山頭火の日記 ㉕

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946147233&owner_id=7184021&org_id=1946175080 【山頭火の日記(昭和8年6月3日~、行乞記・北九州行乞)】より

『行乞記』(北九州行乞)

六月三日 (北九州行乞)

一年ぶりに北九州を歩きまはるべく出立した、明けたばかりの天地はすがすがしかつた、靄のふかい空、それがだんだん晴れて雲のない空となつた、私は大股に歩調正しく歩いていつた。嘉川を過ぎると峠になる、山色水声すべてがうつくしい、暑さも眠さも忘れて、心ゆくばかり自然を鑑賞しつつ自己を忘却した。十一時すぎて船木着、三時まで行乞、泊つて食べるだけの物資をめぐまれて、かしわやといふ安宿に泊つたが、申分のない宿だつた、おかずもよろしいし、御飯もたつぷりあつた、風呂もわいてゐたし水もよかつた、蒲団もきれいで相客までが好人物ぞろひだつた、これで、木賃料三十銭とは! こころよく酔うて話がはづんだ。

 山ふところの花の白さに蜂がゐる

 松風松蝉の合唱すずし

 ここがすずしい墓場に寝ころぶ

   河の向岸は遊廓、家も女も

   田園情趣ゆたか

 水をへだててをなごやの灯がまたたきだした

 をとこがをなごに螢とぶ水

【行乞記(北九州行乞)】

『行乞記』(北九州行乞)には、昭和8年6月3日から昭和8年6月20日までの日記が収載されています。

六月七日

曇、終夜、障子がガタガタ鳴つてゐたことを覚えてゐる、あれだけ飲んでもこれだけ真面目だ、喜んでいいかどうかはわからないが。出勤前の星城子君来訪、幸雄さんはそれよりも早く見舞つてくれてゐる。しみじみ友情を感じる、道としての句作の力をひしひし感じる。八幡は労働都市だけあつて、たべもの店が多くて安い、そこで私もサケとビールとシヨウチユウとのカクテルを飲んだ。いそいで街を離れた、黒崎から左へ曲つてホツとした、人間的臭気の濃厚には堪へきれない私となつてゐた。遠賀川の青草はよい、遊んでる牛もよい。笠がやぶれた(緑平老の眼につくほど)。香春岳は旅人の心をひきつける。途中、木屋瀬を行乞する、五時前にはもう葉ざくらの緑平居に着いた。月がボタ山のあなたからのぼつた、二人でしんみりと話しつづける、葉ざくらがそよいでくれる。彼の近状をここで聞き知つたのは意外だつた、彼が卒業して就職してゐるとはうれしい、幸あれ、――父でなくなつた父の情である。

 青葉へ無智な顔をさらして女

 ぽつきり折れてそよいでゐる竹で

 ここから路は松風の一すぢ

 養老院の松風のよろしさ

 ともかくも麦はうれてゐる地平

 牛といつしよに寝て遊ぶ青い草

   緑平居

 葉ざくらとなつてまた逢つた

 ひさびさ逢つてさくらんぼ

 がつちりと花を葉を持つて泰山木

【香春岳】

香春岳は、一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳から成ります。一ノ岳の石灰石の採掘が始まったのは、昭和10年。山頭火が糸田の木村緑平宅へ通い始めた頃は、まだ採掘されていませんでしたが、小郡時代や湯田温泉時代にも糸田へ行っているので、この頃にはすでに採掘が始まっていました。したがって、山頭火は、採掘前と採掘が始まった頃の香春岳の両方を見ているに違いありません。

【神宮院】

神宮院に、「そこもここも岩の上には仏さま」の句碑があります。

【彼(息子)の近状】

この日の日記に、「彼の近状をここで聞き知つたのは意外だつた、彼が卒業して就職してゐるとはうれしい、幸あれ、――父でなくなつた父の情である」とあります。彼とは、山頭火の息子の事です。

六月八日

名残惜しい別れ、緑平老よ、あんたのあたたかさはやがてわたしのあたたかさとなってゐる。晴れて曇り、行程六里、心身不調、疲労困憊、やうやくにして行橋の糀屋といふ木賃宿に泊まったが、ここもよい宿だった。アルコールの力を借りて、ぐっすり睡ることができた。そのアルコールは緑平老のなさけ。

【緑平旧居跡】

『層雲』の同人・木村緑平は、雀の句を得意とし、明治豊国鉱業所病院に勤務する医師でした。昭和2年から10年間ほど、糸田の職員住宅に住み、山頭火を物心両面から支えました。山頭火は、緑平宅を15回にわたってたずね、緑平と山頭火は、酒を酌み交わしながら語り明かしたといいます。ボタ山も今はなく当時を偲ぶものは少ないですが、山頭火が散策した鉱長坂の地形などは当時と変わっていないだろうと思われますし、緑平旧居跡付近に建つ「逢うて別れてさくらのつぼみ」の山頭火句碑が、山頭火の存在をわずかに感じさせてくれます。

【皆添橋】

皆添橋のプレートに、山頭火を顕彰して造られた「逢ひたい捨灰山(ボタ山)が見えだした」の句碑があります。

【鉱長坂】

山頭火は、糸田町宮床にある鉱長坂(こうちょうざか)を上って緑平宅へと向かったと思われます。緑平に逢うのはよほど嬉しかったのでしょう。日記にも「緑平さんは心友だ、私を心から愛してくれる人だ」とあります。その坂を上りきったところに、糸田町で最初に建立された山頭火と緑平の句が並べられた次の句碑があります。また、山頭火の句碑が次々と建てられ、糸田町には現在5基の句碑があります。

