「大暑」もお仕事 蜜を求めて「いただきます」  ”復活のハス”にハチ群がる

https://tanba.jp/2021/07/%e3%80%8c%e5%a4%a7%e6%9a%91%e3%80%8d%e3%82%82%e3%81%8a%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%80%80%e8%9c%9c%e3%82%92%e6%b1%82%e3%82%81%e3%81%a6%e3%80%8c%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%a0%e3%81%8d%e3%81%be%e3%81%99%e3%80%8d/ 【「大暑」もお仕事 蜜を求めて「いただきます」  ”復活のハス”にハチ群がる】より

大暑の朝も「篠山城蓮」に蜜を求めてやってきたハチ。「いただきます」と言っているかのよう=2021年7月22日午前6時3分、兵庫県丹波篠山市北新町で

兵庫県丹波篠山市にある国史跡・篠山城跡の南堀で固有種のハス「篠山城蓮」が開花。青空の下で大輪が咲き誇り、暦の上で最も暑いとされる「大暑」の22日も、ハチたちはせっせと花粉を集めて回っていた。

園芸品種と比べて花弁が少なく、大ぶりの花をつけることが特徴。2005年ごろ、外来種のカメなどによる食害で消失していたものの、市などが復活プロジェクトを展開し、カメを駆除した結果、一昨年15年ぶりに復活した。現在、全盛期の30%程度まで復活しており、さらに生息域を拡大している。

大輪を開かせる「篠山城蓮」

蜜を求めてハスにやってくるハチたちは、大暑の朝も中央部の花托(かたく)に狙いを定めて”着陸”。花粉を薄黄色の「花粉団子」にして小脇に抱えながら、せわしなく次の花へと飛び回っていた。

市によると盆ごろまで見ごろが続くという。


https://haikuatlas.com/?ikku=%E4%BB%8A%E9%80%B1%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%8F%A5%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E6%9A%91%E3%80%80%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%B0%E4%B8%87%E5%A4%AA%E9%83%8E 【今週の一句~大暑(たいしょ) 久保田万太郎】より

芥川龍之介佛大暑かな   久保田万太郎(くぼた・まんたろう)

一昨日、昨日、今日と、ものすごい暑さである。

この暑さはヤバイ…、殺人的である。

この暑さの中で、俳句の上で、最も「暑さ」を感じる季語は何だろう、と考えた。

思いつくまま上げてみる。

「薄暑」「小暑」「炎昼」「炎暑」「炎日」「炎天」「三伏」「盛夏」「大暑」「極暑」「酷暑」「溽暑」「劫暑」「晩夏」などがある。

ただ…である。これは個人的な感覚なのかもしれないが、俳句ではあまり使われない、猛暑

という言葉が、私は一番暑さを感じる。

「明日は猛暑です!」などと、テレビなどの天気予報で聞くと、ぞっとするのである。

「猛暑」というのは気象用語で、最近出来た言葉らしい。

25度以上を夏日 30度以上を真夏日 35度以上を猛暑日という。

うまい(?)ネーミングだ、と私は思う。

勝手な推理だが、今まであげた季語は昔の暑さで、自然から受ける印象から生まれたような気がする。

ビルのコンクリートや道路のアスファルトの照り返しなどから受ける暑さのイメージは「猛暑」という言葉が似合う。

俳句で「猛暑」という句はあまり見かけたことがないが、今後は増えて、やがて定着してゆくのではないか。

さて、ちょっと開き直って、知っている句の中で、一番暑く感じる句はなんだろう、と考えた。

人から聞いた話なので「眉唾もの」だが、昔、作家の団鬼六がヤ〇ザを集めて、句会をやった。

兼題が「暑さ」だった。その中で、一番点数が入った句が、

アフリカで火事に出会ひし暑さかな  だった。

選評の時、みなが口々に、これは暑い!とか、いや~、これは暑そうだ。とか、これが一番暑そうです。などと言った。

鬼六さんは、いや、お前たち…、別に「暑さ比べ」をしてるんじゃないんだから…とたしなめた、という笑い話がある。

私はなぜか、掲句の万太郎の句に一番暑さを感じる。

この句は、自殺した芥川龍之介の追悼句。龍之介の自殺した日が、昭和2年7月23日の大暑の日だった。この句はなんにも言っていない。

「芥川龍之介佛」と「大暑」の取り合せだけである。

なのに、なにゆえ、こんなにも「暑さ」を感じるのだろうか…。

「万感の思い」が籠っているから…、としか言いようがない。

万太郎と龍之介は作家仲間というだけでなく、両国高校の先輩と後輩だった。

互いに俳句談義などにも花を咲かせたようである。

久保田万太郎と芥川龍之介(「林誠司 俳句オデッセイ」)

https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/36932857.html

芥川龍之介は「唯ぼんやりした不安」という言葉を残し、自殺した。

夏の素晴らしいところは、太陽、雲、海、水、山の緑、草木など、あらゆる命がもっとも活発になるところではないか。

ありあまるほどの才能を持ちながら、自ら消してしまった「命」と、大暑を迎え、旺盛な万物の「命」…。

その対比が、この句の素晴らしさかもしれない。

汗ばみ、炎天を見上げながら、龍之介を死を悼む万太郎の姿が実に切ないのである。


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498745678.html 【久保田万太郎と私と芥川龍之介と隅田川】より

