという思念である。p.121——。「後ろ」の語源はウシってことなんだろうね。痛く同意。これ「丑」や「牛」とも関係しているね。
2015-02-21 10:48:44
半田広宣 @kohsen
「丑」というのはからみやもつれの意味を持っている。種子の中に止まって発芽ができないこと。カタカムナ的にいうとアマがカムを指向していない。つまり「前」としてのカムが潜在化したままという意味。牛はミトラ教では物質の象徴。それを退治するのがミトラだね。
2015-02-21 10:51:18
半田広宣 @kohsen
日本だと、これがアメノハバキリによるスサノオのオロチ退治となっている。ハバとは大蛇。奥行きに幅を見て、モノの「手前」に自分を意識することはそのままウシロを作ることと同じ意味。これを斬ること。それが奥行きの覚醒。それによってカムの通路が開き、マワリとメグリの意味が見えてくる。
2015-02-21 11:12:28
半田広宣 @kohsen
マワリとは結球性のことでn次元のそれぞれのタマを作ること。メグリとはそれらn次元のタマの連なりを巡ること。すなわち無意識の循環性。
2015-02-21 11:21:19
半田広宣 @kohsen
またまたカタカムナ関連。ミスマルノタマが11種の双珠(フタタマ=対だということ)になっているのも面白い。ミスマルとはバラバラのものを統べるという意味を持ち、OCOT情報ではψ11とψ11*の統一の意味を持っている。これは人間の無意識が「22」の次元で成り立っているという意味だ。
2015-02-21 13:33:39
半田広宣 @kohsen
カタカムナ関連。アマとカムのムカヒというやつだけど、アマを「幅」に、カムを「奥行き」にダイレクトに当てはめていい。ヌーソロジーでいう人間の内面と外面の対向性。これらはアカ(現象性)とアオ(潜象性)の関係でもあるね。つまり、NOSとNOOSってこと(^^)
2015-02-23 11:27:02
半田広宣 @kohsen
現象の把握はアカとアオの混合から成っている。これをカタカムナは「アヤ」って呼んでいる。「アヤしい」のアヤ。綾取りのアヤでもある。要は混ざり合ってよく分からなくなっているということ。これはベルクソンが言ってたことと同じ。アカとアオの区別を認識に上げることが、いわゆる「差異」。
2015-02-23 11:32:21
半田広宣 @kohsen
たとえば、目の前に3次元座標を「イメージ」する。この時点ですでに幅と奥行きは回転して互換重合して、混じり合っている。ただ、人間の意識ではカム=奥行きの方は潜在化してしまって、アマ=幅が作り出す3次元空間だけが想像的対象として浮上してくる。カムのほうはミチ(持続)として働いている。
2015-02-23 11:40:38
半田広宣 @kohsen
「考える=カムカヘルとカムカエル」とはくだらないダジャレのようでもあるが、本質をついている。人間に思考を強制させているもの、つまり、考えたくなくても考えざるを得なくさせているものとは、まさに、この潜象化している「カム」の力によるものだ。
2015-02-23 11:48:32
半田広宣 @kohsen
アマは膨張性、カムは収縮性として働く。アマがカムに方向を持つことは「アマナ」と呼ばれ、「アマナ」はそのまま原子核の意となる。幅として生まれでた現象性はカムのミチを通じて物質の根源へと回収されているのだ。もちろん、この流動は人間の意識においては無意識化されている。
2015-02-23 12:02:47
半田広宣 @kohsen
OCOT情報は「カタカムナ文明とは前次元の覚醒期の知識です」と言っていた。楢崎さんはなぜそれが滅びたのは分からないと書いていたが、それもまた「アマとカムの交替性によるもの」というのがOCOTの言い分である。
2015-02-23 12:08:37
半田広宣 @kohsen
まもなく、時代空間はアマウツシ(幅支配の世界)からカムウツシ(奥行き支配の世界)へと交替化を起こしていくのではないかと思う。そうすれば、新しいカタカムナ文明が立ち起こってくることだろう。ヌーソロジーの作業もまたその一つの息吹のように強く感じている。
2015-02-23 12:11:31
半田広宣 @kohsen
カタカムナを学んでいる人は、是非、現代物理学やドゥルーズ哲学をゆっくりでいいので並行して学んでいってほしい。そうすることによって明確なカタチ(構造性)と思念(新しい主体性)が生まれ、君自身がカタカムナとなる。ヌーソロジーが目指すのもそうしたカムナガラノミチとしての身体性の獲得だ。
2015-02-23 12:29:03
半田広宣 @kohsen
●今日から、君がカタカムナだ!!(笑)
今日もカタカムナ関連で少しだけ。... fb.me/45r6f2vwj
2015-02-23 13:03:13
半田広宣 @kohsen
表象は自我だね。表象の同一性と自我の同一性は無意識構造の始まりと終わりでガッチリと結びついている。問題はこの無意識のメグリのミチ(実体の持続構造)を認識に上げること。これがカムナガラノミチ。ありゃま?カタカムナの影響が(笑)
2015-02-26 11:42:25
半田広宣 @kohsen
物質的太陽と霊的太陽というのがあってね、カタカムナはこれをアサヒとフトヒとして区別してる感じだね。フトヒとはフたつのものをトうごうするヒ(霊)のような意味だけど、その統合のプロセスが物理学的に表現されているのが太陽の中のpp連鎖と考えるといいよ。要はカムウツシにおける太陽。
2015-02-26 12:06:15
半田広宣 @kohsen
このカムウツシにおけるフトヒの生成を象徴化したものが物部の十種神宝だと思うよ。
2015-02-26 12:08:02
半田広宣 @kohsen
ゲージ対称性の拡張性はカタカムナの言葉で云うと「トコタチ(互換重合の繰り返し)」に対応させることができそうだね。
2015-03-02 22:28:28
半田広宣 @kohsen
身体と体は全く別の物だよ。身体にはミ(実体)があるけど、肉体とは体だけ。だから、カラダ(殻だ)というわけだね。身体が触れているのが奥行き。体が触れているのが幅化した奥行き。君は身体を意識化できているかい?
