季語でひろがる俳句

http://circus-magazine.net/posts/1693 【俳句をよむからだ 第4句 季語でひろがる俳句】より

前回は「いまを感じる俳句」と題して、新しい言葉や情景を詠みこんだ俳句をご紹介しました。

そのなかで、季語や575の定型を守りつつ、俳句にあたらしい命をふき込むことについて考えてみました。

ぶっちゃけて言ってしまうと、俳句は古めかしい、難しい。そんなイメージをもってしまうのは、季語や575の定型といった伝統的なルールのせいではないかと考えられます。

今回は、季語に焦点をあて、そもそもなぜ俳句に季語が必要なのかということについて考えてみたいと思います。また、俳句の誕生の歴史や季語のない無季俳句についても併せて考えてみたいと思います。

なぜ俳句には季語が必要なのか

そもそも俳句がどういうわけで生まれたのかを考えてみましょう。

俳句は、明治時代に正岡子規によって独立した文学ジャンルとして確立しました。

こういうと、なんだか違和感のある人もいますよね。じゃあ松尾芭蕉って俳句じゃないの?与謝蕪村や小林一茶はどうなるの、と。

正岡子規以前は発句と呼ばれていたはずで、大雑把ないい方をすれば、どちらも同じようなものではあります。

ややこしいので、すこし順序だてて考えてみましょう。

俳句のもとは和歌で、これが源流にあたります。

和歌は、主に平安時代の貴族たちにとって教養であり、現代でいう携帯電話やスマートフォンのような公私にわたって――とりわけ恋愛に――必須とされるメッセージツールでもありました。

鎌倉時代になると、複数人によるリレー方式(連作といいます)によって詠む連歌という文芸が確立し、主に室町時代に流行しました。

連歌はリレー方式ですから、575、77、575、77……と交代で詠んでいくわけです。句のそれぞれに名前がついていて、はじめの575を発句、77を脇句、次の575を第三句とつづき、さいごの77を挙句といいました。

そこからさらに、滑稽さや身近な面白みのあるものを素材とする俳諧の連歌がうまれ、江戸時代に流行します。有名な松尾芭蕉も与謝蕪村も小林一茶もみんなこの時代に活躍したひとです。

ようするに彼らが作っていたのは俳句になる前の発句(連歌の第一句)だというわけです。

この連歌には、「発句には季語を入れる」というルール(式目といいます)がありました。このルール、私はとても合理的だなぁと納得してしまうのですが、いかがでしょうか。

例えば、リレー小説というものがありますよね。実際に書いたり読んだりしたことがある方だと、イメージがしやすいかもしれません。複数人ですこしずつ小説を書きすすめるわけですが、ほとんど小説の体をなさないほどにトンチンカンな内容になってしまいがちですよね。

連歌も道理はおなじことかなと思います。複数の人間が集まってルールもなしに詠みはじめたら収集がつきませんね。

しかし、発句に季語があればこそ、連想がしやすくなり、一定の方向性をたもつことができます。そのため、発句は「あいさつ句」とも呼ばれているのです。

明治になって、正岡子規の登場により、発句は俳句と呼ばれる独立した文芸となりました。そのため、現代の俳句にも発句のルールが受け継がれています。

ここで、連歌(連句)の例をひとつご紹介します。松尾芭蕉の「おくのほそ道」から、有名な「五月雨を集めて早し最上川」の連句です。「早し」がはじめには「涼し」となっていますが、これは発句のみあとから校正されたものと言われています。

***

発句:五月雨を集めて涼し最上川(芭蕉)

脇句:岸に蛍をつなぐ船杭(一栄)

第三:瓜ばたけいさよふ空に影まちて(曾良)

第四:里をむかひに桑のほそみち(川水)

第五:うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ(一栄)

第六:水雲重しふところの吟(芭蕉)

***

こうしてみると、複数の者が詠みつないでいくものが連歌だということや、発句の季語「五月雨」「涼し」が脇句以降の他の作者の連想を引きだし、一定の方向性をたもって詠まれていることが実感できると思います。

