https://getnavi.jp/entertainment/355704/ 【【ムーわらべ歌の謎】『正統竹内文書』と「カゴメ唄」の暗号】より
まず、初めての読者にお断りしておくと、筆者は武内宿禰 の子孫であり、現在は第73世武内宿禰を名乗っている。
江戸時代の黄表紙に描かれた、「かごめかごめ」をして遊ぶ子供たちの絵。
そしてわが竹内家には、超古代文献とされる『正統竹内文書』が受け継がれている。ただし、あくまでも口伝であって、文書化されているわけではない。
筆者は武内宿禰の後継者として、幼いころからこれらの「口伝」を徹底的に叩きこまれてきた。本稿ではそうした秘密の一部を明かしていきたいと思う。
なお『正統竹内文書』のルーツは、『古事記』編纂の際に用いられた失われた歴史書『帝皇日嗣』にあるとされる。その意味で『正統竹内文書』は、『古事記』以前の日本最古の歴史書ということもできる。
『正統竹内文書』は、口伝とはいえきわめて多岐にわたっている。しかもそれぞれの内容は初伝・中伝・上伝・皆伝・総伝・奥伝・秘伝・極秘伝とそれぞれの階梯に分類されており、このうち奥伝・秘伝・極秘伝は他言無用で竹内家の人間だけに伝えられるものである。
それからもうひとつ、これらのほかに「雑口伝」というものもある。これは祭事のあとの直会(宴会)の席などでにぎやかし的に語られながら、伝承されてきたものだ。歴代の武内宿禰が「本当かどうか疑わしいが、伝承されているからそのまま伝えている」というもので、内容的には眉唾物ものかもしれない。ちなみにこれも、初伝からある。
それだけに、かなりおもしろい。だからこそ積極的に語られ、伝えられてきたわけだ。内容も日本中心ではなく、世界的な歴史物語になっている。
「カゴメ唄」の秘密
さて──本題に入ろう。
「かごめかごめ/かごのなかのとりは/いついつでやる/よあけのばんに/つるとかめがすべった/うしろのしょうめんだあれ」
読者もご存じであろう、童唄「カゴメ唄」である。本誌でも過去に何度か記事になっているようだが、確かにこの歌には謎が多い。
まず、由来がよくわからない。
日本各地に伝わる歌だが、地域によって微妙に歌詞が違っている。いや、それ以前に、ほとんど意味不明の歌詞の羅列といっていい。
かごめ=籠目とは何か?鳥とはどんな鳥なのか?籠の中の鳥は、いつ何のために出やるのか?夜明けの晩とはいつなのか?鶴と亀がすべり、後ろの正面とはだれのことなのか?
読めば読むほど、謎だらけに思えてくる。
だが──。わが『正統竹内文書』(口伝)には、その秘密がしっかりと明かされている。
そもそもこの歌について最大の誤解は、市井における庶民の子供の遊び歌ではない、ということだ。はっきりいえば、天皇家で生まれた遊び歌が、いつしか市井に降りてきたのである。
では、天皇家の遊びにおいて、後ろの正面を当てる意味とは何なのか?
