https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946175080&owner_id=7184021&org_id=1946205756 【山頭火の日記(昭和8年6月20日~、行乞記・伊佐行乞)】より
『行乞記』(伊佐行乞)
六月廿日 (伊佐行乞)
朝あけの道は山の青葉のあざやかさだ、昇る日と共に歩いた。いつのまにやら道をまちがへてゐたが、――それがかへつてよかつた――山また山、青葉に青葉、分け入るといつた感じだつた、蛙声、水声、虫声、鳥声、そして栗の花、萱の花、茨の花、十薬の花、うつぎの花、――しづかな、しめやかな道だつた。途中行乞しつつ、伊佐町へ着いたのは一時過ぎだつた、ここでまた三時間ばかり行乞して、どうやかうやら、野宿しないで一杯ひつかけることができた、ありがたいやら情ないやらの心理を味つた。今日の行程七里、そして所得は、――銭四十三銭に米八合。伊佐で、春田禅海といふ真言宗の行乞相と話し合ふ機会を得た、彼は地方の行乞僧としては珍らしく教養もあり品格もある人間だ、しきりにいつしよに在家宿泊を勧めるのを断つて、私は安宿におちついた、宿は豊後屋といふ、田舎町に於ける木賃宿の代表的なものだつた、家の中が取り散らしてあるところ、おかみさんが妻権母権を発揮してゐるところ、彼女はまさに山の神だ、しかし悪い宿ではなかつた、食事も寝具も相当だつた。同宿は四国生れの老遍路さん、彼もまた何か複雑な事情を持つてゐるらしい、ルンペンは単純にして複雑な人間である。その人のしんせつ、ふしんせつ、頭脳のよさわるさ、――道をたづねるとき、あまりによくわかる。今日の支出は、――木賃二十五銭、飯米五合、たばこ四銭、端書六銭、酒代十銭、……伊佐は風流な町だ、山あり田あり、鶯が鳴き不如帰が鳴く、狼が出るかも知れない、沙漠のやうに石灰工場の粉が吹き流れてゐる。まだ蚊帳なしで寝られたのはよかつた、蚤の多いのには閉口した、古いキングを読んだり隣家のレコードの唄を聞いたり、――これもボクチン情調だ。
朝風すずしく馬糞を拾ふ人と犬
山里をのぼりきて捨猫二匹
捨てられて仔猫が白いの黒いの
夏草の、いつ道をまちがへた
虫なくほとりころがつてゐる壺
道がなくなればたたへてゐる水
これからまた峠路となるほととぎす
ほととぎすあすはあの山こえてゆかう
【行乞記(伊佐行乞)】
『行乞記』(伊佐行乞)には、昭和8年6月20日から昭和8年7月10日までの日記が収載されています。
六月廿六日
いつからとなく、早く寝て早く起きるやうになつた、此頃は十時就寝、四時起床、昼寝一時間ばかり、そして純菜食(仕方なしでもあるが)、だから、身心ますます壮健、ことに頭脳の清澄を覚える、こんな風ならば、いつまで生きるか解らない、長生すれば恥多しといふ、といつて自殺はしたくない、まあ、生きられるだけは生きよう、すべてが業だ、因果因縁だ、どうすることもできないし、どうなるものでもない、日々随波逐波、時々随縁赴感、それでよろしい、よろしい。今朝は碧巌の雲門日々好日を味読した。新聞屋さんが新聞を持つてきて、今月分だけは進呈しますといふ、タダより安いものはない、よからう。
掟三章(其中庵来訪者の)を書いて貼つて置いた。――(未定稿)
一、辛いもの好きは辛いものを、甘いもの好きは甘いものを持参すべし。
一、うたふもをどるも自由なれども春風秋水のすなほさあるべし。
一、威張るべからず気取るべからず欝ぐべからず其中一人の心を持すべし。
蠅はほとんどゐない、誰かが連れてきたか、私についてきたか、時々二三匹ゐることもあるが、すぐ捕りつくせる、蚊は多い、昼も藪蚊が出て刺す、朝夕は無数の蚊軍が私一人をめがけて押し寄せる、蚊遣線香が買へないから、私はさつそく蚊帳の中へ退却する、そしてその小天地を悠々逍遙する。……午後は畑を中耕施肥した、トマトよ、茄子よ、胡瓜よ、伸びよ、ふとれよ、実れよ(人間はヱゴイストですね!)。なごやかな一日だつた。樹明君はどんな様子か、敬坊の来庵はいつだらうか、逢ひたいな。
朝風すずしく爪でもきらう
なにかさみしい茅花が穂に出て
草しげるそこは死人を焼くところ
蜘蛛が蠅をとらへたよろこびの晴れ
からつゆやうやく芽ぶいたしようが
たまたま人が来てほほづき草を持つていつた
ま昼青い葉が落ちる柿の葉
ぢつとしてをればかなぶんがきてさわぐ
けふもいちにち誰も来なかつた螢
【けふもいちにち誰も来なかつた螢】
