「戦争」ではなく「共生」を

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/interview/detail/opinion_01.html   【私はこう考える コロナウイルスとの闘い 「戦争」ではなく「共生」を】

長崎大学 山本太郎教授

戦争にもたとえられてきた、ウイルスとの闘い。猛威を振るう新型コロナウイルスは、世界中の政治や経済を混乱に陥れています。私たちは、この脅威とどう向き合えばよいのでしょうか。現場での経験を通して、“戦争”ではなく「ウイルスとは共生が必要」と語る専門家がいます。医師として、感染症が流行する世界各地の最前線で活動してきた長崎大学教授の山本太郎さんです。

(ニュースウオッチ9 和久田麻由子 西山泰史)

これほどまでの「世界的大流行」をどう見るか

和久田

すごく率直に伺いたいんですが、私自身はこんな事態になるって思ってもみなかったんですね。今回、新型コロナウイルスが、世界でここまで大流行しているこの状況をどうご覧になっていますか。

山本教授

ある種の感染症のパンデミックが起こる可能性というのは、ずっと言われていて、危機感はありました。2009年には、メキシコから始まった新型のインフルエンザもありました。けれども、実際に起きてみると、その危機感を超えたさまざまな問題が出てきているというのが今の状況です。普通は起きないことに関して、ずっと強い緊張感を持ち続けられるわけでもないんですよね。もしかすると、私を含めた専門家が、一般の人が危機感を持てるように発信するべきだったのかもしれないという反省もあります。

和久田

日本でも日に日に感染者が増えていますが、日本での感染拡大のフェーズは、いまどの辺りにあると見ていますか?

山本教授

すでに根絶(ができる)というフェーズは超えていると思います。いまは、流行の速度を遅らせることが最も重要なフェーズに入っています。流行の速度を遅らせるということは、すごく大切な意味があって、1つは、社会インフラの破綻を防ぐということです。2つめは、流行のピークを遅らせることによって、ワクチンの開発や治療薬の開発を進められるということです。いま我々ができることは、自分が感染しないこと。そして、人に感染させないこと。人っておそらく、人とのコミュニケーションが最も楽しいことなんですけど、最も楽しくて、人らしい部分を犠牲にしてでも、流行の速度を遅くしようと決めて、実践しているわけです。1つの万能薬のような解決策はなくて、小さなことの積み重ねでしか、もうパンデミックとは向き合えないと思います。

人類と「感染症」との歴史は

山本さんは、医師として25年にわたって、アフリカやアジア、中南米など、50を超える国々でエイズの対策や研究に取り組んできました。その一方で、感染症と人類の関わりについても研究してきた第一人者です。その山本さんに聞いてみたかったのが…。

和久田

歴史上、人類って数々の感染症に直面してきて、そのたびに薬やワクチンを開発してきましたよね。ウイルスには人類はもう打ち勝ったと思ってしまっていたんですけれども、そうではなかったということですか。

山本教授

1970年代の後半ぐらいに、人類が感染症を征服したという考え方が実はあったのだけれども、現状を見るとそうではなかった。そもそも、人間が自然の一部である以上、こうしたウイルス感染というのは必ず起こってくるものです。人間に感染するコロナウイルスは4つあるんですけれども、そのコロナウイルスは風邪の症状を起こすだけで重篤な症状を起こすことはほとんどありません。かつて、そうしたコロナウイルスはパンデミックを起こし、人社会が免疫を獲得することによって、いまのような状況になってきていると思うんですね。ただし、そうは言いつつも、過去の20年間を見てみると、SARS、MERS、そして今回の新型コロナウイルスのように3回も出てきているんですね。これは、少し度を超えた頻度です。

