山頭火の日記 ㉚

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946272633&owner_id=7184021&org_id=1946306953 【山頭火の日記(昭和8年9月11日~、行乞記・広島尾道)】 より

『行乞記』(広島・尾道)

九月十一日

広島尾道地方へ旅立つ日だ、出立が六時をすぎたので急ぐ、朝曇がだんだん晴れて暑くなる、秋日はこたえる、汗が膏のやうに感じられるほどだ。中関町へ着いたのは十一時過ぎ、四時頃まで附近行乞。六時、三田尻の宿についた、松富屋といふ、木賃二十五銭でこれだけの待遇を受けては勿躰ないと思ふ。夜は天満宮参詣をやめて旧友M君を訪ねる、涙ぐましいほど歓待してくれた、奥さんもお嬢さんも、おばあさんまで出てきて、私の与多話を聞いて下さつた、十時近く、帰宿して熟睡。同宿、いや、同室一人、誓願寺詣の老人、好きな好々爺だつた、いづれ不幸な人の一人だらう! 捨てた、今日の行乞で物事に拘泥する悪癖を捨てた、気持がたいへん楽になつた、もう一つ捨てたいものは、捨てなければならないものは酒の執着である(正しくいへば酒への未練)。有縁止、無縁去、去来行住すべて水の如かれ、雲の如かれ。おもひでの道を歩いて、善友悪友のおもひでがあつた、――K君、S君、I君、M君、等々等。私はどこへいつても、招かれざる客であつても拒まれる客ではない、今日は歓迎せられた客でさへあつた。秋草のうつくしさ、水草のうつくしさ。ルンペン家族が、とある樹蔭で、親子四人でお辨当を食べてゐた、彼等に幸福あれ。私の貧乏、そして私の安静、私の孤独、そして私の自由、不幸なる幸福。今日の所得(銭十九銭 米二升四合) 今日の御馳走(酢鮹、煮魚、里芋)

 朝風の簑虫があがつたりさがつたり

 バスも通うてゐるおもひでの道がでこぼこ

 役場と駐在所とぶらさがつてる糸瓜

 かるかやもかれがれに涸れた川の

 秋日あついふるさとは通りぬけよう

 おもひでは汐みちてくるふるさとの渡し

 ふるさとや少年の口笛とあとやさき

 ふるさとは松かげすずしくつくつくぼうし

 鍬をかついで、これからの生(よ)へたくましい腕で

 おばあさんも出てきて話すこうろぎ鳴いて(M君に)

 相客はおぢいさんでつつましいこほろぎ

   追加

 つかれてついてどこかそこらでをんなのにほひ

【行乞記(広島・尾道)】

『行乞記』(広島・尾道)には、昭和8年9月11日から昭和8年12月27日までの日記が収載されています。

【ふるさとや少年の口笛とあとやさき】

この日の日記に、「ふるさとや少年の口笛とあとやさき」の句があります。防府市戎町のアスピラート前に、この句碑があります。

九月十九日

曇、小雨がふつてゐるが、引き留められたけれど、出立する、私としては長い滞在であつた、大山夫妻の心づくしはいつまでも忘れないであらう、忘れられないであらう。尻からげ一杯、この一杯にも澄太さんの心づくしがある、おべんたう、ここにも奥さんの心づくしがある。饒津神社の境内で、独壺さんがきて写真をうつした、それからいよいよお別れだ、……山頭火一人だ。私は東へ急いだ、十時から十二時まで海田市町行乞、行乞相申分なしといつてよからう。私はたしかにこの旅で一皮脱いだ。慾望をほしいままにするなかれ、貪る心を放下せよ。午後は雨、合羽を着て歩いた、横しぶきには困つた、二時半瀬野着、恰好な宿がないので、さらに半里ばかり歩いて、一貫田といふ片田舎に泊つた、宿は本業が豆腐屋、アルコールなしのヤツコが味へる。……相客は一人、若い鮮人で人蔘売、おとなしい人柄だつた。今日の行程は五里。所得は(銭三十銭、米四合) 二五中ノ上 御馳走は(豆腐汁、素麺汁) 前が魚屋だからアラがダシ、豆腐はお手のもの。早くから寝た、どしやぶりの音も夢うつつ。

