五島氏庭園・隠殿屋敷

https://tabi-mag.jp/ns0269/  【五島氏庭園・隠殿屋敷】より

長崎県五島市池田町にある幕末に築かれた福江藩(五島藩)の城が福江城(石田城)。二の丸跡にあるのが五島家30代当主・五島盛成(ごとうもりあきら)の隠居所として建てられた隠殿屋敷と、その庭園、五島氏庭園で、大名庭園である五島氏庭園は国の名勝に指定されています。

大名庭園と隠居屋敷が現存

五島氏庭園・隠殿屋敷

五島氏庭園・隠殿屋敷は、城山神社の宮司でもある第35代五島家当主・五島典昭さんの所有。

つまり、福江城(石田城)は、日本で唯一の個人所有の城ということに。

庭園は、30代・五島盛成が三男・盛徳に家督を譲った後、城郭内に隠殿屋敷を建て、その東側に浄土宗の僧・全正(善章)が築いたもの。

五島盛成は、漢詩・和歌・俳句に造詣が深く、別荘で曲水の宴を催すほどの教養人でした。

全正(善章)は、京で舞妓に熱を上げ五島へ流罪となったものの、文化人だったため、五島盛成に気に入られたのです。

庭園が築かれたのは福江城(石田城)二の丸の西南端。

廐舎(きゅうしゃ=馬小屋)や藩士教育所の「育英舘」があった場所に作庭されています。

全正(善章)は、鹿苑寺(金閣寺)の池を模して、中央に心字が池を配し、庭石と築山には福江島のシンボルである鬼岳(おんだけ)の溶岩を使っています。

多くの亜熱帯植物を配しているのも五島ならでは。

五島盛成は亀を好んだので、中島などの随所に亀に似た石を据えています。

文久元年(1861年)築で五島盛成の隠居所となった隠殿屋敷の玄関には、全正の辞世の句が記された屏風が立っています。

二の丸西門・「蹴出門」の桝形を通って左側すぐに隠殿屋敷の平門が配され、そこを通ると玄関書院。

廊下で座敷書院に渡り、さらに庭を鑑賞できる釣殿風の小座敷が築かれています。

隠殿屋敷というものの、五島盛徳が病弱だったため、事実上は五島盛成が実権を握り、明治維新を迎えています。

三方を土堤(土坡)で囲み、玄関部分・平門の石垣などを見てもいざという時の防御策が施されています。

5年間を費やした隠殿屋敷の復元工事も平成28年に終わり、庭園とともに公開されています。


https://www.city.goto.nagasaki.jp/s014/010/040/080/040/20190321164531.html 【国指定名勝「石田城五島氏庭園」】より

訪れる人を和ませる素晴らしい庭園  奥行のある和室

国名勝とは、文化財の一つで、学術上及び鑑賞上価値が高い庭園や景勝地のことです。

「石田城五島氏庭園」は、平成3年11月に国名勝に指定されました。

石田城五島氏庭園は、福江島の玄関ともいえる福江城(石田城)の一角に、五島家第30代盛成公の隠殿(隠居所)として安政5年(1858年)に作られました。

京都の僧・全正に命じて作らせたという庭園は情緒豊かで、心を和ませてくれます。

以前は庭園のみの公開でしたが、約5年の年月をかけた隠殿屋敷の復元工事が終わり、現在は屋敷内部も公開しています。訪れると、職員が丁寧に屋敷内を説明してくれます。

入園料:大人800円、小人400円

入園時間:9時から17時

休園日:毎週火曜日、水曜日、8月9日、中秋の日、12月27日から1月31日

注:その他、臨時休園あり


https://goto.nagasaki-tabinet.com/spot/62639 【五島家第30代盛成公によって2年の歳月をかけて造られた隠殿。】より

京都の僧・全正によって造られた庭園は金閣寺の丸池を模したもので、趣深く美しい。心の文字を象った『心字が池』や樹齢800年以上と言われる楠の木、四季折々の植物などがご鑑賞いただけます。

福江城(石田城)五島氏庭園とは

作庭時期が明確で、建物も一体となって保存されていることから、保存例の少ない城郭内の庭園です。庭園文化史上高い価値があるとして、平成3年に国の名勝に指定されました。

隠殿屋敷について

庭園の構造建造物である隠殿屋敷は、文久元年(1861年)の落成から150年余りが経過しています。これまでに部分的な補修や増改築が見られますが、根本的修理の形跡はありません。

屋根は全体的に劣化・弛緩し、小屋組や軸部木材の蟻害・不朽が著しく、建物は傾斜し、存続が危ぶまれていました。

※団体予約について

御来園予定の前月15日までにFAXにてご連絡をお願いいたします。

詳しくは下記までお問合せください。

電話・FAX 0959-72-3519(五島邸)

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