山頭火の日記 ㉝

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946322084&owner_id=7184021&org_id=1946343845 【山頭火の日記(昭和9年5月28日~)】 より

五月廿八日

曇、后晴、また持ち直したらしい、よく続くことだ。ありがたい手紙をいただく(江畔老人から)。うつかりして百足に螫された、大していたまなくてよかつた、見たらいつも殺すのだから一度ぐらゐ螫されたつて腹も立てられない。街へ出かける、米買ひに(ついでに酒もうどんも)。杉の下枝をおろす、茂りおろすや、と一句ありさうなものだが。樹明君から白米を貰ふ、ありがたし。敬治君は予想した通りに来ない、山口から大田へだつたらう、それがよろしい。昨日も今日も句なし、それもよろしい。何といふ鳥か、夕まぐれを切なさうに啼く。虫が、いろんな虫がいそがしく動いてゐる。山頭火の胃袋は何とデカイかな(その実例) 朝食-お茶漬さらさら三杯、手製の新菜漬で。昼食―小鰯を焼いて独酌一本(二合入)、温飯四杯。夕食-うどん三杯、飯二杯、蕗の佃煮で。

【お茶漬け】

この日の日記に、「朝食-お茶漬さらさら三杯、手製の新菜漬で」とあり、山頭火はお茶漬けについて、また自らの食欲について記しています。この食べっぷりは、彼は胃拡張だったと言うべきですね。また、お茶漬けについて昭和7年に「お茶漬けさらさらわたしがまいてわたしがつけたおかうかう」の句があります。

六月二日

曇、こんどこそ雨だらう、風が吹きだした。草花を活ける、草花はどれもいつもよいなあ。風、風、いやな風がふく、風ふく日の一人はいろいろの事を考へる、――今日は自殺について考へた。簡素、禅的生活、俳句生活は此の二字に尽きる。純情と熱意とを失ふ勿れ。すなほに受ける、そしてすなほに現はす。やうやく雨になつた、よい雨だが、風が落ちるとよいのだが。在るところの世界について考察する、在るべき、在りたい、在らねばならない世界、在らずにはゐない世界。夜は碧巌録を読む、いつ読んでもおもしろい本である、宗教的語録として、そして文芸的表現として。趙州三転語、彼は好きな和尚だ。

 すでに虫がきてゐる胡瓜の花

 さつそくしつかとからみついたな胡瓜

 麦がうれたよ嫁をとつたよ

 なにがなしあるけばいちじくの青い実

 子を負うて魚を売つて暑い坂かな

 茂るだけ茂つて雨を待つそよぎ

 蜂がてふてふが花草なんぼでもある

 風のふくにしいろい花のこぼるるに

 風の中の蟻の道どこまでつづく

 風ふくてふてふはなかよく草に

 風ふく山の鴉はないてゐる

 いちにち風ふいて永い日が暮れた

 暮れてふきつのる風を聴いてゐる

   自殺について(安心決定とは)

自殺は人間の特徴だといふ、同時に特権でもあると思ふ。自殺者は必ずしも生死透脱底の人ぢやない、否、寧ろ生死の奴隷が多い、しかし自殺は一大事であるには相違ない。死にたくて死ぬる人もあらう、死にたくなくて死ぬる人もあらう、死にたくもなく、死にたくなくもなくて死ぬる人もないことはなからう。ほがらかな自殺、幸福な自殺者、それは第三者には到底理解されない心境であり体験であると、私は考へる。自殺の方法、それは自殺者に任したがよい。自殺者の手記、それは最も下手糞な文芸作品だらう。天も白く地も白く、そして人も白く光る、白光は死である、死の生である(死の生ではあるが、生の死ではない)。

      ┌存在

    生命│生存

      └生活

    生死去来

     行│遊行

     乞│苦行

     句│難行

     作│易行

     独り遊ぶ

      いつしよにあそぶ

【自殺について】

この日の日記に、「自殺について(安心決定とは)」が記されてます。山頭火は生死について真剣に見つめあい、生への未練を捨てて死へと逃避行しようとしています。

六月四日

朝早く一杯浴びて一杯ひつかける、湯町の朝酒はまことにまことによろし。淡々君の財布が軽くなつたらしい(私は財布を持つてゐないし、持つてゐても重い日のあつたことなし)、十時のバスで小郡駅まで、そこで私は眠り、君は去つた。耕三さんは昨夜よく庵で寝てくれたらしい、酒と米とが置いてあつた、ありがたすぎて、あまりにすまなくて。……さつそく飲む、食べる、そして寝る、あゝ、庵中極楽。寝た、寝た、ぐつすりねむれた、労れて、ぐつたりして。酒と女、人間と性慾――こんな問題が考へられてならなかつた。女よりも酒、酒よりも本、――それが本音だ、私の、今の。

