https://blog.goo.ne.jp/okura-w/m/200910/2 【【三重】 松阪商人の館】より
松阪商人の館は、豪商・小津清左衛門邸を資料館として公開したもの。
「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」というように、江戸の町は伊勢屋の看板だらけだったそうだ。
「近江泥棒、伊勢乞食」という言葉もある。
近江の商人は強欲で、伊勢の商人は吝嗇だという意味らしい。
手堅く商いをし、財を築く者が多かったのだろう。
松阪商人の館である小津清左衛門邸は、お伊勢参りの人々が行き交った参宮街道に面している。
三井家発祥地として残っている三井高利が生まれた家も、同じ並びだ。
主家のほかに、廊下でつながった内蔵を見学。
万両箱もある。
千両でなくて万両か、羽振りが良かったのだろうなあ。
http://wishpafupafu.blog110.fc2.com/blog-entry-136.html 【江戸名物が「「伊勢屋、稲荷に犬の糞」といわれたわけは?】 より
江戸初期のはやり言葉に、「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」という言葉がある。江戸の町を歩いていると、この三つがやたらと目についたというのである。
「伊勢屋」というのは、伊勢(三重県)出身の商家のこと。
幕藩体制が整ってくると、江戸へ進出してくる商人が増えた。とくに、伊勢、三河(愛知県)、近江(滋賀県)、京、堺といった西国の商人が進出してきて、彼らの多くが出身地を屋号としたため、江戸中に伊勢屋、三河屋、近江屋といった看板が立ち並ぶことになったのである。
なかでも、江戸初期には、木綿や紙、荒物、椿油、菜種油、茶などを扱う伊勢屋の看板がもっとも目立ったという。
伊勢屋に続く「稲荷」の総本山は、京都の伏見稲荷大社である。
もとは帰化人である秦氏の氏神で、平安時代、秦氏が政治的に力を持つと、京全体で信仰されるようになった。
「稲」という言葉が入るように、当初は穀物や農業の神だったが、中世以降、商工業が発展すると、開運の神様として全国的に広く信仰されるようになった。江戸中に朱色の鳥居や祠が建てられたのである。
さらに、当時は野良犬がウロウロしていて、犬の糞が方々にころがっていた。そこで、数の多い三つを合わせて、「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」というようになったのである。
https://design-signal.co.jp/tokyo-meibutsu/edo/index.html 【江戸名物】より
伊勢屋といえば、江戸で儲けていた商人。江戸の町は伊勢屋の看板ばかりだった。
近江、伊勢から出てきた者が多かったらしいが、同じ屋号にしなくてもいい様なもの…と思う。
一番儲けた商人といえば、皆さんもご存じ、呉服の越後屋さん。
「越後屋~お主も悪やのう」の官僚と連んで儲けた極悪商人…とは違ったようで、黄門さまが語った「越後のちりめん問屋」と同じか…とにかく名の知れた松阪の商人です。
「飲みねぇ、飲みねぇ、お茶飲みねぇ、もっと近くに、寄んねぇ!?」のサービス。「せいぜい勉強さしてもらいまっせ」と、云ったかどうか判らないが、新商法で儲けまして、今の三越になったそうな。商いにはやはり関西弁がいいのかな?
