Facebook・西尾仁さん投稿記事【考え方を変えれば、病気は病気でなくなる】 より
病気は自分が病気だと思い込んでいるから病気なのであり、病気だと思わなければ病気でなくなる。
例えば人間を死に至らしめるものを病気と呼ぶなら、生まれてくること自体が病気だと言えるでしょう。人間はみんな、生まれたとたん、死に向かって時を刻み始めます。
でも生まれたこと、年をとることを病気と呼ぶ人はいません。それを病気だと考える人がいないからです。
年をとって老眼になっても、年をとったから当然のことと、誰も病気だとは思いません。
目が見えにくくて不自由だから眼鏡を使わなくてはいけないな、と考える程度です。
でも眼鏡がなかったらどうでしょう。老眼も立派な病気かも知れません。
生まれつき目が見えない人だって、周囲の人が「目が見えないのはおかしい」と教えなければ、目が見えない状態が当たり前です。
要するに、現れている症状が病気であるかどうかは自分で決めているに過ぎず、考え方を変えられれば病気は病気でなくなるのです。
そうなれば、病気の悩みや苦痛から解放されることもあるかも知れません。
今から十五年ほど前、霊感の強い知人から、亡くなった母のメッセージをもらったことがあります。
『今こちらで元気にやっているから、あなたは心配しないでいいのよ。あなたはお医者さんだから、大切な事を教えてあげる。病気というのはその人が病気だと思うから病気なのであって、病気だと思わなければ病気でも何でもないのよ』というメッセージでした。
このメッセージを読んだとき私は正にその通りだなと納得しました。
「こっちで元気にやっているから」という母のメッセージを信じるなら、死んだ後に行く世界があるのかも知れません。
死んで全てが終わるわけではない、次の世界に行き、新しい生命として生まれ変わるのだと考えることができれば、死ぬのが怖くなくなるでしょう。
次の世界を信じるなら、病気は、あるときは早く自分の間違いを正しなさいというメッセージであり、あるときはそろそろ次の世界に行く時間だから準備しなさいというメッセージでもあるのです。
そう考えれば病気は決して悪いモノではありません。
病気を悪いモノに捉えてしまうのは、メッセージを受け取る側の問題です。
何歳くらいまで生きたいのか、何を目的に生きるのか、どういう風に死んで行けたら幸せかと言うことを真剣に考えていれば、病気になったとき「もう少し長く行きたいから自分の生活を変えよう」と前向きに考えることが出来るでしょう。
あるいは「自分のやるべき事は終わったからそろそろ死ぬ準備をしようかな」と自分の人生に満足して安らかに天寿を全うすることが出来ます。
でも今の時代、いざ病気になっても、何故、自分は病気を治したいのか、治して残りの人生をどう生きたいのか,が分からないから、中々自分の間違いを正すことが出来ません。
たばこを止めることも、食生活を改善することも、仕事をセーブすることも出来ないのです。そうしている内に病気は重くなり、死にそうになったとたん「治りたい。まだ死にたくない」と言って病院に駆け込み医者に依存します。
人間はいつかは必ず死ぬことを自覚し、自分の生と死について考えてみることはとても大切なのです。
東京女子医大附属青山自然医療研究所
クリニック所長 川嶋 朗 著「見えない力で健康になる」より
Facebook・清水 友邦さん投稿記事 「生老病死」
仏教は「この世で生きることは苦だ(一切皆苦)」と説いています。
サンキャ哲学も「楽そのものもすぐに苦にかわるので苦である」としています。
パタンジャリもヨガスートラで「全ては苦である」と書いています。
人生は思い通りにならないことが起きます。
恋愛の破綻、家庭の崩壊、離婚倒産、破産、退職親しい人との死別 中傷や非難、嘲罵
強制、束縛、いじめ 友達の裏切り 才能や能力の限界、人間関係の喪失 病気や怪我による体の苦しみ 肉体は必ず老いて衰え最後は死にいたります。
生老病死の四つの苦は誰も避けることができません。しかし誰もがこの四つの苦と直面せず避けようとします。マインドはあるがままが嫌いです。自己イメージに合わないことが起きるのが嫌なのです。生老病死は痛みや恐れがあるのでマインドは避けて逃げようとします。
思考を使って感情を感じる通路を封鎖して直面しないようにします。
なるべく楽に通り抜けようとして、それに向き合おうとはしません。生老病死を否定的に捉えると苦しみが増します。苦悩を避けることはできません。そして苦悩には終わりがありません。生きている限り苦しみは繰り返し訪れます。すでに起きてしまった事は受け入れるしかないのです。しかし、人生には到底受け入れがたいことが起きます。その時に自我の死と再生が起きます。世の中には病気や人生の失敗などの困難を経験して、深みのある魅力的な人物になった人が大勢います。苦悩は人の苦しみを感じ取れる共感能力を育てます。
自己中で思いやりに欠けていた人が相手の立場で物事を考えられるようになった人も大勢います。自分の不完全さを認めて、受け入れると相手の不完全さも認めることができるようになります。苦悩は心を豊かにさせ、人を成長に導くことができます。
生老病死は偽りの自我に気づかせてくれるチャンスでもあります。
自我の枠組みにゆらぎがおきると過去に否定したエネルギーと再び出会います。
死のイメージは過去に植え付けられた記憶からもたらされた実体のない恐れです。
すべては過ぎ去るのであらゆる事象に実体がありません。
その衝動に気づいて、あるがままに受け入れることが出来れば、統合された自我の再生が起きます。
生老病死を新しい自分に再生させるイニシエーション(通過儀礼)と理解して、それとしっかり向き合い自覚して直面すれば、意識の変容が起きます。
この世界には宇宙全体を貫く命の流れともいうべき潮流が在って、その生命潮流にたいする信頼を持つ事が出来れば、より幅のひろい自己の全体性を取り戻す事ができるでしょう。
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