この日の日記に、「けふもいちにち誰も来なかつた螢」の句があります。孤独を求めながら、なお一面ひどい寂しがり屋で、人なつこかった山頭火がそこにいます。
【掟三章】
またこの日の日記に、「掟三章(其中庵来訪者の)を書いて貼つて置いた。――(未定稿)一、辛いもの好きは辛いものを、甘いもの好きは甘いものを持参すべし。一、うたふもをどるも自由なれども春風秋水のすなほさあるべし。一、威張るべからず気取るべからず欝ぐべからず其中一人の心を持すべし。」と、「其中庵来訪者の掟三章」があります。いかにも山頭火らしいところです。
六月廿七日
梅雨模様で降りだしたが、すぐまた晴れて暑かつた。墓地に咲いてゐた夾竹桃を切つて活ける、赤い夾竹桃はまことに南国の夏の花である、美しい情熱が籠つてゐる。何もかも生きてゐる、……とつくづく思ふ、畑を手入れしてゐる時に殊にこの感が深い(胡瓜の蔓など実に不可思議である)。昼寝はよいかな、まさに一刻千金に値する(二刻は百金!)。遠く西方の山で郭公がしきりに啼いてゐた。漬物は日本人にはなくてはならぬ食物である、私は今日、大根を間引いて漬けた、明日は食べられる、おいしからうぞ。何かにつけて、彼及彼女を思ひだす、見頓思漸、理先事後、詮方もない事実である。晩にはお菜がないので、小さい筍を抜いて煮て食べた、一皿に盛るだけしかなかつたが、ダシもなかつたが、それでも十分うまかつた。晴耕雨読、そして不足なく剰余もない生活、さういふ生活を私は欣求する、さういふ生活がほんとうではあるまいか。自浄吾意、これが人間生活の基調でなければならない、念々不停流、これが生活態度でなければならない、朝々日は東より出で夜々月は西に沈む、――私たちの生活はここから出発してここに到着しなければならない。樹明来信、これで私も安心した、どうやら因縁が熟して時節到来したらしい、お互にしつかりやりませうよ。
よい朝のよい御飯が出来た
草ふかくおどりあがつたよ赤蛙
晴れさうなきりぎりすのないてはとぶ
ちぎられてまた伸びてもう咲いてゐる
いつもかはらぬお地蔵さんで青田風
水音をふんで下ればほととぎす
しづむ陽をまへにして待つてゐる
すつぱだかへとんぼとまらうとするか
ふりかへるうしろすがたが年よつた
雑草にうづもれてゐるてふてふとわたくし
とんできたかよ螢いつぴき
【よい朝のよい御飯が出来た】
この日の日記に、「よい朝のよい御飯が出来た」の句があります。一つしかない鍋で焚くのですから、難しいことでしょう。山頭火が夢中で、飯炊きをしている様子がうかんできます。
七月十日
快晴、朝の冷やかさは新秋のやうだつた、日中はまさに真夏。今日は朝、昼、晩の三度とももぎたての茄子を食べた、うまいうまい。昼寝は長すぎたが、連日のつかれをすつかり解消した。午後、街へ出かけた、焼杉下駄を買ふ、二十一銭、これで二ヶ月は大丈夫だ、冬村君の仕事場へ寄る、弟さんだけしかゐない、蝮蛇疵は大したことがないとのこと、それは結構、安心する、さらに樹明君を学校に訪ねる、元気いつぱい、うれしいことだ。幸福な夕――昨日のおかげで、酒はあるし、下物もあるし、身心は安らかだし。――ふと眼がさめたら、月が寝床をのぞいてゐた、よくねむつ一夜。
ばつたり風がなくなつて蝉の声
すこし風が出てきて青蛙なく
あんなところに網を張り蜘蛛のやすけさは
あすは雨らしい空をいただく
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946205756&owner_id=7184021&org_id=1946211470 【山頭火の日記(昭和8年7月11日~、其中日記四)】より
『其中日記』(四)
其中一人として炎天 山頭火
【其中日記(四)】
『其中日記』(四)には、昭和8年7月11日から昭和8年7月14日までの日記が収載されています。
七月十一日
天気明朗、心気も明朗である。釣瓶縄をすげかへる、私自身が綯うた棕梠縄である、これで当分楽だ、それにしても水は尊い、井戸や清水に注連を張る人々の心を知れ。百合を活ける、さんらんとしてかがやいてゐる、野の百合のよそほひを見よ。椹野川にそうて散歩した、月見草の花ざかりである、途上数句拾うた。昼食のおかずは焼茄子、おいしかつた。此頃は茄子、胡瓜、胡瓜、茄子と食べつづけてゐる。
けさは逢へる日の障子あけはなつ(追加一句)
青田いちめんの長い汽車が通る
炎天かくすところなく水のながれくる
涼しい風が、腰かける石がある
すずしうて蟹の子
ふるさとちかく住みついて雲の峰
水をわたる高圧線の長い影
