http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm//de-puekoroji-.htm 【ディープエコロジー】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/8765778/ 【『江戸のエコロジスト一茶①】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/8766170 【『江戸のエコロジスト一茶』②】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/8766231 【『江戸のエコロジスト一茶』③】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/8766042 【『江戸のエコロジスト一茶』④】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/8765653 【『江戸のエコロジスト一茶』⑤】
Facebook・清水 友邦さん投稿記事 「エコロジーの聖人 アッシジのフランチェスコ」
·わたしたちは地球の一部であり地球はわたしたちの一部である。
すべてのものはひとつの家族をむすぶ血液のようにむすびついている。
人がいのちの網の目を織ったのではない。
人はその一本の糸にすぎない。
人はその網の目たいしてすることはすべて、自分自身に対してすることなのである。
(アメリカ先住民シアトル酋長の言葉)
現代の環境危機をもたらした原因の一つに、キリスト教の人間中心の自然観に問題がある事を指摘する人がいます。
歴史家のリン・ホワイトはキリスト教が環境破壊を推し進めてきたことをはっきりと述べています。
そこには自然を思うがままに支配して、目的のために自然を利用尽くし、自然の所有者となる人間中心の傲慢なキリスト教の神学解釈があったというのです。
聖書で問題になっているのが創世記に出てくる「海の魚、空の鳥、地の上を這うものを従わせよ 」の文面です。
環境問題でやり玉にあげられるのが人間中心の根拠となる「従わせよ 支配せよ」です。
この「従わせよ」原語のsubdueは
1、力によって優位にたつ。
2、脅しや説得などによって屈服させ、支配下に置く。
3、押さえ圧迫する
の意味があります。
「従わせよ subdue」の聖書の言葉がユダヤ教とキリスト教徒に人間中心の自然支配の根深い根拠をもたらすことになったというのです。
1972年にローマクラブの「成長の限界」がだされてから環境危機は全人類が共通に直面する緊急の問題となりました。
キリスト教神学からもエコロジーの視点から、聖書を読み取ろうとするエコロジー神学が盛んになりました。
創世記の物語は、神と契約した人間がその後傲慢になったので神は洪水で地上のすべてを滅ぼしてしまいます。
生き残ったノアは神と契約を結びますが、その時には「従わせよ。支配せよ。」の言葉はありませんでした。
そこでドイツのリートケという現代のキリスト者はエコロジカルな神学解釈をして、人間が自然を支配するのではなくて、管理者として神に委託されたと解釈できるとしました。
1979年アッシジの聖フランチェスコはヨハネパウロ2世によって環境保護の人々の守護者に選ばれました。
聖フランチェスコは太陽、月、風、雲の自然現象まで万物すべて神の兄弟として敬いました。
歴史学者のホワイトは聖フランチェスコを「西洋史上最大の精神的、霊的革命」といい、「エコロジストの本尊」と呼ぶことを提唱しました。
エコロジーの年表は「兄弟なる太陽、姉妹なる月」と霊的平等を説いた聖フランチェスコから始まっています。
アッシジの聖フランチェスコは木をきる時、丸ごと切り落とすのではなくて、木がいきて行けるようにある部分は残すようにしたり、すべての土地を野菜のために耕すのではなく、いくらか野の草花のために残しておくようにさせました。
フランチェスコは自然界のあらゆる存在を兄弟姉妹とよびおおかみ、キジ、野うさぎ、ひばり、タカ、コオロギ、魚、羊からも慕われたとされています。
「ある日、気が付いたのです。ヒバリのような無欲が真の幸福の元ではないのかと…我々を造られた神への感謝を謳って(うたって)暮らせば…」映画ブラザーサン・シスタームーン
フランチェスコは遺言で次のように話したと伝えられています。
「もし、わたしが皇帝にお話できるとしたら、神の愛のために、どんな人もわたしたちの姉妹であるひばりを捕獲したり害をしたりしてはならないという法令を定めてくださるよう懇願します。
同じように、市長や町や村の領主たちも毎年のご降誕の祝日には、住民に麦粒か何かを市や町の外の道ばたにまかせ、とくにわたしたちの姉妹であるひばりや他の鳥たちに、何か食べるものを与えてほしいと思います。」
アメリカ、カルフォルニア州の自然保護運動家のシュワルツシルドはフランチェスコが小鳥達に説教をしたといわれるスバジオ山で異生物間コミュニュケーションの体験をしました。
シュワルツシルドはスバジオ山の斜面を登っている時に散弾銃の音がして、大変驚きました。
スバジオ山は狩りが合法だったので散弾銃の色のついた薬莢がそこかしこに散らかっていました。
疲れて山頂に寝袋を広げましたが、気が重く、なかなか寝付く事ができませんでした。
寝袋に横たわっていると、近くの草むらからナイチンゲールではないかと思える美しい鳴き声が、羽ばたきの音とともに聞こえて来ました。
夜なので姿を見る事はできませんでしたが、その声はシュワルツシルドの心の奥深くに響いたのです。
「山で一日中鳴き続ける鳥に会うのは初めてだ。
その声はまるでアッシジの鳥の代弁者として私に助けを求めているように思えた。
やがて鳥は飛び去った。
私は深く感動した。鳥たちを救う為に、誰も何もしていない事をしって、それを自分がすべきだ言う事を知った。」
シュワルツシルドはアッシジの鳥たちを救う為に、世界中のマスコミや組織、友人に手紙を書き、キャンペーンを開始しました。
その努力のお陰で女性を始めとして世界中から抗議の声がひろがり、スバジオ山の自然保護法が制定され、一切の狩りが禁止されました。
この成功を受けて、シュワルツシルドは環境問題を支援する為の自然環境団体、アッシジ自然会議を設立しました。(ジェイムズ・A. スワン「聖なる場所 地球の呼び声」)
樹木との異種間コミュニュケーション
「生駒の紫陽花邑の法主さんは、夜眠っていると木の悲鳴が聞こえて胸騒ぎした。外に出てみると学生がキャンプしている一本の木が呼んでいた。そこに行ってみると、巨大な釘が打ち込まれたところでキャンパーがロープを結ぼうとしている。法主さんは頭をさげて、これでは木が可哀相だから、枝にロープを巻き付けるやり方をしてくれないかとたのみ、学生たちも了承して、それから眠れたと言う」(真木悠介「気流のなる音」)
環境が汚染されることには誰もが反対しています。
にも関わらず汚染が進むのは環境の保全よりも優先される物事の方があまりにも多いからです。
私たちの自己感覚は他の動植物を含むいのちのネットワークまで広がっていません。
私と世界の間に境界線があり、自分の思想、習慣、血縁、民族、宗教に属する集団以外は敵対し排除しようとします。
環境問題が地球全体になっている今
持続可能な世界に移行するには
私たちの自我の境界が地球大にまでひろがる時期にきています
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