Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事· いのちって何?
五井平和財団が主催する国際ユース作文コンテスト、2021年度のテーマは「いのちって何?」。
以下は、子どもの部で最優秀賞となった作文です。いのちをどう教えるか、それがおとなの大切な役目と考えながら読みました。
「最後に残るのは命」 (原文は英語)
ビバーン・カトゥリア(9 歳)インド・ハリヤナ州グルガオン市
2021 年はとても暗い年明けとなりました。僕の祖母がガンと闘っていたからです。
今度のガンは神 経を侵すガンでした。僕は、両親が祖母の治りょうについてとても辛い話をしていたのを覚えています。何度も病院に通う両親や、画像診断や化学りょうほうを受ける祖母のことも。
家族全員が心配する一方で、祖母はずっと前向きでした。これまでに二度もガンに打ち勝ったからです。 祖母は、体が弱っている時でも家事をかかしませんでした。痛みで座ることもできなかった日もありました。それでも祖母は、起き上がってバルコニーを見て回りました。そこは祖母の心のよりどころでした。自分が育てた植物を見たとたん、祖母の顔が明るくなったのを覚えています。心をこめて育てた植物を祖母がやさしくなでる様子も覚えています。
祖母はよく、植物の名前を僕に教えてくれました。僕は、水やりをしたり、枯葉を取り除くのを手伝いました。祖母は、夕食で残ったパンを捨てるようなことは誰にもさせませんでした。朝になると、そのパンを 小さくちぎって鳥のエサにしていました。以前はこれを祖母が全部一人でしていましたが、体力が落ちてくると、僕が手伝うようになりました。バルコニーではスズメたちが、僕たちが来てエサをくれるのを今か今かと待っていました。時々、エサをあげるのを忘れたり、あげるのが遅くなったりするとスズメたちは高い声で鳴いて大騒ぎをしました。そして、ずっと鳴きやまずに、お腹をすかせて僕たちにエサをせがんできました。
2 月の初め、突然すべてが終わりました。祖母が急に亡くなったのです。日に日に病状が良くなっていた祖母は、4度目の化学りょうほうを受けに病院に行きましたが、帰宅した後に倒れてしまいました。僕たちは皆、祖母のそばについていました。
祖母が亡くなるのを見て、僕の胸は張りさけました。これほどの痛みは、それまで一度も経験したことがありませんでした。僕は母に、どうやったら祖母を 生き返らせることができるのか、何度も聞きました。助けてくれる医師はいないのかと。それに対して母は、祖母の命は取り戻せないと答えました。母は「死んだら、それで終わりよ」と言いました。これ までにない大きなショックを受けました。
死んだらそれで終わりなのでしょうか。命は、生と死のびみょうなバランスを保っているだけで、いつ傾いてもおかしくないものなのでしょうか。死んだらそれで終わりというのなら、僕たちは何のために生きているのでしょうか。死ぬことが僕たちの終着点だとしたら、僕たちが何かをすることにどんな意味があるのでしょうか。
頭の中にそんな疑問がわいてきて、僕は何日間も混乱しました。命なんて無意味だと感じました。皆いつかこの世を去り、僕の両親も友だちも、そして僕自身も、いつかいなくなる。僕はとても心細く感じ、祖母のことが恋しくてたまらなくなりました。
2 月の終わりのある日、ちょうどお昼ごろのことです。僕はこの時のことをはっきりと覚えています。僕が自分の部屋で本を読んでいると、バルコニーで甲高い鳴き声がしました。バルコニーに出てみると、いつものように数羽のスズメがエサを欲しがって鳴いていました。僕はこの時、もう何日間も誰 もスズメにエサをあげていないことに気づきました。植物もしおれてしまって元気がありません。僕はすぐさまスズメにあげるパンを取りに行き、植物に水をあげました。
こうして世話をしていると、祖母の近くにいるように感じました。祖母がまだ生きているかのように感じたのです。祖母からエサをもらおうとするこのスズメたちの中に祖母は生きている。大切に育てていた植物の中に祖母は生きている。祖母がやり残した仕事を引き継いだ僕の中に祖母は生きている。祖母自身はそこにはいないかもしれませんが、祖母が残してくれたもの、植物とスズメたちへの祖母の愛情は、僕がそう願うかぎり、ずっとそこに生き続けるでしょう。
僕たちは、自分たちの行動や行いの中に生き続けます。僕には今、それがわかり、そう信じています。僕たちは、自分たちが作り出すもの、自分たちが残す強い印象の中に生き続けます。画家は、その人が描いた絵によって、亡くなってからもずっと人々の記憶に残ります。建築家もそうです。堂々と建つ建物によって、亡くなって何年経っても、僕たちはその建築家を忘れません。マハトマ・ガンジーは、彼が抱いた非暴力と平和の思想の中に生き続けています。僕が大好きな作家、ロアルド・ダールもそうです。彼が考え出した愉快なキャラクターと素晴らしいストーリーの中に彼は生きています。
僕たちは、永遠に残る思い出を作り出すように努力するべきだと思います。物、思想、芸術、ダンス の振り付け、詩、映画、彫刻、メロディ、庭、建物、本などのように、永久に残るものです。誰かの心の中に決して消えることのない痕跡を残すこと。生きることの目的はそうあるべきではないでしょうか。そうすれば、僕たちは永遠に生き続け、最後に残るのは命だと言えるのだと思います。
Facebook Emi Mumemoさん投稿記事
医療従事者にとって癌なんて日常茶飯事の病気で、私のように癌の一歩手前の状態なんて、医療従事者からしたら大したことないんだと思ってた。看護師である母に言っても驚いていなかったし、上司に報告しても淡々としていた。他の先輩は重い病気でも働いてるし、今の私の状態で、不安になったり落ち込んでいたらいけないのかと思ってた。
けど、今日、指導者の先輩に報告したら、すごく心配してくれて、逆にビックリした。「それは他の人と比べることじゃないですよ、不安になるのは当然のことなんで。自分のことを最優先にして下さいね」って言ってくれて、私の気持ちに寄り添ってくれた。
ずっと職場では気を張って働いていたけど、先輩の優しさに気持ちが緩んで、仮眠室で泣いてしまった。
癌なんてありふれた病気なのかもしれない。けど、やっぱり自分の身に起きるととんでもない衝撃で、不安でいっぱいになる。その不安を理解してもらえるだけでこんなに救われるんだなあと改めて実感した。
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