2015-03-02 22:55:54
半田広宣 @kohsen
物理学がいう時空の一点一点に張り付いた複素空間というのはね、時空がこのミを伴っている状態のことを表現しているんだよね。カタカムナの言葉で云えばアマヒを持っているということ。アマヒとはアマが持ったカムへの指向性のことだね。
2015-03-02 23:14:43
半田広宣 @kohsen
ゲージ対称性の拡張性はカタカムナの言葉で云うと「トコタチ(互換重合の繰り返し)」に対応させることができそうだね。で、トコタチは二つある。いわゆるクニトコタチとアマノトコタチ。国つ神が持ったトコタチと天つ神が持ったトコタチ。これは自己側と他者側からのアマヒの運動の様態を表している。
2015-03-03 11:33:46
半田広宣 @kohsen
これら相互の変換性が物理学でいう超対称性変換に当たるのかもしれないね。
2015-03-03 11:35:13
半田広宣 @kohsen
カムナガラノミチとは、古神道においては天照大御神の樹立された道とされるんだけど、カタカムナにおいては「カム」はカタチが見えないという意味でもあるので、「カタチの見えぬものであるけど〈ミチ〉はあるのだ」という意味。〈ミチ〉とは実体の持続という意味。いわゆるタオに同じ。
2015-03-03 11:47:02
半田広宣 @kohsen
そして、この〈カム〉が〈アマ〉を生んでいる無限の潜象とされている。唐突だけど、これを現代思想の中で展開しているのがドゥルーズなんだよね。ドゥルーズはカムのことを縦座標(オルドネ=強度、内包量を示す形式)と呼び、アマのことを横座標(アプシス=外延量が示される形式)と呼んでいる。
2015-03-03 11:55:30
半田広宣 @kohsen
そして、言うまでもなく、縦座標とは〈奥行き〉のことであり、横座標とは〈幅〉だということ。アマ主体の意識から、カム主体の意識へと変換を行なうのがヌーソロジーの作業です。
2015-03-03 12:00:39
半田広宣 @kohsen
楢崎さんは「カタカムナ人にとって〈トキトコロ〉は現代人の時間空間の概念とは関係ないもので、それは物質の中に〈マリ〉(粒子)としてある」と言ってますね。これは認識がアマ主体ではなくカム主体へと反転すると、時間空間もまた内部空間へと巻き込まれてあるものとして見えてくるということです。
2015-03-04 11:38:12
半田広宣 @kohsen
「反転する時空量」「トキトコロは潜象の重なりによって生まれてくる」といったような記述もありますが、これなどもSU(2)×SU(2)のイメージにビッタリです。
2015-03-04 11:46:55
半田広宣 @kohsen
今回、講演会のために、カタカムナ関連本の何冊かを20年ぶりに読み直して感じたのは、カタカムナの思考がやはりユダヤ=キリスト教的な「ある」の論理ではなく、「なる」の論理に徹底して貫かれているということ。これはほんとに素晴らしいと思った。
2015-03-04 14:45:27
半田広宣 @kohsen
そして、ライプニッツ=ドゥルーズのいう〈ヴィンクルム=襞〉の概念をいともスマートに日本語の音声と絡め合わせて表現していること。ヴィンクルムとは絶対的な内部性が全体的な外部性へと裏返されてきて生じる関係のことを言うのだが、ここにおいて、この内部は外部に対して非局所的な関係を持つ。
半田広宣 @kohsen
要は、よく巷間、口にされる量子の非局所性というやつだ。カタカムナはこれを極めてシンプルに「トキトコロノマリ」と表現する。そしてこの音声一つ一つのヒビキの中に、その構造自体の成り立ちの意味が含まれていると言うのだから本当に驚きだ。多少、強引な説明もあるが、全体的には一貫性を感じる。
2015-03-04 14:58:46
半田広宣 @kohsen
記紀の研究から古代日本人の「もののあわれ」感覚(心本来が持つ認識力)を解明するよりも、このカタカムナの方が数段、洗練されているよね。まぁ、学術的には相手にされないだろうけど、そろそろ、この「学術」というものが持つ本質的虚偽に、多くの人たちが気づいてもいい頃じゃないの。
2015-03-04 15:13:36
半田広宣 @kohsen