 朝がひろがる豆腐屋のラツパがあちらでもこちらでも

 やつと糸が通つた針の感触

 時化さうな朝でこんなにも虫が死んでゐるすがた

 朝の土をあるいてゐるや鳥も

 旅は空を見つめるくせの、椋鳥がさわがしい

 また一人となり秋ふかむみち

 この里のさみしさは枯れてゐる稲の穂

 案山子向きあうてゐるひさびさの雨

 案山子も私も草の葉もよい雨がふる

 明けるより負子を負うて秋雨の野へ

 ひとりあるけば山の水音よろし

 よい雨ふつた朝の挨拶もすずしく

 一歩づつあらはれてくる朝の山

 ぐつすりと寝た朝の山が秋の山々

 秋の山へまつしぐらな自動車で

   改作追加

 あるくほどに山ははや萩もおしまい

【一歩づつあらはれてくる朝の山】

この日の日記に、「一歩づつあらはれてくる朝の山」の句があります。広島市安芸区上瀬野の久保田徳美氏宅横に、この句碑があります。この日(昭和8年9月19日)、山頭火は瀬野川流域を行乞行脚して、上瀬野一貫田に一夜の宿をとりました。それを記念して、瀬野川流域郷土史懇話会は毎年山頭火祭りを主催しています。山頭火は瀬野で、「まことお彼岸入の彼岸花」の句を残しています。会の寺島さんたちはこの句にちなんで、瀬野を彼岸花の里にすべく、瀬野川公園の一角に手ずから彼岸花を植えました。今は繁茂する夏草に囲まれて、彼岸花は野趣豊かに咲いています。

九月廿二日

晴、秋暑し。午前中は西条町行乞、午後はゆつくりと歩みつづける。予定が狂つて、本郷までは無理だから、途中安宿がないから、すこし左折して新庄といふ田舎の宿に泊る。宿もわるくないが、山はだんぜんよい。上の下で屋号本岡屋、三十銭。空高雲多少――といふ語句が行乞途上でひよいと浮んだ、昨今の私の心境そのままである。何でもない山村風景、その何でもないところに何ともいへないよさがある、かういふよさがほんたうのよさだらう。或るおかみさんと道連れになつて、彼女がいかに夫思ひで、そして子煩悩であるかを見せつけられた、彼女に幸あれ。里程を訊ねてもよく知らない人が多い、しんせつにせいかくに、教へてくれる人はなかなかすくない(安宿のおかみさんは、おばあさんでもさすがによく知つてゐるが)、今日訊ねたら、その一人はよく教へて下さつた、彼は中年の不具者だつた。川原へ出かけて、からだを洗ひふんどしを洗つた。宿の病弱なおかみさんが月おくれ雑誌を貸してくれた、その厚意はありがたい、去年の夏の富士! 宿の便所はきれいだつたが(安宿の便所は殆んど例外なしにきたない)私の夢はいやにきたなかつた。

 はぎがすすきがけふのみち

 ゆつくりあゆめば山から山のかげとなつたりひなたとなつたり

 水が米をついてくれるつくつくぼうし

 出来秋の四五軒だけのつくつくぼうし

 かたまつて曼珠沙華のいよいよ赤く

 大地にすわるすすきのひかり

 あほむけ寝れば天井がない宿で

 ころもやふんどしや水のながれるままに

   或る友へのたより

昨日は雨中行乞をしましたが、やつと泊つて食べただけ、加茂鶴も亀齢も白牡丹もその煙突を観るばかりでした、今日は山もよかつたしお天気もよかつたし、行乞相も所得もよかつたし、三日ぶりに入浴もしたし、一杯やる余裕もあつたし、――まづこのあたりが山頭火相応の幸福でありませう!

