https://note.com/bopono4192/n/nde72df20e8d6 【タカユキオバナ資料】より
仮説
意識するの代替として記憶があり、記憶の代替として個体がある。個体は、意識があるの別の側面であり、虚の働きなくしてこれらのことは成立しない。同時に身体を「意識の書物」として読み解くことを可能にする。
12月19日~27日 SPACE・U
会場を暗室にする。4壁面、目の高さで穴の空いた鏡を配置めぐらす。
虚光
闇の中で鏡に向かい自分をみようとする。闇の一点からかすかに洩れだしてきた光によって自らがそこに映し出される。光源は虚像の中心から発せられたものだった。さらにみようとして近づけば、像は次第にぼやけ視点が光源まで達すると、その小さな穴から再び視界が開ける。そこには自分の本当の名前が浮かび上がって、さらなる奥に光を内在していることがわかる。
タカユキオバナノート
「ない」の受肉
江尻潔
「ない」の受肉とはいかなるものか。一連の〈ウィルスの視覚共同作業)において円環をなしたと思われるオバナの仕事は螺旋を描いて「ない」へ向かって上昇していく。「ない」とは文字どおりの無ではない。「有」を内包していながら未だ出現していない、いわば「種」のような状態である。たとえば植物の種は枝や葉や花を未出現のものとして内包している。では人を種の状態にしたらどうなるか。さしあたり受精卵の状態を思い起こすが、それは「身体」という物質的な側面での「種」である。精神的な営みを絶えず行う私たちはもう一つ「種」の状態を有する。それは行為に移す以前の「意識」のみにとどまっている状態である。私たちが行動する場合(特別な場合を除いて)、まず意識としてこころに浮かべそのイメージを後づけるように行動に移す。未だ行為せぬ意識のみの状態はまさに「種」に匹敵する。オバナのいう「ない」とはこの「種」の状態を示している。明確な外的な輪郭を現す以前の意識のみの状態、これは私たちのこころの内にすぐさま見いだすことができる。種としての意識をいかに摘出するか、これが九九年以降オバナのテーマとして浮上する。
オバナはまず身体のなかで最も「種」に近い器官として「目」に着目し、《たまみ》を制作する。思えば目は最も意識や感情が表情として表れやすい。《たまみ》は目を映し出す小さな鏡であるが、これには一つのしかけがある。中心に直径一~五ミリの穴が穿たれているのである。そのため目を映すと瞳の中心に穴があき、穴の向こう側の様々なものと瞳が「交換」されたように見える。空に向けて《たまみ》を覗けば瞳のなかに空が広がり、太陽や月に向ければ瞳が即太陽となり月となる。たちどころに私たちは見るという行為は目のなかに村象を宿すことだということに気付く。目は世界や宇宙を吸い込む「穴」なのだ。あるいは「見られたもの」は私たちの内面にすでに「ある」ものが外部に流れ出たものなのかもしれない。穴から流出した「意識」そのものが入れ替わり立ち代わり現れる。なぜならば目という穴は「見たい」という意識によって内から「穿たれた」ものに他ならないからだ。やがて私たちは目の内にはかりがたい空間が広がっていることに気付く。これはこころそのもののあり様なのだ。外部での出来事はことごとくこころに入り込み、またこころで起こつたことは外部に投影される。外部と内部の交換が行われるが、これを可能にしているのは両者に共通する「空間」であろう。外部に空間が広がるように内部にも同様、空間が広がる。しかし、両者の空間は質が異なっている。外部は物理的広がりを呈するが、内部は非物理的であり三次元の体をなさない。いわば「虚」の空間といったものがひろがっていることになる。ここでは想起されたものが自由に無限に生まれ出る。外部の空間ではありえないものも内部空間ではありえてしまう。こうした点で内部空間は外部空間を包摂しているといえそうだが、そうとも限らない。なぜならば外部にありながら内部にないものも数多く認められるからである。私たちは自身の意識の幅でしかものを見ることができないのだ。さらに言えば内部空間は外部空間を「素材」として広がっていく。私たちが新たに外部を認識できるのはこころの内にそれを感得する枠組みが形成されるからである。枠組みは外部との接触で得られるものでありそうした意味において外部は内部を形づくり内部は外部を吸収する。外部もまた内部に形成されたさまざまな思惟を受け止めることにより変化をきたす。人は、物質的には影もかたちもない頭のなかのアイディアをかたちにすることができる。家や車や作品等は私たちが外部へはたらきかけて初めてかたちを得たものだ。それらは手を介してなされるものばかりではない。私たちは手を使わずとも外部にはたらきかけることができる。それはことばを介してなされる。いわば「はたらき」として外部に存在させる。ことばは相手の内部空間つまり虚の空間にはたらきかけ相手を動かすことができる。ことばの究極的なはたらきに呪文がある。呪文の対象は人とは限らず、天体気象にもおよぶ。明らかに人ではない「なにものか」に向けて言葉が発せられている。ではこの「なにものか」とはいかなるものであろうか。それは端的に言えばことばにより動かされる自然の部分である。もしこのようなことが本当に起こりうるとするならば、自然の内にも「内部空間=虚の空間」が存在するのではないか。虚の空間とは意識でありこころである。あるとすればおそらく私たちのそれとはくらべようもなく大きく、そのため気付きにくいものであろう。自然の大きな「虚」と私たちの小さな「虚」が共鳴しあい様々な事象が引き起こされる。「ない」の受肉とはすなわちこのことなのだ。
オバナの《たまみ》は自然に潜む「ない」を気付かせるはたらきをもつ。《たまみ》を太陽に向ければ、ただちに目と太陽は重なり、巨大な目玉である太陽がこちらを見る。空や海や山や川、《たまみ》を通して見た世界のいたるところ「目」が現われる。こちらが見れば向こうも必ず視線を投げ返す。そのとき私たちは自分の目と「ない」存在の「目」を相互交換していることに気付く。太陽が目となり目が太陽となるのだ。外部と内部はこのように交換可能であり私たちは視線を介して「意識」を交流させている。視線はことば以前にすでに意識を乗せる楳体として機能している。ことばの素材は音であるが視線の素材は光である。ことばは闇で機能し、視線は光のなかで機能する。ことばの本質は闇のなかにあるのではなかろうか。オバナは闇のなかのことばについて、さらには闇と光との関連について作品化する。それが一九九九年六月ART SPACE LAVATORYで行われた展(ウィルスの視覚 未だ名前がない〉である。暗室化したトイレという特種な場所で行われたこの展は、一連の(ウィルスの視覚共同作業〉を補完するものだが、「ない」との交流が一層明瞭なものとなっている。トイレは本来体外に排泄したものを処理する場だが、暗室化されることにより内臓の延長のように見えてくる。オバナはまず入口で来客にガムを噛ませ、噛み終わったら透明の袋に入れトイレ内に置いてくるよう指示する。さらに自分のガムに対して名前をつけるよう要請し、来客は思い思いの名をラベルに記入してガムの入った袋に貼付する。懐中電灯を持ってトイレに入るとそこには「未」の字がスタンプされた黒い封筒が壁一面にはり付けられていた。来客は任意の封筒を選び名を付けた自分のガムと交換して持ち帰る。ガムの入った袋は選んだ封筒のあった場所に留めてくる。私はこの展に参加して自分自身が食べ物となって大きななにかに「食べられる」思いがした。完全に呑み込まれてしまうのだが自分の身代わりとして名の付いたガムを置いてくることにより再び外へ出られる。しかも「黒い封筒」というおみやげ付である。私は大きな「なにものか」と魂を切り結んだ印象を受けたが、これは恐らく「食べられた」という意識から生まれたものだろう。究極のコミュニケーションは「食べる」「食べられる」ということに他ならず、私は自身の体を捧げ物として「食べられ」、それに対する見返りとして封筒が授けられる。結果として食べられることなく外へ出られたわけだが「我が身を守った」のは名の付いたガム、すなわちことばに他ならない。しかも、このことばは「物実」としてのガムをともなった嘘偽りのない「本当の名」である。身体を捧げる代わりにことばを捧げその返答としてなにかをいただく。思えば大昔、私たちの祖先は同様の行為を日常繰り返していたのではないか。生け贅を捧げていたのがいつしかことばを捧げるようになり、ことばは祈りとなった。古い記憶がよみがえるような気がした。封筒のなかには《たまみ》が一つ入っていた。それぞれ《たまみ》は白、紫、青、緑、黄、赤の布で包まれ、どの色の布で包まれているかは偶然による。私は布の色が気になった。《たまみ》は魂観であり魂を見る道具だからだ。お前の魂はこの色だ、と示される思いがした。穴の大きさも様々であり、オバナによれば小さな穴は「遠くのもの」を見るのに都合がよいという。意識の望遠鏡なのである。この展の参加者は身体=名と引き換えに《たまみ》という「魂を見る道具」を授けられた。私は会場から出てあらたに自分が生み出された気になった。それは《たまみ》によって今までにない意識がそなわったことによる。意識を開いてくれるものとして《たまみ》は文字どおり「光=意識の種」だ。「光の種」をいただき、あらたに世界を見渡す。私は聖所に参籠して出てきた感覚もこれと同様なのではないかという気がした。このあらたに得た意識によってまず見なければならないものは私たちを食べ、生み出し、「光の種」を授けた「なにか」である。この「なにか」こそ「ない」存在であり、オバナは「ない」にむかって様々なアプローチを始める。そもそも《たまみ》が初めて世に出たのは九九年五月の〈木術界(きじゅつかい)〉だった。これはオバナの立案によるもので今年で二年目を迎える。佐野市旗川のほとりに植えられた桜並木を会場とし、参加者は任意の桜の木を選んで「術」を使って桜と対話するという試みである。桜を傷つけてはならないこと以外制約はなく、参加者は桜と意識を交換すべく様々な「術」を駆使していた。オバナは桜の木に《たまみ》を実らせていた。訪れた者は桜から「実」をいただいて帰った。このときは桜が《たまみ》の授け役となった。《たまみ》の黒い封筒には「未」のスタンプがほどこされ次に掲げる文章が記された紙片とカプセルが同封されていた。
「想像の未(たね)」
このカプセルにあなたの念(おも)いをこめてお好きな宙(ところ)に播いて下さい。どんな芽が出るかはあなた次第!
