Facebook・石山 裕雅さん投稿記事·
前世の絆に想いを寄せて
“あな さやけ〜”と常闇に響き渡る女神の明るい声
日本の伝統芸能のあけぼの、根幹と言えばアメノウズメノミコトが八百万の神々を巻き込み岩戸の前で舞い踊った技芸 それを神楽という
更に神楽の源水を辿ると一万数千年という途方もない縄文時代に行き着く
私が伝承する武州里神楽はその流れを正統に受け継ぐ神楽であります 自称、令和に縄文を伝える神楽人
私は300年、十代に亘り神楽芸を受け継ぐ宗家家元の運命を歩んでいる
神楽とは?と問われれば、ウズメノミコトの理念を元に、神に祈りを人には祝福を届ける芸能、と答えたい
そんな神楽を伝える私に神様は出逢いを授けて下さった それは武楽創始家元の源光士郎さんとの出逢い
武楽の武の精神は強きものは弱きものを助け、命より名を惜しむ、恥を知れ、といった極めて高潔な人として在り方だと考えている 源さんはまさにそんなお人柄だ
武楽を生み出した創始家元の源さんとはいくつかの運命の接点をもって一瞬早からず一瞬遅からずのタイミングで出逢いを頂いた
神楽と武楽の力を掛け合わせてお客さんをワクワクさせることができるのではないか?
私も十代目家元ではあるが、それまでの九人の家元を重荷や足枷にするのでなく、それを力に転じ皆様からの期待を励みとし、初代創始のつもりで道を切り拓いてきた
源さんは武道と能を掛け合わせて新たな芸能を生み出してきたバイタリティとタフネスを持っておられる わずか15周年でここまで立ち上げて来られた これは凄いこと、心より感服しています
この度お声かけ頂いた『神曲〜修羅六道〜』の構成は壮大で深く、素晴らしい可能性を秘めた作品だと思う
人がなぜ生まれ、出逢い、恋をし、夢に挫折し、己の弱さに葛藤し、子を育て、親が逝き、老いて死を迎える、その人生劇の監修者たる神は人に何を求めているのか?を問うているような作品
答えは一人一人の人生観や感性に委ねられている、人生は難解で面白く無限の可能に満ち満ちている
舞台を観るお客様の視点は神様に限りなく近く、この作品は一人一人の解釈、感じ方ができる
私は大蛇 月蜘蛛(実は弁慶)という神楽風な役を頂いている
神楽では素戔嗚尊と大蛇の格闘の場面を『大蛇退治』といい、神楽でも人気の曲
神功皇后が登場する神楽は『八幡山』、私は神功皇后を弓矢を駆使して舞うことが多く、好きな役の一つ
神曲の様々な場面で時にダンテの敵として、時に味方として舞台を彩ってゆきます
中には義経弁慶の主従愛を描いた部分もあり、神楽には出て来ない武蔵坊弁慶を演じるのはとても新鮮であります
ここは歌舞伎調に演じます
そう言えば私の先祖には歌舞伎役者もおりまして 修羅王では篠笛、能管の生演奏に出る
修羅六道ならぬ神楽六道くらいの大暴れを楽しくさせて頂きたい
楽屋もまさに早着替えで火の車、修羅の楽屋でありましょう
また神楽囃子の音源収録の重ね演奏、振り付け、演出などにも助言させて頂き、源さんや奥秀太郎監督が『神曲』の生みの親なら私は生みの叔父さん?くらいのつもりで作品の成長を手助けさせて頂ければ幸いです
先日、テレビでイタリアのフィレンツェを観た、まさにダンテの故国イタリアへこの作品で持っていくのだ!と予感めいた引き寄せを感じた
源氏とリアルでゆっくりと話をしたのはコロナ禍真っ最中の2020年10月、互いのこれまでの道、今思うこと、未来へのビジョンを語り合った
そこでちらりと神曲の構想も出ていた それが一つの結実を得る舞台となる
この舞台を終え、このダンテ武楽チームに更なる舞台が待ち構えていることを私は確信する
武楽座の更なる飛翔を畏み祈念申し上げます
弥栄
無形文化財「武州里神楽」石山社中
十世宗家家元 石山裕雅 太夫
【11/9 新作公演】
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武楽「神曲 修羅六道」
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ダンテ没後700年記念
武楽 誕生15周年記念公演
源 光士郎 製作総指揮・作・脚本
https://warai-souken.co.jp/722 【ニッポンの笑い②「古語拾遺」】より
以前、ブログで「天の岩戸開き神話」について紹介しましたが、大同2年(807年)に斎部広成によって編纂された『古語拾遺』にも、その様子が残されています。
あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけ
あはれ とは、天晴れ。世界が明るくなった様子そのものです。これが、あっぱれの語源とも言われています。
あなおもしろとは、とても面が白いということ。世界が照らされてみんなの顔が白くなった様子です。これが、”おもしろい(=面白い)”の語源とも言われています。
あなたのしとは、とても楽しいということ。世界が再び明るくなって嬉しい、楽しい様子です。みんなが手をのばして喜んでいる様子を「手伸し(=てのし)」と呼び、そこから「たのし」となったとも言われています。
あなさやけ おけ とは、植物も木々も喜んでいる様子です。人間だけでなく、植物もさやさやと揺れて喜びました。そういった様子が古語拾遺には書かれています。
まだまだ多くの人には知られていない、日本の笑いの歴史。
神話として、祭りとして、言葉として・・・様々な形で残されています。
“人として”を加え、大いに笑って、未来へとつなげていきましょう!
あっはっはっはっは〜!
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