春の山たたいてここへ坐れよと

Facebook 思わず涙する感動秘話投稿記事【母から娘への手紙】

私のかわいい娘へ。

私が老いていることに気付いたときには、落ち着いて受けとめてね。

何より、私が直面している状態を理解しようとしてほしい。

話をしているときに私が同じ話を何回も繰り返したら、

「さっき同じこと言ったじゃない」なんて言って遮らずに、ただ耳を傾けていて。

幼いあなたが眠りに落ちるまで、私は幾夜も幾夜も同じ物語を読み聞かせたわ。

私がお風呂に入りたくないと駄々をこねても、怒って私を責めないで。

あなたが小さな女の子だったころ、言い訳をして逃げ回るあなたを追いかけてお風呂に入らせなければならなかったことを思い出して。

新しいものに対して私が無知であることに気付いたときは、そんな目で見ないで、ゆっくり時間をかけて覚えさせて。

覚えてるかしら、私があなたにたくさんのことを教えてあげたこと。

正しい食べ方、お洋服の着方、髪のとかし方、そして毎日ぶつかる人生の壁との向き合い方まで、ね。

私が老いていることに気付いたときには、落ち着いて受けとめてね。

何より、私が直面している状態を理解しようとしてほしい。

私が何を話していたか分からなくなってしまったときは、思い出す時間をちょうだい。

そして、もし思い出せなくても、心配したり、いらいらしたり、馬鹿にしたりしないで。

私にとって何よりも大切なことは、あなたと一緒にいることだということを分かってね。

私が年老いて、以前のように歩けなくなったときは、やさしく手をとって。

あなたが初めて歩いたときに、私がそうしたように。

そんな日がきても、決してさみしいだなんて思わないでね。

私が最期の日を愛情に包まれながら迎えられるように、ただそばにいて。

ともに過ごした時間、ともに過ごすことができた幸せを、あなたに感謝しています。

満面の笑みと、いつ何時も絶やすことのないあなたへの愛とともに伝えさせて。

愛する、私の大切な娘へ。

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英語だったものを中島美緒さんが和訳されたものです。

https://ameblo.jp/brmedit/entry-12137149303.html 【春の山たたいてここへ坐れよと 石田郷子】より

先に作品の背景を言うと、中七下五の主体は作者の父親である。

背景を知ってみると、確かに「たたいて」という動作をなしうるのは父親しかありえない。

兄でも恋人でも夫でも子供に対するようなこんな仕草はしないだろう。

逆に言えば、「たたいて」という動作にこそ、作者の父親に対する感情がこもっている。

「春の山」という穏やかな季語が上五にあることから考えて、父親のそういう態度に反感を覚えたわけではないだろう。

逆に、自分が小さな子供に帰ったように一瞬感じ、父親に甘えていた頃の心がふと甦ったのに違いない。

父親の動作と言葉のみを描いたのは、そういう自分の心の動きに対する含羞からだとも言えそうだ。

一方、父親の方はどうだろうか。

どんなに昔気質の恐い父親でも、すでにいい大人である娘にこういう言動は普通とらないだろう。

軽くおどけていると解釈するのが自然。

つまり、父親の言動には父親自身の含羞も隠されているわけだ。

お互いはにかみながら二人は歩み寄ろうとしている。

昔の父と娘との関係に戻ろうとしている。

あるいは関係が甦ろうとしている。

夏でも秋でも冬でもない、枯山に緑の甦る「春」が選択された所以だろう。

とすると作品の季感は初春がいい。

「山」は父親の象徴であるとともに、二人の心の膨らみを表しているようだ。

このように解釈した上でもう一度「たたいて」に戻ると、まるでその動作が甦りの呪術的行為であるかのような印象を帯びてくる。

手というより指が鮮明に見えてくる。

作者によるとこの句は、母親が亡くなってまだ間もない頃の、実際にあった出来事をモチーフにしているそうだ。

父親は山の小高いところにすわって湖を眺めていたという。

その事実を加味して読むと、本句のキーワードである「たたいて」は、実に哀しくそして温かい。

そこには筆舌に尽くし難い、あるいは他人には測りがたい、親と子の心の綾が隠れている。

表現が一見粗野であるだけに、その綾に気づくと一層心に響いてくるものがある。

ちなみに、石田郷子の父親は俳人の石田勝彦。

石田勝彦は石田波郷門。

郷子の「郷」は師の名から一字とったのかもしれない。

https://sun.ap.teacup.com/katsuhiro/1252.html 【「「NHK俳句」3月号」 】 より

「NHK俳句」3月号が刊行されました。五月の回の兼題「四十雀」の解説が掲載されています。表紙の一句、石田郷子さんの「春の山たたいてここへ坐れよと」は、私も大好きな作。ずっと、恋の句かなと思っていたのですが、作者によればお父様との思い出を詠んだとのこと。俳句の解釈は自由ですから、私は今でもほほえましい恋愛の句と解しています。

https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498735365.html 【石田郷子(いしだ・きょうこ)】より

