https://s3-us-west-2.amazonaws.com/jnpc-prd-public-oregon/files/opdf/456.pdf 【第 76 回総会記念講演生きもの感覚~俳句の魔性~】 より
山頭火の場合の無縄自縛
一茶はそういうふうに生きた男です。俳句を使って暮らしてきた業俳でございますが、これ
が種田山頭火のような放浪者になりますと、この原郷指向、つまり生き߽もの感覚が非常に強いこと߽もありまして、これだけで生きたいと思うんですね。あの人の場合は。この方߽早稲田の学生さんでござい߹したけれど߽も早稲田を酒で中退しているわけです。小川未明なんかが同
級生だったわけです。だから、未明とと߽もに文才が非常にあるといわれておった。そういう状態ですけれど߽も酒でだめになるわけです。
彼はそのころから、自分は生き߽もの感覚だけで生きたい、原郷指向のままに生きていきたい、もう娑婆は結構だ、こう思うようになった。そして、娑婆、つまりこの社会、社会の中に入らないで生きていくためには、放浪するしかない。というので、彼の場合はある事件を契機に、早く߽も中年ぐらいから放浪状態、ぶらぶらずうっと歩き回って、ほとんど東北までも行くわけですが、鶴岡から仙台ぐらいまで歩いています。
本拠は九州ですけど、ずうっと歩き回っております。放浪を続けております。に߽もかかわらず、そういう状態まで来ると、一茶のように、両方闘うという状態߽よりも、逃げてしまっている。世間を逃げて、生き߽もの感覚だけをいたわる、そういう状態で生きようとする。とこࠈが、案外できないんです、それは。皆さま方で߽もそういうふうにやってみようかと思う方߽もいらっしゃるか߽しりませんが、これはできません。できませんが、山頭火の場合をみていますと、世間から逃げて、世間に対する自分の抵抗的な欲という߽ものを養っていくということはなくなったけࠇど߽も自分自身が世間と同じだ、つまり自分の欲の動き、本能の動きが生み出す欲の世界というのは、世間にいてもいなくても同じだということにある時 気づくわけです。ということは、金がなくなると、友人だと思える人のうちに入り込んですぐ金をもらう。それから、酒を飲ませてもらう。それから托鉢でずうっと歩き回っていたわけですけれど߽も禅僧の端くれでございましたから、托鉢を߿っておった。そうすると、托鉢というのは、色街の女性たちが割合にこういう߽ものをたくさん出すのでございます。いまここにいらっしゃる方よりも 彼女たちのほうが気前がいいわけでございます。こういう放浪者に対しては。だから、出す。
托鉢を終わって帰ってくる。みると美人がいる。宿屋で酒を飲む。その美人を思い出す。そうすると、のこのこその美人のところへ行ってお金を全部使っちゃう。そういうこと߽も平気でやる。そういう自分が嫌なんですね。それから友達のうちへ平気で上がり込んで酒を飲んで、小遣いまでࠄ߽もらっている。その自分が嫌だ。鶴岡へ行った場合なんかすごかったんですが、ガスの集金をしている自分の友人がいまして、それが山頭火を尊敬しておったんですけれど߽も友人は喜んで、温泉宿に連れていって芸者さんを上げてくれた。その芸者さんを上げてくれたのに味をしめまして、それからずうっと泊り込んで、3 日か 4 日そこにいて、全部友人のつけで自分は飲み食いして、芸者と遊んで、そのままずうっと浴衣掛けで仙台へ行った。仙台の連中が怒っちゃった、そんなエピソードがある。つまり、自分の状態、世間と同じ自分の欲の世界というのが嫌になってくる。それで、彼はよく書きとめておりました。これは、心を無にすればいい、こういう欲の働く本能の世界という߽ものを捨ててしまえばいいんだけれど߽もそういう心を捨てたいと思うと、これを無にしたい、その心を捨てたいということに縛られている。
禅家の言葉に、「無縄自縛」という言葉があるそうでございますね。自分の欲のこころを無にしてしまいたいと思うとき、その思いに縛られている。そういう本能を捨てたいと思うこと自身が自分を縛る、だから。本当に自由になるためには、そう思い、求めることを捨ててしまうこと、つま「空」の世界でなければだめだ。だから、「無」でなく「空」という言葉を山頭火は何遍߽書きとめておりますけれど߽も空を彼は求めた。求めざるを得なかった。原郷指向で、それ一本で行こうとして߽も結局世間からは逃げられて߽も自分という世間から逃げられない。これが人間の姿です。そのためには、そう思う心を捨てなきゃだめだ、自分を空にしなければいかん、こういうことを書いています。
ここまで徹底できればいいですけれど߽も結局、彼߽徹底はできませんで、最後は、何となくおのずから空になっちゃったというか、「春の山からころころ石ころ」などとつくっています。結局、犬と一緒に寝ていて、犬の食っているのを自分が食った߽りまた自分の残したのえを犬に食わせたりというような、そういう状態になって、伊予の松山が最後でございますが、ある日、飲んで帰ってきてコロッと死んでしまう。
「これが往生」。これが往生は、そういう人たちにとって߽理想なのでございますね。そんな
状態でございます。
ですから、生き߽もの感覚と、現世を相手に生きていくための本能がつくり生み出す欲というもの、この闘いの世界というのは、とて߽も一日ではいい切れない。だけど、一茶はそれを生き抜いたということでございます。
それで、時間をにらみながらしゃべっていますが、私のいいたいことの半分しかまだいって
いません。私は郷里の秩父に、父親がずうっとおりまして、郷里の秩父で育ったわけでございますが、熊谷に越したのが 50 歳のときです。
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