山頭火の日記 ㉙

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946239083&owner_id=7184021&org_id=1946272633 【山頭火の日記(昭和8年8月28日~、行乞記・大田から下関)】より

『行乞記』(大田から下関)

八月廿八日

星晴れの空はうつくしかつた、朝露の道がすがすがしい、歩いてゐるうちに六時のサイレンが鳴つた、庵に放つたらかしいおいた樹明君はどうしたか知ら! 駄菓子のお婆さんが、よびとめて駄菓子を下さつた。山口の農具展覧会行だらう、自転車と自動車とがひつきりなしにやつてくる。山のみどりのこまやかさ、蜩のしめやかさ。真長田村――湯ノ口近く――で、後からきた自動車がすつと止まる、そして洋服姿が出てきて、にこにこしながら近づく、敬君だ、まるで予期したやうな、約束したやうな邂逅だ、自動車に乗ることだけは断つて、今夜はゆつくり飲むことにする。湯ノ口行乞、伊佐へ左折しないでまつすぐ大田へ、夕立がやつてきた、濡れて歩く、あんまり降るから、とある農家に雨やどりして、そこの老人と世間話をする、誰もが話すやうに不景気々々々。十二時すぎにはもう敬治居にくつろぐことができた、敬君は御馳走こしらへにいそがしく、私は風呂水をくむ、奥さんも子供さんも留守だから、まるで其中庵の延長――物資の豊富はいはない――みたいなものだつた。うまい酒(一週間ぶりの酒だ)うまい飯(敬君炊ぐところの)を腹いつぱい詰め込んだ。大夕立、まことに大雨大雷だつた、これで二人の憂欝は流れ去つてしまつた。敬君が跣足で尻端折で畠の草を取る、私は寝ころんで新聞を読む、ユカイユカイ。法衣の洗濯、一年ぶりの垢を洗つた、敬君に理髪して貰ふ、さつぱりした。夜はまた酒、敬君は腹痛で注射をしてもらつたりしたが、私はぐつすり寝ることができた。とにかくたのしい日であり夜であつた。

 みちは露草のつつましい朝明け

 さかのぼる水底の秋となつてゐる

 小亀がういて秋暑い水をわたる

 旅の法衣のはらへどもおちないほこり

 つくり酒屋の柳いよいよ青し

 けふのおひるは草にすわつてトマトふたつ

 昼寝のびやかだつたよ山とんぼ

 山をまへに流れくる水へおしつこする

 昼顔も私も濡れて涼しうなつた

行程五里、所得は十六銭と六合。行乞について

【行乞記(大田から下関)】

『行乞記』(大田から下関)には、昭和8年8月28日から昭和8年9月10日までの日記が収載されています。

八月廿九日

四時には二人とも起きた。敬君はまた草取、私は風呂焚だ。朝湯朝酒はゼイタクすぎるうれしさだつた(私共の酒量も減つたものである、二人で三度飲んで、やうやく一升罎が空になつたぐらゐである)。御飯を炊きすぎたといふので、敬君が大きなおむすびをこしらへてくれた。七時半出立、秋吉をへて伊佐へ。途上しばしば休んだ、朝酒がこたえたのである。或る山寺で例のおむすびを味つた、親友の心持がしみじみと骨身にしみた、その山寺の老房守さんもしんせつだつた、わざわざ本堂の障子をあけはなつて、私を涼しく昼寝させて下さつた。午後二時から四時まで伊佐行乞。行程五里、所得はいつもの通り。この宿――豊後屋といふ――はやつぱりよかつた、同宿者のおしやべりには閉口したけれど、一室一燈一張のよろしさだつた、便所のきたないのはぜひもない。隣家のラヂオを蚊帳の中に寝ころんで聴く、三十三間堂柳の佐和利、泣くわ泣くわ。

