森の神が死んだあと

https://cinema.pia.co.jp/com/21026/680815/ 【森の神が死んだあと ネタバレ】より

崖の上のポニョ

さいきんいくつか続けて宮崎駿監督作品を鑑賞しているのですがいまのところ、これが一番好きです(水族館とか水が好きだからかな)。多くの方がレビューなど書いていらっしゃるので、簡単におおざっぱな解釈などを。

ひとつ、宗介くんはアシタカの子孫かな?

ふたつ、『もののけ姫』では森の神様が殺されてしまいましたが、他の方の掲示板を拝見すると、『ポニョ』においては「陸が男性原理」「海が女性原理」を表しているとのこと。これを勝手に『もののけ姫』からつなげて考えてみますと、近世からこっち、陸の男性神がどんどん殺されてしまって・・・現代でもまだ元気なのは海の女性神。ということかな?

あとは主に感想です。

「赤ちゃん」のシーンですが、あそこでポニョが赤ちゃんのことをじーっと見て、「お腹がすいているんだな」ということを察します。それでスープをあげるのですが、赤ちゃんにはスープが飲めなくて、母親の身体を通して母乳になったところではじめて、赤ちゃんにとっての栄養になるのだということは、言葉で説明されてようやく了解します。で、いったんそれが分かると、サンドイッチまであげちゃう(ハム抜きだけど)。それも、「ちょっと自分たちにもとっておこう」とかいう配慮もなしに、ぜんぶあげちゃう。優しいなあ。

半魚人状態のポニョは、かなり不気味です。でも宗介くんは、「魚のポニョも半魚人のポニョも人間のポニョも、みんな好きだよ」って言えちゃう。偉い。素敵。

ポニョが宗介を追いかけるシーンは、みなさまおっしゃられるようにスゴイですね。けっこう泣けてきたくらいでした。とても美しくて。なにが美しいのかとあとで考えてみるに、ポニョのあのパワーもなんですが、それに全くたじろがずに波間を走るポニョをしかと見つめる宗介くんの落ち着き。なんだか「なんでもかんでも受け入れてしまう人」というのに、いつも感動してしまいます。あともちろん、単純に「画」がスゴイというのもあります。

作中の大人たちがすごく子供を信頼しているその程度は、完全に「ファンタジー」の領域に入ってますが、おそらくそれが監督の理想とする環境なのでしょう。あんなおもちゃをデカくしたみたいな(実際おもちゃをデカくしたのだが)ボートに子供二人乗ってるのをほっとくなんて、現実にはありえないわけですけど。「愛と責任」というメッセージは、こういう大人と子供たちの関係のなかにも描かれているように感じます。

あと宗介くんがポニョのことを最初「金魚」と呼ぶ点に関しては、「海に金魚はいねーだろ」とつっこみつつ、子供はモノの名前をおぼえる前のほうが世界を面白く見ているのでは、と常々思っていたので、たいへん納得できました。あらしのときの大波が「さかな」に見えるのも、彼の目が「分別」にまだおかされていない証拠であろうと思います。

それから宗介くんの母親、リサさんはあれですね、性格的にはかなりポニョと似てますね。ポニョには車の運転を習わせないほうがよいかも。

けっこう長くなりました。

ちなみに自分はぜんぜんジブリファンではなくって、「ポニョだあ? んなもん焼き網で焼いて食っちめえ」という言葉にも「だねー」と答えていたくらいです。いまでは・・・ポニョを焼いて食ったりしたら津波にのまれてドザエモンだな、というのが分かったので焼いて食べるのはやめておきます。

Re: 森の神が死んだあと ネタバレ

2010/9/27 13:06 by IKA

aakuraraさん、こんにちは。

ちょっとおじゃまします。

森の神と海の神のことですが……私は、森には「ホントの森」と「ニセの森」があるような気がするんです。

で、「ホントの森」は、実は「海」ではないのかな?……と。

おそらく、こういうことを考える人はだれもいないと思いますが……私がこれを考えるきっかになったのは、ある日見たテレビニュースでした。

このお話は、前にもどこかで書いたので、お読みであれば重複申し訳ないのですが……

ある夕方、帰宅してテレビをつけると、一人のフランス人青年のお話をやってました。

彼は、パリから東京まで「走って」きたんだそうで、今まさにゴールインしたところ……(たしか場所は、日比谷公園だったと思う)

まあ、パリから東京まで「走った」といっても、日本海はさすがに船で渡ったんでしょうが(でなければキリストさんになっちゃう)……日本に入ってから彼は、日本を走って一周して、東京にゴールインした……ということです。

で、長いランニングの感想を聞かれた彼が、面白いことを言ってました。

「日本に入ってから、ずっと<大きな森>の中を走っているように感じた。これは、日本の街中を走っているときもずっとそうでした。」

この言葉は、なぜか私の心に深く残って……ずっと、この言葉の意味について考えていました。

彼は、なぜ日本を「大きな森」と感じたんだろう……? パリから走ってくる道中には、乾燥気候のところが多かったかもしれないけれど、でも「森」だってあったでしょうに……なんで日本が「大きな森?」

で、私が思い当たったのが、「太平洋」でした。

……おそらく、彼は、「海」を感じたのだと思います。

日本の国土はその7割が「森」といいますが……彼は、そういう具体的な「森」を言ってるのではなくて、おそらくはそういう「森」も含めて、この日本の地の持っている本質的な「場」としての性格……それを「大きな森」と言ったのでしょう。

人は森を拓いて、人のすごしやすいようにそれをつくりかえますが……でも、「人の手」は、おそらく「森の基部」にまでは及ばない。人と接する森は、一見「里山」になったように思われても、その本質的な性格は不変で、あいかわらずそれは「大きな森」の一部である……。

私は、日本の山の中で、しばしば「海」を感じたことがあります……これはとても不思議なことなのですが……山の中にいても、なぜか「大きな広い海」にいるように感じてしまいます。

おそらくこれは、あのフランス人の青年の感じていたものとおんなじだったと思うのですが……それは、さまざまな「いのち」を生み出す「大きな場」であり、それを彼は「大きな森」と表現し、私は「海」と感じたのではないか……。

『もののけ姫』では、「森の神」が殺され、古代からの「森」が、そこで大きく変質したように描かれていました。しかし、より広い視野から見ると、「森の本質」はほとんど損なわれていないのではないかと思います。それは……たとえば樹木がすべて伐採されて造成され、家やビルが建ち並んだ「街」になってしまってもほとんど変わらない。やっぱりそこは、本質的には「大きな森」の一部なのでしょう……。

