Facebook渡邊麻奈実さん投稿記事 #いただきますってどういう意味?
昨日娘と畑を作りました!もともと畑はなく、ずっと使われていない庭だったのですが
お隣さんが「畑作っちゃえ!」と言ってくれたので、思い切って作りました
そして、たたみ一畳分にも満たない広さを耕しているだけで感じたんです。
私たちは数えきれない命をいただいて生きてるんだなぁと。土、草、色んな植物の根っこ、中には小さい虫もいたかも みんなスコップでザクッザクッ!
木から伸びた細いけどしっかりした根っこを力を入れてバキッ!
これは全て命…まぎれもない命…そんなことを考え出してしまって、涙が止まらなくなりました。泣きながら耕す母を見て娘はキョトン。
そんな娘に泣いてる理由を話しました。
「土も草も木も虫も、みんな生きてるよね。そのたくさんの命をいただいてお母さんたちは生きてるんだなぁ、ありがたいなぁって思ったの」と。すぐ話そらされましたけど。笑
でも私たちは間違いなく たくさんの生き物を殺して、いただいて、生きています。
目をそむけがちだけど、絶対に忘れてはいけないことだと私は思います。
生き物を殺して自分が生きてるなんて事実辛いけど、でも食べないと生きていけません。
だから大事なのは、どんなものも心から感謝していただくことだと私は思っています。
ご飯を食べるときの"いただきます"は ただの、食べる合図でも号令でもない
#命をいただきます ということ
とはいえこんなことを常に考えていたら正直キツイです。生きづらいです。
たまにふと、草を踏んで歩くのも辛くなる時があって、でも宙に浮けるわけじゃないから
そういう時は「ありがとう」と思いながら歩きます。
疲れるー!笑
子どもの頃からこういうこととか環境問題とかゴミ問題のこととかばかり考えていました。
家族にもあまり理解してもらえませんでした。
私が小学校の頃起きたあの事件は今でも忘れられません…
そう、あの「パングラタン事件」です!!(誰も知るわけないし家族も気付いてすらいませんが)この話も入れたら長くなるのでまた今度。
特に食べ物を残すことが本当に嫌だった私は専門学校の頃、必ず自分で食べきれない量を頼む友だちのおかげでめちゃくちゃ太りました。
でも、私の想いを話そうとすると決まってみんなめんどくさがります。
私の話し方もあったんでしょうけど、だいたい煙たがられました。なので自分のこういう気持ちにフタをするようになりました。
でもそうすると楽でした! 人と深い話をすることを基本避けました。
当たり障りない話をするようになりました。
20代後半くらいからは職場の人たちと毎日飲み歩いて、くだらない話ばかりして それが楽だし楽しかった はずなのに、ある時ふとどっと疲れてる自分に気付きました。
誰かをずっと演じていた気分でした。
でも、旦那さんと出逢って、そして娘と出逢って それからは食べ物のことや環境のこと、子どもたちの未来のことを真剣に考えて、実際に行動してる人たちと出逢うようになりました。そしてずっと閉じ込めていた小さな私が、久しぶりに顔を出しました。
「私、出ていいの?」
イメージでいうと…ひょっこりはん!!本当にそんな感じです。
本当の自分を表に出す勇気をくれた方々には心から感謝しています。
人間は環境動物です。自分が身を置く環境にどうしても大きく左右されてしまう 学生の頃は友達に嫌われるのが怖くてそこから抜け出せませんでした。
社会人になってからはそれが楽で楽しくて、たいして中身のない話ばかりする人たちの中に身を置いていました。
でも今は、その人たちとは全く話が合いません。正直会いたいとも思えません。
私はもうそこにはいません。前に進むことを恐れたくない 自分の娘にはもちろん
子どもの頃の私に恥じない生き方をしたいんです。2つに別れていた心が、今はやっと一つになった気がします。
最後まで読んでいただきありがとうございます(^^)
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