ここでいう本質的虚偽というのは、自然世界を語るに当たって、そこに見ている側の人間の精神が何も含まれていないということ。そんな世界観はトンデモにすぎないということ。文字通り、そうした世界観はミチ(実体の持続)を切断している。
2015-03-04 15:23:48
半田広宣 @kohsen
「ミ=実体」がある場所は非局所だね。非局所なのだから、それは時空的な移動を持っていない。身体はこの〈ミ〉と〈カラダ〉からなるわけだから、それは非局所の〈ミ〉と局所的な〈カラダ〉の重なりから成り立っていることになるね。逆に言えば、だからこそ、身体は動けるもののとして在るってこと。
2015-03-04 17:09:52
半田広宣 @kohsen
もっとも、このとき動いているのは〈カラダ〉であって、〈ミ〉は非局所的なので不動。〈カラダ〉の場所が時空で、〈ミ〉の場所が複素空間。そして、この〈ミ〉の場所で動いているものが「意識」と考えるといいと思うよ。
2015-03-04 17:15:18
半田広宣 @kohsen
とにかく、生まれてこのかた一度たりとも動いたことのない自分がいる非局所的空間を認識に浮上させること。そんなに難しいことじゃないよ。。ヌーソロジーはそこからスタートしているんだよね。
2015-03-04 17:19:43
半田広宣 @kohsen
自己と他者の間には永遠という名の距離がある。人はこの距離を埋めるために地下の深い暗闇を手さぐりで進み続けなくてはならない。人間の意識も、この両者を繋ぐ深いミチとして働いているのであって、光ある地上は他者との邂逅において初めて出現する。人は胎内巡りとして生きているのだ。
2015-03-05 11:48:58
半田広宣 @kohsen
だから、自己と他者とを結ぶ永遠には、わたしからあなたへの方向と、あなたからわたしへの方向の二つの方向がある。前者はクニノトコタチであり、後者がアマノトコタチである。この二つのトコタチ(永遠の峻立)を作り上げたもののことをOCOT情報は「真実の人間」と呼んでいる。
2015-03-05 11:57:55
半田広宣 @kohsen
太陽と銀河とは、この二つの永遠を作り上げた精神の痕跡と言っていい。
2015-03-05 11:59:55
半田広宣 @kohsen
時空の中で太陽を見るのではなく、複素空間認識(奥行きの即自)の中で太陽を見ること。カタカムナにいうソギタチ(収縮性・縮約性)とソコタチ(膨張性・弛緩性)を組み込んだ陽子と中性子が、文字通りトコタチ(互換重合)していく様子がpp連鎖の中に美しく表現されている。
2015-03-05 12:43:10
半田広宣 @kohsen
太陽を中心とした地球の公転軌道が作る空間は物質空間(地球の自転空間)に対して反転しています。カタカムナでいえば、アマの空間ではなくカムの空間だということ。
2015-03-05 12:58:10
半田広宣 @kohsen
カムは潜象界であり、潜象はアオとして反映されます。その意味から言えば、青空とは潜象空間です。だから、太陽を正しく理解するには奥行きそのものの中で見ないとダメなんですね。時空(現象界)から見れば、もちろん、科学の言う通りです。
2015-03-05 13:00:47
半田広宣 @kohsen
カタカムナの気持ちのよさは、それを「直観物理」と明言するところにあるね。もちろん、ここでいう物理とは、現代科学の物理ではなく、日本古来の「モノ」の思考に基づいたコトワリのこと。カタカムナは霊的唯物論だ。楢崎さんがカミゴトがかってしまった神道を批判する気持ちがよく分かる。
2015-03-06 11:33:54
半田広宣 @kohsen
カタカムナにいうアマとカムとは、OCOT情報のいうNOSとNOOSにそのまま対応させることができそうだ。共に7階層(ナナヨツギ)を持ち、互換を繰り返しながら、「13」で互いが互いの流れを交差する。この交差に生じているのがアマナとカムナが意味するところだろう。
2015-03-06 12:22:37
半田広宣 @kohsen
アマからカムがアマナ、カムからアマがカムナ。人間の意識はこのアマナの働きによって生じているカムへの潜在的変換性として働いている。アマナはアマをアメからマリ、そしてタマへと重合していくプロセスを持つが、そこに人間の精神核として形成されているのがアマヒとしての太陽ということになる。
2015-03-06 12:29:24