これは、私がときどき感じる「感覚」にも合致していまして……私は、街中を歩いていても、なんかの拍子に「古代の森」を感じることがあります。……そういう「森」にちかいものは、街中でも大きなお宮さんの社寺林なんかになって現実に残っているわけですが……街並みのわずかな傾斜にも「古代の地形」は反映されていて、その傾斜の先にあったであろう海や、そこに至るまでの森林の光景が浮かんできます。

こういうことを考えますと……宮崎さんは、『もののけ姫』での問いかけを、さらに深いレベルでもう一回問いかけてみようと思われたのではないでしょうか……。

結局、「古代の森」は、そのベースとなっている「海」がある限り、一旦殺されたように見えても、なんどでも蘇ってくるのかもしれないな……と思います。人の手がいくら木を切り、山を削り、谷を埋めて街をつくっても……そういうものは、なにかが起こればそれこそあっという間に「海」に戻ってしまう……

『もののけ姫』では人と森の戦いが描かれていたように見えますが、それは両者含めてさらにおおきな「いのちの場」の中に生かされていたのであり……ということで、これ以上いくと宗教がかってきますのでここらあたりで自己制御しまして、だいたいそんなことを考えました。

ちょっと客観的なことも述べておかねば……と思いまして、山幸海幸のお話を……。これは『古事記』にある、だれでも知っている有名な話ですが、このお話では「山幸」が勝って、後に天皇家の祖となります。

これだけ見ると、「海より山が強いじゃん!」ということになるのですが……山幸は、最初に海幸から無理難題を吹っかけられて、竜宮城に行き、乙姫様(トヨタマヒメ)に助けられるんですね。で、「海の一族」の全面的バックアップのもとに海幸と戦い、これを下す……。

『もののけ』では、アシタカは「山の姫」であるサンに出会いますが、『ポニョ』では、宗介は、「海の姫」であるポニョに出会います。

aakuraraさんが書いておられるように、やっぱり宗介は、アシタカの子孫なのかもしれません……。

なお、ポニョが宗介を追っかけるシーンは、私は「安珍・清姫」を思い出してしまいましたが、考えてみると、宗介は安珍にはならないですね。ちゃんとポニョを受け入れてますから……。

オソロシイことですが……もし宗介がポニョから逃げたりしたら……そのときには、安珍のように焼き殺されてしまったかもしれません……(うーん、これでは子供向けアニメにならない。焼きポニョならぬ焼きソウスケ……オソロシイ)

おもちゃが大きくなった船は、立派な「外燃機関付船舶」ですね!

よくないクセで、いろいろ考えたのですが……

ろうそくがあそこまで巨大化した場合、ちゃんと燃えるんだろうか……火力が強すぎるってことはないんだろうか……上部の湯たんぽ部分の鉄板の厚みも増しているとするなら、逆に火力が弱すぎるということは……等々、いらんことです。すみません、無視してください。

それと、おさかなの波は、フジモトが開発?した「波に似たいきもの」だったという記憶があるんですが……(うろおぼえでたしかではありませんが、そんなような)

鞆の浦名物 ポニョ焼き(売れるかどうか、微妙です……たしかにタタリもコワイですが)

Re: 森の神が死んだあと

2010/9/27 22:24 by aakurara

IKAさん、ご訪問ありがとうございます。

森は海・・・なるほど、別のスレで、宮崎さんはこの作品で「全ての根底にある何かを拾い出そうとした」のだということを雨天さんが教えてくださいましたが、その「何か」の本質が見えたような気がいたします。私はどうしても、「人のあいだ」のことに思考が限定されてしまうので、人を生かしている「場」のことに思いをはせることがあまりないのですが、言われてみますと日本が「大きな森」であるというのも、納得できる気がします。そしてさらに根源をさぐっていくと「森と海」という二項対立もなくなっている・・・

海も海岸あたりは「海の顔」をしていますが、深海にはいっていくと「森」になっているのかもしれません。そうすると『マクベス』の「きれいはきたない、きたないはきれい」と同じで、「森は海、海は森」みたいな・・・

パリから走ってきたフランス人青年のお話では、なんかソローさんじゃないですけど、やはり電車や飛行機に乗ってしまうと見えないことが、足で移動することで見えるのかなあ、と思いました。

それで、こういう「いのちの場」を観念的でなく感覚的にとらえて、さらにその感覚を「持続」させるということが現代では難しくなっていますね。

山幸海幸のお話は、釣り針が赤鯛の喉にひっかかって、というくだりがなぜか印象にあるのですが、前後の流れをよく覚えていませんでした。wikiのあらすじを読むと、田んぼと水の話・・・なんですね。水の呪いと祝福・・・という感じです。うーん、唐突ですけど、やはり水道というシステムは人を傲慢にする気がします。水のありがたみ、というと説教臭いですけど、水の「重さ」を忘れたらイケナイのではないかという気が。

ポニョと清姫はたしかにイメージが重なりますね。でも宗介が安珍になったら・・・子供にはものすごいトラウマ映画になりそうです。ポニョが乗っていたおさかなの波は、リサさんにはただの波に見えていたようでした。「おさかなの上を女の子が走っていた」という宗介に、「おさかなぁ?」と答えてましたから。と思って『ポニョ』の公式サイトを見たら、やはりあれは子供だけが「さかな」と認識できるみたいです。

<リンクURL>

宗介がポニョを助けたときに波が寄せてきてポニョを取り返そうとしますが、そのときの宗介の反応が、なんか好きです。「へんなの」って。あっさりと。

おもちゃの船については、英語の掲示板にちょっと面白い書き込みがありました。計算すると、実際にボートを動かすには、ろうそくが30本以上必要みたいです。

<リンクURL>

ポニョ焼き、名前はキャッチーでよさげですが、やっぱり売れないかな・・・

Re: 森の神が死んだあと ネタバレ

2010/9/30 13:00 by IKA

aakuraraさん、こんにちは。

フランス人青年は、パリから日本海まで、ずっとユーラシア大陸を抜けてきたのですが……その間はどう感じていたのか……これはテレビでは言ってなかったのでわからないのですが……おそらくは、日本が「大きな森」と感じたのとは対照的な感覚だったのではないだろうか……。まったくの推測なんですが、このように感じました。

私はユーラシア大陸は行ったことがないのですが……この「まったくの推測」で言わせていただくのなら、「乾燥」ということじゃないかと感じます。

なんか、和辻さんの『風土』みたいな話になりますが……地球の大枠構造みたいなものは、その上に乗っかってる人間のものの考え方や捉え方にも大きな影響を持ってくるんじゃないか……と。外国人観光客の方々は、ふつうは新幹線や鉄道で日本を見てまわるので、観光地スポットにしか目がいかないけれど、このフランス青年君みたいに自分の足で走れば……自分の育った「風土」と根本的に違う「風土」が、身体で感じてわかるのかもしれませんね。

『マクベス』は、なぜか『バーナムの森がダンシネインに……』というところだけ、はっきり記憶に残っています。海幸山幸のお話は、水のコントロールの大切さみたいなものを語っている側面もありますね。多すぎても困るし、少なすぎても困る……ということで、シホミツ、シホヒルの2つの玉は、水の制御装置として海神から山幸に渡され、山幸はそれを駆使して海幸を支配する……水の制御権って、昔は生死を別ける重大事でしたから(今もそうですが)、その支配権を得た山幸が勝ち、天皇家の祖となった……ということなのでしょう。

水道というシステムは人を傲慢にする……まさにおっしゃるとおりです!

