Facebook船木 威徳さん投稿記事 【 「物語」にもとづく医療 】
昨日、私がお看取りをさせていただいた方のお話をあげたところ、予想を超える方々からの
コメント、メッセージをいただきました。
特に、過去に、身内の方がご自宅で、あるいは病院で最期を迎えられたご家族のご意見を
多数いただき、みなさんの「人間の最期の場所」についての関心の深さを憶えます。
私は、臨床医としても、まだ25年弱、在宅医療に取り組んでから、11年の経験しかありませんが、乏しいながらも診療のなかでひとつの方針としていること、患者さんたちの最期を
診ながら「いい最期だった」と想えた経過について簡単に(実際には簡単にはまとめられませんが)記しておきます。特に今回は、
①患者さんのなかの「主治医」には勝てない
②患者さんの「物語(ものがたり)」のシナリオ
③飲み薬、点滴などについて
④ご本人・ご家族の意見・希望と医師の考えのズレ
の4ポイントについてまとめておきます。
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①患者さんのなかの「主治医」には勝てない
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紀元前5世紀に生きた医師のヒポクラテスは、それまでの呪術的な医療とはことなり、健康や病気を自然現象として捉え、科学に基づく医学の基礎を作ったことで「医学の祖」と称されています。
このヒポクラテスが語ったとされることばには、現代においても充分通用すると感じることが数多くあり、私も驚くことばかりです。
その考えのひとつに「自然こそが最良の医師である」というものがあります。つまり、医師の主たる役割は人体の持つ自然に「よくなろう・よくしよう」とする能力を助けることであり、医師は患者の経過をよく聴き、ありのままをよく観察し、仮にも、自然の治癒力を妨げているであろうものがあれば、まず、それを取り除くことにあるということです。
ほとんどの場合、それだけで身体は、本来の力を発揮し始めます。ヒポクラテスは「人は身体に100人の名医を持つ」と言いましたが、まったくその通りだと私は、むしろ医師として年数を増すごとに人体の持つ不思議に感嘆せざるを得ません。
どうしたらいいか分からないときは、落ち着いて、その人の身体で物言わずがんばっている名医の意見を聞くことに尽きます。とてもじゃないですが、私は一生、彼らの能力を超えられるとは想えません。
痛みや検査値の異常に対して、それをただ覆い隠すための薬を出すのではなく、いま摂っているもの、飲んでいる薬を「やめる」必要がないかどうかをじっくり考えることがはるかに重要でしょう。
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②患者さんの「物語(ものがたり)」のシナリオ
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私が医師になったことからだとおもいますが、医療の現場ではやたらと「エビデンス」ということばを耳にするようになりました。さまざまな病気・症状の治療法や薬剤について、1,000人、5,000人を対象に試した結果、再現性、すなわち、「同じことをやって、同じような効果が得られる」という現象が確認できるかどうかということです。科学的な証拠と言い換えられるでしょう。
世に出てくる新薬は定められた手順で、相当な期間、相当な数の方々の人体で、試験を
繰り返し、残念ながら「死亡」する人がいたとしても一定の基準を満たせば、その薬剤は市販されます。
ですが、考えてみれば分かるように、ある患者さん(Aさん)の人生は一度きりです。
性別、国籍、職業や食生活、ものの考え方、ずっと思い描いてきた夢、最期の迎え方に
ついての個人的な考え・・・。こうしたものが全く一致するなどということはあり得ません。
つまりは、Aさんの人生に最善も、最高も、ましてやそれらに至る「エビデンス」など
あり得ません。
すでにある病気、すでに作ってきた生活、変えられない過去。そうしたものを踏まえ、
それでもなお、どうすれば、患者さんが「想い描いた未来」にわずかでも現実を、近づけられるか?そのためには、私たち医師はご本人に、ご家族に、その人の過去を知る人たちにひたすら「聴く」から始めるしかありません。
いかんともしがたい厳しい現実を前に、夢のような期待をする方もおられます。
それでも、一切を否定せずに聴き、少しずつ、客観的な事実に即した、ベターな道筋を一緒に探してゆくことこそ、プロとしての医療者の仕事だと考えます。最近では、こうした手法を「物語にもとづく医療: Narrative Based Medicine」と称し、医療の世界で認知されつつあります。
よく尋ねられますが、私は、すべての薬や手術を否定しているわけではありません。率直に言って、自信を持って患者さんに勧められるだけの、(否定的なものをふくめた)充分な証拠を見せてくれないものが多すぎると感じているだけです。