季語の効用とは、この連想を引きだすという作用にほかなりません。俳句のばあい、連歌のように他の詠み手は存在しないわけですが、たった17文字で奥深い世界を表現しうるのは、読み手の連想を引きだす季語の効用があればこそだといえます。そしてそれこそが、俳句に季語をおくことの理由といえるでしょう。

季語にはどんなものがある?代表的な季語をご紹介

ここまで、俳句に季語が存在する理由について見てきました。そこで、季語にはどんなものがあるのかを知るために、代表的な季語をご紹介したいと思います。

紙幅の都合もあるので、四季それぞれに2つの季語を紹介する程度にとどめることとします。

俳句としては定番な、よく見かける季語だけれど、ふだんの感覚とはちょっと違うかな、というものを選んでみました。また、その季語を使った例句を一句添えてみました。

季語について知りたい場合は歳時記があると便利です。歳時記は書店でふつうに手に入ります。百科事典のような大きなものから、コンパクトな辞書くらいのものまでいろんなサイズがあります。手にとってみて見やすいものを選ぶのがよいと思います。

季語を知ることは俳句の世界へのパスポートのようなものです。たくさんの季語を知れば、もっともっと俳句をたのしむことができるようになるはずです。

――春――

【長閑】(のどか)

のんびりとした春の日和におだやかな時間が流れている様子をいいます。国語辞典的には、心がのんびりとくつろいでいる様子を指すようで、特に季節は限定されません。のどかな気分で冬休みを迎えた、なんて言い方も現代文としては間違いとはいえません。

○行き過ぎし短き駅や海のどか(子規)

【日永】(ひなが)

春になり、昼の時間が長くなった頃をいいます。昼の時間がもっとも長いのは夏至前後ですが、俳句ではそのことを実感する春季をさす季語となりました。こちらは国語辞典的にも春季とされています。

○永き日や欠伸うつして別れ行く(夏目漱石)

――夏――

【麦の秋】(むぎのあき)

念を押しますが、夏の季語です。夏に実りを迎える麦のようすを指します。ちなみに稲の秋といえばもちろん秋です。竹の秋といえば春でしたね。うっかりしていると取り違えてしまいそうですよね。実りの季節を迎えた一面の麦畑や田んぼはどちらも金色に輝いて神々しいものですが、夏と秋という季節の違いは明らかでそこからくる連想もずいぶん変わってくると思います。

○飯盗む狐追うつ麦の秋(蕪村)

【甘酒】(あまざけ)

甘酒といえばいまでは初詣の行き帰りで飲むなど冬の風物と感じられる方が多いのではないでしょうか。もともとは、夏の暑気払いに飲まれていたのだそうです。発酵にひと晩ほどかかることから一夜酒(ひとよざけ)とも呼ばれています。

○御仏に昼供えけりひと夜酒(蕪村)

――秋――

【夜長】(よなが)

秋になり、夜の時間が長くなった頃をいいます。夜の時間がもっとも長いのは冬至前後ですが、俳句ではそのことを実感する秋季をさす季語となりました。こちらは国語辞典的にも秋季とされています。

春の季語である日永の対になる言葉ですね。

○鐘の音の輪をなして来る夜長哉(子規)

【星月夜】(ほしづきよ・ほしづくよ)

秋の夜、満天にかがやく星のうつくしい様子をいいます。これもまた、本当に星空が澄み冴えるのは冬季のはずですが、その変化を実感する秋季の季語となりました。星月夜とはいうものの、月はありません。月のない夜に、星が煌々とまたたいてあたかも月夜のようだ、という言葉です。

○われの星燃えてをるなり星月夜(虚子)

――冬――

【小春】(こはる)

小春は旧暦10月のことです。小春といっても春ではありません。立冬をすぎて晴れた日のおだやかな様子をさします。それはあたかも小さな春のようですが、ほんとうの春はまだ厳しい冬のむこう側にあります。