うちは、実は2年前に水道を引いたばかりなんです。以前にもどこかで書きましたが……それまでは、山から湧く「山水」を使ってました(地下水を汲む井戸水とは少し違います)。

この山水が曲者でして、うちまで引くパイプが百mくらい。そのどっかに空気が入ったり凍ったりすると、水が止まってしまいます。……そうなると悲惨でして、近くの「名水」にポリタンクをいくつも積んで、車で汲みに出かけます。幸い、車で5分もかからないところに、誰でも汲める「名水」が湧いているんですが……これが、口コミで町の人にも知られるようになって、多いときには車3台待ちくらい……なんか、業者じゃないの?と思うような人もおられて、ポリタンクが山のように……

今のところに引っ越して5年近く、こういう生活を続けました。山の水は、いちおう簡単にろ過するのですが、細かい土がいっぱい入っていまして、大雨なんかふると茶色に濁って使えなくなります。……まあ、タダってところだけがいいところで(ポンプの電気代はかかる)、いつも「水の心配」をする生活がずーっと続いていました。(あ、もう一つ。「味」も良かったです。結局「名水」の水と変わらないので)

今は水道になり……たしかに傲慢になったように感じますね。「水の神様」に祈るような気持ちも、いつか薄れていったのかも。「蛇口をひねれば出る」というのは、考えてみるとすごいことなのですね。……で、山水の湧き口にもいつしか足が遠くなり……もう草に覆われて森に還ろうとしています……昔、このあたりの数軒がみなこの湧き口に頼っていたころには常にきれいに草を刈って、きちんと整備されていたのですが……こうして、山では「人の領域」がちょっとずつ減っていく……水道は、確実に山を荒らしますね……。(というか、自然に還るということかもしれませんが)

あの波は、こどもにだけ「おさかな」に見えたのですね。なるほど。……私は、なんかあの波に、宮崎さんご自身の「自己韜晦」みたいなものを感じてしまいましたが、それは考えすぎですかね……。ろうそく30本は、ちょっと計算の仕方がよくわからなかったですが……電球1個の出力がろうそく1本より大として、ボートを動かすに必要な出力は最低でも1kwなので、30wの電球だと34個は必要。ろうそくだとそれ以上の数がいる……ということでいいのでしょうか。

ただ、ここにいう「ろうそく」は、あのでかくなったものを言ってるのか、それともふつうサイズのものなのかがいまいち良くわかりませんでした。あのでっかいろうそくなら、電球一個よりははるかに熱を出してるようにも思うのですが。……まあ、あの大きさのろうそく35本となると、ちょっと非現実的な感じにはなりますね。スペースの問題もあるし(7×5)、第一熱いし……機関車みたいに大きな「燃焼室」が必要になってきそうです。それに、すぐに船火事になりそう(焼きポニョに焼き宗介のできあがり!)

「ポニョ焼き、名前はキャッチー」……うーん、これについてはちょっと意味がわからないのですが、「人気者」ってことでいいのでしょうか。……ポニョは焼くだけじゃなくて羊羹にもできそう……ということで、ぽにょうかん、略して「ポニョ羹」なんてどうでっしゃろ?(にこごりかな?)

Re: 森の神が死んだあと

2010/10/2 18:30 by aakurara

IKAさん、こんにちは。

日本が大きな森なら、大陸のほうはなんだろうな、と私も思いました。「乾燥」・・・「ステップ」って感じでしょうかね。身にしみついた風土とか空気感のちがいというのは、画家が絵を描くときなんかにも表れるような気がします。日本の画家さんが洋画のスタイルでヨーロッパの風景を描いても、どこか湿り気があるような(佐伯祐三とか、そんな感じがします)。いやでも、おそらくこれはただの先入観で、西洋人と日本人が描いた絵を並べてどっちがどっちだ、と聞かれてもたぶん分からないですけど。

水道と「自然」のお話、書いてらっしゃいましたよね。ここに登録する前後に拝読して、おおなんとなくこの方とは気があいそうだ、と勝手に思っておりました。いやホントに水で苦労しないでよいというのは、人をダラクさせると思います。私などダラクしきってます・・・ それに、電気・ガス・水のうち、止まってしまったら一番困るのが水ですよね。そんな大事なものが蛇口をひねるくらいの小さな力で(さいきんはレバーを上げるだけでさらにカンタンに)どんどん出てくるというのは、なにかヒトとして当然負わなくてはいけない「必然」をすっとばしているのでは、と・・・まあ水道をふつうに使いまくっている私が言っても全然ダメですけど。

ろうそくの計算は、ローテクのボートを動かすのに1~2kw、ろうそく一本の出力は、せいぜい30~60wの電球をともすくらいのものだろうとあるので、単純に1000÷30で、30本ちょっと、という計算です。ろうそくがでかくなると熱量も大きくなるのか、これはごく簡単な理科の問題なのでしょうけど、文系の弱いところでサッパリ見当がつきませぬ。あと、大きくなったのも、ろうそくの分子そのものを大きくしたのか、分子の数をふやしたのか。その点も熱量の変化に関わるのでしょうかねえ。

キャッチーというのは「語呂がよくて万人受けしそう」というくらいの意味でした。英語のcatchyで「キャッチーなメロディー」みたいに使うことが多いようです。ボニョ焼きは、カステラだったらいいかもしれません。人形焼きみたいな。ポニョ羹は、あれですねえーと名称をわすれましたが、まんまるでゴム風船みたいなのに入ってて楊枝をさしてつるんとむく、あれです。あの方式でつくってほしいです。

それで・・・「おさかなの波」に宮崎さんの「自己韜晦」というのは、どういうことでせうか? なんか今回は質問のしあいになってますね。

Re: 森の神が死んだあと ネタバレ

2010/10/4 15:15 by IKA

aakuraraさん、こんにちは。

絵描きさんの『風土』関連って、面白そうですね。うーん、佐伯祐三、どうなんだろう……前に聞いた話では、油絵具というものはヨーロッパの気候風土に合うように造られているので、日本の気候風土ではあんまり具合良くないようなことを言ってました。まあこれは、「保存」の問題らしいのですが……

