神の詩 第二章第十六~十七節

http://shindenforest.blog.jp/archives/84846497.html 【神の詩 第二章第十六~十七節 1/6】より

「実在しないもの(肉体)は存在せず、実在するもの(アートマン・真我)は消滅しない。真理を知る人々はこの両方の事実を理解している。(十六)」

「この万物に遍在するものは不滅であることを知れ。誰もこの不滅であるものを破壊することができない。(十七)」

ここでは、人間の本質である真我の不滅性と物質世界のマーヤ(幻影)と無常を説いています。

もしも、すべての人が、魂は不滅であることを真に理解したならば、この地上は一体どんな世界になるでしょうか。

真我の境地を経験したすべての人たちは、この世は幻影だと断言します。

この物質世界は、真我を写し出す影であるとされ、わかりやすく喩えると、映画のようなものに喩えられるかもしれません。

映画を見ている時は、主人公になりきり、感情移入しながら鑑賞します。

映画の物語中では、主人公がどんなに過酷な人生であろうと、見終わった後では、「ああ、いい映画だった」と言います。

それが仮想現実だと理解しているからです。

それは多くの人も感じていることと思います。眼も見えず耳も聞こえない重度の障害を背負いながらも、ラドクリフ大学(現ハーバード大学)で学問を学んだ後に世界各地を歴訪、身体障害者の教育・福祉に尽くしたヘレン・ケラー女史は次のように述べています。

「この世界で最もすばらしく最も美しいものは、目で見ることも手で触れることもできない。ただ、心で感じられるだけである。」

ヘレン・ケラー  「楽天主義」Optimismより

彼女の言葉は、人の内面の領域がいかに大切なものであるかを示しています。

ケラー女史は、プラトンの哲学の中核であるイデア論に共感していました。

イデア論とは、千変万化する物質界の背後には永遠不変のイデアという真の実在である

とした考えです。

彼女は身を持ってそれを体感していたことと思います。

ドイツの初期ロマン主義の詩人であるノヴァーリスは、次のようにのべています。

「すべてのもの、見えるものは見えないものに、聞こえるものは聞こえないものに、感じられるものは感じられないものに触れている。そして、考えられるものも、それを超えたものに触れているのだろう。」

