https://gendaihaiku.gr.jp/column/1999/ 【猪がきて空気を食べる春の峠 金子兜太 評者: 渡辺誠一郎】より
大分前のことだが、秩父に足を運んだことがあった。武甲山を眺め、秩父神社に詣でた。秩父へ向かう列車に揺られながら、山並が遠くまで続く風景のなかに、ふとこの句の情景が思い浮かんだ。山並の稜線に猪の幻影を見たような気がした。
秩父は古くから多くの猪が生息する地である。日本武尊が東征した時に、猪を退治した故事にちなんだ猪狩神社がある。今も猪の肉は珍重され、牡丹鍋が秩父の名物である。
この句の猪の立つ峠には、春の気持ちの良い風が吹いている。兜太はアニミズムの世界に共感し、「生きもの感覚」を俳句の力とした。空気を食べるとは、まさに秩父という産土のエネルギーを体内にたらふく溜め込むかのようである。
兜太は〈おおかみに螢が一つ付いていた〉など、狼の句を数多く詠んでいる。しかし日本狼は絶滅したが、猪は日常的に身近な存在であった。兜太には、土の臭いのする猪の方が良く似合っている。その意味で、この峠に立つ猪の存在は、兜太自身の姿とも重なってくる。俳句の世界において、社会性俳句・前衛俳句、そして反戦の活動と、亡くなるまでエネルギッシュに生きた兜太の存在は、まさに猪突猛進の猪の姿そのものであった。風貌やその振舞いからも、兜太は猪族であったのだ。
この句のように、兜太が秩父の空気をたらふく食べて、俳句の世界への繰り出して来たように想像してみるのも可笑しくも楽しい。
https://gendaihaiku.gr.jp/column/2465/ 【猪がきて空気を食べる春の峠 金子兜太 評者: 村井和一】より
空気を食べる猪。山の彼方の青空まで食べそうです。猪は満足そうです。
猪のねに行くかたや明の月 去来
に対して芭蕉は、人里へ下りた猪が明け方に山へ帰るのは古人も知っていたことだ。優美を旨とする和歌でさえそれを〈帰るとて野べより山へ入る鹿の跡吹きおくる萩の上風〉と技巧的に詠んでいる。自由に作れる俳諧で、当り前に詠んでも仕方がない、と評しました。「俳諧自由」という言葉の起りです。
https://blog.goo.ne.jp/new-haiku-jin/e/272401a548c410751761f24b641f1b01 【金子兜太の一句鑑賞(14) 高橋透水】 より
猪が来て空気を食べる春の峠 兜太
昭和五十五年の作で、句集『遊牧集』に収録されている。「猪」は「しし」と読む。鼻をもぐもぐと動かし、獲物の匂いを嗅ぐ動作を「空気を食べる」と見立てたのであろう。
峠は決して獣道だけではなく、むしろ住民のためであり旅人のためでもある。とすると「春の峠」には人間界の生活の匂いがするわけで、猪が春を感じる以上に山国の人々の春の喜びもあるわけである。
兜太は造型俳句から象徴(イメージ)の俳句、アニミズムへと変遷するが、情(ふたりごころ)の概念も重要なキーワードである。
『遊牧集』のあとがきに「一茶から教えられて、自分なりに輪郭を掴むことのできた〈情(ふたりどころ)〉の世界を、完全に自分のものにしようと努めてもきた。そのせいか、〈心(ひとりどころ)〉を突っぱって生きてきた私は、〈情〉へのおもいをふかめることによって、なんともいえぬこころのひろがりが感じられはじめているのである」とある。
他の兜太の言葉を引用すれば、『「心」の意味は「ひとりこころ」と、私は勝手に受け取っています。つまり、自分だけを見つめ、自分を詰めて、自分に向かっていくこころです。そして「情」の意味は「ふたりごころ」と私は受け取ります。相手に向かって開いていくこころです。どちらも「こころ」と読みながら、日本人は「心」という字を「ひとりごころ」と受けとり、「情」という字を「ふたりごころ」と受けとっていたと私は理解しています』となる。この「相手に向かって開いてゆく」ことは、芭蕉の「情」の精神に通じるという。「情」は人や自然との対話である。
アニミズムには小林一茶の影響もあるが、〈人間に狐ぶつかる春の谷〉(『詩経国風』より)などをみると、たとえ想像のなかであれ、兜太と動物の交流を垣間見る思いだ。
秩父地方は林業が盛んだが、この地方には猪、鹿をはじめ野生動物が多く生息し、まだまだ自然が多く残っている。兜太のアニミズムもこの環境から育ったものだろう。
https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20000312 【 猪が来て空気を食べる春の峠】より
猪が来て空気を食べる春の峠
金子兜太
猪(いのしし・句では「しし」と読ませている)というと、とくに昔の農家には天敵だった。夜間、こいつらに荒らされた山畑の無残な姿を、私も何度も見たことがある。農作物を食い荒らすだけではなく、土を掘り返して野ネズミやミミズなどを食うのだから、一晩にして畑はめちゃくちゃになってしまう。俳句で「猪」は秋の季語だが、もちろんそれはこうした彼らの悪行(?!)の頻発する季節にちなんだものだ。猪や鹿を撃退するために「鹿火屋(かびや)」と言って、夜通し火を焚いて寝ずの番をする小屋を設ける地方もあったようだが、零細な村の農家にはそんな人的経済的な余裕はなかった。せいぜいが、猟銃を持っているときに出くわしたら、それで仕留めるのが精いっぱい。仕留められた猪も何度も見たけれど、いつ見ても、とても可愛い顔をしているなという印象だった。日本種ではないようだが、いま近くの「東京都井の頭自然文化園」で飼われている猪族も、実に愛嬌のある顔や姿をしている。まともに見つめると、とても憎む気にはなれないキャラクターなのだ。だから、この句の猪の可愛らしさも素直に受け取れる。ましてや「春の空気」しか食べていないのだもの、私もいっしよになって口を開けたくなってくる……。『遊牧集』(1981)所収。(清水哲男)
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