これをみるのに「魂観(たまみ)」を用意しました。どうぞお使い下さい。
タカユキオバナ
木は人や動物に対して無抵抗である。木と村話するにはよほどこちらの意識をこまやかにしなければ木の波長と同調できない。木は葉をむしっても枝を折っても「怒り」を示さない。桜に実った《たまみ》は木のこまやかな意識を気付かせるため訪れた人に与えられた。こまやかな波長をこちらが持たないかぎり木との会話は不可能なのである。
オバナは人以外のものを介して《たまみ》を手渡し「ない」存在が人々の意識に浮かぶように企てた。さらにオバナは特定の地に宿る「ない」存在に着目した。地霊と言ってさしつかえない存在であろうが、オバナは有名な聖地ではなく「気になる場所」を対象とした。その行為が次に記述する〈「ない」の受肉〉である。本展は二〇〇〇年三月に足利JAZZオーネットにて行われた。実のところこの展は私の詩と写真がもととなっている。私は気になる場所を訪れ、そこで感得した「なにか」を詩にしている。より正確に言うならば「なにか」をことばに変換している。オバナは私の行為を「ない」存在に響きという「かたち」を与える仕種と見なした。私はオバナより詩とその詩が生まれた場において写した写真を求められた。私は場所の地名とともに六葉の写真と九編の詩をオバナに手渡した。詩と写真の数が合わないのは二編の詩はオバナ撮影の写真と密接な関わりがあり、彼の写真と組ませたためである。さらに最後の一編は彼が制作した《たまばこ》と関連している。オバナはそれらを情報加工して展に仕立てた。写真の真下にその場と関連ある詩がピンで止められさらにその下に小さなアクリル板の棚が設けられていた。棚の上には例の《たまみ》が白、青、緑、紫、黒、赤、黄の布にそれぞれ包まれていた。布の色は私が指示した。会期中一日ごとに鏡の包みが開かれ「光の種」が発芽するようになっている。「鏡開き」されると同時に小さな水晶玉が鏡の穴に据えられ、日ごとにあらたに開かれた鏡へ移動された。この水晶玉は近隣の足利伊勢神社から購入されたもので、《たまばこ》の中にも同種の玉が仕込んである。写真は一点ずつ照明され《たまみ》の影が下方にのび柱のように見えた。さらに「鏡開き」されたあとは鏡の反射により光の柱が生じ、《たまみ》を境に上方に光の柱、下方に影の柱が立った《たまばこ》会期中八つの柱が立つことになるが《たまばこ》はそのもの自体が「柱」であり光の柱を絶えず放射しているので全部で九つの柱が立っていることになる。ここで《たまばこ》について少し説明を加えたい。
《たまばこ》はウィルスの視覚共同作業の最後の展〈星を見よ〉で登場した観者を星として祀る装置が基となっている。〈星を見よ〉の装置は総延長一七.六メートルの鏡の帯に直径三~四ミリの穴を二四〇穿ち、内側に豆電球を一つ一つ点して奥に記された観者の「名」を照らし出すものだった。この装置では二二四人の名が「未」という文字で一列に繋がれていたが、当初の《たまばこ》は一人の名を取り出して作品化するために考案された。《たまばこ》の天板は一五・五センチ角の方形の鏡であり、その中心に穴が穿たれなかを覗くとガラス板に名が記されていた。名前は箱の底に設置された豆電球によって下から照らされている。ほどなくしてオバナは手を加え、名の記されたガラス板の代りに天板と同様、穴の穿たれた鏡を仕込んだ。覗くと穴の穿たれた二枚の鏡の向こうに豆電球の明かりが見える。光は穴の周囲で乱反射し虹状の暈がかかることもある。オバナはさらに加工し二枚目の鏡の穴に小さな水晶玉を据え、箱の内側すべてを鏡張りにした。その結果ことばでは形容しがたい現象が起こった。水晶玉は光をあつめ内側で焦点を結び、内部に小さな太陽を宿しているように見える。箱の内側が合わせ鏡となっているため小さな光の点が一六方へ無限に広がっていく。箱の内部に無限の空間が広がりたえなる秩序をもってゆっくり回転しているように見える。小さな箱の内の無限空間、これはとりもなおさず私たちそのものだ。私たちの内にもこころという無限空間が広がっている。こころは先述したとおり「虚」の空間であり《たまばこ》は明らかに「虚」の空間にかたちを与えたものである。また夜、部屋の明かりを消し《たまばこ》を点すと箱の内部の光が小さな穴から外へ漏れ、天井に一六方放射の大光輪が現れる。内部空間=虚空間が外部空間へはたらきかけ、そのすがたを外界へ転写したのだ。虚の光は実の光となつて外へ現れる。これは「虚」の状態にあった私たちの意識が現実として外部に姿を現すことの雛型である。実はそもそも《たまみ》は携帯用《たまばこ》として作られたものなのだ。さて話を本論に戻そう。
オバナは《たまばこ》を「ない」(虚)の「しるし」として会場の中心に据え、これを取り巻くように八葉の写真と八編の詩、そして八つの《たまみ》が配置される。さらに水晶玉が一日ごとたまみからたまみへと移動する。観者は《たまみ》を自由に取り覗くことができる。このとき写真と詩を「発生」させた「場」は《たまみ》の授け手として機能する。「場」から「意識の種」をもらい受け観者は外界を見直す。このとき「場の意識=虚」は私たちの「虚」と共鳴している。本来ならその場に赴くのが一番よいのだが、「会場」という限定された空間であるため、写真と詩を「共鳴の一例」として展示している。しかし、「場」との共鳴を観者に伝えるにはこれだけでは不充分である。どうしたら観者に「ない」との共鳴現象を実感してもらえるか。オバナが特に配慮したのはこの一点である。[「ない」の受肉]は[「ない」の実感]なくしてありえないからだ。「ない」の受肉とは虚が実としてのはたらきをもって現れ出ることであり、そこには当然「実感」がともなう。オバナのとった手法を次に述べる。彼は《たまばこ》の脇に一枚の地図を用意した。足利近隣両毛広域の五万分の一の白地図である。彼はひととおり見終わった観者に地図を示し、気になる地名や場所にコンパスでしるしを付けるよう指示する。円の大きさは任意である。さらに選んだ場所に著名してもらう。場と名を重ね合わせるのである。名を記した観者は三七名いた。展終了後オバナは実際に三七人の選んだ三七ケ所をまわり、その土地の「しるし」を採集した。(二〇〇〇年三月二十六日~五月二十三日)「しるし」は石や木の実であった。採取した「しるし」にはその場を選んだ人の名と円をコピーした小紙片が張り付けられた。この紙片には「おそばにまいりました」と言う文字が赤インクでスタンプされていた。オバナはこれらの「しるし」に荷札を付け選んだ本人のもとへ郵送した。選んだ「場」から突然の「たより」が舞い込むわけだ。人が「場」を訪れるのではなく「場」の「ない」存在がふいに人を訪れるのである。「おそばにまいりました」のことばは「ない」存在が発している。「しるし探しには私も参加したが、私たちが念頭においたのはその人がどのような人物か、またなぜこの「場」を選んだのかという点だった。不思議と選ばれた地は選んだ人物を彷彿させる雰囲気を漂わせていた。近寄りがたい場所もあればやさしく包みこむ場所もあった。土地と選んだ人物とのあいだにはある種の共鳴現象が起こっているのではないか。土地の持つ記憶や土地のかたち(これらは地名としてことばに変換されている)が人の意識にうったえかけ人もまた「選ぶ」という行為により「場」に対して応えているのではないか。私たちが採取した「しるし」は興味ぶかいことにその土地の「しるし」であると同時に選んだ人の「しるし」でもあった。土地と人との共鳴の「しるし」として「もの」は拾われ「もの」は両者の「しるし」としてそれぞれの人のもとに送られた。そこには土地と人双方に共通する「なにか」が記述されている。この「なにか」によって人は土地に呼ばれたり、土地を選んだりする。[「ない」の受肉]とはこの「なにか」が目に見えるものとして現れる現象に他ならない。これは意識の物質化とも言える。ただし今回の場合はオバナが媒体としてはたらいていた。取り持ち役としてはたらくことにより土地とそこを選んだ人物の契りは結ばれた。本展を契機に実際その土地を訪れた人が何人かいたことを記しておく。「たより」に対していかに「返信」するかは観者の意識に委ねられているのだ。