カフェの扉の開けつ放しの青菜かな   石田郷子

(カフェのとの あけっぱなしの あおなかな)

「椋」代表。

ちょっと前まではカフェというと都会のものだったが、最近は田舎でも洒落たカフェがある。

その地のものにこだわって作ったケーキなどを出す店もあって、観光地やなにげない田舎に、しゃれた店が建っていることがある。

古民家を改造して作った店などもあり、田舎のなかのカフェというのも現代らしい風景の一つではないか。

作者は数年前に埼玉の名栗へ移り、暮らしている。

以前から、多摩や谷保などの東京およびその近郊の自然豊かな地を愛し、そこを俳人としてのホームグラウンドとしていた。

名栗というところはどういうところかは正直知らない。

石田さんは私の尊敬する俳人で、以前から遊びにくるよう声をかけて下さってもらっているが、名栗は遠いので、まだ出かけたことはないが、きっと自然豊かなところなのだろう。

掲句はそこで作ったものかどうかはしらないが、名栗の豊かな森や田畑を散策している作者の姿がありありと思い浮かぶ。

通りかかったカフェで、そこのオーナーが作ったのであろうか。

瑞々しい青菜が置かれていた。

私のイメージでは、おそらくお客もあまりいないので、店の人の姿も見えない。

その脇の青菜があって、勝手にお金を置いてもらって販売しているのではないか。

のどかな田園風景、それも昔風ではなく、あきらかに現代の地方の風景だ。

私はこういう句も、新しい俳句と評価すべきだと思う。

https://blog.goo.ne.jp/sikyakuesse/e/9e255401250e44842eb105a9b4040ac6 【私の好きな詩人 第192回 ―俳人・石田郷子―  和田 まさ子】より

 かつて私は俳句を作っていた。当時は俳句が好きで、寝ても覚めても五・七・五で見たものを詠んでいた。

いくつか結社にも入り、3つ4つの結社を歩いた。

 その後、「ひょうたん島俳句つうしん」というメンバーがそう多くない俳句グループに入った。私の住む市内にcaféひょうたん島という喫茶店があり、そこで行っている手作り感のある俳句の会で、仕事で忙しかった私が唯一自分になれる通信での句会だった。そこで指導をしていたのが、石田郷子さんだった。

 石田さんはその後、『秋の顔』で俳句協会新人賞を取られ、さまざまな詩の雑誌で引っ張りだこになる。いまは結社「椋」の代表をされ、私が最後に会員でいたのはその結社だった。

 私は句集をある程度購入した方だと思うのだが、詩を書くようになってほとんどすべてを手放した。いま、本棚に残っているのは、石田郷子さんの句集と、あとは三橋敏雄、中村苑子など数冊である。

  来ることの嬉しき燕きたりけり

  春の山たたいてここへ坐れよと

  花菖蒲どんどん剪つてくれにけり

(『秋の顔』)

 好きな句である。これらに流れるおおらかであたたかな自然や人間のつかみ方が私にもストレートに伝わる。変に技巧を弄していないのが素晴らしい。石田さんの尊父、尊母は高名な俳人であり、俳句の中で育たれたような方である。自身の俳句の道をいかようにも進める位置にいて、こうした素直な俳句を詠むのは資質のなせるものだろうか。

 

  思うことかがいてきし小鳥かな

  立ち上り立ち上りくる枯れ木かな

  背泳ぎの空のだんだんおそろしく

(同上)

 最初の句、内面と小鳥という生き物の対応がぴたりと決まっている。三句目は空ばかり見ることになる背泳ぎをしていて、漂流の思い、どこにも着けない不安感が感じられ空が恐ろしいものに思われてくることを詠まれているのだろうか。「だんだんおそろしく」で恐ろしさが読み手にも迫ってくる。

 これらは第一句集から選んだ。最も新しい句集『草の王』でも、ていねいで、奇をてらわない句をつくられているところは変わらない。

石田さんは、「あきらめないで、自分の受けた印象にぴったりした正確なことばを使って表現すること」を信条にしているというが、まさにそのことば通りの句づくりをしている。「あきらめないで」、「正確なことばで」ということはむつかしい。そこを敢えておろそかにしない石田さんの姿勢に学びたい。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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