https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp/mominoie/KANEKOTOUTASAKUHINKANSHOU/SAKUHINKANSHOU.02.html 【金子兜太作品鑑賞 二】 より
吾をそしる人影のごと枯木満つ 『生長』
純粋に生きたい、あるいは強く生きたいという自己への負担や自己への期待の裏返しとして、自分をそしるという心理作用が起ることがある。そして、周りのものが自分を非難しているという思い込みは、自分が自分を非難しているということの結果であることが多いのではないだろうか。そんなことを考えながらこの句を読んだ。
月冷えの岩群とあり神を信ず 『生長』
我に罪あり冬芽立ち立つ月の前 『生長』
この二句などからは、私はキリスト教的な世界観を感じずにはいられない。「神を信ず」や「我に罪あり」という言葉などからそう感じるのである。このようなキリスト教的、いわば二元的な世界観は兜太の代表句といわれるものだけを読んでいる限りでは、兜太とは異質である。それ故、逆に新鮮に感じるものもあるし、また、兜太の歩みということを思わざるをえない。兜太においては、戦前は二元的な世界の把握ということが比較的目につく。
吾が顔の憎しや蝌蚪の水にかがみ 『少年』
このような激しい自己否定的な、いわば自己嫌悪の句が何故出てくるかの考察には、ここでは踏み込まないが、兜太の後年には見られないものである故に印象的である。同じ頃の句で、世界との違和感、あるいは断絶感のようなものが出ている句に、「懐中燈に現るるもの皆な冬木」『生長』、「枯山の幹みな白し泪わく」『生長』、「貨車長しわれのみにある夜の遮断機」『少年』等もある。
百日紅まことの愛は遂になし 『少年』
極め付きはこの句である。あまりにも極まって、逆に開き直っている感じが心地良いとさえいえる。実際、虚無的な感じはしない。それが「百日紅」の故だか、兜太の全体像から来る感じの故だかよく解らないが、こう言い放っていることに温かみさえ感じるのは不思議である。しかし、ともかく最初この句を見た時には、兜太がこのような句を作ったということで少々当惑した。金子兜太から受ける印象に意味の上であまりにもそぐわなかったからである。
この句に表明されている思弁の極まりは次の二句によって解決されているように、私には思える。
ちなみに、『生長』と『少年』は時期が重なっているのであるが、句そのものの順番はこうである。
湧く雲雲おのれ死せしめ神を捨てむ 『生長』
かなり図式的な言い方になるが、〈おのれを捨てずに神を捨てる〉と自我の肥大を招き、逆に〈神を捨てずにおのれを捨てる〉と狂信に陥る。〈神も捨てずにおのれも捨てない〉か、あるいは〈神も捨ておのれも捨てる〉というのが健全な人間存在の在り方であるように思える。前者はキリスト教的であり、後者は仏教的であるとも言える。だから、この掲出句はキリスト教的なあるいは二元的な世界観だけでは満たされなかった兜太の、一つの転機の心理を書いているように私には思えるのである。
この句のある意味では虚無的な内容を、「湧く雲雲」がそうならないように素晴らしくフォローしているのであるが、この句に続く次の一句は更に理屈抜きの力があり、兜太本来の一元的あるいは全一的な存在感が現出している。
海に青雲(あおぐも)生き死に言わず生きんとのみ 『生長』
そもそも理屈で生きる力というものは得られない。それどころか、理屈は死への病とさえなりうる。「生き死に」を理屈でこね回す時、生よりもむしろ死への志向が高まってくることに気付いたことはないだろうか。理屈は道具として使えばいいだけである。人間存在の根源的な問いに対する答えを導きだすものとしては、理屈は役立たずである。存在への限りない信頼、これが生きる力の源泉である。前句「湧く雲雲・・」には理屈の破片が残っているが、この句においては、それを振り払うように意志的に生きる宣言がなされている。「海に青雲」が体の芯に感応するように美しい。
注記しておけば、この二句はトラック島での、多分敗戦の予感もあった時期の句であるから、「おのれ死せしめ」は実際の死の覚悟を含んだ言葉である可能性が高いし、「生き死に言わず生きんとのみ」は、どんな状況がやってこようと、最後まで生きる意志は失わないぞ、というある意味切実な状況での切実な言葉だった可能性がある。それを、戦場などを何も知らない私が、如何にも解ったふうなことを書くのはまことにおこがましいと思うのであるが、一つだけ言い訳をさせてもらえば、秀句というものは、それを読む人がその人の受容力に応じてそれなりに感銘を受け得るものである、という事実があるのであるから、私の能力の範囲において、鑑賞することも許される気がするわけである。
父の俳句むさぼり読むや滝飛沫 『生長』
この句が『生長』において、「海に青雲・・」の句から五句目に置かれている句であるというのは、関連づけてやはり印象的である。「生きんとのみ」と決まったと同時に、何をなすべきかは既に決まっていた、という感じがするからである。やはり兜太は、俳句をやる運命に生まれていたのかもしれないと思う。父の後を継げたということも仕合わせなことである。この滝の飛沫が生の汁の飛沫でもある感じである。
これから兜太も出征した太平洋戦争に関する戦前戦中戦後の句からいくつか拾ってみたい。
かまつかに吾れくろぐろと征かむとす 『生長』
葉鶏頭を戦火に見立てての出征前の気持ちである。どこか暗澹としている。「くろぐろと」に、張り切って征くのではない、全面的に価値観を持っていくのではない、混沌とした心持ちではあるが行かねばなるまい、という気持ちが感じられる。戦争に征くというのは、当時の若者にとっては殆ど他に選択肢のない運命であった。この運命を心底受け入れるということは、当然、相当難しかったに違いない。次の一句がこの運命を受け入れた際の一句に思えるのであるが・・
赤蟻這うひとつの火山礫拾う 『少年』
赤蟻が這っているひとつの火山礫を拾った、というのである。赤蟻は兜太自信であり、出征間近であるから、火山礫は戦場の象徴であると受け取れる。つまり戦場で這っている自分自身の姿が啓示されているものを拾った、と私は感じるのである。自分は戦場に行く運命だと、はっきり印として示されたわけで、運命を受け入れるということを心得ている兜太(と私は感じているのであるが)としては、この句に出会うことによって更に覚悟が決まった、と私には思えてくるのである。俳句を作るということには、そのような働きもあるかもしれない。つまり、自分の行く手を疑いなく指し示す道標あるいは印のような働きである。
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