人は、五感を使って外の世界を知覚しますが、それを感じ、反応し、印象として刻むのは、自分の中に在る不可視の部分になります。

人体は、小宇宙と言われています。大宇宙と同じ構成で作られています。

まず核に魂である真我があります。不滅であるものになります。

そこに精妙な波動で出来た観念体が作られます。

そして波動を粗くした幽体があり、さらに最も粗い波動の部分が物質化して肉体になります。ここで、物質の基本形を見てみましょう。

私たちは、物質世界にいるおかげでエネルギーが物質としての形態をとるという奇跡的な現象を当たり前のこととして認識しています。

それとは逆に、物質の大元であるエネルギー世界についてはまだまだほとんど未知の領域になっています。


http://shindenforest.blog.jp/archives/84871277.html 【神の詩 第二章第十六~十七節  2/6】より

「実在しないもの(肉体)は存在せず、実在するもの(アートマン・真我)は消滅しない。真理を知る人々はこの両方の事実を理解している。(十六)」

「この万物に遍在するものは不滅であることを知れ。誰もこの不滅であるものを破壊することができない。(十七)」

ここで、物質の基本形を見てみましょう。

私たちは、物質世界にいるおかげでエネルギーが物質としての形態をとるという奇跡的な現象を当たり前のこととして認識しています。

物質界から見るとエネルギー世界の現象が物質界で捉えられると奇跡と驚かれますが、

エネルギー的にはエネルギーが物質としての形態をとる物質界の現象の方が奇跡的です。

物質界の視野しかない地上の人間から見れば物質の大元であるエネルギー世界についてはまだまだほとんど未知の領域になっています。

物質の基本として、動物、植物、鉱物などすべての存在は原子の集合体から構成されています。原子は、電子・陽子・中性子から構成されています。

素粒子物理学によると、原子核の構成成分である陽子と中性子は、素粒子によって構成され、素粒子はさらに、より基本的な粒子によって構成されています。

素粒子物理学では、万物すべてを構成する基本である基本粒子と呼ばれる最小粒子の存在を示唆しており、基本的な粒子はエネルギーで構成されています。

科学者たちは、その素粒子を加速器に入れてお互いに衝突させる実験を繰り返しました。

その結果、素粒子は物質ではない純粋なエネルギーであることが証明されました。

そのエネルギーは、不可視であり、光や音として表現できるので、最新物理学では「すべての物質は光で構成されている。」と言えるのです。

アインシュタインの方程式で計算すると、一人の人間の肉体を構成する原子のエネルギーは

巨大な水素爆弾数十個分という膨大なエネルギーに相当するそうです。

すべての存在は、エネルギーで形成されています。

次に物質の基本単位でもある原子について見てみましょう。

原子は、原子核(陽子・中性子)とその周囲を回る電子から成っています。

原子核の大きさと、電子の周回軌道の大きさは、ボールと野球場の大きさにたとえられます。野球のボールが原子核だとすると、野球場の周囲を回っているゴマ粒大のものが

電子です。広大な電子軌道のわりになんと核の小さいことでしょう。

最先端の量子論が展開する原子モデルでは、電子の動く範囲を電子雲という、電子の動ける範囲を示すことで表現されます。

この電子の動きによる電子雲の範囲が、その原子の固体としての範囲ということになります。

もちろんこれらのモデルは五感を通して理解するための一表現であり、実像とは異なりますが概念として捉えていただきたいと思います。

原子における、実体:空間の比は、およそ1:100,000といわれています。

ほとんどが空間で占められています。

この空間は振動するエネルギーの束であり、多くの叡智と愛と意思を持つ不可視の領域です。

最先端の量子論によれば、実体部分もさらに細分化できて、最終的には非物質であるエネルギーという観点から見ると100%が空間という認識になります。

素粒子が、エネルギーレベルから物質レベルへと周波数を落として物質領域に具現化していくと、回転状態もしくは振動状態によってボソン粒子やフェルミ粒子などの形として現れてきます。

そして、それらの素粒子が集まり、原子を構成していきます。

原子核同士は一定の距離以上に近づくと反発する力をもつために、あたかも固体として実体があるかのように知覚されることになります。

ネオプラトニズム創始者ギリシャの哲学者プロティノスは、物質界から万物の根源である「一なるもの」までを一つの波動の流れとして解説していますが、この物質世界を波動の末端のお茶の出がらしのような存在というわかりやすく的確な表現しています。

このような表現は、おそらく深い瞑想体験に根ざしたものと思われます。

ヨーガでは、粗大身という表現をしています。

私たちの世界は、まず唯一無限の創造主から発せられた霊光で始まり、それが五つの光に分かれます。

この様子は、一定の瞑想修業を行うことにより、誰もが見ることができます。

これら精妙な五つのエネルギーが複雑に絡み合いながら、エネルギーの波動を下げながら拡がっていき、徐々にエネルギーが物質世界の元となる仮想粒子となり、それがさらに素粒子へと表現され、素粒子が集まり原子となり、徐々に粗大な物質へと移行する過程で万物万象が創造されていくことになります。

「シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド」の中には「一本の髪の毛の先端を百等分し、その一区分をさらに百等分する。これが魂の大きさである。」と記されています。

この魂は、物質的原子や素粒子とは違う精神的粒子または霊的粒子ともいえるもので、

この宇宙に無数に存在しています。

人の中にも動植物の中にも、細菌にもウイルスの中にも存在しています。


http://shindenforest.blog.jp/archives/84871294.html 【神の詩 第二章第十六~十七節  3】より

人も物質的な肉体だけで成り立っているわけではなく、この精神的粒子(霊的原子)があってはじめて機能する仕組みになっています。

これが入っていない肉体は、死体と呼ばれます。

「ムンダカ・ウパニシャッド」には次のような記述があります。

「魂は、精神的粒子(原子魂、霊的粒子)で構成され、これは完全な知識を得る段階まで達した人だけが看破できるものである。

この粒子は、心臓の位置に在り、体内の五種の氣(プラーナ、アパーナ、ヴィヤーナ、サマーナ、ウダーナ)の流れによって体内を巡り、生物体の肉体に影響を及ぼす。

この氣の流れが穢れを祓い、清浄になった時に、魂の本性が発現する。」

現代の量子物理学がどんなに発展しても物質面からの素粒子の解明は進んでいくことでしょう。でも物質世界で探求する限りは同じアプローチ法で霊的原子を探求することは不可能なのです。