和久田

そもそも、ウイルスというのは自然界からもたらされるものですよね。

山本教授

そうです。生態系への人間の無秩序な進出であるとか、地球温暖化による熱帯雨林の縮小、それによる野生動物の生息域の縮小によって、人と野生動物の距離が縮まってきた。それによって、野生動物が本来持っていたウイルスが、人に感染するようになってきた。それが、ウイルスが人間の社会に出て来た原因だろうと思います。生態系と人間のつきあい方というか、開発という名の下に生態系に人が足を踏み入れ、野生動物が本来住むべき生態系を温暖化なんかによって狭めている。そうしたことが合わさって、人と野生動物の距離がすごく近くなって、ウイルスを野生動物から人に持ち込む大きな原因になっているということなんだと思います。そしてもう1つ、そうしたウイルスが出てきたところに、グローバル化があって、人口の増加、都市の出現で、人の移動が加わって、世界同時パンデミックに至ったと考えています。

和久田

開発に伴って、新型コロナウイルス以外にも、新たなウイルスというのは見つかっているものなのでしょうか。

山本教授

過去100年で見ると、エボラウイルスもそうですね。エイズも野生動物から人に入ってきて、パンデミックを引き起こしたウイルスとして知られています。

感染症が変えてきた社会

私たちの人間の営みが、未知のウイルスを人間界にもたらしてきたと指摘する山本さん。パンデミックのあと、社会が一変した過去の例についても語ってくれました。

山本教授

中世のペストの流行は、中世ヨーロッパ社会を大きく変えていきました。ペストはヨーロッパの人口を3分の1ぐらいに減少させたんですね。そして、流行を抑えることができなかった教会の権威が失墜して、一方で、国民国家というのが出てくるきっかけになった。ヨーロッパの中世は終えんを迎えて、近代が始まるということが起こったのだと思います。今回の新型コロナも、コロナ終息後の世界をおそらく変えるというか、いまと違う世界が恐らく現れてくるのではないかと個人的には思っています。

和久田

開発を進めてきた人類は、方針転換を迫られているということにもなるのでしょうか。

山本教授

どう変わっていくかは別として、個人的には、発展を至上とした価値観というのは、変わる時期に来ていたのかなという気がしています。必ずしも発展ということではなくて、環境の中において、我々が変わりながら常にそこに適応するというか、その中で生きていく、生き方を模索する。経済的な拡大とは違う価値観であるべきなんだろうという気がしています。持続可能な開発がおそらく必要なんだろうと思うんですね。人間が地球の中で、こんなに多様な環境の中に進出できたのも、我々が感染症に対する免疫を失わずに獲得してきた結果である。そういう意味では、今回のコロナウイルスについても人的被害を最小にしつつ、集団としての免疫を獲得していくっていうのが、目指すべき方向だと思っています。

ウイルスとの「共生」

山本さんは、著書などでたびたび「ウイルスとの共生が必要」としてきました。その真意を聞きました。

和久田

世界や日本で、日々苦しんでいる人がいる状況を見ると、なかなか「よし、共生しよう」という気持ちにはなれないんですけれども、山本さんの真意を、私たちはどう理解したらいいでしょうか。

山本教授

私たちが自然の中の一員である限り、感染症は必ず存在する。まず、第1の論点は、感染症は撲滅できない。撲滅できないところで感染症とつきあうにはどうすればよいか、それは全面的な戦争をすることではなくて、ウイルスの感染に対して、人的被害を最小化しつつ、ウイルスと共生していくことなんだろうと考えています。ウイルスが打ち勝つ相手かどうか、たぶんそこが一番重要な点かも知れないと思います。我々はウイルスの被害を最小化したいんですけども、ウイルスを我々の社会の中に取り込んで社会全体が免疫を持つことによって、社会自体が強固になっていく。そんな視点が必要なのかなと思います。目指すべきはウイルスに打ち勝つことではなくて、被害を最小化しつつ、ウイルスと早く共生関係に入っていくということではないかなと思います。

和久田

撲滅ではだめなんですね。

山本教授

回避しなくてはならないことというのは人的被害をもたらすこと、あるいは、社会機能の破綻をもたらすことであって、感染症そのものが存在することではない。社会機能を破綻させなければ、我々はうまくつきあっていける可能性があるわけです。そのために、いまある知識あるいは技術を使っていくことが大切だろうと思っています。

