https://www.epochtimes.jp/p/2019/05/42470.html 【【漢詩の楽しみ】山中問答(さんちゅうもんどう)】より
問余何意棲碧山
笑而不答心自閑
桃花流水窅然去
別有天地非人閒
余(よ)に問う。何の意ありてか碧山(へきざん)に棲むと。笑って答えず。心自ずから閑なり。桃花(とうか)流水(りゅうすい)窅然(ようぜん)として去る。別に天地の人閒(じんかん)に非ざる有り。
詩に云う。ある人が、わしにこう問うたよ。あんたは一体どんな考えがあって、青々とした山に住むのかね。わしは笑って答えなかったが、その心は、もとよりのどかなものだった。桃の花びらを浮かべた水が、どこまでも遠く流れ去っていく。ここには、俗世間とは全く違う、別の世界があるのだよ。
李白(701~762)53歳ごろの作。山中問答とはいうが、要するにそのような設定で詠じた詩なのであって、本当に作者が山中で誰かに会って問答したのではない。
これには先行する詩文がある。唐の李白からさかのぼること約350年、六朝時代の陶淵明(とうえんめい)による連作『飲酒』の第五首に「君に問う何ぞよく爾(しか)るやと、心遠ければ地自ずから偏なり。菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る」という有名な詩句があり、李白がこれをモチーフにしていることは明らかだろう。
とは言え、李白が単に詩作りだけのために、陶淵明の詩を本歌取りしているのではないようだ。それはまるで詩人の全人格的な源流探求のように、文学の山中で先人に会うことを願い、またそれを自己の作品によって超越しようともがく李白の一断面のように見える。
わが俳聖・松尾芭蕉もまた、遠く五百年を隔てた西行法師を崇敬するあまり、その漂泊へのあこがれを抑えきれず旅に立った。ただ、李白が芭蕉と異なるのは、自己に対する圧倒的な自信から、常に自らを先人より上段に置いている点である。なにしろ彼は神仙であろうとしたのだから、平気で先人を呼びつけるようなところがある。
そうすると、鑑賞の一つの試みであるが、「問余何意棲碧山」と李白に問うたのは陶淵明その人ではなかったか。そう考えたほうが、「笑って答えず」といった李白の得意げな顔が焦点を結びやすい。
ただ、これより最晩年の時期を迎える李白は、その多くが漂泊の旅にあったが、友人とも別れ、官職も在所もなく不遇の生活であったことは間違いない。
https://cerebellu3.exblog.jp/27021282/ 【山中問答(さんちゅうもんどう)】より
「山中問答」は李白の詩です。
問余何意栖碧山 (よにとう なんのいぞ へきざんに すむと。)
笑而不答心自閑 (わらってこたえず こころおのずから かんなり。)
桃花流水窅然去 (とうか りゅうすい ようぜんとしてさる。)
別有天地非人間 (べつに てんちの じんかいに あらざるあり。)
"どんなつもりでこの緑深い山奥に住んでいるのか、と人は聞く。だがわたしは笑って答えない。心はどこまでものどかである。桃の花びらを浮かべつつ、水はどこまでも流れて行く。ここは俗人の世界ではない、別天地なのだ。"
という意味だそうです。
(いつも、岩波書店の「中国名詩選」を参考にさせていただいてます。難しくてパソコンで漢字を見つけられない時もあります。)
退職してからの生き方について、友人から聞いた新聞記事の受け売りを話します。
友人から話を聞いて、その話を受け売りするのですから、少し私見が混じっているかもしれませんが‥‥、
「退職してから、人生の目標とする事柄は、全く以前の仕事から離れたことにすべきである。特に、子供だった頃抱いていた夢の中で、果たせなかったことにするのが一番いい 。」
だそうです。
仕事をやめてから、仕事の思考方法が頭や身体から抜け出るまで、少なくとも三年以上はかかりますよね (≧∇≦)。
仕事内容や、そこで学んだ知識を捨てることは以外に早く出来るかもしれませんが、生活行動や価値観に染み付いてしまった物達はなかなか出て行きません。
細かいこと‥‥例えば、
・相談ごとや計画内容は、的確にスピーディに上司へ伝える。
・伝え方はどんなに多い内容でもA4一枚に分かりやすくまとめる。
できるだけフォントを大きくする。
エクセルなどを使い、表を作成して説明する。
・行動は早く、会議は準備をしっかり、落とし所を決めておく。
・マニュアルや様式はちゃんと頭に入れておく。
・時間は正確に、特に10分前行動を心がける。
などの、初歩的な仕事方法です。
そういった事は、意外と身にしみているものです。