太陽が光を放ち、つまり無数の光子を放出して宇宙の隅々まで届くように、創造主からは原子魂が無数に放出されているのです。


http://shindenforest.blog.jp/archives/84871329.html 【神の詩 第二章第十六~十七節 4】より

現代日本でエクササイズ的な位置で定着したハタ・ヨガは、さまざまな体位によって、この五つの氣流をコントロールして、物質的・生理的な制限を超えて肉体を持ったまま魂の活動範囲を拡げていくことが本当の目的です。

万物は一つの根本から派生して創造されており、それは私たちの想像を超えた純粋知性と純粋理性によって創造された法則に基づいています。

このように、物質世界のすべて、人の身体でさえもすべてが振動するエネルギー空間で形成されており、すべての中に宇宙と同じ一つの光で始まる原初の創造エネルギーを有しているのです。

万物万象で核となる魂は不滅であり、同じ創造主から生じた物質的な仮想粒子―素粒子―原子で構成されたものは瞬間だけ存在するものであると言えます。

それは蛍光灯が点滅を繰り返すことによって、ずっと点灯しているかのように見えるのと似ています。

余談になりますが、先ほどの見えない物質的原子や精神的粒子を実際に近年でも見た実例が詳細に記録されています。

1800年代後半にアニー・ベサントとチャールズ・リードビーターは、専門家の指導の元でヨガ修行を行い、内的な知覚器官を発達させて極小のものを認識する「拡大透視力」を獲得したと主張していました。

この二人は1895年の時点で元素の内部構造も”見て”図解入りの本を作りました。

その書籍には、水素からウラニウムにいたるまでの詳細な図が描かれているだけではなく、

当時まだ存在すら知られていなかったプロメチウムやアスタチン、プロトアクチニウムなどの元素やネオオン・アルゴン・クリプトン・キセノン・プラチナなどの同位元素についても精密に「視て」記述されています。

さらに彼らは素粒子という概念が全く存在していない時代にもかかわらず、クウォークなどの素粒子の構成を「視て」記述しています。

クウォークの概念を物理学で初めて提唱されたのは1964年のことですのではるか前のことになります。

驚くことに彼らはさらにクウォークを構成するもっと細かい粒子を見て、オメゴンと名づけています。

この本の図版は、現在見られるモデル模型としての原子ではなく、実際に見た生きた原子の構造として描かれています。

また彼らはある元素を意志の力で別の元素に変換することができたと主張しています。

彼らは、原子核が陽子と中性子から成ることを描写したのは中性子が発見されるよりも24年前も前のことでした。

この本が出版されたのは、1908年、第二版が1919年、第三版が1951年のことです。

物質元素の透視は1895 から1933年まで行われました。

現在この本は、インターネット上において各種フォーマット形式で無料配布されています。

素粒子物理学者らが、かれらの透視能力を科学的な観点から判断してその透視能力を認めています。

古代の精神的な発達に、現代の最先端の科学の発達がようやく少し追いついてきたようです。

科学技術の発展と同時に精神的霊的な理解が再び芽生えつつある現在、高次元の存在たちによって完璧に計画された絶妙のタイミングで、多くの科学者にインスピレーションとして智慧がすこしずつ人々が理解できるペースで伝授されていき、ほんの少しずつこの世界の秘密が解かれ始めています。

http://shindenforest.blog.jp/archives/84871349.html 【神の詩 第二章第十六~十七節  5】より

科学技術の発展と同時に精神的霊的な理解が再び芽生えつつある現在、高次元の存在たちによって完璧に計画された絶妙のタイミングで、多くの科学者にインスピレーションという形をとって智慧がすこしずつ人々が理解できるペースで伝授されていき、ほんの少しずつこの世界の秘密が解かれ始めています。

すべての存在は、エネルギーの塊で出来ています。見た目は同じであっても、その振動の仕方が各々異なります。

振動数を低くすることも、高くすることも、意識次第で変容できるのです。

そして、どう振動させるかによって、引き寄せられる波動も決まってきます。

人は、自分の意識状態、霊性の状態に応じて、それと同じ周波数の振動を引き寄せてくるのです。

「微妙これ菩提なり。諸法知り難き故に。」(微細な世界を感じ取ることが、悟りへの第一歩です。仏の世界は理解し難いのです。)空海、五部陀羅尼問答掲讃宗秘論。

「世界の現われのエネルギーが、意識の大海の表層に無数の多様性を投影したとしても、真我は真我のまま在り続ける。」ヨーガ・ヴァーシュシュタ232

「すべての形あるものは、永遠ではない。永遠の実在には、形は無い。唯一のアートマン、超越する実在。」アヴァドゥータ・ギーター第一章29

「最も大切な平和は、人々の魂の中に生まれる。

万物万象と一つに繋がった一体感を感じた時に。万物の偉大な力を理解したときに。万物の中心に偉大な魂が存在して、その中心はあらゆるところに在り、一人一人の内側に在ることに気が付いた時に。」ブラック・エルク、北米オグララ・スー族

