https://sorensen.at.webry.info/201310/article_11.html 【ひと この言葉 金子兜太さん】より
妻の死 言葉
写真は武甲山、雄大な姿は金子氏の容姿や作風と重なってみえる。
「女房の病と死は、私にとって不幸などではなくて、そのことは客観的な現実だったんです。」
中略
「幸・不幸とはつまり、便宜的な概念なんだ。だから幸・不幸にとらわれて悩むことはない。」
『悩むことはない』金子兜太 文芸文庫より
金子兜太さんは今年94才、俳句の世界の重鎮として有名です。埼玉県皆野町に生まれる。同じく俳人の妻皆子さんは2006年に他界された。このことについて述べている。
自分も妻に逝かれて25年になりましたが、まだそのことは夢の中のことのようです。あまりにも若すぎる死で、妻の人生がどういうものであったのか評価
できるすべもないというのが実感です。
「寒熱の地獄に通う茶柄杓も、心なければ苦しみもなし。」
これは禅の師匠岡田担雪先生からいただいた公案の一つ、妻の死後この言葉で何度も救われました。金子氏の言葉に通ずるところがあると思います。
https://moripapa.info/japan/%E4%BF%B3%E4%BA%BA%E3%80%81%E5%85%9C%E5%A4%AA%E3%81%AB%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%EF%BC%81/ 【俳人、兜太にビックリ!】 より
この記事は3年以上前に投稿された古いものです。
俳人でドイツ文学者の田中亜美さんは「俳句は海外でも人気の日本文学です。俳句に関心があるドイツ人がたいてい知っているのは、芭蕉ばしょう、一茶いっさ、子規しき、そして兜太とうたなんです。兜太の弟子というだけで、すごいところに自分がいるということを、痛感させられる」といいます。俳句には全く縁も感心もなかったので、金子兜太なる人を知りませんでした。
急に兜太に興味が湧いたが、俳句は分からんので兜太の書下かきおろし随筆「悩むことはない 」を読みました。
第1章 冒頭のエッセーに圧倒され、俳人、兜太に ビックリ!
「幸せ」と「不幸」をどうとらえるべきか
自分の妻が難病をわずらって、もう生きる見込みがないという状況は、一般的には不幸として扱われやすいですね。
妻は無邪気で、人間として非常にすばらしい、感性の澄んだ明るい人でした。
こんないい女性はいないと思ったから、こちらから望んで結婚したわけだ。
日銀サラリーマン時代、女房にはたいへん迷惑をかけまして、苦労に報いることもなく、ろくなことをしてこなかった。その妻が、不治の病を患い、主治医に恋情とも呼べるほどの過度の信頼を寄せていた。そのことを私がどう思い、どう対応したか。
(中略)
私の動揺や葛藤の有様を聞き出そうとした。でもね、正直に言ってそのときは、「それでよかった」としか思えなかった。嘘偽りなく、そう思ったんだ。
この気持ちの根底には、私が女房のことをそのままの女房を見る思いで見ていたということがあると思う。女房の病と死は、私にとって不幸などではなくて、そのことはただ客観的な現実だったんです。
(中略)
幸せだという言葉がもとから念頭にない。だから不幸という言葉もない。幸・不幸とはつまり、便宜的な概念なんだ。だから幸・不幸にとらわれて悩むことはない。
今から13年前同じ経験をしました。妻を肺がんで亡くしました。今だから白状できるその時の心情を、鮮やかに言ってのけている兜太。さすが俳句の重鎮だけのことはある。
だが、それ以降の第2章、第3章には付いて行けず、読み飛ばしました。
この人は奇人です。ではあるが心の奥底に迫ってくる。
今年97才になる。私はどうも死ぬ気がしない というが、今もお元気の様子です。
「一日の命は三千界の財たからにもすぎて候なり」ですから、長生きしてください。
ところで、どなたか俳句を教えてくれる方、いないかな~?