 風をおきあがる草の蛇いちご

 鳴きつつ呑まれつつ蛙が蛇に

 雨をたたへてあふるるにういて柿の花

 霽れててふてふ二つとなり三つとなり

 いつでも植ゑられる水田蛙なく

 夏めいた空がはつきりとあふれる水

   『性慾といふもの』

性慾といふものは怪物である。人間が生きてゐるかぎり、それはどこかにひそんでゐる。若いときにはあまりに顕在的に、老いてはあまりに潜在的に。生存力、それは性慾の力といつてもいいかも知れない。食慾は充たされなければならない、これと同じ意味で、性慾も充たされなければならない、それが要求する場合に於ては。

 ┌個体維持

 └種族保存

性は生なり、といつても過言だとは必ずしもいへないだらう。生活と交接とは不可離不可別である。性慾は常に変装して舞踏する、それが変形変態すれば性慾でないかのやうでさへあるが、性慾の力はそのうちに動いてゐる。

【性慾といふもの】

この日の日記に、「性慾といふもの」とあります。この前まで、自殺、死を考えていた山頭火が、性慾について考えるのには、ちょっと矛盾のように思えますが、生と死は背中あわせではないでしょうか。

六月八日

晴、けさはゆつくりと五時すぎるまで寝床の中。自殺是非について考へる。――詩外楼君から、桂子さんから来信、桂子さんからのそれはなかなか興ふかいものだつた。大事に育てる茄子の一本が枯れた、根切病、詮方なし。額が出来た、井師筆の其中一人、ありがたい。焼酎一杯、むろんカケで、その元気で学校へ寄る。T子さん来庵、酒とサイダーと肴とを持つて、やがて樹明君も来庵。それから歩く、私一人で、そしてヘトヘトになつて帰る、途中無事で、ヤレヤレ。

 風ひかる、あわただしくつるんでは虫

 めくらのばあさんが鶏に話しかけてゐる日向

 たつた一人の女事務員として鉢つつじ

 たまたまたづねてくれて、なんにもないけどちしやなます(友に)

 もう春風の蛙がとんできた(再録)

   自殺是非(などといふなかれ)

自殺の可否は自殺者にあつては問題ぢやない。死にたくて自殺するのでなくて、生きてゐたくないからの自殺だ。生の孤独や寂寥や窮迫やは自殺の直接源因ではない。自殺は最後の我儘だ。酒と句とが辛うじて私の生を支へてゐた。

【自殺是非】

この日の日記に「自殺是非」とあり、「死にたくて自殺するのでなくて、生きてゐたくないからの自殺だ。生の孤独や寂寥や窮迫やは自殺の直接源因ではない。自殺は最後の我儘だ。酒と句とが辛うじて私の生を支へてゐた」とあります。

六月十二日

早朝、砂君を見送つて駅へ。砂君はまろい人だつたが、二十年の歳月が君をいよいよまろくした、逢うて嬉しい人だ。何だか遣りきれなくて飲む、酔うて辛うじて戻つて寝た。或る時は善人、或る時は悪人、或は賢、或は愚、是非正邪のこんがらがるのが人間の生活だ。

 てふてふよつかれたかわたしはやすんでゐる

 ふつと逢へて初夏の感情(追加)

 青空したしくしんかんとして

 朝じめりへぽとりと一つ柿の花

 けさはじめての筍によつこり

 こんなところに筍がこんなにながく(再録)

 あひびきの朝風の薊の花がちります

 酔ざめはくちなしの花のあまりあざやか

【青空したしくしんかんとして】

この日の日記に、「青空したしくしんかんとして」の句があります。「しんかんとして」とうたった時、山頭火は、その宇宙のはるかな中へ身を投じてしまっています。

六月十四日

身心も梅雨季だ、寝る、寝るより外ない! 寝る、寝る、寝るよ。大村君が不意来庵、しばらく話す、樹明君へ手紙を托して米を送つて貰ふ。夕、樹明来庵、庵の空気の険悪なのに避易して直ぐ帰つてしまつた!