「見えざるものと永遠なるものを日々認識することは、我々にとって当たり前のことだ。」北米先住民の言葉

ここで自分の生命エネルギーを感じる練習を行います。自分のエネルギー(プラーナ)を感じてみましょう。

練習1

プラーナは誰もが感じることが出来ます。ここでは簡単なエクササイズをご紹介しましょう。

1. まず自分が生命エネルギーに満ちていて、光に包まれている様子をイメージしてください。

2. 手からエネルギーの光によるオーラが出ているようにイメージします。

3. 手のひら同士で、円を描くように擦り合わせます。

4. 手のひらに意識を集中させます。

5. 両手の間の熱を感じてみます。

6. 2~3cm手のひらを離して互いに引付け合うエネルギーを感じてみます。

これは次の練習のためのステップですので、何も感じなくても焦る必要はありません。

エネルギーを感じる練習2

1. 自分の手のひらを5~10cm離して向かい合わせます。ゆっくりと手を動かして、両手の間隔を動かしてみましょう。

2. 両手の間にエネルギーボールをイメージしながら、作ってみます。 

3. 次に、手の間隔を20~25cmに離し、ゆっくりとその間隔を縮めていきます。手のひらを押し戻すような間隔を感じるでしょうか。

エネルギーを感じる練習3

1. 慎重に手を動かして感情体エネルギーを感じるまで近づけます。(7-10cm)

2. 右手を左手に2.5cmまで近づける。その時、左手の甲にエネルギーフィールドのチクチクした感じを感じ取ってみます。

エネルギーを感じる練習4

1. これが一番わかりやすい練習です。

2. 再び手を10~17cmほど離す。右手の人差指で左手のひらを指差す。指先は1~2.5cmくらい離れた状態にする。指先で手のひらに円を描く。指先の動きに伴って、逆の手のひらに感じる感覚を味わってみてください。

エネルギーを感じる練習のポイント

感じ方は人それぞれですが、一般的な感じ方は次のようなものがあります。

生体エネルギーはほとんど常に時計回りに円を描いて動いているのを感じます。

手と手の間のエネルギーの境界同士が触れ合うとチクチクしたような圧力やフワっと暖かい優しい圧力を感じます。

皮膚に触れると表面にムズムズした圧力を感じます。


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地球上最高峰の書「神の詩」第二章第十六~十七節に入っています。

今回は、人類の叡智ウパニシャッドからの学びを取り入れて解説中。

http://shindenforest.blog.jp/archives/84871294.html?fbclid=IwAR0cy7CsXBkvNFJKz5PUSylwOVlLU1tF8-5J4tTBoPkStSwmj8EuOaVeAso 【神の詩 第二章第十六~十七節  3】より

「シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド」の中には

「一本の髪の毛の先端を百等分し、その一区分をさらに百等分する。これが魂の大きさである。」と記されています。

この魂は、物質的原子や素粒子とは違う精神的粒子または霊的原子ともいえるもので、この宇宙に無数に存在しています。

人の中にも動植物の中にも、細菌にもウイルスの中にも存在しています。

人も物質的な肉体だけで成り立っているわけではなく、この精神的粒子(霊的原子)があってはじめて機能する仕組みになっています。

これが入っていない肉体は、死体と呼ばれます。

「ムンダカ・ウパニシャッド」には次のような記述があります。

「魂は、精神的粒子(原子魂、霊的粒子)で構成され、これは完全な知識を得る段階まで達した人だけが看破できるものである。

この粒子は、心臓の位置に在り、体内の五種の氣(プラーナ、アパーナ、ヴィヤーナ、サマーナ、ウダーナ)の流れによって体内を巡り、生物体の肉体に影響を及ぼす。

この氣の流れが穢れを祓い、清浄になった時に、魂の本性が発現する。」

現代の量子物理学がどんなに発展しても物質面からの素粒子の解明は進んでいくことでしょう。

でも物質世界で探求する限りは同じアプローチ法で霊的原子を探求することは不可能なのです。

太陽が光を放ち、つまり無数の光子を放出して宇宙の隅々まで届くように、創造主からは

原子魂が無数に放出されているのです。

続きます

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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