○暮れそめて馬いそがする小春かな(几董)

【時雨】(しぐれ)

冬のはじめに山間などでみられる通り雨のことを指します。単に時雨といえば冬の季語になりますが、秋や春にみられる時雨は秋時雨、春時雨と区別します。

似た言葉で驟雨(にわか雨のこと)がありますが、こちらは夕立などとともに夏の季語になっています。

○幾人かしぐれかけぬく勢田の橋(丈草)

無季俳句~その誕生と例句について

季語や575の定型といった俳句のルールに対し、これを超えようと無季・自由律をめざすうごきがありました。

極論すれば、その原因は子規にあったと考えられなくもありません。

俳諧連歌の発句から俳句へという変化のなかで、座の文学から個の文学になった影響がおおきいといえるからです。もちろん子規以前にも無季俳句はなかったわけではありませんが、子規以後、その傾向はいっそう顕著になります。

子規の死後でみると、明治末年の新傾向俳句運動、昭和初年の新興俳句運動、昭和30年代の前衛俳句運動といった運動が、寄せては返す波のようにおこります。

かならずしも代表句というわけではありませんが、いくつか、それぞれの運動に属した作者の句をご紹介します。

――新傾向俳句運動――

○ミモーザを活けて一日留守にしたベットの白く(河東碧梧桐)

――新興俳句運動――

○見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く(日野草城)

○しんしんと肺碧きまで海の旅(篠原鳳作)

――前衛俳句運動――

○銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく(金子兜太)

○湾曲し火傷し爆心地のマラソン(金子兜太)

○まなこ荒れ/たちまち/朝の/終りかな(高柳重信)

※筆者注:/は改行を表します

これらの運動は、それぞれに主張するところも異なり、季語や575の定型に対する考え方も一様ではありません。共通しているのは、総じて季語や575の定型を守ろうとする伝統俳句の古めかしさ、難しさからの脱却や進化を目指したものといえそうです。

反面、無季や自由律をつきつめると、どうしても抽象的で読みとりにくいものにならざるをえません。

さらにいえば、たしかに俳句がかつての俳諧の時代から連れてきてしまった季語や定型といったルールは、難しく古くさいものでもありますが、ただ、それらを脱ぎ去ってしまったものが、本当の意味で俳句とよべるものなのか、という疑問もあります。

子規の弟子であった高浜虚子は、こうした新しい文学への志向そのものは認めつつも、それらを俳句と呼ぶことには抵抗しました。そして季語と575の定型をまもり、客観写生をまもるべきとする伝統俳句の立場を堅持しつづけました。

虚子は、子規の死後いったんは俳句の道を盟友・河東碧梧桐にゆずり、自らは文章家の道を歩みはじめましたが、大正時代に入り碧梧桐が新傾向俳句の道に踏み入ると、俳壇にとって返します。有名な春風や~の句はこのころ詠まれました。

○春風や闘志抱きて丘に立つ(虚子)

盟友に対峙することへの底知れない覚悟が感じられる俳句ではないでしょうか。

まとめ~季語の効用

今回は、俳句にとって季語がなぜ必要なのかという点について、俳句誕生の経緯とともにご紹介をしました。また、無季俳句の誕生と例句を概観しました。

正岡子規によって俳句が個の文芸として独立したそのときから、季語や定型といった発句時代のルールについては問われなければならない運命だったといえそうです。

ただ、季語のない俳句は、子規も指摘をしているところですが、著しく連想を欠いてしまうおそれがあります。

座の文学であれば、それは座の仲間うちで必要とされたことでした。個の文学となったいま、俳句は詠み手と読み手とで紡ぎあげなければなりません。

そのように考えたとき、季語はやはりパスポートなのだというふうに理解できます。そのパスポートは、過去と現代と未来の俳句をも結びつけてくれるに違いありません。

今回はちょっとむずかしい話をつづけてしまいましたが、季語によって俳句はどこまでも広がっていくのだということを多少なり感じていただけることを願い、この稿を終えることとします。


https://www.euglena.jp/times/archives/4738 【俳句に親しめば、季語を通して季節の変化を感じ取れる。日常を豊かにしてくれる「アイテム」です―俳人・夏井いつき】より