 梅雨空おもく蜘蛛と蜂とがたたかふ

 焼かれる虫のなんと大きい音だ

 頬白がよう啼いて親鳥子鳥

 何もないけどふるさとのちしやなます(砂君に)

 話しても話しても昔話がなんぼうでもとんぼ通りぬけさせる

   こんな句も

 けさも二人でトマト畑でトマトをたべる(新夫婦に)

                   (一人ならば私だ!)

【焼かれる虫のなんと大きい音だ】

この日の日記に、「焼かれる虫のなんと大きい音だ」の句があります。また山頭火の句に「焼かれる虫の香(にほ)ひかんばしく」があります。山頭火最晩年の句です。「焼かれる虫」は、山頭火自身であるように感じさせる句です。

六月廿三日

昨夜もよく睡れなかつたので、何となく身心が重苦しいけれど、落ちついたことに間違はない。学校に樹明君を訪ねて、先夜のお詑とお礼とをいふ、君はまつたく病人だつた、身心共に。酒はよいが、アルコールがいけないのだ、人そのものは申分ないのに意志が弱いのだ。君よ、しつかりして下さい、私もしつかりと生活する。空梅雨の暑苦しさ、それは私たちの身心のやうな! 放下着、そしてまた放下着。行雲流水、無礙無作、からりとして生きて行け。田植がはじまつた、毎日、朝から晩まで泥田を這うて働らく人々に対して、私は恥づかしく思はないではゐられない。豚が食べてゐる、クンクン鼻を鳴らして――豚は食慾そのものであるやうに感じさせる、食べて肥えて、そして殺される豚だ。雀の子がうまく飛べない、畦から畦へと餌をあさつてはゐるが――多分、彼はみなしごだらう。夕方、ばらばらと降つた、なかなか降らない梅雨だ。風呂を飲んでしまつた、澄太君に申訳がない、どうでもかうでも風呂代だけは捻出して、その野風呂にはいつて貰はなければならない。……中外日報を読んで、無塀さんを思ひだした、品のよい、おとなしい芸術家である彼はしづかな力を持つてゐられる。

    断想

心清浄、身清浄、 身清浄、心清浄

山のすがた、水のすがた、人間のすがた。

すがた即こころ、こころ即すがた。

そのすがたをうたふ、それがこころの詩である、私の俳句である。

【禅のこころ】

この日の日記に、「心清浄、身清浄、 身清浄、心清浄 山のすがた、水のすがた、人間のすがた。すがた即こころ、こころ即すがた。そのすがたをうたふ、それがこころの詩である、私の俳句である」とあります。山頭火の俳句には、禅のこころが三様に秘められています。第一は、生活と詩とが一つのものであり、「二心なき」世界を体現することで、禅にあっては、心、言、行の一致が旨とされます。第二は、何ものをも模倣しなかったこと。第三は、その表現が簡潔であることです。

六月廿四日

曇、梅雨らしく降りだした。私は平静である、清澄でさへあると自惚れてゐる、私は私にかへることが出来たから、私は私の場所に坐つてゐるから。一切が過ぎてしまつた、といふやうに私は感じつつある。午後、樹明君が酒井教諭をひつぱつて来た(本当は酒井さんが樹明君に案内されて来庵したのださうなが)、無論、酒と肉とを御持参になりまして、――三人ほどよく酔うて暮れる前に解散、それから私は御飯を炊いて筍を煮て夕飯。快眠、眼覚めたのが十二時頃、漫読してゐると、ゴム靴の音がする、樹明酔来、手のつけやうがないので、ほつたらかしておく、かういふ場合の彼は(必ずしも彼に限らないが)人間でなくて獣だ、鼾は大蛇の如く、そして野猪の如く振舞ふ、あゝ酒好きの酒飲みの亭主を持つた女房は不幸なるかな!(これは樹明君にのみ対して投げる言葉ぢやない)

   酒についての覚書

味うてゐるうちに(飲むのではない)酒のうまさがよい酔となるのでなければ嘘だ、酒はうまい、酔へばますますうまい。……

【酒についての覚書】

この日の日記に、「酒についての覚書」があります。山頭火ならでは言です。

六月廿五日

曇、雨、梅雨らしくなつた、梅雨は梅雨らしいのがよい。樹明君は朝になつてもまだ酔が醒めないらしい、それでも、ひよろひよろ跛をひいて出勤した、樹明君よ、しつかりして下さい、あなたがしつかりしてゐてくれないと、私も倒れる(私にはそんな忠告を敢てする資格はないけれど)。晴ならば山口へ行くつもりだつた、明日は澄太君、砂吐流君が来て下さるのに、もう米もない、醤油もないから、本でも売つていくらか拵らへるつもりだつたが。自然生の桐苗を移し植ゑた、どうか枯れないでくれ。窓に近く筍二本、これは竹にしたいと思ふ、留守にTさんが来て抜かれては惜しいと思つて、紙札をつけておく、『この竹の子は竹にしたいと思ひます 山頭火』 昨夜の酒は私にはよかつた、今日は昨日よりも落ちついて、そして幸福である。