驚いた事に、店は番頭まかせで、主人は、江戸には滞在せず、地元、伊勢で優雅に生活してたそうな。
ただし、経理はしっかりチェックしていたとか。江戸の儲けで、地元の発展に貢献し、名を残しています。
さらに従業員はすべて地元伊勢で採用した者。他国の者は信用できなかったという事なのか。
近江の泥棒、伊勢の乞食という言葉があるそうだ。しかし、財力があった武士が、後には商人に頭を下げてまで、お金を借りるようになる。士農工商を逆転させる、伊勢の商人たちは、やはりすごいなぁ。
稲荷にしてもそう、伏見、豊川、熱田を本山とするお稲荷さんを至る所に奉り、信じ念じていた江戸町民。
犬の糞とは、稲荷の多さの例えのようで「生類憐みの令」の影響があったのかどうか判りませんが、稲荷も御犬様の糞もあちらこちらにあったようです。これは、名物のひとつ火事が原因みたいだ。
大火の多かった江戸の町。一夜にして財産すべてを失う事を恐れた江戸町民が、神に祈ったわけです。
主は豊穣の神(稲荷=稲成)でしたが、この頃から火防、商売繁盛の神としても信仰されていったようです。
多くは京都伏見稲荷の分身。全国に多くの稲荷が広まったのは、それだけ御利益があったという事でしょうか。信じる者は救われたということか…うちの事務所も稲荷を祀らなきゃ。
稲荷といえば狐。なぜ狐なのかよくわからないが、田の神の習性と狐の習性が似ているようだ。
田の神は、春先に山から降りてきて、作物の順調な生育を助け、秋の収穫が終わると山へ帰っていく。狐の春に発情し、人里近くに降りてくる習性と関係しているらしい。
狐は稲荷神の使いと聞く。必ず一対の狐が祀られている。稲荷神の本体ではないようで、狛犬と同様に社前を護る事が役目らしい。
東京の王子稲荷では、江戸時代から続いているお守り火防ひぶせの凧が、今でも売られています。
魚河岸も大阪の発祥。
家康が、江戸入りする際に大阪・淀川佃町の漁師である森一族を呼び寄せる。江戸城内の食材調達と上納を目的としたもので、漁業権を与え、向島(今の佃島)に住まわせた事が始まりらしい。
江戸の銭湯も伊勢出身の与一という男が、銭瓶橋(呉服橋近く)のたもとで開いたのが最初。蒸気風呂だったようで、混浴だったとか。でも、湯巻着用ですよ…残念? 銭湯を関西では風呂屋、関東では湯屋(ゆうや)と呼んでいました。
花火があがるとたまや~かぎや~の掛け声が聞こえてくる。私もつられて云った事がある。
「玉屋」「鍵屋」とは、花火職人の事。どれだけの人が知っているのだろう。
鍵屋とは、これまた奈良から出てきた男が作りあげた将軍家御用達の花火屋。(三重出身とも聞くが…?)
将軍家たちの納涼目的として打ち上げた花火は、隅田川の花火大会の始まりとなります。
1812年に鍵屋の職人が、ひとり独立します。それが玉屋です。江戸の花火は鍵屋と玉屋の競演でした。
しかし、玉屋は1843年に火事を起こしてしまい、江戸追放、家名断絶と一代限りで終わってしまったのです。
今でも「たまや~」の掛け声を、多く耳にしますが…鍵屋はどう思っているのだろう。
多くの文化、商業が栄えた江戸の町。
元祖江戸物は数少ないかもしれないが、うまく受け入れられた江戸の人たちがいたようだ。来るものは拒まず…なのでしょうか。今では、世界各国のものが入ってくる東京。多くのものが飛び交う街。流行の発信地とも云われるが、流行やブランドに捕らわれず、いいものを見極める能力がほしいものです。そして、文化を、伝統を伝え残してほしいものですね。
Facebook・清水 友邦さん 投稿記事 ·
3月20日は地下鉄サリン事件の日です。
サリンを撒いた林受刑者を車で上野駅まで送っていった運転手役の杉本受刑者は無期懲役の刑を受けて、次のように後悔しています。
「何故(なぜ)あのような組織に入り、何故あのような人物を師と仰ぎ帰依してしまったのか、当時の私自身のことが全く理解できません」
被害者には「申し訳ない思いを表現する言葉がみつかりません。私の言葉は被害者の方々にはあまりにも軽いだろうから」と述べています。
普通の社会人が権威に命令されると自動的に服従して他者に危害を加えるような行為を行ってしまう実験がエール大学でおこなわれた事があります。
有名なミルグラムの実験です。
妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民だったアドルフ・アイヒマンは数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者として冷酷で非人道的な行為をおこないました。
平凡で真面目な市民でも権威に命令されると抵抗できずに、公文書の改ざん、虚偽公文書作成、粉飾決算に手を染めてしまいます。
個人が集団の一員として振るまう時、常識的な判断を捨てて反社会的行為に手を染めてしまうのです。
権威に盲目的に従ったオウム信者は犯罪に加担してしまいました。
修行システムを大きく分けるとテクニカルなグループとカリスマがいるグルイズムに分けることができます。
グルイズムのグループは教祖の妄想に信者が同調してしまうので社会的な問題を起こしやすいのです。
オウム真理教は最初、健康指導するありふれたヨガの団体でした。
やがて麻原は雑誌に空中浮揚の写真を乗せ信者を集めました。
心に欠落感を抱えた人々は何かで満たそうとします。
そして盲目的に服従する受動的な信者が集まって金と権力を得た麻原は自分の劣等感や無力感を解消しようと様々な事件を起こしたのです。
彼はトラウマを抱えたヨガ行者でした。
知性があって、身体能力が優れている犯罪者は無数にいます。
難しいヨガのポーズができたからといって、人格や人間性が優れているとは限りません。
立派な先生の顔をした仮面の裏にはシャドーが潜んでいます。
ヒーラーやチャネラーも同じことです。
西洋に渡った東洋のグルが女性問題や物質文明に溺れる話は沢山でてきます。
育った環境で満たされなかった事を満たそうとするのは、ヨガのグルにかぎらず普通の人間に見られる当たり前のことです。
無意識の領域に溜め込んだ欲求に無自覚でいると、抑圧したエネルギーを外の世界で行動表現してしまいます。
内面で起きている問題を自覚しないまま外の世界で表現しても、内面の問題は解決しません。
そうして育った環境で満たされなかった欲求を満たそうとしてエスカレートしていきます。
こうして、万能感を得ようとして支配的になり教祖やグルとしてふるまい、金銭や教団を大きくすることに執着してカルト化することがおきてしまいます。
このような教祖に集まる信者には似たような無意識の構造があります。
そして信者が、教祖を甘やかし、教団を形成していきます。
教祖も信者に依存していきます。
それがカルト化する危険性はいつでもあるでしょう。
洗脳が可能なのは人間の意識が眠っていて機械のように行動しているからです。
検察が起訴した刑事事件は99.9パーセント有罪になります。
捕まえてしまえば検察は洗脳のテクニックを使い自白させて調書が取れるので有罪に出来るからです。
元検事長でさえ、それは例外ではありません。
検察は、長時間拘束して独房で監禁、限りなく続く尋問で人格を攻撃し、恐怖心と挫折感を植え付けます。
徹底的に人格を破綻させてロボット化した被疑者を検察は「自動販売機」と呼びます。
つまり、今までのデータを消去して、新しいデータを入れ、そのデータを定着させて機能する様にするのです。
そうして検事が望んだようなとおりの返答が返ってきて、自動的に調書が作成されるようになってしまうのです。
自分はカルトに入信しないし、絶対犯罪に加担しないと思っている人がいるかも知れません。
しかし残念ながら、自我意識の大部分は刺激と反応によって形成されています。
人間の意識は眠っており機械的な反応を自動的にしてしまわざるを得ないのです。
眠った意識のままでは誰もがカルトに入信する可能性を持っています。
そして、その眠りはサリンを撒いたり、戦争を起こすので夜の眠りよりも危険なのです。
問題を解決しようと、眠りの中で戦争し、犯罪を犯し、環境を破壊して危機状態にしています。
私は目が覚めていると思っていますが、実際は眠りの中で自己を喪失しているのです。
つまり私たちは自分が何者で自分がいったい何をしているのかの自覚がないのです。
眠りから目が覚めること
それがあらゆる精神的な道の共通点です。
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