https://www.harpersbazaar.com/jp/celebrity/celebrity-buzz/g34800544/audreyhepburn-surprising-facts-201127-hns/ 【稀代の女優オードリー・ヘプバーン、その知られざる人生と意外な素顔】より
新たなドキュメンタリー映画を手がけた監督が、配信を前にその意外な素顔を明かしてくれた
亡くなった今でも世界的に愛されている数少ない著名人のひとり、オードリー・ヘプバーン。彼女を嫌うということはつまり、動物の赤ちゃんや無料の食べ物、金曜日の仕事終わりを嫌うことに匹敵するともいえる。
しかし、カフェの壁や学生の部屋など、あらゆる場所で彼女のイメージを見かけるにもかかわらず、エレガントな衣装や有名作品の陰に存在する彼女の素顔について、知っている人はほとんどいない。
今明かされる、世紀のアイコンの意外な素顔
イギリスの映画監督ヘレナ・コーンと、絶賛されたドキュメンタリー映画『マックイーン:モードの反逆児』のプロデューサーたちは、オードリーが生涯を通じて悲劇的な出来事や個人的な問題に苦しめられてきたことについて、このたびより深く追究。
その結果、11月末にイギリスで発売スタートとなる新ドキュメンタリー映画『Audrey』(原題)では、世界的な人気を誇る裏で、複雑さや不安、多くの問題を抱えたオードリーが、愛を求めて奮闘してきた姿が描かれている。
コーン監督は、「オードリーは奥の深い人でした。彼女は人生で多くの苦しみを味わい、それを美しいものへと変換したのです」「私にとってそれは大変素晴らく、励みになるストーリーですし、特に今の状況下では、トラウマは自分を決定づけるものではないということを示してくれました。トラウマをパワフルで美しいものに変えることができるということを、オードリーが証明してくれたのです」
「私にとって彼女は、二次元の肖像画に収められてしまった女性の代表格です。誰もが彼女の顔を知っているのに、誰も彼女の正体を知らない。オードリーは実はとても賢く、5カ国語を話すこともできたのです」と語る。
そのコーン監督が、21世紀を代表する偉大なアイコンの研究を続けてきたなかで、最も驚いた事実を教えてくれた。
父親に見捨てられ、愛を求めて苦しんでいた
「オードリーの両親は彼女が6歳の時に別れ、父親は家を出て行きました。父を失ったことは、特に男性との関係においてオードリーに大きな影響を与えました。そして彼女の2度に及ぶ結婚はどちらも厳しいものでした」
「最初の夫メル・ファーラーは、強く支配的、かなり気難しい人物で、彼女の父親ととてもよく似ていたのです。2人目の夫アンドレア・ドッティとの結婚は、さらに大変なものでした。彼は結婚中に何度も浮気を繰り返し、オードリーの孫娘がこの作品で語っているように、何百人もの女性と写真に写っています。父親との別れは彼女の自尊心に大きな影響を与えたのです」
「人生の終わりに向けて、特に子供を産んでからのオードリーは、自分自身を受け入れるようになりました。そんな時に出会ったロバート・ウォルダーズは彼女を愛し、誠実に接してくれました。彼女が亡くなるまでの13年間、2人は一緒にいました。2人は結婚こそしていませんでしたが、オードリーは自分たちを夫婦とみなしていたのです」
写真:1988年、晩年のパートナーだったロバート・ウォルダーズとともに
痩せているのは、幼い頃に栄養不足だったから
「オードリーはナチス占領下のオランダで第二次世界大戦を過ごし、そこでは食料が底をついていました。成長期の栄養不足は彼女の成長を妨げ、体格を永久的に変えてしまったのです」
「結局、彼女が最初に抱いていたバレリーナになるという夢は、この体格が故に断念せざるを得ませんでした。栄養失調を経験した彼女には、体力が足りませんでした。オードリーがこんなに痩せていたのは、飢えを経験したからだと伝えることは、私にとって非常に重要でした」
「実際に戦前の彼女の写真を見ると、まったく違って見えます。悲劇に見舞われた結果痩せてしまったことについては、彼女に選択の余地がなかったのです。ですから、彼女のような体型になりたいと憧れるべきではありません。私が知る限りでは、オードリーは食べ物に熱中していました。彼女はチョコレートとスパゲッティが大好きで、歳をとってからは寝る前にウイスキーを飲んでいたそうです」