「目貼剝ぐ(めばりはぐ)」――隙間風が入らないよう窓などにしつらえた目貼りを、春になって剝がす様を表した季語です。断熱性や気密性に優れた現代の住宅に暮らす私たちにも、季語はかつての日本人の生活を伝えてくれます。

 日本人の生活環境に深く根ざしてきた季語の魅力とは? そして、世界的な気候変動が続く中で、私たちは季節をどうとらえるべきなのか。テレビ番組への出演などでも知られる俳人・夏井いつきさんにうかがいました。

俳句は季語によって情景を想像するからこそ面白い

―夏井さんは『絶滅寸前季語辞典』(ちくま文庫)など、時代の変化とともに消えゆくおそれのある季語を積極的に取り上げ、発信されています

夏井いつきさん(以下、夏井):『絶滅寸前季語辞典』の初版が出た2001年頃は、俳句の世界で「季語を整理しよう」という議論があったんです。「もう使われないものは歳時記※ から削除して、新しい季語を入れたほうがいいのではないか」と。

私は歳時記を読むのが趣味という人間なので、そうした論調に対しては「冗談じゃないよ」と思っていました。その危機感が『絶滅寸前季語辞典』を書くことにつながっていきました。

※俳句の季語を分類して、解説を加え、例句を載せた書物

夏井いつき(俳人)

プロフィール:昭和32年生れ。松山市在住。俳句集団「いつき組」組長、藍生俳句会会員。第8回俳壇賞受賞。俳句甲子園の創設にも携わる。松山市公式俳句サイト「俳句ポスト365」等選者。2015年より初代俳都松山大使。句集『伊月集 龍』、『おウチde俳句』『俳句ことはじめ』『子規365日』等著書多数。

―なぜ季語を整理しようとする動きに危機感を持ったのですか?

夏井:季語って、認定機関があるわけではないんです。何かしらの協会が認定するようなものではなく、長い歴史の中で自然と定着していくもの。

「アコヤ貝」という貝をご存じですか? 真珠を作り出す貝なのですが、この貝の中に石などの異物が入ると、傷つかないよう幾重にも包み込んでいきます。その結果、ゆっくりと真珠が作られていく。季語の熟成も似ています。1つの季語ができるまでの年月は尊く、その期間こそがまさに文化だと思うんです。それを簡単に「いらない」と判断できるでしょうか。「もう使わない文化だ」と決める権利が、一体誰にあるのでしょうか。

でもこんな言い方をすると、「季語は経験することに意味があるのに、経験できないものを残していいのか」と反論されることもあります。

―「経験することに意味がある」とは?

夏井:俳句は「五七五」のたった17音しかありません。その中でいろいろなことを述べようと思っても無理があります。でも季語を使うことで、たくさんの人に情景を想像してもらえるようになるんです。

たとえば「風薫る」という有名な季語。テレビでは気象予報士の方々もよく使いますよね。その5音の言葉を聞けば、日本に住む多くの人が若葉の季節を思い浮かべるでしょう。さわやかな風を浴びた経験や、自分自身の眼球が緑に喜んだ体験を思い出すわけです。言うなれば季語は「最大公約数の共通理解」をもたらし、追体験をさせてくれる存在なんですね。

―たしかに、現代でもよく使われる言葉であれば想像や理解がしやすいと感じます。

一方で、多くの俳人が好んで使う季語に「亀鳴く」というものがあります。亀には発声器官はないはずで、その鳴き声を聞いたことがある人も本来はいないはず。つまり経験したこともなければ追体験もできない季語ですよ。だけど俳人は、「春の帳の中で何かが声を出している。あれは亀が鳴いているに違いない」という風流を好んで、「亀鳴く」という季語に惹かれるんです。