https://kanekotota.blogspot.com/2017/02/blog-post_50.html 【『 悩むことはない』金子兜太】 より
『 悩むことはない』文藝春秋 のち文春文庫
第1章 問われて答う
第2章 生い立ち 来たるところ
第3章 戦争と俳句、戦地で俳句と決別し、戦地でふたたび俳句に会う
帯より
91歳の自由人金子兜太。溢れ出るいのちの言葉。なにをしても虚しいときこの本を開いてください。「よく眠る夢の枯野が青むまで」この句は芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をか
け廻る」を念頭に兜太が詠んだ句だ。俺はあんたのように悩まないよ、と。
第1章 問われて答う
「幸せ」と「不幸」をどうとらえるべきか
自分の妻が難病を患って、もう生きる見込みがないという状況は、一般には不幸として扱われやすいですね。
妻は無邪気で、人間として非常にすばらしい、感性の澄んだ明るい人でした。こんないい女性はいないと思ったから、こちらから望んで結婚したわけだ。
日銀のサラリーマン時代、女房にはたいへん迷惑をかけまして、苦労に報いることもなくろくなことをしてはこなかった。その妻が、不治の病を患い、主治医に恋情とも呼べるほどの過度の信頼を寄せていた。そのことを私かどう思い、どう対応したか。
あるテレビディレクターがそんな状態の私に関心をもって、取材に来たんですな。私の動揺や葛藤の有り様を聞きだそうとした。でもね、正直に言ってそ のときは、「それでよかった」としか思えなかった。嘘偽りなく、そう思ったんだ。
この気持ちの根底には、私か女房のことをそのままの女房を見る思いで見ていたということがあると思う。女房の病と死は、私にとって不幸などではなくて、そのことはただ客観的な現実だったんです。
戦争中に偶然命が助かったときも、幸せという受け取り方はしません。名誉ある賞というものをもらっても、幸せだなどと思わない。幸せという言葉がもとから念頭にない。だから不幸という言葉もない。幸・不幸とはつまり、便宜的な概念なんだ。だから幸・不幸にとらわれて悩むことはない。
努力と運の良し悪し
運のいい悪いは運命です。努力で得られるもんじゃない。もって生まれたもんだと思いますなあ。だから「この世の支配者」のような大きい存在を、私は抜きがたく信じています。
戦争中に、自分はいのち運が強いと感じました。グラマンの機銃掃射に遭って撃たれて死んだのは、私でなく小船に乗り合わせた目の前の兵隊のほうだった。これは運としかいいようがない。
駐留していた南太平洋トラック島で寝起きしていた小屋には、夜中になるとこの部屋の隅にスーつと白い影が現れるんです。それに気づくと、なぜかわからんけど、妙に力を感じたんだ。
「これはきっと、俺のこの千人針の腹巻にお袋が入れてくれた、村の椋神社の御札の御神霊なんだ」。なんとなくそう思った。その力で俺は守られていると確信した。そんな思いがいまもありますなあ。椋神社に代表される、やっぱり「神」としかいいようのない大きな力の存在を信じています。
心の広さを作るにはどうしたらいいか
私か八十歳になった頃、六つ違いの女房がガンを患った。女房が病んで死んでいく、そういう時間のなかで、私は「受けて立つ」ということができるようになっていった。不思議なことに神経が尖らなくなってきました。
たとえば女房が患っているその間というものは、家をまもっている息子の嫁さんがいちばん苦労します。だから嫁さんになるべく苦労をかけちゃいかんと思い、日常を自分で律することにした。
外ではどうか。人との関係に腹を立てたり出しゃばることをせず、「受身」の姿勢がおのずからとれるようになった。受け皿の広い状態になった。
争いで済ませず、争いにしないという考え方が身についた。やっていい喧嘩もやらない。やってはならない喧嘩は絶対にしない。
人間はなんで人を好きになるのか
馬鹿には馬鹿なりの共感があり、利口には利口なりの共感というのがあるそれは生理的なものでしょう。共感によって好きになり、なければ嫌いになる。
ただ男女の関係の好き嫌い、つまり性愛というのは性欲と関係しているでしょう。性的に惹かれれば、好きになる。性的な欲求だからきわめて一時的なもので終わるんですね。だから好きとか嫌いとか言って、それを絶対的なものと思うと、錯覚してしまう。だから人間関係なんていうのは、いい加減な要素がずいぶん働いているんじゃないかな。
好き嫌いに拘っていることに、ばかばかしさみたいなものを感じませんか。もっと非常に素朴な、それこそ原始人の源にあるような人間にたちかえって見直さないと、わけがわからなくなるんじゃないですか。現代人のかかえている問題は、これまでの倫理とか道徳とかで解けない。本能的な原始的な人間の感覚を取り戻さないと。
単純な好き嫌いでなく、もっと根源的な感覚を研ぎすまさないとね、ダメじゃないか、と思いますよ。倫理とか道徳とか人生観とか、全部ナンセンス。信用できない。そんなものに縛られている人間が哀れという感じです。
仕事とは、働くとは
人間が社会というものをつくらなければ、働くなんていう概念はなかったと思います。生きていればいいんだから。何かの実を採って、イノシシ殺して食うとかね。それでよかった。
社会をつくったから複雑になった。いまの人が働くのは、そりゃ、おまんま食うためだ。社会のなかで生きている以上はしかたがない。そう了解していればいい。
「男の優しさ」とは
優しさの、ない人間なんかとは付き合えない。けれど優しすぎるとバカバカしくなります。相手が優しすぎるとそう感じ、自分か優しすぎてもそう思うわけです。嘘っぱちだろう、と思っちまう。もっとお前は利己的で、もっと意地の悪いところがあるはずだと。そう気づけばバカバカしくなろうというものです。優し過ぎないのがいいです。
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