以上九九年五月から二〇〇〇年五月までのオバナの活動を見てきた。〈ウィルスの視覚〉の最後に現れた「虚」の概念がより深化し具体的なものとなって提示されているのがわかる。オバナは私たち「実」の側と未出現の「虚」の側を二つの対立するものとして提示せず、重なり合い、入れ子式になっていることを明示する。私たち「実」の側は内なる「虚」=こころを基点として行動し、「虚」の側は私たち「実」の側にはたらきかけ「実」のすがたをかりてかたちを得ようとする。どちらか一方では立ち行かないしくみとなっている。オバナは「実」の側から見た「虚」のはたらきを[瞑想と免疫の連立方程式の解は虚]という命題で簡潔に表現している。他者と融合しようとする瞑想と他者を排除しようとする免疫のバランスによって私たちは個体を維持しているが、この異質な両者を取り持つ仲介役がなければこのようなことは有り得ないのだ。そこでオバナは仲介役として「虚」をもってきた。「虚」は「未だ然らず」であり、正にも負にも行くことができる。「虚」が基点となって私たちの個体維持はなされる。瞑想に進むか免疫に進むかこれは意識が「実」となる際の最初の重要な方向付けであるが、以後オバナは界から界を繋ぐ仲立ちとしての「虚」のはたらきに着目し活動を繰り広げる。さらなる活動については次稿にゆずりたい。
(二〇〇〇、一二、二一記)
タカユキオバナノート
「ない」との対話
江尻潔
「虚」のはたらきとはいかなるものか。私たちの体は養分を摂取し同化しょうとする冥想的なはたらきと外部から侵入したウィルスなどを排除する免疫のはたらき、この両者のバランスによって個体を維持している。この異質なはたらきのバランスを取り持つ仲介役が他ならぬ「虚」であった。このことは前稿『「ない」の受肉』で言及したオバナの命題[瞑想と免疫の連立方程式の解は虚]によって簡潔に表現されている。「虚」は「未だ然らず」であり正にも負にも向かうことができる。「虚」のはたらきは異なる界と界をつなぐ仲立ちなのである。「虚」の概念は広くもっとも身近なものとしては私たちの意識があげられる。ある行為をなすなさないは意識次第であり、相反する事柄が同時に存在する「未だ然らず」の状態である。このような状態にあるものを「虚」という概念で括るのである。自然に潜むさまざまなはたらきも「虚」の状態である。自然の諸力は時として人に危害を与え、かつまた恩恵をもたらしもする。いずれにせよ「虚」は「無」ではなく、「実」を内在しつつも顕在化していない「未」の状態であるといえる。
「未」であるがゆえに「虚」は界と界を繋ぐはたらきをおびる。オバナはこのはたらきを明示するために「おまたせしました」という表現を繰り広げた。二〇〇〇年九月三〇日から十月二十二日、黒須植物園において開催されたボタニカルミュージアム二〇〇〇に参加した表現である。黒須植物園は埼玉県上尾市にあり造園用植物を栽培出荷している。オバナは母屋の脇の稲荷杜に目をつけ、ここを表現の場とした。まずオバナは知人友人の名前と植物の名前を合成し、架空の名をつくり、それらを呼び上げるテープを作成した。名前はたいてい植物名が姓となりそれに人の名を付したもので、植物であって人、人であって植物といった存在を想起させるものとなっている。オバナは会場が植物園であるため人と植物をひとつのものとして取り扱っている。テープにはおよそ一〇〇名の名が録音されており、女性の声によって「おまたせしました。○○さん、○○○○さん」と呼び上げられる。テープは稲荷社の祠にしつらえられ、ちょうど杜の扉の向こうから呼び出されることになる。思えば稲荷社の多くは古墳の上に祀られており、墓と関わりが深い。「おまたせしました」の声は優しくも重々しく響いてくる。この世における「滞在期限」が切れ、役目を終えて次なる「界」へと旅立つ時がきましたと告げられる思いがするからだ。植物園にある植物も一定の期間この地に「滞在」し別の所へと移植される。私たちは植物園の植物同様、なにものかによって植えられ育てられて、ある一定の期間が過ぎれば次なる「界」へと送り出される。オバナが植物の名と人の名を合成した意図もこのことを気づかせるためであった。お稲荷さんは界から界への取りもち役であり、「虚」のはたらきを果たしている。当地の稲荷社も多くの植物と人々を迎えて送り出していったことであろう。
オバナは稲荷社のように特定の場に鎮座するはたらきを称して「ない」という言葉を使うが、これは自然に潜む「虚」を表わすものと見て差し支えない。「ない」はいたるところ姿を隠し、時たま姿を現わす。現われ方はさまざまで三次元的な自然現象の場合もあればこちらの意識にうったえかける気配であったりもする。また、こちらが気づくことにより感応し、顕在化することもある。この気づきを与える作用をオバナは「ない」の受肉と呼んだ。受肉にあたり「ない」はこちらの意識を素材にしている節がある。「ない」とは一体いかなるものなのか。前稿においても触れたがここではもう一歩踏み込んで記述してみたい。
オバナによればこの世界は「ある」側と「ない」側、両者によって形成されているという。「ある」側とは私たち実体を持った存在であり、「ない」側とは文字どおりはたらきのみで実体をなさぬものである。意識だけの存在と言って良い。実体が無いゆえ「未だ然らず」の状態であり「かくある」ためには「受肉」せねばならない。オバナによれば「ある」側と「ない」側は共通の意志をもってこの世界にはたらきかけるべきだという。それは新たな世界を構築するという意志だ。また「ある」に先立ち「ない」がなければならないという。つまり、私たちがある行為をするにも心の中であらかじめ意図していなければ「実」となって現れ出ないのと同様、「ない」側で既に私たちは「意図」されており、「ない」によって私たちの「実現」はうながされたという。思えば、この世界は「ない」のみでは構築し得ない。「ない」のみの世界は無限幻影であり、時間も空間もなく、何処までいっても同一波調で発展に乏しい。やがて己の姿を見たいという意識が生まれ、物質化の前段科に響きがおこり「受肉」が始まる。時空が生まれ宇宙が生まれ私たち人間が生まれた。これは「ない」側の壮大な実験であり、三次元の世界において受肉した「ない」自身が果たして何処まで進めるかを自ら確認する試みだ。そこで「ない」がもっとも頼りにしているのは他ならぬ私たち人間であると思われる。人間は一番最後に出現し、いわば最終段階の仕上げとして生れ出た。内面に「ない」の「雛形」を持ち、「ない」の意図を三次元化する能力を備えている。