昔、油絵をちょこっとだけ描いていましたときに、あんまりにも乾きが遅いので、結局待ちきれずに次ぎの色を塗ってしまい、ぐちゃぐちゃに……。油絵は私には合わないわと思って、それ以来全然描いてないのですが……なんか、色を置いていく順番にもホントは決まりがあるようなのですね。西欧らしくロゴスに基づいた……。ともあれ、乾燥気候のヨーロッパで描けばもっと早く乾くのかもしれません。

やっぱり水道のお話は以前に書いておりましたね。重複で失礼しました。たぶんトイレのことも書いてあったと思うのですが、水洗トイレは困ります!タンクに入る水はバケツ2杯!くらいなので、「名水」で汲んできた水もあっというまに(「名水」をトイレに使うなんぞ、なんてゼイタクな)……お風呂は近くの温泉にいけばまだなんとかなりますが(これもゼイタク!)、ホント、一番困ったのはトイレでした。

でも、うち(当時)は、停電もまたやっかい……というのは、水を引っ張っているポンプが動かなくなると結局断水になっちゃうので。だから「停電」は即「断水」とセットの「2重苦」です。ガスはプロパンなので、ガス屋さんが道を通れる限り、止まることはないのですが……。

ここでちょっと脱線しまして……以前に、まことに奇妙なことを考えました。たとえば、ビールが好きでたまらない人には、ビール会社が「ビール道」を引いてあげるとか。蛇口をひねればビールが出てくる……。カレー大好きの人には「カレー道」。ラーメン大好き人間には「ラーメン道」……うーん、これはもしかしたら「ダムカレー」みたいなノリかもしれませんが、人間なんでも便利便利を求めると、ついにはこういう社会に至っても不思議はないのかも……。

水道を引いてもらうときに工事の方にいろいろお話をきいて面白かったんですが、水道の水は、給水所からうちの蛇口まで全部つながっている……あたりまえのことですが、これが大事なんだそうです。つまり、何トンかしりませんが、圧力がかかった状態でつながっているので、蛇口をひねったとたんに水が出るのだそうで……。これは電気もガスも一緒みたいですね。圧力差(電気だと電圧差)で送られてくる。地下の配水管や空中の送電線は、それだけで「閉じた世界」を形成していて、遠く離れた場所を常に「同一圧力」にするように働く……考えてみれば、とても不思議に思えてきます。

「ポニョ号」推進の秘密は結局でっかくなったろうそくの出せるエネルギーにあるみたいですね。炎も大きくなってますから、確実にエネルギーは大きくなっていると思うのですが……。分子そのものを大きくしているのか、分子の数を増やしているのか……これは難しい問題ですね。以前、ダイエットの話題で、「脂肪細胞の数そのものは変わらないが、一個一個の脂肪細胞が太る」ということをきいたことがあります。これをきいたとき、黄色い?脂肪細胞がどーんとでかくなるイメージがあって、恐怖でした。そうか、私のおなかは……

話題がそれましたが、分子そのものが大きくなっているとすると、これは「まわりとの調和」は大丈夫なんだろうか……と思いました。排出する炭酸ガスもでっかい分子……なんか、のちのちトラブルを起こしそうです。

まんまるでゴム風船みたいなのに入ってて楊枝をさしてつるんとむく……これですね!

<リンクURL>

wikiでみると、つくられたのが1937年ということで、これは新しいといっていいのか古いといっていいのか微妙なところです。なるほど、ポニョ羹は、これ、ぴったりですね。ついでにキアヌ羹も……(wikiには北海道の「まりも羊羹」というのが紹介されていて、これはもうまさにキアヌ羹!)

<リンクURL>

宮崎さんの自己韜晦……は、なんとなく書いちゃったので、深い意味はないのですが……ポニョの入ったビンを持って崖をのぼる宗介を追いかけてある程度まではいくんですが、途中で急に元気がなくなって、ごにょごにょぼしょぼしょと引き下がっていく有様に、なんとなくそんなものを感じた……ということで……。ホント、深い意味はありませぬ。なんか、波が、必要以上に中年的に描写されているように感じました。

Re: 森の神が死んだあと

2010/10/4 15:18 by IKA

wikiのリンクがうまくいかないようなので、下記にhを入れてやってみてください。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E7%BE%8A%E7%BE%B9

Re: 森の神が死んだあと ネタバレ

2010/10/6 20:17 by aakurara

IKAさん、こんばんは。

おおキアヌ羹、まさに・・・これ、食欲をそそるかどうかは別にして、翡翠みたいできれいですねえ。なんだか羊羹が食べたくなって、昨日おやつに「いもようかん」を買ってきちゃいました。「玉羊羹」も久しぶりに食べたいなぁ。(そういえば私が最初にIKAさんにお声掛けしたのも羊羹の話題でした。なんか羊羹が好きなのか自分?)

油絵って、色を置く順番に決まりがあるのですか。そんなところもロゴスに統制されているんですね。ふーむ、面白いです。風土と美術ということでは、たとえばアラビアの砂漠なんかでは、絵画が発達しないのってすごく分かりますよね。人の体も顔も布で覆っているから肖像画は描かれないだろうし、たしかユダヤ教といっしょで偶像崇拝厳禁だから、神や聖人の姿絵も描かれないし、風景も「ない」し(砂ばっかり・・・)、ということで、絵画よりも「書」が発達するのだろうなあ、と。でもアラビア書道ってなんか私は好きですね。西洋とはまた違った「ロゴスの意志」みたいなものを感じます。

この『ポニョ』にかんしては、英語の掲示板のほうで「アニメーションがぜんぜん大したことないジャン」ていう意見もあって、「え、ええっそうかなあ」と思ったのですが、西洋的な感性からすると、なにか(「ロゴス的」なもの?)が足りないように見えたりするのでしょうかねぇ。

ビール道、カレー道・・・うーん、なんか日本の都会に住んでいると、ちょっと歩けば24時間営業のコンビニが必ずあるので、それに近い環境になっているのかもしれません。水道・電気・ガスは圧力差で送られている、ということは、まるで「血管」みたいなモノなんですね。なんか人間が生活している場全体が、フランケンシュタインのつくった「怪物」なのだというふうに思えてきました。『ポニョ』のフジモトさんは、この「怪物」を殺して全体を「海」に戻すつもりだったのかな。

水が止まると一番困るのはトイレだとのことですが、私もそうだろうなあと想像していました。毎週ゴミ集積所に出すゴミも、どうなっているのかなあと時々思うのですが(ベネズエラではこんなことになっているようです <リンクURL>)、毎日の生活の中で「水に流して」いるモノも一体どういうことになっているのか、それがまったく見えないようになっている都市の生活、というものが、考えてみるとオソロシイものであるような気もします。