 ここで寝るとする草の実のこぼれる

 よい娘さんがゐる村のデパートで

 萩さいてそこからなんとうまい水

 山寺のしづけさは青栗もおちたまま

 おべんたうたべてゐるまうへつくつくぼうし

 若竹伸びきつて涼し

 地べたへべつたりはらばうた犬へ西日

 旅のつかれもほつかりと夕月

 蚊帳のなかまで月かげの旅にゐる

 月が山の端に安宿のこうろぎ

 旅も月夜の、おとなりのラヂオが泣いてゐる

   敬治居出立

 からりと晴れた法衣で出かける

【ここで寝るとする草の実のこぼれる】

この日の日記に、「ここで寝るとする草の実のこぼれる」の句かあります。そこに、巡り来る巡り去る日々に、すなおに生きようとする山頭火の姿があります。

【萩さいてそこからなんとうまい水】

また、「萩さいてそこからなんとうまい水」の句もあります。この句については、次の山頭火の随筆『白い花』があります。

「私は木花よりも草花を愛する。春の花より秋の花が好きだ。西洋種はあまり好かない。野草を愛する。家のまわりや山野渓谷を歩き廻って、見つかりしだい手あたり放題に雑草を摘んで来て、机上の壺に投げ入れて、それをしみじみ観賞するのである。このごろの季節では、蓼、りんどう、コスモス、芒、石蕗(つわふき)、等々何でもよい、何でもよさを持っている。草は壺に投げ入れたままで、そのままで何ともいえないポーズを表現する。なまじ手を入れると、入れれば入れるほど悪くなる。抛入花はほんとうの抛げ入れでなければならない。そこに流派の見方や個人の一手が加えられると、それは抛入でなくて抛挿だ。摘んで帰ってその草を壺に抛げ入れる。それだけでも草のいのちは歪められる。私はしばしばやはり「野におけ」の嘆息を洩らすのである。

人間の悩みは尽きない。私は堪えきれない場合にはよく酒を呷ったものである(今でもそういう悪癖がないとはいいきれないが)。酒はごまかす丈で救う力を持っていない。ごまかすことは安易だけれど、さらにまたごまかさなければならなくなる。そういう場合には諸君よ、山に登りましょう、林に分け入りましょう、野を歩きましょう、水のながれにそうて、私たちの身心がやすまるまで逍遥しましょうよ。

どうにもこうにも自分が自分を持てあますことがある。そのとき、露草の一茎がどんなに私をいたわってくれることか。私はソロモンの栄華と野の花のよそおいを対比して考察したりなんかしない。ソロモンの栄華は人間文化の一段階として、それはそれでよいではないか。野の花のよそおいは野の花のよそおいとして鑑賞せよ。一茎草を拈(ねん)じて丈六の仏に化することもわるくないが、私は草の葉の一葉で足りる。足りるところに、私の愚が穏坐している。

死は誘惑する。生の仮面は脱ぎ捨てたくなるし、また脱ぎ捨てなければならないが、本当に生き抜くことのむずかしさよ。私は走り出て、そこらの芒の穂に触れる。……

若うして或は赤い花にあこがれ、或は「青い花」を求めあるいた。赤い花はしぼんでくずれた。青い花は見つからなかった。そして灰色の野原がつづいた。けさ、萩にかくれて咲き残っている花茗荷をふと見つけた。人間の残忍な爪はその唯一をむしりとったのである。葉や株のむくつけきに似もやらず、なんとその花の清楚なことよ、気高いかおりがあたりにただようて、私はしんとする。見よ、むこうには茶の花が咲き続いているではないか。そうだったか――白い花だったか!

  萩ちればコスモス咲いてそして茶の花も 」

八月三十日

寝すごした、それほどよく眠れたのである。朝のうちは伊佐行乞、それから麦川へ、途中あまりだるいから村の鎮守の宮で昼寝、涼しい社殿だつたが、村の悪童共の集合所でもあつたので騒々しかつた、それでも二時間ぐらゐは寝たらう。おひるは報謝のお菓子二きれですます。二時から四時まで麦川行乞、西市へ越すつもりで山路にかかつたが、平原といふところで宿を見つけたので泊つた、豊田屋、悪い宿ではなかつた。同宿の若い坑夫さんと山の観音様へ詣でた、一年一度のおせつたいがあるといふので、近村のおぢいさんおばあさんが孫を連れておほぜい詰めかけてゐた、山村風景のおもしろい一枚である。夕飯は、さしみと豆腐汁と煮豆と茄子漬、なかなかの御馳走だつた、ことに前は造酒屋だから、飲みすごしたのも無理はなからう!