日本神話を見れば私たちが「ない」の末商であることははっきりと分かる。「別天つ神(ことあまつかみ)」、「神代七代(かみよななよ)」を経て伊邪那岐・伊邪那美のめおの神の出現から天孫降臨へいたる物語は「ない」の受肉の歴史の記述である。高天原のみでは世界は完成されず、肉体をもった者として地上に降り立ち、この地上をいかに「高天原」にするか、「高天原」で成し得たさまざまな事柄が果たして地上においても可能なのか、大きな課題を果たすべく諸々の「はたらき」がこの地上に作用した。高天原と地上では明らかに「界」を異にしている。しかし、「天」はこの「地上」を「鏡」として映し出されている。ひとつの界から他の界へとシフトされ、ゆっくり螺旋を描くように定着していく。日本神話を読めば同じような物語が繰り返されていることに気づくだろう。天孫降臨を追体験するように神武東征が行われている。これは天から地への縦方向の移行を西から東への横方向の移行に読み替えた感がある。物語を繰り返すたびにより人に近い存在となっていくことが分かる。また、日本神話を読んで感じることは「ない」側が人に対して事細かに干渉することがめったに無いということだ。ほとんど人の自由裁量に任せている。欲望も争いも愛憎も出現するものはなすがままに出現させ、見守っているかの観がある。おそらく人が何処までやれるのか、見てみようという意図があるのであろう。人もまた「ない」側の目くばせを感知し己の行いを律してきた。もはやそのようなことを忘れて久しいのだが。
オバナは「ない」側からの「手紙」が今なお私たちに当てて送られつづけていることを強調する。再びこの「手紙」に気づき受け取るように人々を促す。この行為が〈「ない」の受肉−ボトルキープ〉である。これは足利JAZZオーネットにおいて一九九九年十二月三十一日から二〇〇〇年十二月三十一日まで行われた。オーネット開店三十周年記念の展でもあり、店へのオマージュをかね、ジャズレコードのジャケットが使われた。レコードジャケットのカラーコピーを貼ったボトルをカウンター後ろの棚に置き、その風変わりなラベルに気づいた者に扉が開く仕組みとなっている。気づいた者には女性主人からジャケットおよびレコードの説明があり、ボトルの酒を一杯ご馳走される。続けてオバナより託されたはがきを受け取る。はがきは複数あり上から順次取ることとなっている。はがきには見ず知らずの住所と名前が記されており、裏面にはボトルに貼ってあったのと同じジャケットのコピーが貼付されていた。受け取った者ははがきの差出人として自分の名と住所を書き、何かひとこと宛先の人物にメッセージを書き添える。特殊なボトルは一ケ月ごとに交換され、その都度ラベルも変化した。筆者は毎月参加し十二通のはがきを出した。しかし、はがきは全て「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押されことごとく戻ってきた。人物も住所もオバナが考案した架空のものらしい。ちなみに筆者の手元に戻ってきたはがきの宛先・宛名は次の通りである。
福島県須賀川市雨田二四ハ六 外川閑
富山県礪波市苗加ハ○ハ 氷見影泉子
山梨県都和田市与縄八二四一愛宕小夜子
大阪府此花区桜島四・七〇三 山下泉
京都府能州野郡久美浜町女布二四二 布袋侶安
奈良県宇陀郡曽爾村太良路三六六 室生雫
島根県隠岐郡五箇村北方三五 西田清彦
岡山県小田郡美星町星田山手三・六・十一 佐々木久美子
福岡県戸畑区初音町四・六九・三 横尾志摩
しかし、この行為はこれで終わりではなかった。一連のはがきが返送されてからおよそ十ヶ月後、筆者の手元に奇妙な郵便物が届いた。小石の付いたはがきである。差出人はかつて筆者がはがきを出してあて所に尋ねあたらず返ってきた当の人物「外川閑」である。はがきにはこの「人物」がおそらく「居住」している周辺の地図が印刷されていた。地図の真ん中に一行「こちらにおこしのせつはおたちよりください」と赤いインクでスタンプが押されている。存在しないはずの人物から忘れた頃に突然届けられた不可思議な「贈り物」は「外川閑」なる人物が確かに存在するのではないかという思いをわき立たせた。この石には「外川閑」からのメッセージが託されており、目に見えぬ 「文字」がしるされているような気がしてならなかった。何処までこのメッセージが読み取れるかは受け手の意識の深さによる。さらに筆者ははがきに印刷された地図が気になった。「外川閑」なる「人物」が住んでいることとなっている場所周辺の地名と筆者の元に届いた郵便物地形を見たかったのである。この「人物」は雨田という所に住んでいることになっている。雨田は小さな盆地で周りを低い丘がとり囲んでいる。丘を隔てた西に「日照田」という地名があり雨と日照で村になっていることが分かる。筆者の元に届いた石がこの地図上の果たして何処で採集されたものか分からぬが、剣のようにも矢印のようにも見えるこの石の形を見ているうちにふと、雨田と日照田の間で得たもののような気がしてきた。というのもオバナから「二つの円の重なり交わる場」に注意して旅したということを聞いていたからだ。ここにオバナから寄せられた〈「ない」の受肉— ボトルキープ〉の手記があるのでどのような旅であったのかたどってみる。
オバナは二〇〇一年六月二十三日午後七時半館林SPACE・Uを発ち一路車にて北海道を目指す。今回は北から南下し作業を行った。第一の目的地は北海道爾志郡乙部町花磯である。当地の「差出人」は横田三郎、宛先は栃木美保さんである。オバナは「ない」側の横田三郎の「返し事」を成就すべく花磯を訪ね歩くが、ここでは「しるし」は得られなかった。範囲を乙部町全域に広げ探すことになる。八幡神社に立ち寄ると「八幡の水」という清水が湧いており、そこで三センチくらいのおむすび型をした石と出会う。持ち帰れとばかりに目に入ってきたという。オバナは土地を酒で清めてから石を採取し、代わりにオバナの作品《魂観》を黄色い布に包み神社の養銭箱にお供えしその場を立ち去った。
オバナは採取した地に必ず《魂観》を置いてきた。布の色はその時々の直感によって決められる。《魂観》はオバナのその土地に対する感謝のしるしであり、オバナからの「ない」側に宛てた「手紙」でもある。よってここでは二組の手紙のやり取りが成立する。一つはボトルキープ参加者から「ない」側へのはがきとそれに対する「ない」側から参加者への返し事、もう一つはオバナとその土地との結縁である。オバナは参加者と「ない」側の取り持ち役をつとめるが、オバナ自身「ない」の声に耳を澄まさねばそのような役は果たしようもない。彼自身がまず「ない」と対面しなければならない。《魂観》は返し事が無事成就したことへの返礼であることはもちろんだが、そこにはオバナのさまざまな思いがこもっている。《魂観》はオバナがその土地と対話したことの証であり、彼からの「返し事」であるからだ。「ない」はいったいいかなる「ことば」でオバナに語りかけたのか。その一つは「虹」であろう。乙部にたどり着く前にオバナは三度も太陽の周りにかかる虹の大円環を目撃している。虹はときに導き手のように現れオバナをはげました。具体的にオバナはどのような「対話」を「ない」と交わしたのであろうか。ここで少々長くなるがオバナから寄せられた〈「ない」の受肉 — ボトルキープ〉の手記の要約を載せる。
六月二十三日 乙部町八幡神社裏手にて水上旬氏への返し事として茶色い石を採取。神社の裏手には古くから祀られている御神体の石があり、採取する前にまずお参りする。すると、この茶色い石は何やらこの御神体の分け御霊のような気がしてきた。八幡太郎と命名し水上氏へ送る。代わりに水色の魂観をお供えする。