写真:母エラと17歳の頃のオードリー、1946年
自分の外見が嫌いだった
「オードリーは本作の中で、自分のすべてを変えたいという心情を吐露します。彼女はブロンドヘアでふっくらとした容姿に憧れていました。私は、史上最も美しい女性として何度も選ばれている彼女が、自己愛を見つけるのが難しいと思っていることに心底驚きました」
「彼女はまた、自分の演技力にも不安を感じていたそうです。自分がいい女優だとは思っていなかったというわけです。彼女は再撮影を懇願し、ナーバスになり、たくさんタバコを吸っていました。カメラの前では完璧な人物でしたが、舞台裏には別のストーリーがあったのです」
ミューズでありデザイナーでもあった
「オードリーが洋服のデザイン画を描いていたことにも驚きました。彼女は洋服を自分でスケッチし、それに注釈とメモを付けていたのです。恐らくそのデザイン画をジバンシィと共有していたのでしょう」
「彼女は洋服選びにとても積極的で、ジバンシィの服を着ていただけでなく、彼の協力者でもあったのです。2人のアーティストが協力して、史上最も先進的な服を作っていたというわけです」
「2人は密接に協力し合い、『ティファニーで朝食を』に出てくるタイトな黒いドレスを生み出しました。オードリーはドレスがカメラにどう映り、何が必要で何が必要でないかを熟知していました。彼女はジバンシィの単なるミューズだったと誤解されていますが、実は一緒に働く同志だったのです」
慈善活動を行うセレブの先駆けだった
「オードリーは、ハリウッドの大スターとして初めて、大規模な慈善活動を行なったという点で先駆者的な存在でした。多くの著名人が彼女から多大な影響を受け、後に続いています」
「オードリーは、ユニセフの親善大使としての人道的な活動を非常に重視していました。第二次世界大戦後には、ユニセフによって彼女自身が飢餓から救われたため、栄養失調の子どもたちについてとてもよく理解していました」
「戦争に苦しみ、父親に見捨てられ、夫に浮気されても、トラウマに負けずにソマリアの現場に出て、自らを破滅させるのではなく、人々に恩返しをしたのです。彼女はガンと診断されてからも、子どもたちのために闘っていました」
“美”に対するハリウッドの常識を変えた
「彼女はまた、“美女とはブロンドで胸が大きくなければならない”というハリウッドの常識を変えました。瞳が黒く痩せていても美しいということを証明したのです」
「ハリウッドには多様性という点でまだ長い道のりが残されていますが、彼女は女性の美しさは人それぞれだということを人々に理解させたという点で、重要な足跡を残しました」
世界に対し怒っていた
「オードリーが放った言葉のなかで私が最も気に入っているのは、『私は自分たちに対する怒りでいっぱいです』というものです。彼女は世界の状況に憤慨していました。腐敗した政府によって子どもたちが飢えていることに激怒していたのです。なぜなら彼女自身が戦争の只中に育ち、ヒトラーや独裁者たち、そして悪しき政府によって餓死の寸前にまで追い込まれたからです」
「それでもなお同じことを繰り返し、子どもたちが飢えに苦しんでいる姿を見て彼女は激怒していました。私たちは本作で、彼女の悲しみや傷付きやすさ、後悔、そして怒りを見せています。彼女はただ美しく完璧な妖精なのではなく、複雑な心情を抱えた女性だったのです」
もしまだ生きていたら、活動を続けていたはず
「もしメキシコの子どもたちがアメリカとの国境で両親と引き離されていることを知ったら、彼女は最前線に立って記者会見をし、ホワイトハウスに行って状況を変えようとしたでしょう。彼女が常に関心を寄せていたのは、子どもたちとその教育でした。教育は物事を根本的に変えるための手段だと彼女は信じていました」
「1992年のオードリーとトランプの写真を見ればわかるでしょう。ロックダウンの期間中、私がずっと彼女のことを考えていたのは、今年起こったことと、その問題に対する誤った対応にひどく打ちのめされていたからです。もしトランプが大統領だと知ったら、彼女は愕然とするでしょうね」
0コメント