   三風居

 街のひびきも見おろして母子の水入らずで

   淡々居

 松に糸瓜も、生れてくる子を待つてをられる

   阿弥坊居

 カンナもをはりの、秋がきてゐる花一つ

【かたまつて曼珠沙華のいよいよ赤く】

この日の日記に、「かたまつて曼珠沙華のいよいよ赤く」の句があります。竹原市新庄町の国道2号線新庄交差点に、この句碑があります。

十一月二日

雨がおちるいそがしい籾と子供ら(農村風景の一つ)

 笠は網代で、手にあるは酒徳利(酒買道中吟)

 月夜あるだけの米をとぐ

【其中庵句会】

山頭火は、翌11月3日に師の井泉水を招いて、「其中庵句会」を開いています。来会者は、白船、横畑黙壺、大山澄太ほか多数。

十二月廿七日

何といふ落ちついた、そしてまた落ちつけない日だらう。私は存在の世界に還つてきた、Sein の世界にふたたびたどりついた、それはサトリの世界ではない、むしろアキラメの世界でもない、その世界を私の句が暗示するだらう、Sein の世界から Wissen(道徳の世界)の世界へ、そして M ssen(宗教の世界)の世界へ、そしてふたたび Sein(芸術の世界)の世界へ。――それは実在の世界だ、存在が実在となるとき、その世界は彼の真実の世界だ。

   十二月廿七日

 死をまへに、やぶれたる足袋をぬぐ

    (この句はどうだ、半分の私を打出してゐる)

 晴れてきてやたらに鴉なきさわぐ

 ほろにがいお茶をすすり一人である

 身にせまり人間のやうになきさわぐ鴉ども

 冷飯が身にしみる今日で

 草もわたしも日の落ちるまへのしづかさ

   追加一句

 荷づくりたしかにおいしい餅だつた

 れた山に日があたりそれだけ

 死にたくも生きたくもない風が触れてゆく

 ここにかうして私をおいてゐる冬夜

 独言でもいふほかはない熱が出てくる

 さびしうなりあつい湯にはいる

 こころむなしく風呂があふれるよ

 焚くだけの枯木はひろへて山が晴れてゐる

 人をおこらしてしまつて寒うをる(北朗君に)

 北朗作るところの壺に梅もどきあれ

   庵中有暦日、偶成一句

 これがことしのをはりの一枚を剥ぐ

   樹明君に

 冬朝をやつてきて銭をおとした話

   種田山頭火

   第三句集  山行水行

私は私自身について語りたい、Sein の世界について。境涯の句、彼の生活が彼の句の詞書だ。山行水行はサンコウスヰコウとも、サンギヨウスヰギヨウとも、どちらにても読んで下さい、私にはコウがギヨウだから、――ただ歩く、歩くために歩くのだけれど、それは自然発生的に修するのだから。

   十二月廿七日から風邪気味にて臥床、病中吟として

 ふとめざめたらなみだこぼれてゐた

 なみだこぼれてゐる、なんのなみだぞ

 いつのまにやら月は落ちてる闇がしみじみ

 うつとりとしてうれてはおちる実の音も

 冬蠅のいつぴきとなつてきてねむらせない

 何を食べてもにがいからだで水仙の花

   病中吟がめづらしくもつづく

 病めばひたたきがそこらまで

 よびかけられてふりかへつたが落葉林

 ひさしぶりにでてあるく赤い草の実

 いよいよ押しつまりまして梅もどき

 自依帰仏 当願衆生 体解大道 発無上心

 自依帰法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海

 自依帰僧 当願衆生 統理大衆 一切無礙

          (三帰礼文―華厳経偈文)

【ここにかうして私をおいてゐる冬夜】

この日の日記に、「ここにかうして私をおいてゐる冬夜」の句があります。「かうして」とはひとりを表すとともに、その「ひとり」にたどりついた山頭火の生涯を表しています。「ここに」「かうして」「私をおいてゐる」「冬夜」と区切って、少しづつ間をおいて読むべき句かもしれません。山頭火のため息のようなものが、それそれの区切りから湧き上がってきます。

【第二句集『草木塔』刊行】

山頭火は、昭和8年12月3日に第二句集『草木塔』を刊行しています。これに、次の後ろ書きがあります。

「私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであつた。今日は酒が好きな程度に於て水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかも知れない。『鉢の子』には酒のやうな句(その醇不醇は別として)が多かつた。『其中一人』と『行乞途上』には酒のやうな句、水のやうな句がチヤンポンになつてゐる。これからは水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。淡如水――それが私の境涯でなければならないから。

 (昭和八年十月十五日、其中庵にて 山頭火)」

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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