六月二十四日 烏の羽根に導かれ乙部の「生命の泉」全てをめぐる。次の目的地「札幌市清田区美しが丘」を目指す。海沿いの道を熊石に向かう。神社に立ち寄り手水舎を清掃。夜中目的地にたどりつく。
六月二十五日 有明の滝付近で虹の大円環現れる。有明の滝上流の丘陵地帯に出る。自衛隊の演習場であることが分かり滝に引き返す。引き返す途中二つの石を得る。滝にお神酒をそそぎ、水色の魂観をお供えする。二つの石はそれぞれ草壁純さん、相原一士さん宛てとする。「ない」方のお名前は北野由美子。有明神社にて事の次第を報告。神威岬を目指し発つ。途中余市神社に立ち寄るが、鳥に襲われる。神威岬で日没を見る。そのまま海岸線を南下し尾花岬を抜け夜通し走って、翌二十六日恵山岬にて日の出を見る。
六月二十六日 函館港からフェリーに乗り、次の目的地「青森県五所川原市不魚住」を目指す。昼過ぎ目的地に着く。菊ヶ岡運動公園で身支度をし、公園内の民俗資料館裏手の杜の奥、西宮神社にて小判形の石と出会う。大木道雄氏の顔が思い浮び、同氏に宛てて送ることとする。差出人「ない」方のお名前は奥野久子。春山清氏にも何か送りたいとあたりを見回す。鳩の羽根らしきものが目に留まった。羽は「波」、根は「根っこ」。「根源の波」というのは春山氏にぴったりである。「ない」方のお名前は・・・・。小判形の石は緑の魂観、羽根は黒の魂観とそれぞれ交換する。次の目的地「青森県天間林村ニッ森」を目指す。夕方目的地に着。小川原湖畔に宿。
六月二十七日二ツ森に行く。二ツ森は瓢箪形をしており、大きい塚に大きなお宮、小さい塚に小さなお宮が祀られている。ちょうどくびれた所に道が通っている。まず大きなお宮にごあいさつし、次に小さいお宮にあいさつに向かうと登り口でハート形の石と出会う。石はそのままにし、まずお参りする。お参りしてからやはりあの石にしようと決めた。母宛てに送るものとする。差出人「ない」方のお名前は海老沢太郎。緑の魂観をお宮に供え、事の次第を述べる。大きなお宮にも同じく緑色の魂観を奉納
次の目的地「秋田県能代市鳳凰岱」を目指す。十和田湖付近で見る見るうちに霧がかかり黄泉の国に向かっている気になる。十和田神社に参拝。能代に入り鳳凰岱にたどりつく。鳳凰岱は隣接した「風の松原」とは対照的であり維木と薮からなっていた。風の松原を歩いていると、その昔土地の人々は、自然が見せる猛り狂った風雪の向こうに鳳凰の影を見たのかもしれないという思いと、風から村を守るべく植林した男の姿が交錯した。近くの稲荷神社に参拝。神社を出てすぐ、電柱につけられた「ゴミを捨てないで下さい云々」の看板が目に付く。看板と電柱の隙間に何故か烏の羽根が挿してあり、これに決める。宛先は近藤隆彦氏、差出人「ない」方のお名前は大曲沌子。お神酒を捧げ羽根をいただき、代わりに赤の魂観を挿す。能代を後にし次の目的地「秋田県仙北郡角館町小人町」を目指す。真夜中目的地に着。駅近くの小高い丘で野宿。
六月二十八日 武家屋敷の方へ歩く。雨に降られる。小人町にはこれといったものが見当たらないため、白滝神社、八坂神社に詣でる。行きつ戻りつし、薬師堂を参拝。ここで探すこととする。銀杏の樹の根本に気になる石を見出す。白の魂観と交換し、頂戴する。宛先は西山三淑さん、差出人「ない」方のお名前は南さとし。
次の目的地「岩手県雫石町丸谷地」を目指す。完全に晴れ汗ばむ陽気となる。稲荷神社を参拝し、あたりを探索する。蔦の絡んだ銀杏が気になり葉を一枚いただくことにする。お神酒を捧げ赤い魂観を蔦にからます。宛先は本田晴彦さん、差出人「ない」方のお名前は松島貴子。
次の目的地「岩手県上閉伊郡宮守村達曽部」を目指す。達曽部川上流へと車を走らせる。稲荷穴の標識が目に留まったが、引き返し先に郵便局を探す。集落が見え車を右折させると熊野神社があった。参拝すると目の前に杉の表皮が差し出されていた。振り返ると根元に直径二〇センチ位のこぶのある杉の大木がある。表皮をいただくことを願いお神酒を捧げこぶの上に黒の魂観を供える。宛先は倉上昌子さん、差出人「ない」方のお名前は宮島明。
気になっていた稲荷穴を目指す。日没の頃稲荷穴に到着。稲荷穴は稲荷神社の正面にあり、穴からこんこんと水が湧き出ていた。穴からもぐらも出てきてくれた。水をいただいて次の目的地「山形県遊佐町比子」を目指す。
六月二十九日 途中、道の駅で仮眠を取り、夜通し走って早朝遊佐町比子に着く。出清水というかつて清水が湧いていた所にお稲荷様が祀られていた。昔はこんこんと水が湧いていたそうだが、現在はかろうじて水たまりがある程度である。しかし、あたりは箒で掃き清めたかのように、自ずから凛とした気高さがある。お参りし事の次第を述べ、かつての「噴き出し口」あたりを探索。三本の樹の中央に不思議なものを発見。白っぽい色をしたかなり細長い二等辺三角形のものだ。お神酒を奉げ水色の魂観をお供えし、いただこうとした時、これが植物であることに気づく。根が生えていたのである。宛先は春山節子さん、差出人「ない」方のお名前は美森幸男。ところがもう一つ気になるものを発見してしまう。神社の東側の松の根元にあった半月形の石である。その隣には荒々しく野生的な石があり、対照をなしていた。天津神系の石、国津神系の石という文脈が広がる。二つのエナジーが交わるところ、松の樹の根元に魂観を布にくるまずそのまま角を突き刺すように供えた。このトライアングルは新たな命の岩戸を開く何かの手がかりになるのだろうか。魂観にピントを合わせると私の背後の樹が映し出されていた。遊佐の郵便局から発送したあと奇遇にも大物忌神社を訪ねることになる。手水舎に紫陽花を散らしてのお出迎えに心ときめく。お参りして次の目的地「山形県尾花沢市毒沢」を目指す。最上川沿いに上流へと向かう。途中出羽三山から流れてくる川との合流地点にさしかかると上空に虹の大円環現れる。
毒沢集落にたどり着く。あたりを訪ねたが見当たらず猿羽根峠に向かう。瓢箪形の地形であり、高い所に虚空蔵菩薩が祀られていた。参拝後、低い側に行ってみると鶉の卵によく似た石が見つかった。それはちょうど松と松の間に産み落とされたみたいにそこにあった。その隣にある角張った歯のような石も気になった。宛先の青木孝之さんが歯科医であるため結局歯のような石をいただく。代わりに白の魂観を供えた。差出人「ない」方のお名前は神崎あゆみ。
「宮城県牡鹿郡女川町黄金町」を目指す。夜目的地に着く。仮眠をとろうとしたが寝付かれず、ゆうに零時をまわっていたが、この町に入って最初に出会った鳥居に向かう。熊野神社であった。お参りし事の次第を述べ、右手奥の階段を上る。少し行くと階段は終わり坂道になっていた。懐中電灯をたよりに笹をかき分けながら進む。三番観音に出会う。三十三観音が祀られているらしい。二番、一番とお参りをすませ、最初の三番観音に戻り供物の石と魂観の交換を願う。お神酒を奉げ紫の魂観をお供えする。宛先は酒井和子さん、差出人「ない」方のお名前はうるし原豊。次の目的地「宮城県仙台市太白区八木山弥生町」を目指す。
六月三十日 女川を後にし塩釜に近づくにつれ霧が濃くなる。何故か塩釜神社の前に出てしまう。折角なのでお参りする。夜が明けそめ青い霧が徐々に白み、すがすがしい。早朝太白区に入る。目的地の八木山弥生町では何も見つけられず、青葉城跡に向かう。護国神社をお参りする。神社正面から少し離れた杜が気になり、あたりを見回す。卵のような石と出会う。これにしようと願い、さっそくお神酒を上げる。魂観を供える段になって、神社の鏡と合わせ鏡にしようと思い、配置場所を求める。既に空缶が占拠していたが、どいてもらい青の魂観を据える。石を手水舎で清め荷造りを終える。宛先は小林真亮さん、差出人「ない」方のお名前は赤坂葉子。