俳人とは、見たことも聞いたこともない物事でも五感で想像できる存在のはず。「見たことや聞いたことがないものは必要ない」と言うなら、それはもはや俳人の気概を捨てているのも同じではないかと思うんです。

このように俳句とは、季語によって想像するからこそ面白いんですね。「たとえ、現在経験できないとしても、情景を想像することはできる。もっというと雑学として楽しめるだけでもいいじゃん」というスタンスで、受け継がれてきた季語を伝えていきたいというのが私の思いです。

家の近くの木々を見ているだけでも、季節の違いを感じられる

―日本人は季節の変化を繊細にとらえて季語を生み出してきたのだと思いますが、最近は異常気象が続き、季節の移り変わりを感じるのが難しいような気もします。

夏井:それはね、ぼんやりと生きているからですよ。

俳句を始めると、人は季語を通じて、季節を感じるアンテナを普段から張り巡らすようになります。例えば「立春」は2月4日ころを指します。「2月の頭なんてまだ寒いよ」と思うかもしれませんが、立春を過ぎてからの風は、真冬の風とは違うんです。桜が咲くころには「花冷え」という季語があります。4月の桜が咲いている時期にも寒いと思うことはあるでしょう? でも、立春のころの寒さと桜が咲くころの寒さはまた違うんですね。

季節を感じるアンテナは、都会に住んでいても立てられるはずです。東京には木がたくさんあるし、さまざまな鳥が暮らしている。桜の咲く時期はみんな気にするけれど、同じようにアジサイの咲く時期を気にしてみたり、昨年との色合いの違いを気にしてみたりするだけでも、季節の変化を感じ取れるのではないでしょうか。自分の家の近くの木々を見ているだけでも、違いを感じられると思いますよ。

―俳句に親しむことで季節をより深く感じられるようになっていくのですね。

夏井:俳句を作っていると、俳句のタネを探そうとする意識がどんどん研ぎ澄まされていきます。アーティストや芸人さんたちがネタを探すような感覚で日々を暮らすようになるんですね。

道で何気なく目に入る看板を気にするようになったり、すれ違う人たちの服装の変化に気づいたり。そうした光景は普段から眼球に写っているはずですが、自分で意識しなければ見えたことにはならないのでしょう。俳句は、周囲の何気ない景色を面白いものとしてキャッチする訓練にもなるんですよ。私にとっては、この作業自体が好奇心を満たしてくれるものでもあります。

100年後に人々に贈りたい、これからの歳時記

―昨今では気候変動が大きな問題となっていますが、俳句の世界にはどのような影響をもたらしているのでしょうか。

夏井:第一に生き物たちの変化による影響でしょう。花の咲き方や色合いが変わってきているし、海沿いに住んでいる俳人からは「海水温の変化によって見られる魚の種類が変わってきた」という話も聞きます。気候そのもので言うと、北海道に住んでいる俳人仲間は「今年は降雪が少なくて雪の句が作れなかった」とぼやいていました。

俳句に携わる者として、気候が変わっていくことへの危惧はもちろんあります。ただ、そうやって変わりゆく気候を詠むのもまた、俳人の役割ではないかとも考えているんです。日本の季節がずれてきたからといって俳句が詠めないわけではありません。ルポルタージュのように、今の変化を淡々ととらえていくことも必要なのではないかと。

―100年後の日本人にとっては、2020年代の貴重な史料になるのかもしれませんね。

夏井:そうですね。

今は変化が多いと感じるかもしれませんが、冒頭でお話したように、季語は大変長い期間を経て生まれていきます。例えば「花粉症」という言葉は日常的に使われていますが、歳時記にはまだ載っていなくて、「次の時代の歳時記に収められるかもしれないね」というレベル。たくさんの人に「花粉症は春の季語である」いう共感が広まり、実際に秀句(秀でた俳句)が生まれ、多くの人が俳句として詠むようになってはじめて、次の時代の編者が季語として歳時記に収めるわけです。そうした長い長い文化の変遷こそが史料となるのでしょう。

