和み 🌿message✧︎︎︎︎@nagomu_toki
命の価値は誰もが同じで生きてる事に価値がある
自分がここにあなたがそこに存在することが素晴らしい
全てが一緒の人はいない人との違いは当たり前そこから学び成長する
人の違いを知り認め差別のない生きやすい社会や未来を
みんなで作っていく
全ての命が光り輝きますように…
愛子たちの兄弟喧嘩や反抗にうんざりされたことはないでしょうか?
御多分にもれず 私にもそんな体験があります。(いつも喧嘩ばっかりする)兄が外泊した日 妹が「お兄ちゃん早く帰ってこないかな」と待ちわびます。
「喧嘩ばっかりするのにどうして?」と尋ねると「喧嘩したいもん!」と言われ、ぎゃふんとなったことがあります。
兄の反抗スタイルは無視、相手の気持ちを逆なでするほど 自分への固執というスタイルで顕れました。
妹の反抗は華々しく まるで風船のように どこに飛んでいくかわからない思いにさせられるほどでした。
小学5年生のある日突然「お母さんの言うことは一切聞かないことに決めたの」と断言しました。
私の買った洋服は着ない。「宿題をしたの?」と尋ねると「お母さんにどう関係があるわけ、済んでなかったらやってくれる訳?」と切り返されてしまいます。
プチ家出も3回しました。 3回目の家出は2日間姿を暗ますものでした。
後で聞くと夜は屋根裏に寝、昼間はベランダ越しに隣家に行き ちゃっかり食事も御馳走になり、登校していたということです。
屋根裏に通じる押入れの隣のカーテンレールは攀じ曲がり(足をかけて登ったのだと想像します)天井のボードは2枚踏み抜かれ、屋根裏には毛布も持ち込まれていました。
中学生のある日「嵐のような気持ちは終わったから」と反抗期終結宣言をしました。
こんな娘が結婚式で両親に手紙をくれました。
その一節に「人生の色々なことを教えてくれてありがとう。なにか困ったことがあると、(恋愛話以外は)必ずお母さんに相談していました。」とありました。
本人の意外な実感に驚くほどでした。
人間が人の間と書くように私たちは常に他者との触れ合いを求めています。
自分の存在を、承認されることなしには生きていく力を失うほどです。
いじめで一番酷く、辛い行為は「しかと(無視)」だと報告されていることはご存知のとおりです。
人の存在を認める行為をストロークと呼びます。
仲良し(プラスのストロークの与え合い)は善い関係だと一般的に言われます。
であれば喧嘩や反抗(マイナスストロークの授受)は悪い関係なのでしょうか?
喧嘩や反抗を通して相手の壁にぶち当たり、そのエネルギーで自らが照らされ 、自らを知り、コミュニケーション力を培っていく、成長期のそんなストローク授受のパターンを
見る思いがします。
しかし愛する力は プラスのストロークの授受によってのみ育ちます。
マイナスのストロークの授受が 成長する力に変えられるのは 自分の存在を顕した神仏の無条件の愛を受取っていて はじめて可能なのだと思います。
無条件の愛は存在していても 愛と受け取らない限り 愛とはならない。(自業自得)
それでも私たちはプラスのストローク授受へのブレーキを踏み続けてしまいます。
Facebook篠崎 朗さん投稿記事【たかだか80年の人生のために】(死んだ後が本番です)
人が良くなっているのを羨む必要など毛頭ないんです。
この現象の世界で、いくらお金を持っていようと、地位がよかろうと、そんなもの関係ないです。
何故関係ないかというと、この世の中は消えてゆくからね。
自分が30だとする。 80になれば大概死んじゃう。長く生きたって百までだ。 大して違わない、やがてなくなってしまう。
いかなる金持ちでも大臣でも、やがてその体というものはなくなるのです。
肉体がなくなってしまうとどうなるかというと、自分の想い、常に想っている想念行為が自分の未来を決定するんです。
自分のゆく先を決定する。幽界へ行くか地獄へゆくか、霊界へいくか神界へ行くか、それは現在の肉体の地位とか、お金の多寡(たか、多い少ないという意味)によるんではなく、自分の日頃からの行ない想いによって決定するんです。
長くてせいぜい80年。
ところが霊界というのは何百年か何千年かわかりません。
永久につづくんだからね。
たかだか80年のために、自分の命を穢(けが)して地獄へゆく必要はない。
本当に損ですよ。 この世のためだけにあくせくし、人をいじめ人を騙し、そうしてお金を儲けたところでたかがしれている。
それだけの話です。
ところが自分の生き方が俯仰天地(ふぎょうてんち)に恥じない生き方、いわゆる愛に満ちて親切で、思いやりがあって暖かで優しくて、そういうような行ないが出来る人は、たとえ貧乏であっても、赤貧(せきひん)洗うが如きであっても、その人の心は明朗に澄んでます。
何も悪いことはしない、少しでもお役に立っている気持ちになれますから、それは気持ちがよい。
その人はいつまでも貧乏ではいません。
その人は必ず貧乏でなくなります。
『光明の生活者』五井昌久講和集3 白光出版
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