次の目的地「福島県原町市岩代町百目木」を目指す。目的地を探しあてたのは烈風の吹く快晴の昼下がりであった。あちこちまわる道すがら天照皇霊神神社をお参りする。もう少しまわって何も見つけられなければここにしようと思う。近くに風穴の湯という温泉があった。温泉につかりながらやはり天照皇霊神神社にしようと決める。再び詣で事の次第を述べる。すると驚いたことに御鈴の真下に枯葉が一枚落ちているではないか。これはと思いすぐにお神酒を奉げ紫の魂観をお供えし拝受する。宛先は菅沼きく枝さん、差出人「ない」方のお名前は駒井幸次である。鳥居を出て空を見上げると快晴の空は見る見るうちに鱗曇で覆われお日様を隠してしまった。その迫カに思わずシャッターを切る。今回の〈「ない」の受肉 — ボトルキープ〉は都合ここまでとなる。
九月二十八日 明け方、身支度を整えSPACE・Uを出る。目的地「福島県須賀川市雨田」に向かう。早朝須賀川に着く。釈迦堂川のほとりに車を止め仮眠をとる。目覚めると小雨。雨田を目指す。雨田方面の標識のとおり起伏のある坂道を登り下りするといつのまにか小作田に抜けてしまう。気づいて引き返し再び雨田を目指すがやはり小作田に抜けてしまう。何度か往還を繰り返すうち古寺山の案内が気になりとりあえず行ってみることにした。苔むした手水鉢にまんまんと水がたたえられ、本当に古さを感じさせる寺だった。参拝を済ませ仮眠をとる。もう一度雨田に向かい何も見当たらなければここにしようと決め出かける。しかし、またしても小作田に抜けてしまった。再び古寺山に向かう。手水舎の水をいただきコーヒーを沸かす。何気に寺務所の軒下の張り出しを見ると持っていけよとばかりに変な形の物が置いてあるではないか。よく見ると曲がった矢印のようにも見える。日が射してくる。そのままにして古寺をお参りする。参道下から右回りに三十三観音が続いているのに気づき、一体一体お参りすることにした。最後の三十三観音までお参りを済ませると、小さな鳥居があった。鳥居をくぐり急勾配の階段を登りきると三方からの尾根の中央に白山神社が鎮座していた。お参りして三方に柏手を打つ。眼下に古寺の屋根が見える。しばしたたずんだ後、事の次第を述べる。先ほどの矢印形のものは石であった。お神酒を奉げ、手水舎の水で丁寧に清めた。水色の魂観を供える。宛先は江尻潔さん、差出人「ない」方のお名前は外川閑。今回の〈「ない」の受肉 — ボトルキープ〉は都合この日一日となる。
以上、オバナから託された手記をもとに、〈「ない」の受肉 — ボトルキープ〉の行程を要約してみた。記述してみて筆者もまたオバナと共に旅した気持ちになった。〈「ない」の受肉 — ボトルキープ〉はまさに意識の旅でもあるからだ。冒頭で述べた通り、「ない」を受肉させるには「虚」のはたらきを十分熟知し、己の意識を一種の触媒として提供しなければならない。「未だ然らず」のままにとどまるものにある種の実体を与えるこの作業は隠された財宝を探し出す仕事でもある。名前だけあって実体の無い、あるいは名前すらない「ない」の姿はとてつもなく大きい。その土地の大気と水と光、すべての「はたらき」の総体としての「ない」存在。「ない」とはつまり限定されて「ない」存在なのだ。限定されていないため、その分豊かであり、自由である。オバナは「ない」のことばに耳を澄ます。いかにして「ない」と人とを取り持つことが出来るのか。五官を駆使しあるいは六感レベルで感得しようとする。やがて「ない」のしるしを見出す。それはひとつの「鍵」であり、別の「界」へといたる道しるべだ。ここに隠された巨大で豊かなものの一端が顕現する。しるしの「鍵」は場合によっては「ない」側からオバナに手渡される。ときとして虹が立ち、風が吹き、雨が降る。オバナはそこに「ない」の「ことば」を読み取ろうとする。あるいは彼の内面に虹が立つと外界にも虹が現れ、風が吹けば風が、雨が降れば雨が現実のものとなるのかもしれない。何らかの相関関係があるように思えてならないのだが、これも彼自身があらゆるものに思いを馳せているためであろう。
日常の風景の中に点在する特異な地点、その中の特異なしるし。それに気づくことにより異なる「界」は開ける。このことはオーネットにおいて特異なボトルに気づいた人々に「扉」が開かれたのと同じだ。ボトルに気づいた客には「返し事」として一杯の酒がふるまわれた。さらにオバナを介して「ない」のしるしが贈られてくる。オバナはその土地のうちに「キープされている」特異な「しるし」を探し出す。今度はオバナがその土地の「客」となって「キープされているもの」を探し出すのである。おそらくそれらの中には何十年あるいは何百年もの間その場に保たれていたものもあることであろう。見つけ出したことに対する「返し事」としてここでは酒の代わりに虹が立ち、雨が降る。オバナの旅は彼自身が仕組んだオーネットにおけるボトルキープと全く重なる。だとすれば、やがてオバナの元に異なる「界」からの「贈り物」が訪れるに違いない。永らくキープされていたものの封が切られ隠れていたものがあらわになる。オバナは意識の「種」としての《魂観》を各地に置いてきたが、筆者にはこの行為が「ない」側に目玉を与えているもののように思えてならない。あるいは「鍵」をいただいた代わりに「鍵穴」を設置する作業のように思えてくる。そこからいかなるものが流れ出てくるのか今のところ筆者には見当がつかない。それらはおそらくオバナ自身へまっさきに「手紙」として届けられることであろう。
いずれにしろ異なる「界」は日常のいたるところに口を開けており、こちらの意識を変えさえすればいつでも赴くことが出来ることをオバナの行為は教えてくれる。その雛形としてまず彼はオーネットでボトルキープを仕組んだ。その後、彼は「ない」存在との直接の対話を求めて旅に出た。さまざまな「意識の宝」を持ち帰ってきたが、この行為はこれで終わりではあるまい。なぜならば〈「ない」の受肉 — ボトルキープ〉は仕組んだオバナが仕組まれる仕組みとなっているからだ。オバナを仕組んだ主体は他ならぬ「ない」存在である。かならずやかのものはオバナに「手紙」を出してくるだろう。それは間違いなく別の「界」からやってくる。オーネットでの客の行為の返答として思いもよらぬ「場」から「手紙」がやって来たように。それは日常から段階を踏んで非日常へと連なる連鎖反応だ。オーネットという日常空間でまかれた種は別の「界」でどのように発芽し影響をもたらすのか。尺度を異にし、入れ子式に時間差をおいて事が進むこの行為に対し筆者は少なからぬ戦慄を覚えた。
(二〇〇二年六月十七日 記)
特集 詩からアートヘ/アートから詩へ
ひかり、ひびき、ことば タカユキオバナの表現について
江尻潔
ことばの本源的なはたらきはどこにあるのか。筆者はことばのもつ情報伝達のはたらき以前に「名づけ」のはたらきが先行していると思っている。それは自己と他者を分かつことばの作用だ。名により距離が生まれ、かのものは対象化される。それは心の内面にも同様にはたらく作用である。つまり、ことばにより漠然としたものが意識され対象化されるわけだ。ことばは事象を分析し、個別化する。たとえば「ハナ」の一語は「サクラ」や「ユリ」といった名により「ハナ」という総称から分かれ、限定されていく。