半田広宣 @kohsen
カタカムナの思念の構造がOCOT情報とほとんど同じであることに、いまさらながら驚いている。カタカムナにより一層の強度を持たせるためには、いつも言うように、アマを〈幅〉、カムを〈奥行き〉として思考することが不可欠だろう。今、人間はその結接点としての〈カミ〉の位置にいる。
2015-03-06 12:34:48
半田広宣 @kohsen
カタカムナとはカムナのカタチのことである。カムに内在する7階層のカタチを抽出すること。これは人間の無意識構造(超越論的構成)を作り出している持続空間の幾何学(エーテル的形姿)を彫塑することであり、このことがOCOT情報のいう「入神(精神に入る)」を意味する。ψ13〜14の顕在化。
2015-03-06 12:47:35
半田広宣 @kohsen
既成の学問の中で、このカムの方向に認識を接続させることができるものは現代物理学とドゥルーズ哲学ぐらいしかないんだよなぁ。ここがほんとに苦しいところ。
2015-03-06 12:53:56
半田広宣 @kohsen
●カタカムナの気持ちのよさ
... fb.me/36kU4X0qJ
2015-03-06 14:24:53
半田広宣 @kohsen
カタカムナでは主体はクニツトコと呼ばれ、それはアマウツルマリであったという。一方、客体はクニツマリと呼ばれ、それはアマヤドルマリであったという。そして、この両者のトコタチ(ソギタチ=収縮とソコタチ=膨張の正反の逆性の互換重合)によって表されたのがマトマリとしての「モノ」であった。
2015-03-09 15:46:58
半田広宣 @kohsen
OCOT情報では主体は垂質とも呼ばれ、それは身体から広がる時空のことを意味する。一方、客体は垂質の反転と呼ばれ、それは時空そのものが収縮したものである。それらは位置の変換によって等化され物質(モノ)の基礎としての「球精神=陽子」を構成する。
2015-03-09 15:52:15
半田広宣 @kohsen
カタカムナとOCOT情報が持った主客概念に対する見方が全く同じだということに今更ながら驚いている。それにしても、アマウツルマリとアマヤドルマリという表現の美しさには感嘆させられる。ほんと、見事!!としか言い様がない。
2015-03-09 15:56:58
半田広宣 @kohsen
自己と他者はモノの外部と内部という関係の中で位置を与えられており、双方からトコタチ(両者の間の互換重合)を諮っている。この二つのトコタチが、クニノトコタチとアマノトコタチの本質である。そしてこの二つのトコタチこそが物理学がゲージ対称性と呼んでいるものの本質にほかならない。
2015-03-09 16:08:25
半田広宣 @kohsen
外部が収縮して内部に入り込む性質を空間が持っているということ。こうした性質は奥行きとして達成されているということ。そのとき、奥行きは持続としての働きに変容しているということ——こうした超古代的な空間感覚を発芽させる時代へと人類は再び、回帰してきている。それが覚醒期というものだ。
2015-03-09 16:21:02
半田広宣 @kohsen
●カタカムナ人の知性の美しさ
... fb.me/3p16RHyAy
2015-03-09 16:48:22
半田広宣 @kohsen
今、日本人の意識の中でタカミムスビとカミムスビの力の葛藤が生まれ始めている。今までの世界はタカミムスビの圧倒的支配力の下にあったので、カミムスビは無意識として心の奥に潜んでいたが、タカミムスビは自分の時代の終わりを感じ、カミムスビに新しい国造を依頼しようとしている。
2015-03-14 23:54:11
半田広宣 @kohsen
OCOT情報によれば、タカミムスビとは調整期の精神、カミムスビとは覚醒期の精神のことである。この両者が同時に働くことはない。方向性の等化と力の等化の違いだ。「産霊(ムスヒ)」の神学は「もの」を通じてしか顕現しない。すべての観念をモノへと着床させること。アマテラスからスサノオへ。
2015-03-14 23:59:58
半田広宣 @kohsen
カミムスビのカミは「もの」のなかに「たま」として身を隠している。アマから離れ、カムの中へアメとして降り、ワを以てマリを作り、そこから「たま」を為すこと。そうすれば物質は霊魂となる。これが国造の本意だ。
0コメント