日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ
野菜に水をやる、栄養の水でもあれば感謝の水でもある。其中庵はまことに雑草の楽園であり、虫の宿である、草は伸びたいだけ伸び、虫は気ままに飛びあるく。……蜩! ゆふべの窓からはじめて裏山の蜩を聞いた。とても蚊が多いから、といふよりも、私一人に藪蚊があつまつてきて無警告で螫すから、まだ暮れないのに蚊帳を吊つて、その中で読書、我儘すぎるかな。或る日はしづかでうれしく、或る日はさみしくてかなしい、生きてゐてよかつたと思ふこともあれば、死んだつてかまはないと考へることもある、君よ、孤独の人生散歩者を笑ふなかれ。
昼寝の顔をのぞいては蜂が通りぬける
もつれあひつつ胡瓜に胡瓜がふとつてくる
炎天の虫つるんだまんま殺された
もいでたべても茄子がトマトがなんぼでも
心中が見つかつたといふ山の蜩よ
今から畑へなかなか暮れない山のかなかな
追加一句
飯のしろさも家いつぱいの日かげ
【日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ】
この日の日記に、「日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ」の句があります。防府市大道下津令の久保宅前に、この句碑があります。険しい山道を抜けて人里に近くなると、お地蔵様がちらほらと見受けられるようになります。そのお地蔵様が、「山頭火さん、何をそんなにいらついているのです。この強い日の恵みがあるからこそ、自然のあらゆるものは生かされているのです。ちょっと傍らで休んで周りをゆっくり見渡してごらんなさいよ。そう前ばかり見ないで」と、そんな声を聞いたような気がして我に返る山頭火。凝り固まった考えをしていたことに気恥ずかしさを感じ、あらためて笠を脱ぎお地蔵様に頭を下げ、しばらく横の木陰で一休みです。
七月十三日
朝月はよいな、蛙のうたもよいな、キヤベツはうまいな。桔梗が咲いた、虫の声がしんみりしてくる。……網代笠を修繕する、いつぞや緑平老は、ずゐぶん破れましたねといつた、樹明君は、新らしいのを買つてはどうですかといふが、物を活かせるだけ活かすのが禅門の教であり、同時に新らしい笠をかぶるよりも一杯やりたいのが私の煩悩でもあり、熱心に紙を張り渋を塗つて役立てるのである、このところ一句あるべくして一句もなかつた。空罎を焼酎に代へてのんべい虫をなだめた、さりとてははかない酒徒なるかな、だ。蝉(わしわし)大蝉(じんじん)が暑苦しく啼きだした。
追加
月あかり蜘蛛の大きい影があるく
月夜の道ばたの花は盗まれた
昼ふかく草ふかく蛇に呑まれる蛙の声で
待ちぼけの、寝るとする草に雨ふる
待つでもない待たぬでもない雑草の月あかり
焼酎の御利益でぐつすり昼寝、覚めてから水をしたうて椹野川へ行く、何と河童少年少女の泳ぎまはつてゐること、そしてみんなそれぞれに海水着を着て浮袋を持つてゐる。一飄を携へて網漁をやつてゐる老人がゐた、その余裕ぶりを少し羨ましく思つた。私は二合入の空瓶を拾うて戻つた、行乞途上、般若湯を詰めて持つてあるく用意として。ひとり蚊帳の中に寝ころんで、好きな本を読む――極楽浄土はまさにここにある! 緩歩不休は山登りばかりの秘訣ではない、人生の事すべて然り。
掟(改訂)
一、辛いもの好きは辛いものを、甘いもの好きは甘いものを任意持参せられたし。
一、うたふもおどるも勝手なれども、ただ春風秋水のすなほさでありたし。
一、威張るべからず、欝ぐべからず、其中一人の心を持すべし。
其中庵主
右三章 山頭火しるす
夜、樹明君がバリカンを持つて来て、白髪頭を理髪してくれた、ありがたい、言語同断ありがたかつた。机の上に蝉の子がぢつとしてゐる、殼を脱いだばかりのみんみん蝉である、今夜はここで休んで明日からは鳴いて恋してそして死ね、お前の一生は短かいけれど私たちよりは充実してゐるぞ。
【改訂された掟三章】
この日の日記に、「掟(改訂)一、辛いもの好きは辛いものを、甘いもの好きは甘いものを任意持参せられたし。一、うたふもおどるも勝手なれども、ただ春風秋水のすなほさでありたし。一、威張るべからず、欝ぐべからず、其中一人の心を持すべし。其中庵主 右三章 山頭火しるす」とあります。以前(6月23日)に張り出された「其中庵来訪者の掟三章」を、改訂したものです。
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