あの「おさかなの波」がポニョを拾った宗介を追いかけるシーンには、なんかそこはかとない切なさを感じました。それってIKAさんがおっしゃるように、「中年」の切なさだったのでしょうか・・・「それを返すのじゃ~」と言っているのに宗介にはぜんぜん伝わっていなくて、「へんなの」って一言であっさり振り切られてしまう・・・がっくしorz みたいな。うん言われてみますと、宮崎さんの自己韜晦も含まれていないことはないのかもしれませんね。でもあとで、橋の下では「ざばーん」と大きな波になってちゃんとポニョを取り返してましたね。「やるときゃやるんだぜ」ということでせうか。でも、くすぐられると「ぺしゃん」てなっちゃうところとか、なんというか憎めないキャラではありました。

Re: 森の神が死んだあと

2010/10/8 8:54 by IKA

aakuraraさん、こんにちは。

ええと……私は、ようかんよりういろう派?なんですが、これは私がN市で育ったからかもしれません(生まれはちがいますが)。N市では、ようかん派とういろう派がたぶん半分ずつくらいで(きわめておおざっぱな推定)、いもようかんをふかしたような?「鬼まんじゅう」という名物もあって……なんかにぎやかです。ちょっと田舎にいくと、これは全国区田舎名物の吾平もちですかね。やっぱり。

はじまりがようかんの話題……そうでした!たしか『アバター』が栗ようかん、みたいな……。なんかわれわれの場合、どうしても通奏低音にようかん(というか食べ物)があるような……。にしても、キアヌ羹、美しいですね。外国の人がみたら、どう思うでしょう。ちょっと食べ物にはみえないかも。まあ、ようかん自体、こりゃいったいなんじゃ?と思うのでしょうが。(外国に似た食べ物って、ありますかねえ……ゼリーとかムースなんでしょうが、あのきっちり直方体は……)

えーと、私は、油絵はほんの入口の入口の前の道に立ってたくらいなので、詳しいことはわからないのですが……かなり厳格な規則(色の順序)はあるみたいです。特に昔のものほど。

色の順序は、絵具の化学的な性質によるものと、描画効果によるものに大別されるようですが……化学的な性質の場合には、この絵具の上にこれを重ねると、あとで必ずひび割れや剥落、変色が起こる……といったタブー集が多いようです。これに対して描画効果は、まずデッサンに不透明色(だいたいモノクローム)で明暗を付け(グリザイユ)、その上から透明色で何回も塗り重ねる(グラッシ)というのが基本の描き方のようですが……あるいは、人肌を描くときには最初に緑系の絵具(テールヴェルトでしたっけ?)を置いて、その上から肌色系の暖色を重ねる。そうすると、人の肌の下にある静脈の効果が出せて、肌に深みが出るらしいです。

なんか、こんなような、タブーと決まりの集大成みたいなもので油絵はできているようでして……以前に、絵画修復家の書かれた本を読んだんですが、ゴッホの絵は、情熱にまかせて思いのままにキャンバスに絵具を塗っていったみたいなイメージがあるけれども実際にはそうじゃなくて、かなり厳格に「色の順序」を守って丁寧に描かれている……ということでした。だから百年以上たってもひび割れがあまりなく、剥落も変色もなく、描かれた当時の状態を保っている……ということらしいです(えーと、前にどっかで書いた気がします)。なので、そういう規則を知らない人がゴッホのまねをしてキャンバスに絵具を塗りたくると、数年でクラックや剥落、変色が起こってみる影もない絵になるんだとか。

まあ、今の油絵具は相当改良(というか化学合成品への代替)がなされているみたいなので、そういう点はよっぽど大丈夫にはなってきていると思うのですが……でもやっぱり油絵は難しいですね(私にとっては)。

アラビアでは、絵画が発達しなかったかわりに模様(アラベスク?)がすごいですよね。モスクをめいっぱい覆ってたりして。アラビア書道もアラベスク模様になりかかってるのもありますよね。あれは、迫力があって私も好きです。……というか、アラビア文字自体が「読めない」ので大好きなんですが……ホント、なにが書いてあるかまったくわかりません。うちの父親は、アラビア文字でなんか書いてあると、必ず「ジルジャン!」と言ってました。ジルジャンはシンバルメーカーで、ロゴがアラビア文字だったらしい。区別がつかないので、全部「ジルジャン」になります。……うーん、日本の文字も、外国人から見れば似たようなものなんでしょうね。全部「トヨタ」なのか……

キリスト教なんか、偶像崇拝厳禁のイスラムやユダヤ教からみれば「甘い!」と映るんでしょうかね。仏像をご本尊として拝む仏教に至るとなにをかいわんや……でも、仏教も、最初のうちは偶像崇拝禁止だったようなことを聞いたことがあるんですが……。やっぱり、なんか「拝むもの」がないと頼りないんでしょうね、人間って。そういえば、神社なんかだと、「ご神体」をふつうは見せないので、これは偶像崇拝になるのかならないのか……ちょっとからめ手から攻めてる感じです。

『ポニョ』は、海外の方にとっては「アニメーションがぜんぜん大したことないジャン」……なんですか……うーん、これは、いわゆる「フルアニメ」と「リミティッドアニメ」の差なんでしょうかねえ……このあたりは詳しくないんですが、ディズニーなんかだと、コマ数も1秒24コマ。これに対して日本の場合は1秒12コマとか8コマとかで半分以下だそうです。『ポニョ』は何コマでやってるのかしりませんが、あの動き方からすると、1秒24コマではないと思います。

「フルアニメ」と「リミティッドアニメ」の差は、コマ数だけではないようですが、コマ数は明らかに動きに差が出ますよね。映画の1秒あたりのコマ数が24ということなので、「フルアニメ」は動き方を工夫すれば、かなり「実写映画の動き」に近い印象を与えることができます。ところが、コマ数が12とか8になると、早い動きがギクシャクして、かなり「アニメっぽく」なってしまうので……そのあたりが海外の人には「手抜きじゃん!」と思えてしまうのかもしれません。

東映動画の『白蛇伝』なんかは滑らかに動いていたように思うので、おそらく「フルアニメ」だったんではないでしょうか。日本のアニメが「リミティッド」になったのはいつごろからかわかりませんが、おそらくテレビ版の『鉄腕アトム』がはじまりじゃないかなあ(……と、これは推測)。『鉄腕アトム』は明らかに1秒12コマ以下だったと思います。同じシーンのくりかえし使用(バンキング?)も多いし、静止画で口だけ動いてしゃべるとか、なんとかして省力化しようという(涙ぐましい?)努力が、結果として日本特有の「アニメ」の源になった……という印象です。