―「次の時代」とは、どれくらいのスパンを指すのでしょうか。

夏井:「だいたいこれくらい」と決まっているわけではありません。俳人として歩みを深め、「自分がやるべきだ」と思う人が次の時代の歳時記を編む。そうやって続いてきたのです。

私自身も、いずれ歳時記を編纂したいという思いがあります。『100年歳時記』として100年後の人々に贈りたい。仮に私が生きている間に編纂できなくても、次の世代の人に受け継いでいきたいと思っています。

俳句のタネは夫婦ゲンカでも、嫌な上司の愚痴でもいい

―夏井さんは、豊かな季語を受け継いでいくために何が必要だと考えていますか?

夏井:俳句というものに、ほんのちょっとでも興味を持ってくれる人が増えれば変わると思っています。だから俳句の種をまく活動を粛々とやり続けています。テレビ番組に出演して約7年になりますが、番組を見て俳句に興味を持ち始めた人もいるはず。少しずつでいいので季語にアンテナを立ててほしいですね。

―最近ではTwitterなどで「うまい五七五」を投稿する人が増えています。

夏井:うれしいですね。

他の文学と俳句がちょっと違うのは、作者と読者、つまり「発信する側」と「受け取る側」が同じ立ち位置にいることだと思うんです。小説だとなかなかそうはいきません。「ちょっと小説書いてみよう」で多くの人の共感を得るのは難しいじゃないですか。でも俳句なら、SNSで軽くつぶやいて共感してもらうこともできます。つながりが拡がるほど、いろいろな人の句をキャッチして勉強できるようにもなるでしょう。

私は、俳句を高尚なものとして祭り上げる必要はないと思っています。俳句のタネは何でもいいんです。夫婦ゲンカでも、嫌な上司の愚痴でもいい。俳句をやることで退屈がなくなり、ストレスや負の感情を解消できれば最高ですよね。みんなを幸せにできるアイテムとして上手に使ってほしいです。俳句は、日常を豊かにしてくれる「使い勝手のいいアイテム」ですから。

https://book.asahi.com/article/11628463 【俳句誌「岳」、創刊40周年 地貌季語の提唱続ける】より

 前現代俳句協会長の宮坂静生さん(80)が主宰する俳句誌「岳(たけ)」が創刊40周年を迎え、長野県軽井沢町で5月、記念大会が開かれた。

 長野県出身の宮坂さんは、日本各地でその土地ごとに固有の季節感を表す言葉を発掘し、「地貌(ちぼう)季語」と名付け、俳句に採り入れることを提唱してきた。代表的なものに、東北や北陸などの雪国に伝わる「木の根明(あ)く」を挙げる。

 春先にモミなどの根元でドーナツ状に雪解けが始まると、人々は春の始まりや先祖の死者が棲(す)む「根の国」とのつながりを実感したという。「日本列島が日本列島と名付けられる以前、季語・季題以前の喜びを伝える大事な言葉だ」とあいさつ。「地貌季語発掘に託した『岳』の俳句運動は、こうした感覚への深い理解を共有することから輪が広がる」と結んだ。

 続いてノンフィクション作家の柳田邦男さんと、米国出身の詩人アーサー・ビナードさんが「日本語を生きる」と題し対談。原爆や東日本大震災後の原発事故などをとりあげ、「ふるさと」をキーワードに日本語について論じあった。

 柳田さんは「ふるさとは単に生まれた場所というだけではない。心の中にある言葉、うた、物語など、人間の根源のところで人格形成の原点になるものだ」として、原発事故後の強制避難が「最も大事な子供の成長過程を壊した」と訴えた。ビナードさんは「ふるさとの山河破れて、国だけが残るのは本末転倒。詩歌にかかわる人間の大切な役割は『縁起でもない話』をすることだ。一般の生活者が避けることを言わなければ、時代を超える作品は残せない」と話した。(樋口大二)=朝日新聞2018年6月20日掲載

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