 ここでもそこでも馬を叱りつつ田植いそがしい

 叱つても叱られても動かない馬でさみだれる

 人がきて蠅がきて賑やかなゆふべ

 どうにもならない人間が雨を観る

 負うて曳いて抱いてそして魚を売りあるく(彼女を見よ)

【どうにもならない人間が雨を観る】

この日の日記に、「どうにもならない人間が雨を観る」の句があります。また山頭火の句に「しんじつ一人として雨を観るひとり」があります。「ひとりであること」が、人間本来の姿であると観じつつ、そうであることを知る時、人は悲しみに似た気持ちにおちこんでいる自分を見出します。そして、できればそこから逃れたい、と本能的に願うのです。

六月廿九日

晴、昨日今日、梅雨には珍らしい青天、そして暑気だ。九時の汽車へゆく、もう米もないし、米代もないから。朝から失敗した、年はとりたくないもの、此頃は物忘れして困る、といふのは煙草代と汽車賃だけはある銭入を忘れて出立したのである、八百屋のおばさんに事情を説いて、時計を預けて、五十銭玉一つを借りる、おかげでバツトが吸へて、ガソリンカアに乗れた。古本として多少の銭になりさうな弐冊、それが八十銭になつた、さつそく一杯、そしてS家を訪ねる、周二さんはまだ帰郷してゐない、赤の事で当局に油をしぼられてゐるらしい。湯田の千人風呂で一浴、バスで上郷まで、新町で下車して、朝のマイナスを返す、やれやれ。二時半帰庵、うちほど楽なものはない。今日もまた焼酎を呷つた、それだけ寿命を縮めた。何となく――それはウソぢやない――人心凝滞、世相険悪を感ぜざるを得ない、ダイナマイトはうづたかく盛られてある、まだ点火するほどの人間が出現しないのだ! 我儘を許されない身心――かうまで心臓が弱くなつてゐるとは思はなかつた、ああ。くちなしの花、その匂ひが(その色よりも姿よりも)私を追想の洞穴に押し込める。……アルコール中毒、ニコチン中毒、そして俳句中毒、酒と煙草と俳句とはとうてい止められない、止めようとも思はない。在る世界から在るべき世界へ、在らずにはゐない世界へ、そして私はまた在る世界へかへつて来た、在るところに在るべき、或は在らずにはゐないものがある、――私をそれを知るといふよりも感じる、そしてそれを味はひつつある。私も破家散宅したけれど、それは形骸的であるに過ぎなかつた、これから心そのものの放下着だ。

   『旧道』

新道はうるさい、おもむきがない、歩くものには。

自動車が通らないだけでも旧道はよろしい。

旧道は荒れてゐる、滅びゆくもののうつくしさがある。

水がよい、飲むによろしいやうにしてある。

山の旧道、水がちろちろ流れるところなどはたまらなくよい。

   或る農夫の悦び

 植ゑた田をまへにひろげて早少女の割子飯

 田植もすましてこれだけ売る米もあつて

 足音は子供らが草苺採りにきたので

 夕凪の水底からなんぼでも釣れる

 露けき紙札『この竹の子は竹にしたい』

 ほんとにひさしぶりのふるさとのちしやなます(改作再録)