では、その逆は考えられないだろうか。「ハナ」を例にすれば「花」であり「鼻」であり「端な」でもある。こうしてみると「ハナ」という音がものの突端を意味していることがわかる。「ハナ」という音により「花」や「鼻」が想起されそれらは「端な」によって統括される。
翻って考えるならば、最も原初的なことばとは最小限の「分割」であり、最小限の「分割」に至れば原初的なことばに遡れることになる。原初的なことばによる分割の例としては「ヒ」がある。「ヒ」は日、火、氷、霊であり、「ヒ」という音によりこれらのことばが統括され、変換可能となる。「ヒ」は「威力あるもの」の「名」であり、日、火、氷、霊をひとつに括る。「ヒ」という一語により、変換可能な事象がいくつも呼び寄せられる。
原初的な分割の行きつく先は自己と他者、さらには自己と本源の境が無くなる寸前であろう。それは境を越えて交わすことができる「ことば」の可能性を指し示す。つまり万象の「名」の発見である。その名により、人や星、木、山、川が呼ばれる。要するにそのことばによって人は、星であり、木であり、山であり、川となりうる。これはあめつちと交わすことばであり、あめつちとひとつになることばである。
このようなことばを模索する表現者としてタカユキオバナ(一九五八年、佐野市出身)がいる。オバナはさまざまな手法により、あめつちのことばと言うべき音韻を私たちにもたらした。本稿において彼の表現をいくつか紹介する。
二〇〇六年八月、オバナはGallery ART SPACEにおいて《わそよみひ》を開催した。この表現は当時オバナが主宰した館林のSPACE・Uから町田市のGallery ART SPACEまでおよそ百キロをオバナ自身が歩いた行為がもととなっている。オバナは清音四十五音と「ん」をひとつひとつ小さな立方体に記し、おのおのに紐で鈴をふたつ付け、任意の場所で引いた。いかなる音を引くかオバナ自身もわからないようになっている。七月二十三日二十二時二十二分、SPACE・Uを出発、その際引いた音はKuであった。同日、二十三時二十三分、近隣の尾曳稲荷神社でUを引く。このような要領で四十六ヶ所、気になった場所で音を引いていった。
記録を見ると神社や寺が主となっているが、しだれ桜も選ばれている。これらの場所には人以外の何ものかが鎮まっている。それは自然の奥に潜むもの、あるいは自然そのものであり、これらことばもたぬものにオバナはことばを与えていく。否、ことばを選ばせている。それはかのものに対する名づけであり、かのもの自体の名のりである。オバナは引いた音を木の枝などに結わえて立ち去る。
ここで重要なのは鈴とともに音が結ばれることである。鈴は風のそよぎで鳴る。それとともに人の発声可能な四十六音もそよぐ。鈴という光の音ともいうべき発声不可能な音をあめつちのことばとみたて、それが発声可能な四十六音(つまり声)に変換されていく。ここに人のことばとあめつちのことばがひとつとなり対話の兆しが見てとれる。鈴の音とともに四十六声が、風にそよぎ天に昇り地に降り、あるいは水にしるされる。ときたま、かのものの返しごとのような出来事が出来する。それは蝉の羽化であったり、虹の大円周であった。ここには明らかにかのものとの交歓があり、対話が成立している。
オバナは野宿を繰り返して五日後の七月二十八日、町田市のGallery ART SPACEに辿り着く。そこで最後に引いた音がKiであった。四十六音を順にならべると「くうひりつすんるあむかにゆともふまけわねなのろてはせへれえよしみめさいほをこおらちぬそたやき」となった。これらの音にはもちろん意味はない。あるのは意味の芽生えである。オバナが歩いて出会った何ものかへの思い、また、オバナの行為に対する何ものかの返しごとにより綴られたこれらの音は強烈な磁場を成して私たちにはたらきかける。それは、オバナ自身の有無をいわせぬ、かのものとの交歓の実感のなせるわざである。この一連の音は、まるで自然やその奥に潜む何ものかとひとつになれる合言葉のように作用する。オバナは四十六音を順に綴った立方体の輪と地図をGallery ART SPACEの百葉箱に納め展とした。
このような実感を多くの人々に味わってもらえないだろうか、この思いのもとオバナはさらなる表現に挑んだ。それは二〇一三年六月一日、アート体験《ことのは》で実践された。本表現は佐野市戸奈良町三床山周辺において開かれた一日のみの催しであった。三床山は旧田沼町に属し、標高三三五メートルのなだらかな丘陵である。麓にはおよそ八百年前に勧請された鹿島神社が祀られており、古くから産土神として信仰されてきた。当地は水源の涵養地であり、泉が湧き、沢が流れている。
オバナは起伏に富んだ地形や、この地のもつ清々しい雰囲気に着目し、会場に選んだ。約三百メートル四方のそこここに特殊なしかけを施した。それは中心に穴を穿たれた円鏡と鈴と透明な半球状の器からなる。器の底にはひらがなが一文字しるされていた。四十七清音と「ん」の四十八のひらがながそれぞれの器にひとつずつしるされており、器の数は都合四十八ある。よって四十八ヶ所にしかけがある。
参加者はオバナより縁日などでよく売られている風船に水を入れた「ヨーヨー」を手渡される。しかし、これは普通の「ヨーヨー」ではない。その中の水は凍っている。参加者は林の中に点在する器を見つけ、その上に「ヨーヨー」を懸ける。その際、風船を破る。すると中から水晶のような氷塊が現れる。氷塊が溶けて器に溜まるしくみとなっている。参加者は器の底の文字を控え、さらなる器を林中に探す。
参加者が氷塊をつるすことによりたぐいまれなる「装置」が完成する。鏡はすべての光を受け止め反射するが、同時に宇宙開闢以前の「光」をとらえるはたらきを備えている。それは光が光として出現する以前の、いわば混沌とした闇の状態をもとらえている。闇の中では光は波として、つまり響きとして存在する。鏡の裏面は闇であり、表の「実光」に対する「虚光」を示している。「虚光」はほかならぬAOUEIの母音として鏡(実光)の裏に書きこまれ、鈴として留まる。これは、この界が目に見え触れられるもののみで成立しているのではないことを示唆する。同時に宇宙開闢以前の混沌(未出現の光としての虚光)が実光と表裏ひとつとなって到来し存在していることを明らかにしている。「虚光」は響きとなり氷塊にしるされ物質化する。氷塊とはつまり「ヒ」の塊であり、私たちの体である。体に響きがしるされことばが醸される。氷は溶けて水となり、器に留まる。器の底の文字により、氷塊にいかなる響きがしるされたのか、さらにそれがいかなることばとして醸されたのか明らかになる。とともにこれは体内に醸されたことばが外に出たことを示している。これは声として認識されるのだ。この装置により、光と響きの関係、響きからことばの変換が見事に示される。さらに水は蒸発して天に昇る。つまり、ことばを留めた水が天に還って行くのだ。光と響き、ことばと水の循環を示すラディカルなモデルとなっている。
概念的に述べればこのようなしくみとなるが、それ以前にこの展示はとても美しい。初夏の木漏れ日のなか、風にゆらぐ鏡はまるで目配せするように光り、その隣に水晶玉のような氷塊が宙に留まっている。鏡は光をはねかえし、氷塊は内に留める。氷塊が溶けて器に溜まると水鏡となり、葉むらごしに空や日の光、さらには日光に隠された星の光をも映し出しているはずだ。風によってみなもは波立ちその奥からひらがな(ことば)が現れる。さらに氷塊が溶け去ると中から小さな水晶玉が出現した。氷塊を体とするならこれはその核となる霊ではないだろうか。氷(ヒ)が溶け去って霊(ヒ)が現れる。実際オバナは氷塊を作るにあたって水晶玉を「種」としている。氷(ヒ)が日(ヒ)を浴びて霊(ヒ)とことばが現れたわけだ。