『アトム』以来の日本のアニメの動きになれた日本人は、フルアニメの動きはかえって「気持ちわるい」と思うこともあるようですね。要するに、日本と海外では、もう「アニメ受容脳」の構造が完全に違っちゃってるのかもしれません。もっとも、今は日本のアニメが盛んに海外に行ってますから、海外でも「日本型アニメ受容脳」を持っている人は多いのかもしれませんが……。

コマ数とかだけ見れば、「日本人って、なんでも器用に省力化するなあ……」ということになるのですが、なんか、根底には、「日本文化の抽象能力」みたいなものがあるような気がしてならないんですよね。……私は能が好きなので、また能のお話で……ということになるのですが、『葵上』をはじめて見たとき、ホントに驚きました(また、前に書いてるかもです)。このお話は、病床にある葵上を六条御息所の生霊が襲う……ということなんですが、「病床の葵上」が衣一枚!一枚の衣を舞台に敷いただけで表されている……!こういう感覚って、ずっと今に伝わって、あの日本のアニメの動きになっている……というのは言いすぎでしょうか。

絵でもそうですが、西欧の絵画は、できるだけ実際に目で見た印象に近づくように描こうとしますよね。でも、日本画の場合には「線」でささっと表したり……要するに、事細かに全部を語っていかないと「表現」にならないと考えるやり方と、どんどん省略して必要なところだけ表せばよい、と考えるやり方の違い……みたいなものはあるんじゃないかと思います。もし、日本人が「省略タイプ」じゃなかったら、あの『鉄腕アトム』はそれこそ「アニメの風上にも置けぬ」という評価で、リミティッドアニメが日本に定着することはなかったのでは……。

英語の掲示板の書きこみからなんか大げさな話になってしまいました。例のごとくの妄想なので、お忘れください……。

水道・電気・ガスと「血管」の対比は面白かったです。……それで思ったんですが、たとえば水道なんかだと、ポンプが連続的に動いて、蛇口からは一定の圧力で滑らかに水が出てきますよね。でも、心臓は一定のリズムで収縮して血液を送り出すので、身体全体に「拍動」が生じる……これを応用して、「拍動水道」というのを作ったら面白いかな……と。蛇口をひねると、水が脈を打ちながら出てくる水道……なんか「生命」みたいなものを感じさせて、「水のありがたみ」が増すのでは(地球の鼓動……みたいな)。

ガスも電気も脈打つと面白いですね。ガスの炎が一定のリズムで大きくなったり小さくなったり……電気器具も、たとえば扇風機をつけていても風が強まったり弱まったり……電灯も明るさが脈打ち、テレビ画面も脈打つ……パソコンなんかも処理速度が脈を打って揺れるので、パソコンの「呼吸」に合わせて使うコツを身につけないとスムーズな操作ができない……と、妄想は広がって際限がありませんので、これくらいでやめます。すみません……。

ベネズエラの写真、見ました。美しい……。文章から受ける悲惨のきわみみたいな感じを写真の方がみごとに裏切ってます。写真って、こわいもんだと思いました。生々しさがするっと消えて、天国の物語のような情景になってますね。人もゴミも清められて「聖なるもの」に……。毎日の生活の中で「水に流して」いるモノ……昔の人は、なんでも燃やせばおしまい、水に流せばそれで終わりみたいに感じていたみたいです。今でも、海辺の人なんか、お年の人は吸い終わったタバコを平気で海にすてます。下にポニョがいるかもしれないのに……

そういえば、ポニョの海の底にはガラクタがいっぱい……というシーンもありました。今は簡単に分解されないものが多いので、受け入れるほうの海も大変でしょう。……都市生活でも、昭和の中ごろまでは街の真中まで周辺の農家の人が「こえ」をもらいに来ていて、なんか「リサイクル」が成立していたようなイメージがありましたが、今は見えない下水道に吸い込まれて、その先は巨大なブラックボックスに……江戸時代は「自給自足」といわれますが、また「自廃自処理」のシステムがかなりうまくいってたのでしょうね。要するに、自分たちで処理できる程度にしか消費しない……ということで、使用と廃棄のバランスさえ釣り合わせておけば、そのシステムはけっこう長持ちするのでしょう。

「おさかなの波」って、グッズになってるんでしょうかね。なんか人気でそうな気がします(ポニョより?)。「さかなみくん」って名前はどうでっしゃろか?

Re: 森の神が死んだあと

2010/10/11 16:30 by aakurara

IKAさん、こんにちは。

ういろう、いいですねえ。ようかんの「ねっとり」感が油性ボールペンだとしたら、ういろうはゲルインキのペン、という感じ(すいません、ヘンな比喩で・・・若干、文具マニアも入っていますのでわたくし)。鬼まんじゅうは、なんか家でもつくれそうですね。吾平餅もおいしそう・・・あと私は「ゆべし」とかも好きです。外国にようかんと似た食べ物があるか、ってちょっと考えてみたのですが、結局チョコレート、が一番近いものになるんでしょうか。黒くて四角いということで。生チョコだとけっこう「ねっとり」しますし。

油絵のお話、面白いです! ゴッホさんの絵もああ見えて、実は厳密なロゴスの産物なのですね。そういう規則にのっとった手順をふまえた上で「表現」ができるというのは、やはり「足腰の強さ」ですよね。そういえば、大気や自然の中に「気」のようなものが充満しているみたいな、あのうねうねしたゴッホの描線の感じは、『ポニョ』の「おさかなみ」とも少し近いような。

ちょうど昨日、ミケランジェロのことを扱ったBBC制作のドキュメンタリーをみたのですが、天井画というのも、まず漆喰を塗ってそれが乾く前に顔料を入れて、そのやり方にやっぱりいろいろ決まりがあって、失敗すると意図した色が出なかったりカビが発生したりとかして、難しかったみたいですね。しかしミケランジェロさん、けっこうお金もうけてたらしいです。亡くなったときに、かなりの貯金があって土地も持っていたとか。でも彫刻から天井画・壁画から建築まで、なんだかやはり、すごい才能ですよね。システィーナ礼拝堂の天井画やら彼のデザインした建築やらをナマで見てみたくなりました。

話はかわり、ジルジャンって調べてみるとずいぶん古いブランドなんですね。しかも発祥がトルコとは。シンバルになぜかアラビア文字、というのは意識の片隅で不思議なことNo.56くらいになってました(56というのは適当です)が、その謎が解けました。いまは「Zildjian」というアラビア文字ふうのローマ字のロゴになっているみたいですが、どなたかのブログでむかしのジルジャンの写真が載っているのを見つけました。そうそう私の意識の隅っこにあったのも、こんなイメージです↓