この歌の肝は、後ろの正面にだれがいるのか、そこにいる人の気配を霊的に感じとることができるのか、という点にある。童唄「カゴメ唄」は、遊びを通してその力を引きだすための秘儀だからである。
ともあれ、歌詞に秘められた言霊(ことだま)と音霊(おとだま)をなぞってみよう。
まず「かごめかごめ」だが、これは竹で作られている籠のことである。
竹という植物は霊性が高く、しかも成長が早い。歌詞にはないが、その籠を持っているのは武内宿禰である。竹は天皇家にとっても特別な植物であり、その竹の霊性を操る力を備えているのが、武(竹)内宿禰なのである。
では、「籠の中の鳥」とは何か? いうまでもない。天皇だ。しかもここではまだ生まれたばかりの皇子、のちの第15代応神天皇のことである。つまり武内宿禰は、応神天皇が籠の中から出やる(巣立つ)のを楽しみに待っているのである。「夜明けの晩に」というのは、早朝、日嗣の皇子(皇太子)が日を拝み、月に祈る神事を意味している。
ちなみに、武内宿禰も毎朝同じように日と月に祈る。これを天照拝と月夜見拝という。総称して日月神事だ。
日月は日嗣 に通じるものである。夜明けにも意味がある。というのも夜明けには、太陽と月が同時に見える日があるからである。
「鶴と亀がすべった」は、まず鶴と亀で、鶴亀(つるぎ)=剣を意味する。その結果、世界を統べるのである。
つまりこれは、剣璽渡御之儀によって天皇が即位することを指している。
「うしろの正面だあれ?」は、これを当てることができれば、親王になれるということを示唆するものだ。親王というのは天皇になる資格のある皇子のことで、これが正式な制度となるのは大宝律令以降のことだ。歌ができた当時は皇子だった。
福岡県福岡市の香椎の宮にある武内宿禰の像。腕に抱いているのは、まだ幼い応神天皇である。この像にこそ「カゴメ唄」の秘密が隠されているのだ(写真=武内睦泰)。
最初に書いたようにこのあそび歌は、人の気配を正確に感じとることができるのか、遊びを通して、その力を引きだすための秘儀である。それは幼きころから、天皇になるための資格を確認するための儀式でもあった。このように童唄「カゴメ唄」は、天皇家が発祥である。それがいつしか民間に降りたわけである。
ただし、現在の天皇家では行われていない。口伝によれば、平家とともに水中に消えた第81代安徳天皇までである。
なお、籠目紋自体は武内宿禰以前からあり、「行って帰ってくる」という意味がある。神代文字にも残っている。
https://ameblo.jp/takeuchisukune/entry-12477966898.html 【★ワンダー・アイズ様より
カタカムナ】より
楢崎皐月のカタカムナを知った時、もの凄い違和感があった。
48の記号(文字)には、理科系の人間なら誰でも感じる、体系としての不完全さがある。完結していない。すぐに48個の他に、足りない記号があるに違いないと分かった。48という数字は中途半端。同様に80首の80という数字も中途半端。
渦巻きの方向が一方向で、双方向でないところが、半分しか表現されていない気がした。
1万6千年以上前の上古代の文章ならば、なぜ和歌なのか?712年に完成した古事記との深い繋がりがあるのか?神様の名前がリンクするのは、不自然すぎる。
満州人脈の楢崎皐月が発見者というのは、話が出来すぎている。しかも電気技師。カタカムナ=電子を連想させるし、満州に繋がるということは、古代史に、そして世界に繋がるということ。
どう考えても、カタカムナはカタカナの元である。漢字の成り立ちを疑いたくなる。
平十字の名前が、あまりにも象徴的にすぎる。「平」と「十字」。金鳥山も同様。「金」と「鳥」。歴史好きの人間ならば、すぐに連想する物語がいくつか浮かぶ。しかも六甲(六角形の甲羅=亀)にある。
それらのモヤモヤが、武内宿禰先生の『竹内文書』の口伝を聞いて、一気に解消した。
楢崎皐月が宇野多美恵に引き継いだカタカムナは、不完全で隠された部分が多分にある。当然、カタカムナを引き継いでいる人は、楢崎皐月の他にもいた。武内宿禰先生もその一人だった。
ツアーに参加した僕たちは、やっとカタカムナ研究のスタートラインに立てたような気がします。これは自分一人だけでは到底、解明が出来ない壮大な体系であるから、研究していく仲間がたくさん欲しいですね。
カタカムナに興味がある人には、ぜひ観ていただきたい。そして感じたこと、閃いたことを教えて欲しいです。
「武内宿禰が語るカタカムナと瀬織津姫」第七十三世武内宿禰と行く秘授口伝ツアーVol.14 神戸
https://www.youtube.com/watch?v=uXvBVCMNGII&t=1s
「カタカムナと瀬織津姫」
武内宿禰「竹内文書」
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