希望をどこに見い出すか

和久田

最後に、いま感染症の流行で混とんとしていますけども、私たちの社会に明るい未来とか希望をこれから見い出すとしたら、どういうところに見い出しますか。

山本教授

すごく難しい質問で、答えがないのかもしれないんですけれども、たぶん、1人1人が希望を持っているっていうことが、将来に対する希望になる。1人1人が明るい未来を思い描くことによってしかたぶんできなくて、未来が暗いものであると考えている中では、明るい未来は絶対来ないと思うんですよね。未来への希望ってすごく大切で、昔、アフリカでエイズ対策をやってたんですけれども、なかなかうまくいかない。それは(患者が)10年後の自分が想像できないから。10年後には、エイズじゃなくても飢餓とか暴力とか、戦争とかで亡くなっているとすれば、「10年後にあなたが生きていくために、今エイズの予防しましょう」という言葉が、むなしくしか響かなかったんですね。社会がどうあるか、どう変わっていくか、どういう希望のもとにあるべきかっていうのは、1人1人の心の中にあるような気が個人的にはします。そういう意味では、今、大変な状況なんだけれども、その次の社会をどういうふうな社会にしていけばいいかっていうことを考えることによって、それが未来への希望につながると思います。

科学者である山本さんが、「希望が大切」とおっしゃったのがとても印象的でした。新型ウイルスのあとの社会を、希望を持って想像することで、あすからの行動につなげていくという、非常に大切なメッセージだと感じました。


Facebook・能村 聡さん投稿記事

『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』の薦め(再掲)

レイチェル・カーソンは、1962年に著書『沈黙の春』で農薬や化学物質による環境汚染や破壊の実体に、いち早く警笛を鳴らしたアメリカの海洋生物学者です。

『センス・オブ・ワンダー』は、レイチェルが幼い子どもと一緒に自然を探索した体験をもとに書かれたエッセイで、子どもたちと自然の中に出かけ、神秘さや不思議さに目をみはる感性を育み、分かち合うことの大切さを伝えています。

書名は直訳すると、不思議(驚き)という感覚です。

・・・大切なのは、まず「感じるこころ」を育み、輝かせること。 そのために、美しさ、神秘さにあふれる自然に入ってみよう・・・と。

レーチェルは「「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない」と語っています。

さらに「美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。

そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。」と続けています。

まさに今の教育に欠けていて、ほんとうに求められているエッセンスではないでしょうか?


Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事「いよいよ二極分離から愛の統合の時代へ」

私たちの世界には陰と陽があって光と闇に分けることができます。しかし、それを分けているのは私たちの思考です。コインが表裏一体であるように光も闇もすべてはひとつです。

どちらか一方に偏ってしまうとバランスを崩してしまいます。それは、現実世界でも同じことです。目に見える世界しか信じることができないと目に見えない世界が分からなくなってしまいます。

現実世界でのあらゆる問題は目に見えない世界とのバランスが欠如しているからです。

目に見えない世界とは何でしょうか?それは、私たちのこころの世界です。

個人を超えた宇宙の愛という存在でもあります。地上での生活には苦しみや悲しみなどもありますがそれらの多くは本当の自分が分からなくなっていることによるものです。

本来の愛はひとつです。そこに争いや不足などはありません。

常に平和で愛に満たされた世界がそこにはあります。愛である本当の自分に還ることによって私たちは肉体を持った魂として目覚め地上でも平和や喜びを充分に楽しむことができるようになるでしょう。

【目に見える世界について】

肉体を持って生きていると自我に囚われてしまいがちです。先の事を心配したり過去のことを後悔したりまたは怒りや不安の感情などに囚われるのも自我の働きによるものです。

自我が良いとか悪いというものではなくてその判断をしているのが自我です。

ですから、自我がないと社会的なルールや秩序を保つことも困難になるでしょう。

問題なのは自我を本当の自分だと思ってしまうことです。本当の自分は善も悪もない愛そのものです。しかし、愛そのものであるからこそそうではないものがなければ、自分が何者であるのかを知ることができません。光を分かる為には闇が必要です。