 うらは山で墓が見えるかなかな

 かなかなゆふ飯がおそい山の宿

 よい宿でどちらも山でまへは酒屋で

 宵月がみんなの顔にはだかばかりで

行程二里、所得は銭六十二銭、米一升九合。

【よい宿でどちらも山でまへは酒屋で】

この日の日記に、「よい宿でどちらも山でまへは酒屋で」の句があります。山頭火は、山が大好きだったようです。自分の足音しか聞こえないような深山幽谷や、薫風香る新緑の野道、そして落葉の舞い散る林の中など、自分が自然と一体化できるような雰囲気を愛しました。その日の行乞を終えて、今宵の宿はここにしようかと落ち着いてみれば四方を大好きな山に囲まれている上に、なんとまん前に造り酒屋があります。宿は豊田屋。一風呂浴びてアカを落としてから、酒屋でとろとろとした地酒を一合飲みほしてほっと一息、さらにもう一杯をいただき、あらためて見回せば薄暮の中に煙る山並み、「いいなあ、心地いいなあ」と、山頭火は自分がいる素晴らしい環境だけを素直に客観的な句にしてしまいます。豊田屋跡にこの句碑があります。そして酒屋は、今も立派に営業しています。ただ昔は造り酒屋だったのが一部のみ残されて今は、造ってないそうです。

八月三十一日

早起して散歩した、同室者の人間臭にたへなかつたからである、人間の姿よりも山の姿がよろしい。踏みだした一歩がもう山路である、石ころを踏みしめてすすむ、桃の木といふ部落には特殊な色彩と音響とがあつた、ここが大嶺無煙炭山である、ここで採掘した炭塊を索道で麦川へ送るのである。西市へはかなり遠かつた、萩、女郎花、刈萱、白い花、赤い花が咲きみだれた道で、私の好きな道であつた。途中行乞しなかつたが、三里を三時間かかつて、十時から十一時まで西市行乞、行乞相はよくなかつたが、所得はよかつた、私は西市に頭を下げなければならない。五時、田部の藤本屋といふ安宿に泊つた、よい意味で、また、わるい意味で、安宿の代表的なものであつた、この宿でも一室一燈一張の主人であることができた。今日の所得(銭――九十六銭、米――二十二銭) 今晩の御馳走(烏賊のさしみ、馬鈴薯の煮付、茄子漬瓜漬) 今日の行程(麦川から西市まで三里、多くは山路) 西市から田部まで二里、多くは平地。

 朝の水音のかなかな

 はるかにかなかなの山の明けたいろ

 岩ばしる水をわたれば観世音立たせたまふ

 住めば住まれる掘立小屋も唐黍のうれてゐる

 ひよつこり家が花がある峠まがれば

   大嶺炭坑索道

 炭車が空を山のみどりからみどりへ

 萩に萩さき山蟻のゆきき

 坑口(まぶ)から出てきてつまぐりの咲いてゐる家

 かるかや、そのなかのつりがねさう

 あすは二百十日の鴉がたたかうてゐる

 妻子に死なれ死を待つてゐる雑草の花

 秋暑いをんなだが乳房もあらはに

【炭車が空を山のみどりからみどりへ】

この日の日記に、「炭車が空を山のみどりからみどりへ」の句があります。桃ノ木で採掘した無煙炭を、山づたいに索道(ロープウェー)で麦川まで運ぶ炭車を見て、詠まれたものです。麦川小学校の交通無事故記録表の脇に、この句碑があります。

九月四日

朝焼、曇、雨、厄日頃らしい天候。蒜の花はおもしろい、留守の間に咲いてゐた。樹明君がきてくれた、その憂欝な顔、私も憂欝だつた。秋、秋寒を感じる、蚊が少くなつた、夜は晴れて月がよかつた。

 陽がとどけば草のなかにてほほづきの赤さ

 つくつくぼうしもせつなくないてなきやんだ

   改作追加

 秋空の井戸がふかうなつた

 雲が澄む水を汲むげんのしようこの花

【雲が澄む水を汲むげんのしようこの花】

この日の日記に、「雲が澄む水を汲むげんのしようこの花」の句があります。また、次の山頭火の随筆『草と虫とそして』があります。

「げんのしょうこという草は腹薬として重宝がられるが、何というつつましい草であろう。梅の花を小さくしたような赤い花は愛らしさそのものである。或る俳友が訪ねて来て、その草を見つけて、子供のために摘み採ったが、その姿はほほえましいものであった。