良いこともたくさんありますが、こういう事を、一旦リセットできた後に、別の人生が拓けてくるのかもしれませんね。
友人からの話を聞いて、なぜ自分がファインダーを覗いている時だけが、一番ワクワクするのかがわかりました。
私は、子どもの頃
"写真家になって世界中をまわる! "
という夢もあったのを思い出したのです。
まだまだリセットできないものがたくさんあります。それに、今から写真家にはなれないし、世界中もまわれませんが、新しい価値観の世界はあるものなのです。
「子どもの頃のもう一つの夢」って、なんだか素敵だなぁと最近思い始めました。
李白の存在も、価値観の置き方ですよね。
もう一つの夢に繋がるような気がします(=^ェ^=)。
http://www.ginken.or.jp/index.php/reading_content/reading_content-1572/ 【李白「山中問答」】 より
漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。
ときには和歌も取り上げたいと思います。
今回は李白(七〇一~七六二)の「山中問答」です。
問余何意棲碧山 [余に問う何の意あってか碧山に棲むと]
笑而不答心自閑 [笑って答えず 心自ら閑なり]
桃花流水杳然去 [ 桃花流水杳然として去る]
別有天地非人間 [別に天地の人間に非ざる有り]
「杳然」は、深く遠いさまです。「人間」は「ジンカン」と読み、人の世、世間、をいいます。詩で「人間」というと、俗人の棲む世間です。第四句の「別に天地の人間に非ざる有り」は、別に天地が有る、その天地は俗人の天地とは異なる、ということです。そこで 俗世間と異なる別天地がある、などと訳されます。今日よく使う「別天地」の出典です。
ところで、どうして「非人間」、俗世間と異なる、と言うのでしょうか。そのヒントは第一句目の「碧山」にあります。碧山は、青々と木々の繁る美しい山のことです。同じ意味で「青せ い山ざ ん」という言葉もあります。が、「碧山」と「青山」は、微妙にニュアンスが違います。「青山」は、身近にあって親しみやすい青々とした山です。が「碧山」は、俗人を拒絶する青々とした山です。もうお分かりでしょう、第一句の「余に問ふ何の意あってか碧山に棲むと」は、俗人が私に、どんなつもりでこんな奥深い山に棲んでいるのか、と質問したのです。俗人が棲むことのできない碧山に棲んでいるので、その真意を私に質問したのです。しかし私は「笑って答えず」、笑っているだけです。そして「心自ら閑なり」と、心は自ら穏やかです。 もとより俗人に説明したところで理解はされませんし、心は俗世からはなれていますから、笑うしかないのです。
私は笑って何も答えませんが、詩ではちゃんとその答えを後半で言います。
桃花流水杳然去 [桃花流水杳然として去る]
別有天地非人間 [別に天地の人間に非ざる有り]
桃の花びらを浮かべた清らかな水が深々と遠くへと流れて行く、ここに俗世間と異なる別の天地があるのだ、と。桃の花はたしかにきれいですが、でもなぜ桃の花なのでしょうか。
李白は唐の時代の人ですが、時代を三百年ほど遡さかのぼった晋の時代に、日本人が大好きな詩人の一人、陶淵明(三六五~四二七)がいました。役人生活がいやになってきっぱり役人をやめ田舎で悠々 自適した、といわれる人です。本当はちょっと違うのですが・・・。
酒と菊が大好きで、絃のない琴(無絃琴)を弾いていた、ということでも知られる隠者です。その陶淵明に、よく知られる「菊を采る東籬の下/悠然として南山を見る」の句のある「飲酒」と題する詩があります。その詩で自問自答の形で、
問君何能爾 [君に問う 何ぞ能く爾るやと]
心遠地自偏 [心遠ければ 地自から偏なり]
という句があり、また最後に、
欲辯已忘言 [弁ぜんと欲すれば已に言を忘る]
とあります。李白の詩の前半の問答形式と「笑って答えず心自ずから閑なり」は、陶淵明の詩が下敷きになっているのです。
陶淵明には、また「桃源郷」の語の出典の「桃花源の記」という文章があります。桃の林を抜けたところに山があり、その山の向こうに理想郷があった、という話です。李白が水に浮かんで流れていく桃の花びらを詠ったのは、やはり陶淵明からの影響です。 李白の「山中問答」は、陶淵明の境地を踏まえながら、むずかしいことばを用いず、心清らかな人の棲む、美しい世界を詠っています。青々とした山あいを、清らかな水が桃色の花びらを浮かべて遠くへと流れていく風景は、何と心が落ち着くことでしょう。 「心自ずから閑なり」という気持ちがよくわかります。
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