(東京都台東区浅草寺)

冬の夜や今戸八幡隅田川 久保田万太郎(ふゆのよや いまどはちまん すみだがわ)

先日、久保田万太郎について、インタビューさせていただいた劇作家の中村哮夫さんが、万太郎は故郷・浅草、とくに隅田川に対して並々ならぬ思い入れがある、と話されていた。

わたくしの一生は隅田川に憑かれている。とも書いているそうだ。

あいにく、それはどこに書いてあるのか、と聞きそびれてしまい、詳細は不明である。

しかし、万太郎の戯曲には隅田川を舞台としたものが多いし、俳句にも浅草や吉原あたりが舞台だろうという句が多い。

竹馬やいろはにほへとちりぢりに     万太郎  おもふさまふりてあがりし祭かな

たかだかとあはれは三の酉の月           夏足袋やいのち拾ひしたいこもち

奉公にゆく誰彼や海蠃(ばい)廻し

「憑かれている」というのはわかる気がする。

私の生まれ、父の実家は、浅草がある台東区の隣の荒川区で、母の実家も台東区の隣の墨田区である。

荒川区は浅草から見て隅田川の上流にあり、墨田区は対岸にある。

どちらも隅田川に面した地域であり、この「隅田川に憑かれている」という感覚は、なんとなく私もわかるのである。

例えば、浅草へ出かける。用事が済んで、帰宅しようとする。ただ、それだけでは落ち着かず、隅田川を見て帰るか・・・。という気分になり、吾妻橋へと歩を向ける。

もちろん隅田川を見ないで帰る時もあるのだが、そういう時はなんとなくうしろめたい気分になる。

何かを欠いたまま、帰ってしまった気分になるのである。

こういう思いになるのは隅田川だけだろうか?

例えば大阪生まれの人は「淀川」を見ないとなんか落ち着かないとか、京都生まれの人は「鴨川」を見ないと落ち着かないとか、そういう気分になるのだろうか。

・・・というのも、これはどうやら私と万太郎だけの思いではなく、墨田区生まれの芥川龍之介もそうで、以前にブログでも紹介したことがある。

芥川龍之介について

http://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/34401009.html

自分はどうして、かうもあの川を愛するのか。

あの何かと云へば、泥濁りのした大川の生暖い水に、限りない床しさを感じるのか。

自分ながらも、少しく、其説明に苦しまずにはゐられない。

ただ、自分は、昔からあの水を見る毎に涙を落としたいやうな、云い難い慰安と寂寥を感じた。

(中略)

もし自分に「東京」のにほひを問ふ人があるならば、自分は大川の水のにほひと答へるのに何の躊躇もしないであらう。

独りにほひのみではない。

大川の水の色、大川の水の響きは、わが愛する「東京」の色であり、声でなければならない。

自分は大川あるが故に、「東京」を愛し、「東京」あるが故に、生活を愛するのである。

――芥川龍之介『東京の水』――

「大川」とは隅田川のことである。

墨田区生まれの龍之介も、隅田川が好きで好きでたまらない、と書いている。

隅田川の匂いこそが東京の匂いであり、隅田川があるがゆえに、東京を愛する、と言っている。

私もまったく同感なのである。

東京に隅田川が流れていなかったら、東京に対する思いは半減してしまうだろう。

半減どころではないかもしれない。

この感覚は、同じ東京人でも、おそらく西のほうの人にはわからないのではないか。

万太郎、龍之介、私などがそうであることを考えると、全員ではないだろうが、隅田川ゆかりの地で生まれた人間には、隅田川に対して、なにかしらの思い入れがあると考えていい。

簡単に言えば、隅田川とつぶやくだけで、切なくなり、泣きたくなる…。

それが、一昔…というか「真の東京人」なのだと我ながら思う。

芥川龍之介が、久保田万太郎の俳句を、東京が生んだ嘆かひの発句と評したのも、おそらく、このせつない郷愁のような思いから出た言葉だ、と私は考える。

ちなみに掲句だが、今戸八幡は今戸神社のことで、隅田川沿いにある。

こうやって、季語以外、地名だけで一句を成立させてしまう手法は、かなり高度な手法である。「冬の夜や」がやはり「嘆かひ」ではないだろうか。

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