   山口後河原風景

 おいとまして葉ざくらのかげがながくすずしく

 木かげがあれば飴屋がをれば人が寄つて

 ま夏ま昼の火があつて燃えさかる

 大橋小橋、最後のバスも通つてしまつて螢

 バスの挿花の、白百合の花のすがれてはゐれど

   緑平老に

 あれからもう一年たつた棗(なつめ)が咲いて

【おいとまして葉ざくらのかげがながくすずしく】

この日の日記は、「晴、昨日今日、梅雨には珍らしい青天、そして暑気だ……」で始まり、八百屋のおばさんに時計を預けて金を借りて、古本売って金をつくって一杯ひっかけて、9時のガソリンカア(鉄道のこと。ガソリンエンジンを搭載していたらしい)で山口駅まで向かい(恐らく後河原にある)鈴木周二氏の家に行っています。山口駅から後河原へはそれほど距離はありませんが、結局鈴木氏には会えず、湯田温泉でひと風呂浴びてバスで上郷に戻り、2時半に帰庵して、「あー、やっぱり自分家がいいやあ」って呟いています。昭和9年当時、山頭火は小郡の其中庵に住み、ここから方々へ出かけて行きました。この日の日記に「おいとまして葉ざくらのかげがながくすずしく」の句があります。後河原の一の坂川河畔(田村幸志郎宅前)に、この句碑が立っています。後河原へは旧田辺家の句会に毎回参加し、一の坂川河畔を散策したようです。この句は葉桜の桜並木を詠んだもので、すずしくという表現が夏の到来を思わせます。


https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946343845&owner_id=7184021&org_id=1946374241 【山頭火の日記(昭和9年7月1日~)】 より

七月一日

晴、つつましくすなほな生活を誓ふ。

 こころあらためて七月朔日の朝露を踏む

筍を観てゐると、それを押し出す土の力と、伸びあがるそれ自身の力とを感じる。ウソからホントウの自殺へ――彼は酔うて浪費つて、毒をのんだとウソをいつたが、とうとうホントウに服毒しなければならなくなつた、そして死んだのである。……移植した三本の桐苗がみんなついたらしい、二三年もたつたら青々として夕日をさえぎつてくるだらう。樹明来庵、飯を食べたい、そして銭を三十銭貸してくれといふ、昨夜から飲んで帰らないのださうな、目前酔うてゐないのがうれしくて、飯を炊き銭入をはたいた。……焼酎を呷る、焼酎が焼酎をよぶ、酔うた、泥酔した、しかし、庵にかへつてぐつすり寝た。酔うても酔はないでも、悠然として変らない身心となりたい。シヨウチユウよ、サヨナラ。

 家いつぱいに昇る日をまともに郵便を待つ

 たづねてくれるみちの草だけは刈つておく

 郵便やさんがきてゆけばまた虫のなく

 すこし風が出て畳へちつてくるのは萱の穂

 ひとりひつそり竹の子竹になる

 うれしいこともかなしいことも草しげる

 生きたくもない雑草すずしくそよぐや

 あをあをと竹の子の皮ぬいでひかる

 竹の子竹となつた皮ぬいだ

 竹の子伸びるよとんぼがとまる

【ひとりひつそり竹の子竹になる】

この日の日記に、「ひとりひつそり竹の子竹になる」の句があります。竹林の奥深くで暖かい春の空気に包まれて、そっと顔を出した竹の子が数時間の間にやがて竹へと成長していきます。竹の子は、季節の到来を語り掛けてくれて、その成長のかわいい姿態が、ひとりだけの男をなぐさめてくれたのでしょう。もしかしてこの竹の子は、彼の一粒種の息子・健のことではなかったのでしょう。

【うれしいこともかなしいことも草しげる】

また、「うれしいこともかなしいことも草しげる」の句もあります。この句碑が、松山道後温泉に近い石手寺地蔵院にあります。山頭火は道後温泉の帰り、ちびた下駄を履いて、石手寺地蔵院の水崎住職を訪ねています。また、道後温泉から石手寺沿いに、子規・漱石・山頭火の次の句碑が設置されています。松山市内に建立されている、一番新しい山頭火の句碑です。

  分け入つても分け入つても青い山   山頭火

  送子規 御立ちやるか御立ちやれ新酒菊の花   漱石

  砂土手や西日をうけてそばの花   子規

山頭火は、この句の前書きに「解くすべもない惑いを背負い行乞の旅に出た」とあります。青は緑という意味で、自らの迷いの深さを山々の緑の深さに重ねた句です。

七月八日

晴、とても暑い日だつた、百度近くだつたらう。朝蝉が鳴く、朝酒がほしいな、昨夜の酒はだらしなかつたけれど、わるい酒ではなかつた、ざつくばらんな酒だつた。八時頃、約を履んで樹明来、釣竿、突網、釣道具、餌、そして辨当まで揃へて。三人異様な粉装で川へ行く、途中コツプ酒、与太話、沙魚は釣れなかつたが蝦をすくうた、裸体で水中を歩くのは愉快だつた、船のおかみさんが深切にも辨当を食べる用意をしてくれました。帰途、酒と豆腐とを買つて(三人で買へるだけ、金九十五銭!)、ゆつくり飲んだ、それは「豆腐をたべる会」第一回でもあつた、とかうして七時解散。