ですから、光も闇も自分の一部として統合してゆくと本来の愛に還っていきます。それが悟りの体験でもあります。自我はすべてはひとつであるものとは対極であり個人という分離した自己を形成しています。自我の創り出した二極の幻想によって私たちは分離を体験しているのです。敵や味方に分かれて争ったり孤独感や不足感に囚われるのも自我の創り出した幻想でしかありません。

【目に見えない世界について】

本当の自分は魂であり肉体ではありません。そこに思考や自我はありません。

すべてはひとつで完璧な愛そのものです。

私たちは肉体を持って生まれて来ると目に見えない世界のことを忘れてしまいますがそれがあるからこそ、魂は成長できるのです。

魂の成長とは体験です。苦しいことも楽しいことも色んなことを体験することで成長します。だから、苦しいことをいっぱい体験してきた人が損な人生だというものでもないのです。自分の成長の為に苦しみが必要だったと分かれば、それは感謝の心になります。

繰り返し同じことを体験していては成長がありません。

愛や喜び、感謝といったものが人間的にも成熟した体験になります。

それによって私たちは肉体を持って本当の自分を体験することができます。

それが悟りの正体です。悟りとは本当の自分を体験することです。

特別な人だけが悟れるのではなくすべての人が悟りを体験できます。

悟りの仕組みを分かっていればいくら瞑想しても悟れないというような自我の罠に陥ることもなくなることでしょう。

本当の自分を体験するには自分を愛することです。

それは、愛である源を愛することによって可能になります。

自我の創り出した幻想を愛するか本当の愛を選ぶかは自由ですがどちらを選ぶかは自分次第です。

しかし、本当の自分を愛することができれば自我を持った自分も愛することができます。

それによって内なる平和や安心感を持つことができるようになり現実世界も穏やかになってきます。すべては自分の中にあるものが現実世界へと投影されます。

ですから自分が変われば世界も変わります。

世界は自分自身が創造したものであるといずれは分かるようになるでしょう。

【ひとつの世界について】

見える世界と見えない世界2つの世界が統合されることによって新しい世界が創られます。

それが、ひとつの世界であり未来の形になります。

本当の自分である創造の源と繋がる道がなかった為に本来の平和や愛が分からずに地上では

苦しみが続いていました。

【まとめ】

目に見える世界を変えるには目に見えないこころの世界を分かることです。

本当の自分は創造の源です。私たちが想うことは現実になります。

思考や感情を変えるには本当の自分である愛を分かることです。

それが私たちの気づきとなって自我に反映されることで思考や感情が変化します。

それがまた現実世界へと反映されることによって愛の循環が続きます。

思考や感情もすべてはエネルギーです。怒りや悲しみが溜まってくると苦しみに変化します。すべては愛に委ねエネルギーを循環させることで喜びや笑いとなって返ってきます。

私たちが生きる目的は本当の自分を体験することなのです。

世界はひとつブログより。


Facebook・新田 修功さん投稿記事  ずっと伝えたかったこと……⁉️🗣💕

おはようございます😃愚者の一言 新田 オサ

愛の海の中で魚は泳いでいる。愛の空を自由に鳥が飛んでいる。愛の空気を吸ったり吐いたりして、人間は生きている。目に見えるすべてのものが、目に見えない愛でできている。

私たちは、誰かに愛されたり、誰かを愛そうとする必要はない。

息を吸うたびに愛に満たされて、息を吐くたびに愛を与えているのだから。

………………………………✨✨✨

このことを伝えたくて、何年も前から「賢者の一言」をご紹介して来たのだと思います。

そして、これからも……✍️💕✨

(写真は、不食の弁護士 秋山佳胤先生の講演会でご一緒した時のものです)

今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕





コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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