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wikiによれば、ジルジャンのシンバルは早くも17世紀にはヨーロッパで使われていたようですね。そして1920年代にアメリカに移民したジルジャン一族の後継者がアヴェディス・ジルジャン社を設立・・・ なんか映画の題材になりそうなお話です。

日本の文字は全部「トヨタ」、かもしれないですねー。「いやソニーではないか?」とも一瞬思いましたが、ソニーはアメリカの会社だと思っているアメリカ人も少なからずいるようなので。あとタトゥーとかTシャツのデザインとかに、けっこう日本の文字使われていますよね。たまにオカシナことになっているのもあるみたいですけど。まあ、ですが日本でつくっている商品にデザインとして書かれている英語もずいぶんヘンだったりするので、お互いさまですね。

「フルアニメ」と「リミティッドアニメ」というのがあるのも知りませんでした。前に『一寸法師 ちび助物語』という1935年の無声アニメを観たことがありまして、キャラクタとか動きとかが、かなりディズニーに影響されている感じがしたのですが・・・おっと探してみたらこれも夕中部にありました。

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富士額のネズミさんの1928年の出世作(↓)と比べると・・・

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一秒あたりの作画数が、すこし違いそうな気もしますがうーむ、どうでしょう。

病床の葵上が衣一枚で表現される、というのはカッコいいですねえ。「省略」によって表現が豊かになるかビンボーくさくなるか、ここを分けるのは、どちらかというと技術よりセンスなのかなあと思うのですが、いずれにしても「省略のための訓練」みたいなものも必要なんですよね。書道で草書を習っていたときに、そんなふうに感じました。やはりこれも「足腰の鍛錬」が要るなぁと。

脈拍水道に脈拍ガス、脈拍電気・・・電気は、えらいこと目がわるくなりそうですね。CDで音楽をかけるとどうなっちゃうんでしょう。

報道写真ってむずかしいですよね。NY Timesのベネズエラの写真、たしかに美しすぎるんです。「聖なるもの」という表現でふと思ったのですが、悲惨さを美化するという心性は日本にもあると思うのですが、それを「受難」として聖化するというのは西洋的(というかキリスト教的)でしょうかね。

子供のころ、私の祖父母の家のトイレもまだ「汲み取り式」でした。使用と廃棄のバランスは、廃棄物のゆくえがまったく見えなくなってしまうと、どんどん崩れる一方である気がします。なんか、税金を安くするかわりに、ゴミや下水処理の作業を国民が交代でやるとか・・・そんなシステムにしたらどうでしょうか??

ポニョグッズには、こんなのがあるようです。

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おさかなみくんのヌイグルミとかは、ないみたいですね。なんか私は「ポニョゆらゆらシャープペン」というのが少しほしいかも・・・ キャラクターグッズといえば、ディズニーのグッズって、自分で買う気がなくてもいつのまにか家にひとつくらいはあったりして、あの遍在性が少しコワいです。いつの間に入ってきたんだー! みたいな。ないですか、そういうディズニーグッズ?

Re: 森の神が死んだあと

2010/10/13 11:38 by IKA

aakuraraさん、こんにちは。

ようかん→油性ボールペン、ういろう→ゲルインキのペン、とすると、水生サインペンはなにになるのでしょうか。葛きりとか……?鬼まんじゅうは油絵具でっしゃろか?五平餅はポスターカラーかな?チョコレートはコールタール……はちょっとかわいそうですかね。ゆべしはなんとなく蛍光黄色マーカーみたいな……。

外国にようかんと似たもの……そういえば、もうだいぶ前、大阪の鶴橋駅下の韓国のお店がいっぱいあるところを覗きましたが、四角い煮こごりみたいなものがあったのを記憶しています。味はわかりませんが、こげ茶色がダシの色とすれば、お惣菜系の味だったんだろうと思いますが、見た感じはようかんに似てなくもない……ほかにもいろいろ、不思議な食べ物が並んでいました。

ゆべしは、以前に静岡県の山奥に行ったら、神主さんのおうちに近所の人たちが集まって、たくさんつくっておられました。秋になるといつも作るのだそうで、なかなかおいしそうでしたよ。五平餅はうちの近くの田舎物品販売所なんかにもおいてあるみたいですが……一本でおなかいっぱいになります。たぶん茶碗一杯のご飯は使ってるなという感じです。……食べ物の話になると際限ありませんが。

ゴッホの絵の「なみなみ」は独特ですよね。「気のようなもの」……たしかに私もそう感じました。「星月夜」なんか、夜の空の空気自体が踊ってますよね。……ゴッホは、正式な美術教育は短期間だったと思うのですが、いろんな絵描き仲間から大いに学んだのではないでしょうか。オランダ時代の作品は、伝統的な油絵技法をきちんとふまえて描いているように見えますし。彼のころは、ちょうど絵具の製法なんかも変革期だったと思うので、一枚一枚が技法の実験作だったのかもしれません。(チューブ入りの油絵具ができたのは19世紀に入ってからだといいますし)

印象派以前は、デッサンはともかく、油絵は屋内で描くしかなかったみたいですね。自分で絵具を調合しながら……チューブ入りの絵具の発明が印象派をつくった!というのは言いすぎだと思いますが、「外で色が塗れる」という状態を実現したのはたしかに大きな変革だったかも。絵の明るさは、基本的に描いてる場所の明るさになるので、外光で描けば外光の明るさになる……。ヨーロッパだから「外光」といっても抑制されているのかもしれませんが、日本のかんかん照りの屋外で絵を描くのはちょっとムリかも……です。(目をやられます)

天井画で、まず漆喰を塗ってそれが乾く前に顔料を入れて……これは、いわゆる「フレスコ」ですよね。フレスコって、すごく難しいみたいで、漆喰が乾くまでが勝負!なので、かなりの力量が要求されるとか。ダ・ヴィンチはこの「せかされる技法」はあまりお好きじゃなかったようで、有名な「最後の晩餐」はテンペラ画だそうです。……でも結果として、剥落がかなりひどかったようですが。フレスコは絵具が壁と一体になるので、かなり堅牢みたいですね。

日本でもフレスコ画で建築の絵画を描いておられる方がおみえになるようで、ジブリ美術館の天井画もこの方々の作品みたいです。

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ミケランジェロはお金持ちでしたか。絵描きと彫刻家と建築家を兼務する人は、現代では少なくなってるみたいですが、コルビジェなんかは絵画作品もかなり残しているようですね。……絵描きと建築家はなぜか相性がいいみたいですが、彫刻家と建築家はちょっと違うみたいです。現代では。……建築も彫刻も同じ立体なんですが、なぜか内部に持ってるものがかなり違うという気がします。