 とんぼふれても竹の皮のおちる

 とぶは萱の穂、おちるは竹の皮

 いつもの豆腐でみんなはだかで

 蝉なくやヤツコよう冷えてゐる

 したしさははだかでたべるヤツコ

 風はうらからさかなはヤツコで

 金借ることの手紙を書いて草の花

 朝蝉、何かほしいな

 夕蝉、かへつてゆくうしろすがた(黎々火君に)

 ともかくもけふまでは生きて夏草のなか

 ぽとりぽとり青柿が落ちるなり

【暑い日】

この日の日記に、「とても暑い日だつた」とあります。山頭火の句に、「暑い日をまことに急ぐ旅人なり」があります。ぎらぎら照り付ける真昼の野を、一人の旅人が行きます。その旅人は、やはり山頭火であり、その野は、山頭火が放浪したさまざまな旅路であるのに違いありません。

七月廿五日

曇、少雨、まるで梅雨のやうな土用である。緑平老から大泉到来、これはまたよい雑誌だ、井師としみじみ話すやうな気がする、心がぴたりと心に触れる。 木と移植、昨年の桐はついたが、今年のは三本とも枯れた、莱竹桃はうまく根ついた、白木槿が根ついてくれるとほんとうにうれしいのだが。蠅と蚊と油虫と、彼等は毎日私を考へさせる! いつみても、なんぼうみてもあかない雑草、みればみるほどよい雑草、私を雑草をうたはずにはゐられない。わたくしごゝろと個性とは別物だ、私心がなくして、そこで個性が発揮されるのである。蜩が鳴いた、しつかり鳴いてくれ。生活の糧となる仕事、糧にする仕事ではない。宗教的真理の芸術的表現、それが私の仕事だ。自然(生活もその一部分)――律動――俳句的詠出。生活に即するといふことは生活の奴隷となることではない。一時頃、樹明来庵、例の如くお辨当を食べ、そしてお昼寝だ、昼寝から覚めてさかんに悪口をいふ、やつてこないお客さんに向つて、――とうとうたまらなくなつて、街へ出て一杯やる。よく食べてよく飲んだ、よく戻つてよく寝た。酔うて乱れない樹明を見出したことが何よりもうれしかつた。山頭火は酔うて朗らかだつた。去年は蒲団を飲み、今年は風呂を食べた。……

 けふ咲きだした糸瓜が一つあすは二つで

 うまくだまされたが、月がのぼつた(敬君に)

 蠅はうごかない蠅たたきのしたで

 いつしよに昼寝さめてかなかな(樹君に)

 待つても待つても来ない糸瓜の花もしぼんでしまつた(礼、敬、二君に)

 けさも雨ふる鏡をぬぐふ

 月夜、飲んでも酔はない二人であるく(樹君に)

   日記といふもの

   改作再録

 ゆふなぎしめやかにとんでゐるてふねてゐるてふ

 病みて寝てまことに信濃は山ばかり

 ちんぽこもおそそもあふれる湯かな(千人風呂)

 山があれば山を観る

 雨のふる日は雨を聴く

 春、夏、秋、冬

 受用しつくさない

 花開時蝶来

 蝶来時花開

(善導大師の言葉)

従仏逍遙帰自然、自然即是弥陀国

「百花春到為誰開」

【行乞と俳句】

この日の日記に、「宗教的真理の芸術的表現、それが私の仕事だ」とあります。山頭火は行乞したがゆえに俳句ができ、俳句を作るために行乞しました。その表裏一体が山頭火の世界です。

【ちんぽこもおそそもあふれる湯かな】

この日の日記に、「ちんぽこもおそそもあふれる湯かな」のユーモラスな句があります。山頭火は、毎日の行乞の日々の数少ない楽しみの一つは、風呂だったといいます。土埃にまみれた身体を洗い流し、熱い湯舟の中に浸った時、何もかも忘れられる無上の喜びを感じたにちがいありません。特に温泉地であった場合には、それこそ何度も何度も湯に入り宿泊が長引くことも多かったようです。とくに嬉野温泉、川棚温泉については山頭火の日記にも比較的詳しく書いています。さてこの句ですが、これはいくら昭和初期といってもあまり現実味があったとは思えない情景です。じつは、山頭火は後で親友の大山澄太に、「あれは創作だよ」と漏らしたそうです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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