私は鏡の光に導かれて林中にひらがなを見つけるたびに、ことばを授かっている想念に駆られた。先人たちが天に還したことばが再び地に降りそそぎ、林の木漏れ日に紛れているように思えたのだ。それらを拾い集めてひと綴りにしたものは何ものかより贈られた自分自身の名前のようにも感じられた。発声可能な音(声)を天地に預けることによりことばが降りそそいでくる。天地にことばを使ってもらうのである。と同時に風のそよぎや葉のざわめき、水のせせらぎもことばとして聞こえてくるので不思議だった。これもこの展示によって、自然の音をことばへと変換するはたらきが私の内面に呼び起されたからかもしれない。最後に参加者ひとりひとりが出会った「ことば」を読み上げ散会となった。
オバナは《対局》により、さらなる「ことばの生成」に踏み込んでいく。二〇一四年二月一日、足利市立美術館においてオバナは春山清(一九三七年、足利市出身)と《対局》を繰り広げた。桐生市在住の春山は個人誌やパフォーマンスにより長年にわたり根源的な表現を実践しており、オバナの先達というべき人物である。春山とオバナは互いに文章を持ち寄り、相手の文章から感じ取ったイメージを色のついた母音で表現することを試みた。春山の文章「生命は神秘、生態は罪業」はオバナにより緑色のⅠに変換され、オバナのリナとマホが仲良しになる物語を春山は黄色のAに変換した。これはさまざまな概念や意味、情緒をともなったことばを色を伴った母音一文字に置き換える行為である。
ことばのもとのすがたは意や情をともなった発声であるとすれば、母音変換は得心がいく。つまり意や情を母音のもつ「傾き」に託すのである。たとえば0(お)はつつみ和らげる感じであり、Ⅰ(い)は鋭く勢いのある感じをもたらすといった具合だ。また、色については、青は沈着と冷静、赤は情熱と怒りを想起させる。これは声の表情、つまり「声色」を示すものだろう。
さらに一言えば色は光である。闇の中で文字どおり音として存在していた母音が外界にふれ発光する。これは響きから光への変容である。母音が保つ他者の意や情が自身に届くことにより、己の内面で光と化し、輝く(はからずも筆者は、『アンティゴネー』のヘルダーリン訳を思い出した。彼はイスメーネーの台詞を「お姉さまは、ことばを紅に染めているような気がします」とドイツ語に翻訳している。一見異様な訳だが、真実だと思う。太古の、ひいては根源のことばは、ありありと色彩と輝きを帯びていたのだ)。
おそらくすべてのことばはこのようなシンプルなものから発展していったと思われる。だとすればことばの源泉にまで遡ればさまざまな意や情は隣接したものとしてとらえられる。たとえば赤いⅠで表現された鋭い怒りは、同時に愛のⅠに通じている。これは一見、遠く隔たった二点が、その出所をたどると、同じ一点を起点としていることと似ている。つまり隔たった意や情も本源へと遡れば同じ一点で結ばれるのである。これはとりもなおさず変換可能であることを示している。ここにおいて「いかり」は「あい」に「にくしみ」は「いつくしみ」になる。絶えず変換して新たな意味合いを生み出していく。これがことばの玄妙なはたらきであり、さらに言えば意識の自在性である。意識により同じ出来事でも憎しみとも愛とも受け止められるのだ。
オバナと春山の《対局》は、この変換のはたらきによってことばがいかに発生したか、また、意識の自在性とことばのかかわりはどのようなものなのかを示すひとつの「雛型」である。《対局》には八名の協力者がオバナと春山により指名された。八名ともふたりとかかわりの深い人物である。八名は壁面に掲出された春山の四つのことば(「生命は神秘、生態は罪業」、「究極根源を見詰める」、「座して死を待つ」、「死は至福」)からひとつ選び、色のついた母音に変換していく。それをオバナと春山が子音を付けて七十五音に変換し、オセロゲームの駒のうえにしるし、ゲームを繰り広げる。それにより縦、横、斜めどこからでも読める歌のようなものが出現する。これは春山のことばによって想起された色のついた母音からさらに子音を発生させるこころみである。八名それぞれにより春山のことばが色のついた母音に変換されたが、それにはある種の傾向が見いだされた(「生命は神秘、生態は罪業」に八人中五人がAに変換し、そのうち三人が赤を選んでいる)。この傾向こそ、ことばの本源へと遡った証左である。それは「傾き」を示す音と色であるが、もちろん各人によりとらえ方はさまざまである。さらに、オバナと春山により母音に子音が付されていく。これは本源へと立ち返った響きが再び個別化し、新たな意と情をまとう瞬間である。さらにそれがオセロゲームとして反転していく。これは意識による反転を示唆する。
おそらくことばはあるひとつの出来事が各人の心におよぼしたさまざまな「波紋」の干渉ややりとりによって成り立ったと思われる。当初それは漠たる母音と色(音色)であったが、心の波紋の干渉にともない音のせめぎあいが激しくなり、子音が現れ、それによって差異が生じ、意味が発生する。オバナと春山はそれをオセロゲームの盤上に繰り広げて見せた。ここで重要なのは明らかな意味をもった春山のことばを母音変換したことだ。先に述べたように母音変換することにより相反することどもが隣接し、変換可能となる。後日、オバナはいくつかの例をあげた。たとえば「いのち」、「いどみ」、「きもい」、「きよみ」、「にごり」、「ひとり」、「にこり」はすべてIOIである。《対局》は本源に立ち返り新たなことばを生み出すエクササイズなのである。オバナと春山により綴られた音列にはもとより意味はない。しかし、かつてなかった意味や情、概念を受け入れ、はぐくみ、生み出す磁場を形成している。さらに興味深いことにゲームにより裏返された駒にも文字が貼られている。これは顕れ出たものによってのみことばが、あるいは世界が成立しているのではないことを示している。顕在化したものの影には潜在化したいくつもの言葉が控えている。それは未出現のことばと世界であり、なにかの拍子に、それこそオセロゲームのように反転し顕在化しうるものなのである。これもまたことばの深遠な秘密を示唆している。
以上、オバナの「ことば」に関する表現を記述した。この他にも《対局》のもとともいうべき《鼎局》(二〇〇三年十月~十二月)、《あめのうた》(二〇一三年一月)、《ちのうた》(二〇一三年九月)など重要な表現があるが、紙幅が尽きたので次の機会にゆずりたい。オバナの表現の対象はことばに限らず命や愛におよぶ。いずれも観者(参加者)の意識の拡張、立て直しを促し、ときとして眩暈にも似た震撼をもたらす。いわば詩が本来もつ、またもつべき本質を突いているのだ。この稀有な表現者の今後の活動に筆者は大きな期待と希望を抱く。
命に優劣があるとは思えません。働きの違いが尊いのだと思っております。生命はあるがままの働きをこの世界にあらわして命ながらえています。私もそう生きたいと思い、ひたすら自身の働きを率直にあらわしてきました。
ですが、両親が残してくれたものを全て使い切っても、未だに自立できていません。私の働きを生かせる道があるなら、ご伝授願いたい。
平成二十九年 師走 タカユキオバナ
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