Facebook・西尾仁さん【真実の歴史】
「靖国神社を焼却から救ったビッテル神父のことば」
ポツダム宣言にしたがって降伏した「有条件降伏」を「無条件降伏」にすり替えた占領軍は、日本の復讐を恐れ、日本人の激しい精神・抵抗心を根源から打ち崩そうと、靖国神社をはじめ、明治神宮、伊勢神宮、熱田神社の焼き払いを計画した。
靖国神社は焼き払って跡地をドッグレース場にしようと考えた。
占領軍は日本の戦争遂行の精神的支柱を神道だと決め付けたのだ。
これに対してはさすがに躊躇があり、マッカーサーは駐日ローマ法王庁・バチカン公使代理のブルーノ・ビッテル神父に意見を求めた。
ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル
ビッテル神父は、マ元帥配下の将校たちの単純な発想は、護国神社が全廃されればキリスト教会の発展は容易になるから、キリスト教会は喜ぶだろうという確信にあり、マ元帥はそれを逆用して、キリスト教会の答申によって決定するという条件を出したにちがいないと推察していた。
その線にそって、同意を求めた。
出席者は少数だったが、みなそれまで各派の意見聴取をしており、結論はただちに出た。
【ビッテル神父からのマッカーサー将軍への進言】
『自然の法に基づいて考えると、 いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。
それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。
無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである。
もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、其の行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。
歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。
はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。
国家のため死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。』
マッカーサーはこの意見にに従い靖国神社焼却という暴挙を思いとどまった。
靖国神社などの焼き払いは免れたが、マッカーサーは神道指令を発布した。
神道指令(1945年12月15日)靖国神社などの焼却は免れたが、ダグラス・マッカーサーは神道を衰退させ、
日本人の大和魂を骨抜きにするという方針をあきらめたわけではなかった。
昭和20年(1945)12月15日、
GHQは日本政府に国家神道、
神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督、及び弘布の廃止を命じた。
これが神道指令である。
たとえば、明治の初めからずっとやってきたことなのに、日本政府が神道の神社にお金を出すことは駄目とか、公務員や政治家が神社に参拝するのは駄目だと事細かく書かれている。
「神道指令」は、神道の禁止だけを目的としたものではない。
日本及び日本人に命じた事柄は3つあった。
それは①神道に加え、皇室の伝統、そして②歴史教育を全面否定することだった。
また、③神道は軍国主義・国家主義の宣伝に利用されたということで、GHQは教科書を検閲し、神道用語等を削除するよう指示している。
「大東亜戦争」「八紘一宇」
などの語句も軍国主義・国家神道を連想させるとして禁止された。
これを忠実に守る出版社の教科書は現在でも日本神話を削除したままである。
日本民族の物語である神話も、学校では教えられなくなった。日本人から過去の栄光の記憶を消し去ったのだ。
そして、「修身・日本歴史・地理」の授業まで停止させた。
ここに日本人が日本人となる文化伝統、歴史、記憶の抹殺が図られたのである。
神道指令の中で特に戦後日本人に重大な影響を及ぼしたのが、歴史教育の全面否定だった。
要するに「学校で歴史は教えるな」ということ。
そんな命令を出したアメリカの学校では今でも歴史の授業を大変に重んじており、
週に5~6時間も教えている。
教科書もものすごく分厚い。
自分たちの歴史は大切にしながら、日本の歴史は大きく否定し、自分たちが作り直した 「東京裁判史観」を日本人に教え込まないかぎり、日本は再び国力を回復し、アメリカの脅威となると見たのだ。
今日本の学校で習っている「歴史」は「社会科」という科目の一部に過ぎない。
戦前では外国と同じく算数や国語と並んで「歴史」という独立した教科があった。
ところが「神道指令」以降は歴史は社会科の中で教えなさい、ということになった。
社会科という科目は戦後昭和22年に新設された科目で、その目的は社会にとって
「よき市民」を育てることだ。
「国民」ではなく「市民」である。「よき市民」とは、占領軍にとって、アメリカにとっての「よき市民」。
つまり、アメリカ流の民主主義や個人主義といった戦後イデオロギーを、日本の子供たちに徹底的に注入するものとして誕生した教科、それが「社会科」なのだ。
それは独立した「歴史」という教科を廃止させることによって、占領軍が植えつけた戦後イデオロギーの枠内で許されるもののみを「歴史」と称して教えることを意味した。
これが今に至るも続いている。
要するに、神道指令とは一種の「神道弾圧政策」だった。
この自虐史観
(ウォーギルド・インフォメーションプログラム、戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画)により今の日本人が心の底から自信を持てない 自分を愛せない 先進国一、自殺者うつが多い一つの原因がある。
みかさ 結さんよりシェア Good Day!! 2017年8月13日
1945年12月15日神道指令によって参拝禁止された靖国神社で英語の看板の横で深くお辞儀する日本婦人。
抑えても 抑えても 益々燃える 和魂。
機能性を重視した コンクリート砂漠と憂われる大都会。
そこでイタリアの著名建築デザイナーが多くの植物を取り入れた緑溢れるマンションをデザインし、現在ミラノで建設中だそうです。
http://youtu.be/AcumB2Ko3SI
然し私は「森のマンション」を観ても ただ違和感を感じるだけ。
シェアさせていただいた 沢野只幸さんの写真集
「味わい深い世界」からは 和の文化の安らぎと 温もりを感じてしまいます。
沢野只幸さんからは次のコメントをいただきました。
陽子さん、おっしゃる通りですね。この理屈を越えた「懐かしさの感覚」を忘れ、捨て去ってしまった機能ばかりの文明化が、今の日本の危機そのものとも言えますね。
私は思わず 心の故郷への渇きを 観る必要があるのでしょうか?
祭を取り戻す必要があるのかもしれません。と記しました。
敗戦を境に アメリカナイズされ続けた私たちは日本人としての誇り、日本人としてのメンタリティ、日本人としての文化と歴史を見失っているのではないでしょうか?
歴史の浅いアメリカでは骨董品に人気があると聞きます。
フロンティア精神でネイティブアメリカンを侵略し続けたピユーリタン達は祖国を追われた民でした。
新天地アメリカも真実の祖国とは成らず・・・植民地をどれほど 得ても満たされず、更なる富と権力を求め続けます。
ディアスポラの民ユダヤ人もそうですね。
祖国を失うとは 自分のルーツを失うこと。
それは満たされることのない飢えと渇きを産むことになるのではないでしょうか?
夏祭りのシーズンです。
祭とは 天とうつし世を繋ぐ「ま」を釣り合わせ すべてと調和バランスを回復する宴と言えば皆さまはどのようにお感じになりますか?
その上祭りに集う人々も心が一つになります。
天地人が一つになり、人々が一つになる・・・祭りにはそんな力があるのではないでしょうか?
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