どんな言い訳をしようが、定められた充分な試験も行わず、新薬を世に出すなど論外だと考えています。
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③飲み薬、点滴などについて
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これまで話してきたように、その薬や点滴が、最低限、身体の自然な治癒力・回復力を妨げず(①)、患者さんやご家族が消極的な情報を充分に与えられて、なお、それを希望する場合(②)でなければ、薬や点滴の処方は行うべきではないでしょう。
とくに、回復の見込みがほとんどないと判断される高齢の方の場合、ただ、ご家族の希望のままに点滴をおこなっても、その水や塩分を身体は処理できず中途半端に脳の血流を増やし、あるいは、身体に無駄なむくみを作るだけで、かえってご本人の苦痛を増やしかねません。
自然界の植物の実は、木や茎になったままでは腐りません。枯れるのです。水分が抜け、
自然のプロセスのままに、次の世代へ、命をつないでゆきます。私がこれまで点滴をおこなわずに最期を診てきた何百人の人たちは、実に、枯れてゆくように、眠るように、最期を迎えました。
飲み薬をどこで減らし、やめるか。
点滴をするのかしないのか、どこでやめるのか。
これは、医師がひとりで決められることではありません。
やめた場合、続けた場合のその後の経過について主治医の先生と充分話し合える関係を
作っておくことがなによりも重要でしょう。
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④ご本人・ご家族の意見・希望と医師の考えのズレ
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私に寄せられるメッセージやご相談に、「本人や家族の意見を伝えても、なかなか、主治医の先生が話を聞いてくれない。」というものがあります。
個別に詳細を伺うと、実際、患者さん側、医師の側で考えていることはたしかにそれぞれ、納得できることがほとんどです。医師として、いっしょうけんめいやっても
「こんなはずではなかった」「違う方法があったはずだ」と、あとから詰め寄られることも確かにあります。
そうした事情で、患者さんが望んだからと言って、それをそのまま実行し(あるいは治療行為をやめて)悪く言われるのはたまらないから、続けておこう、という判断を下す場合があるのも分かるのです。
私が、こうしたご相談をいただいた場合におすすめするのは、非常に簡単な方法です。
●薬や点滴をやめてほしい場合は、ご本人が意思表示できない場合ならなおさら、元気なときのご家族によく伝えていた、生きかた、考え方を象徴するような「具体的な(ご本人)のことば」を具体的なエピソードとともに伝える。
●主治医に対し「先生のお父さん、お母さんが同じような状況になったら、どうしますか?」と尋ねる。です。
<最後に>
長く、私が普段考えていることについて述べましたが、ひとつだけ最後に記しておきたいことがあります。
核家族化が進み、親やその前の世代の、おじいちゃん、おばあちゃんと同居している人は
なかなかいなくなりました。みんな忙しい。
だれもが必死に毎日を生きているのが現実です。それでも、親も、祖父母も着実に歳をとり、老いていっているのです。
そんななか、もう、肉親が「先が長くない」という現実を突きつけられると、多くの場合、私たちは、後悔の念を抱きます。
「もっと、親孝行すればよかった」「もっと、たくさん一緒に過ごせばよかった」
「もっと、たくさん話せばよかった」「もっと、・・・」
過去は変えられません。しかし、遅くはありません。電話でも、手紙でも、いいのです。一緒に旅行に行くのが無理なら、近くの公園でもいい。
10分でいいので、顔を出して、話してあげてください。好きだった寿司が飲み込めなくなっても、吸い飲みのお茶を飲ませてあげてください。
認知症で、自分の子どもの顔が分からなくなっても変わり果てた親のさまに、涙が抑えられなくても、逃げずに、そばにいる時間を作ってあげてください。
だれもが忙しく、だれもが社会や家族のなかでの立場があり、時間がないことは親御さんも
分かっているはずです。むしろ、仕事や家事、子育てに全力を尽くしているあなたを誇りに感じているでしょう。
ただ、ひとつだけ憶えておいて欲しいのは、「入院すれば、救急車を呼べば、点滴をすれば・・・。」と、仮にもご本人が望まない医療を求めることは、親孝行ではないということ。
私は、機会があれば、ご家族にお伝えしています。「人生で一番大切なのは、想い出をつくることだ。」と。
~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり
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