  げんのしようこのおのれひそかな花と咲く 」

九月八日

日本晴、清澄明徹いはんかたなし。今日はどうでもかうでも行乞しなければならないので、午前中近在を歩いた、行乞相は満点に近かつた(現在の私としては)。歩くとよくわかる、私の心臓はだいぶんいたんでゐる。歩いたおかげで、今日明日はおまんまがたべられる。芙蓉、紫苑、彼岸花が咲いてゐた、芙蓉はとりわけうつくしかつた、日本のうつくしさとおごそかさとを持つてゐる。今朝はうれしかつた、大山澄太さんのハガキが私を涙ぐましたほどうれしかつた。物事にこだはる心、その心を捨てきらなければならない。私もどうやらかうやら本格的に私の生活に入り私の句作をすることができるやうになつた、おそらくはこれが私の最後のものだらう。新聞をやめたので(旅に出がちでもあり、借銭がふえもするので)、何だか社会と離れたやうな気がする、物足らないと同時に気安にも感じる。今日は歩いてきて、そして昼寝もしないのに、どういふものか、一番鶏が鳴いて暁の風が吹くまで眠れなかつた、いろいろさまざまの事が考へられる、生活の事、最後の事、子の事、句の事、そしてかうしてゐても詰らないから一日も出く広島地方へ出かけたい、徳山に泊るならば、明日立ちたいけれど汽車賃がない、貧乏はつらいものだ、などとも考へた、しかしながらその貧乏が私を救ふたのである、若し私が貧乏にならなかつたならば、私は今日まで生きてゐなかつたらうし、したがつて、仏法も知らなかつたらうし、句作も真剣にならなかつたであらう。……これもやつぱり老の繰言か!

 俵あけつつもようできた稲の穂風で

 月のあかるさはそこらあるけば糸瓜のむだ花

 それからそれと考へるばかりで月かげかたむいた

 虫の音のふけゆくままにどうしようもないからだよこたへて

 いつまでもねむれない月がうしろへまはつた

 うらもおもても秋かげの木の実草の実

 人が通らない秋暑い街で鸚鵡のおしやべり

   述懐ともいふべき二句

 酔へなくなつたみじめさをこうろぎがなく

 ねむれない秋夜の腹(おなか)が鳴ります

   追加

 へちまに朝月が高い旅に出る

【酔へなくなつたみじめさをこうろぎがなく】

この日の日記に、「酔へなくなつたみじめさをこうろぎがなく」の句があります。山頭火は死ぬまで酒を愛し酒に溺れていましたが、さすがに晩年には身体の衰えを感じ酒量が落ちています。心臓が弱ってからは、好きな温泉も控えざるを得なかったようです。孤独の中で放浪していた山頭火を慰めていた酒や温泉といったものを、「酔えなくなった」身体が受け付けなくなってしまっていることに気づいたとき、どれほどの寂寥を感じたことでしょう。「みじめさ」という言葉が、生きる証を失ってしまった山頭火の心情を訴えています。「酔うてこほろぎと寝ていた」山頭火が、再びこおろぎとひっそり言葉を交わしているような、いとおしい句でもあります。ここでの「なく」という言葉は、「鳴く」ばかりでなくて、「泣く」「啼く」「哭く」様々な意味を含んでいます。

九月十日

秋ぢや、秋ぢや、といふほかなし、身心何となく軽快。朝飯のとき、庵の料理はまづいなあとめづらしく思つた、何しろ昨夜の今朝だから。昨日忘れてきたと思つた万年筆は浴衣の袖の底にあつた、忘れてきたと忘れてゐたところにまた私の老が見える、この万年筆は十年あまり前に或人から貰つて、ずゐぶん酷使したのだから、もう暇をやつていいほどの品であるが、それが私をして老を感ぜしめることは不思議な皮肉である。忘却といふことはわるくない、老いては忘れることが何よりだ。日和下駄からころと街へ出て来る、昨日樹明君が買うてくれたのです、かたじけない贈物です。物事に無理をしない、といふことが私の生活のモツトーです。昨夜、湯田へ行くとき、バスの中で樹明君が知合の妙な男と話してゐた、その男はふたなりだつた、そのいやらしさがいまだに眼前をちらつく、嫌ですね。百舌鳥が啼いた、これから空が深うなるほどその声も鋭くなる、そして私に秋を痛感せしめる、……そして。独り者の昼寝、今日はそのよさとわるさとを味解した。

 最後の飯の一粒まで今日が終つた

 朝寒の針が折れた

   入庵一週年ちかし

 蓼の花もう一年たつたぞな

   追加備忘

 道がなくなり落葉しようとしてゐる

 水に水草がびつしりと旅

 ただあるく落葉ちりしいてゐるみち

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000