ジルジャンのアラビア文字ロゴ、迫力ありますねー。なんか、顔文字みたいにも見えます。結局今はアメリカの会社なんですね。……そういえば、この間テレビで、トルコだったかのシンバル製作所を紹介していました。最初、ラグビーボールを潰したような金属のカタマリなんですが、それが見事にシンバルのかたちになっていきます。……シンバルは、クラシックでもジャズでもポピュラーでも使うから、全世界ではけっこう需要があるのでしょうね。ジルジャン社の歴史、wikiで見ましたが、ほんと、映画の材料ぽい……キャメロンさんなんか好まれるんじゃないでしょうか。こういうストーリー。

そういえば、楽器のブランドってみんな映画になれそうな感じですよね。ピアノのスタインウェイもそうだし、弦楽器のストラディヴァリとかアマティとか。アコーディオンはエキセルシャーというメーカーが有名なんですが、これは調べてみると1924年にニューヨークで創業……ということで、まさに「あの時代」の雰囲気濃厚です。以前見た『ダークシティ』という映画はまさにその時代そのもので、登場する刑事さんがなぜか小さなアコーディオンをしょっちゅう弾いてるんですね……。ジェニファー・コネリーが歌姫として登場して、いい雰囲気を出してました。

日本の文字は、「ソニー」かもしれません。音の響きからすると、アメリカの人にも違和感ないのでしょうね。「パナソニック」は「ソニー」にあやかったのか……私は、こどものころ「スバル」は外国語と信じて疑いませんでした。なんと、古典にも出てくる古い日本語だったとは……Tシャツのデザインなら「へんなの」とわかれば着替えればいいけど、タトゥーが「へんなの」とわかったら困りますね……。

そういえば、うちの近く(といっても車で30分くらい)のところにあるお店の看板に「ドンキ・ホーテ」と書いてありました。……私も小さいころはドンキで切って読んでたので、のちに「ドン・キホーテ」なんだよと教えられたときにはにわかに信じられませんでしたが……上に書いた「スタインウェイ」も厳密にいうと変ですよね。半分へんなドイツ語半分英語……(と、このことは前にどっかで書きました)。知り合いで、自分のお店に「this is it」ってつけた人がいますが、これはこれでいいのでしょうねえ……。

『一寸法師 ちび助物語』とミッキー、拝見しました。なるほど、かなり動きは似ていますね。……これは、もしかしたら無声映画でよく使われたという一秒16コマではないかいな……と思いながら見ておりました。……両方とも、なんだかゴムみたいな力が画面に働いているみたいですね。ミッキーの方がより濃密度ではありますが……。

この2作は、この間見た『メトロポリス』とほぼ同時期なんですね。……考えてみると、映画って、実写もアニメも、この時期には、なんか一応の完成状態に達していたような感じも受けます。このあとトーキーとカラーが出てきてかなり変わっていくわけですけれど、この時期の無声映画というのは一種の適正技術と申しますか、技術的にもう完成の域にあって、内容的にもかなりハイレベルですよね。……レンタル店にもあんまり置いてないので全貌みたいなものは知るよしもないですが……。(かえって雄忠部で見られるのかな?)

能では、演者が舞台に寝るということが考えられないので、結局「着物一枚」になったんじゃないかと思います。座る、まではやりますけれど、背中はつけませんね……ちょっとレスリングにも似てますが。腰から上はいつも立てた状態みたいです。……能はなんでも省略で、関東の人が「都へでも……」といって舞台を一回りすると「いそぎそうろうほどに、はや着きにけり……」新幹線なんか目じゃないです。超音速ジェットより早い……。

草書は、私はまったくわかりません。行書もわからないですが……あれは、規則を覚えないとだめみたいですね。古文書なんか、プロの方はすいすい読まれますが、私には超能力に等しいです。……漢字の書体でいちばんすきなのは甲骨文字とか金文で、つぎに篆書体、隷書体……ようするに、読めないのがいいんですが……なぜか草書の読めないモードは苦手です。読めるはずの文字が読めない……というのがだめなのかな?

NY Timesのベネズエラの写真は、光のかげんがもう、神々しいまでに……たしかに「受難」としての聖化かもしれません。日本だと、土門拳とか奈良原一高の写真みたいになるんでしょうか。(著作権の関連と思いますが、ネットではあんまり画像は出てきません……)そういえば、水木さんの漫画のワンシーンなんかも「日常」をかなり「聖化」してますよね。電柱さえもアートになってます。

ゴミや下水処理の作業を国民が交代でやる……うちのあたりでしょっちゅうやってる「川そうじ」とか「草刈り」は、まさにそういうシステムです。地域で分担が決まっていて、こっからここまではこの組の割り当て……みたいに道や川が分けてあって、自分の組の分担分をみんなで手分けしてやります。「強制じゃないよ」とは言うのですが、やっぱりさぼるわけにはいかなくて、けっこうがんばって参加してます。……でもやってると、なぜか「地域一体感」が村々と……。

街では、そういうことはぜんぶお役所まかせ、業者まかせでした。たしかに。……ヴェーユさんじゃないけど、「権利」ばっかりでっぱってくるシステムですよね。「枯葉で側溝が詰まってる。なんとかせい!」とか……自分でちょっと掃除すりゃいいのに、お役所にいうもんで、お役所は枝を切ってしまって、景観だいなしに……これにたいして田舎の「みんなでやる」はかなりの「純粋義務」です。もうあの文章そのものが生きてそこにある感じです。「やらなきゃならないことなので、やる」という以上のものはなく、そこでぴったり止まります。うーん、けっこう美しいです。田舎に越して学んだいちばんいいものだったかもしれません。

歩女グッズ、いっぱいあるんですねー。私はこの中だと、「ぜんまいポニョ」とか「ポンポン船消しゴム」なんかが好みかな。にしても、やっぱり「夏向け」が多そう。ジブリ作品はいつも夏休み公開だから、だいたいそうなるのでしょうが……。たしかにディズニーのグッズは家のどっかにあるかもしれません。私はあんまり好きじゃないので自分で買った覚えはないのですが……(こんどさがしてみよう)

うちの父は私とちがってディズニー大好き人間で、昭和初期にもう「ミッキーマウス倶楽部」の会員になってたといってました。日本でもかなり早い会員だったそうです。アコーディオンで「ミッキーマウス倶楽部の歌」を楽しそうに弾きます。「ぼくらの倶楽部のリーダーは……」というアレです。そのおかげで、ディズニーアニメは無条件で封切りに連れてってくれました。(実は父が見たかった)……そんなに見たのに、なぜかあんまり好きになれなかったのは不思議ですが……こればっかりは個人の好みなんでしょうね。

(略)





コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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