「山頭火

  ボタ山ならんでゐる陽がぬくい

  ふるかえるボタ山ボタン雪ふりしきる

  枝をさしのべてゐる冬木

 緑平

  子雀のあまえてゐる声のしてゐる朝月

  かくれん坊の雀の尻が草から出てゐる

  雨ふる子のそばに親の雀がきてゐる 」

【旧仲哀隧道】

上記の行乞記にあるように、山頭火は、6里約24㎞を歩いて行橋に辿りつきました。当時、香春から行橋へ出るには、旧仲哀隧道を越えなければなりませんでした。山頭火は旧道の呉川眼鏡橋を渡り、ぐねぐね曲った坂道を登って隧道を越えました。このときに、「登りつめてトンネルの風(仲哀洞道)」の句を詠んでいます。旧仲哀隧道と呉川眼鏡橋は、国の登録文化財に指定されています。旧仲哀隧道は、かなり荒れていて内部の崩落があるため通行禁止になっています。呉川眼鏡橋は、万葉集ゆかりの地で、橋のたもとには歌が書かれた案内板が建っています。

【山頭火遊歩道】

香春町金辺川沿いに、「すくいあげられて小魚かがやく」「香春見上げては虱とつてゐる」の山頭火句碑のある遊歩道があります。

六月十五日

晴、草取デー。樹明来、酒と肴とをおごつてくれた。ほとんど徹夜して身辺を整理した、気分がさつぱりした。

 たれかこいこい螢がとびます

 さらさら青葉の明けてゆく風

 風は夜明けのランプまたたく

 こころすなほに御飯がふいた

 埃まみれで芽ぶく色ともなつてゐる(改作)

【こころすなほに御飯がふいた】

この日の日記に、「こころすなほに御飯がふいた」の句があります。平凡な生活の一事象を、句の素材にしたことが面白いです。

六月十六日

昨夜の酒がこたえて胃が悪い。行乞をやめて野菜の手入をする、樹明君が持つてきてくれた菊を したり、胡瓜の棚を拵らへたり。

 から梅雨の蟻の行列どこまでつづく

 朝風、胡瓜がしつかりつかんでゐる

 番茶濃きにもおばあさんのおもかげ

 柿の花のぽとりとひとりで

 てふてふうらからおもてへひらひら

 街が灯つた青葉を通して遠く近く

入浴して心気颯爽。樹明君が胡瓜と着換とを持つて来庵、学校宿直を庵宿直にふりかへたといふ、飯がないから、といふよりも米がないから、F家へいつて五合借りる、醤油がないから酢だけで胡瓜なますをこしらへる、それでも二人でおいしく食べて、蚊帳の中でしんみり話した。新聞を配達して来ない、電燈料が払へなくて電燈をとりあげられたやうに、新聞代もたまつたので新聞もとりあげられたらしい、電燈の場合よりも、よりさみしい場合だ。

   改作二句

 月も水底に旅空がある

 まこと雨ふる筍のんびりと

【月も水底に旅空がある】

この日の日記に、「月も水底に旅空がある」の句があります。山頭火は今宵の宿はあきらめたのか、それとも目当ての木賃宿まで急ぐ道の途中なのか、夜道を歩いています。我が世に捨てられた孤独な身にも、もったいなくも行く先を照らしてくれるお月様。さぞやご苦労なことであるわい、昼のときにはまばゆいばかりの太陽に比べて、淡く優しい月の光にあらためて仏の慈悲の大きさを感じられます。しかし、夜の天空で絶対的な存在である月も、実は我と同じようにこういった水底に旅をしているのではないか。そして我が身の姿を映しながら悠久の時を旅しているのではないか・・・。ここの山頭火はもはや一人の人間ではなく、自然と溶け込んでいます。

六月十八日

晴、めづらしく小鳥が来て啼く、しづかな明け暮れ。休養読書。枇杷の実がつぶらに色づいてきた、Jさんの子供たちが来てよろこんでうまさうに、もいではたべる、たべてはもぐ。

 ほつかり朝月のある風景がから梅雨

 夕闇の筍ぽきぽきぬいていつたよ

   旧作再録

 ぢつとたんぽぽのちる

 やつぱり一人がよろしい雑草

 どうにもならない矛盾が炎天

 線路まつすぐヤレコノドツコイシヨ

 焼跡なにか咲いてゐる方へ

 埃まみれで芽ぶいたか

 送電塔が青葉ふかくも澄んだ空

 やつと芽がでたこれこそ大根

 すずめおどるやたんぽぽちるや

 暮れてつかれてそらまめの花とな

【やつぱり一人がよろしい雑草】

この日の日記に、「やつぱり一人がよろしい雑草」の句があります。山頭火の句集『草木塔』に次のようにあります。

「 やつぱり一人がよろしい雑草

  やつぱり一人はさみしい枯草

自己陶酔の感傷味を私自身もあきたらなく感じるけれど、個人句集では許されないでもあるまいと考へて敢て採録した。かうした私の心境は解つてもらへると信じてゐる。」

六月廿日

早すぎるほど早く起きて仕度をした、すつかり片づけて、伊佐地方を行乞すべく出かけた、五時頃だつたらう。裏山の狐が久しぶりに鳴くのを聞いた。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000