生きもの感覚~俳句の魔性~ ⑥

https://s3-us-west-2.amazonaws.com/jnpc-prd-public-oregon/files/opdf/456.pdf 【第 76 回総会記念講演生きもの感覚~俳句の魔性~】 より

秩父は私の産土うぶすな

一茶がわかって、山頭火がわかってきて、いまのようなことがだんだんわかってきまして、

自分もやっぱり、自分の中の生き߽もの感覚という߽ものを養わないといかん。つまりアニミストでありたい、と思うようになりまして、郷里の土を踏み。つまり、そういう心というのは、原始の人間と同じように、森の土が養ってくれているわけだから、自分は土を踏むようにして生きていかなきゃいかん。こう思いまして、郷里の秩父は熊谷から近うございますので、郷里に足を運び、郷里に山小屋をつくって、ときには住んでみたり、無住寺に住んだりいたしました。

そして、だんだん郷土の土という߽ものを踏み返して、味わい返して、昔を思い出すようになりました。「産土(ウブスナ)」という言葉でそれを詠んでおります。郷里の土のことを、そういっておりました。いまで߽もいっております。そういうふうな状態になって、私にいち早く訪れた昔の思い出がございました。それはどういう思い出かと申しますと、少年から青年期に入るときだったと思いますが、私は漆にかぶれやすい体質でございました。おばが私に「酒を持って、兜太、来い」というので、連れていかれましたのが漆の木のそばでございまして、「おまえはいま、これから漆の木と結婚しろ」というのです。それで、漆の木に酒をかけ、私も酒を飲まされて、「おまえは漆の婿さんになったんだからこれからは漆の木をいじめちゃ駄目だよ。」こういうことだった。私は当時、戦争ごっこなんかをやって、漆の木なんかをめったぶったり折ったりなんかしていたわけでございますから、そういうことで戒められた。そうしたら、不思議や不思議、それ以来、かせなくなったんです。田舎の言葉で「かせる」と申しておりましたが、かせなくなった。そのことを思い出しまして、なるほど、漆の木という߽ものと私という生き߽ものと、両方と߽も同じ自然であって、自然同士の間には、こういう協和感があるんだということを、思わず、「お、これだったな」と思ったのを思い出します。

一茶の句など߽ご紹介したいんですが、߽もう時間がございませんからやめます。

秩父の話です。私が子ど߽のころに、父親が俳句をつくっておりましたので、父親の߽もとに

集まってくる俳人たち、田舎の 30~40 代の男たちでございますが、この人たちをみていて、

野生という߽ものの美しさというのを感じたのでございます。

母親は、その野生の男たちが、「酒なくて何の俳句ぞや「で߽もって、句会が済みますとみん

な酒を飲む。それを私の母親が無理して調達してというか、準備をして飲ませる。必ずけんかをいたしました。そのけんかをみていまして、「兜太、おまえは俳句なんかつくっちゃだめだよ。俳句をつくる人間はけんかばかりしている。けんかをしている人間なんていうのは、あれは人非人なんだ。俳人と書いて、おまえ、何と読むというから、そういえば「ニンピニン」と読߻笑)。だから、あれは人非人だ、そう思わせてくれまして、母親から、「お߹え、俳句なんかつくっちゃいかん」と。

私߽も旧制中学時代は、母の言葉を守って、つくらなかったんでございますが、旧制の高校に

入ってから、一人、とて߽お߽もしろい先輩に出会いました。この先輩のこと߽も実はくわしく申

しあげたかったんですが、星製薬をつくった星一の愛人の子なんですけれど߽もこれが大変お

߽もしろい。私は人生で二人、天才と思う人に出会っておりますが、その一人だと思っておりますが、この牽引力に引きずられて、とうとう俳句の世界に入ってしまうというわけなんでございます。

自分が俳句だと思うようになるそれまでは、母親が厳として私に俳句をつくらせなかった。人非人になるな、というわけですね。ところが、どう߽も「人非人」の「人」が、普通の人じゃなくて、生き߽もの感覚に満ち満ちた野生の男たち、そういう本物の人間、ほんまの人間。だから、この人たちは真人じゃないのか、というのが、いま私のイメージのなかにあるのです。あそこで出会った、俳句をつくっている、秩父の山里の 30~40 代の男たちは、あ

れはほんまの男たちだ、こう思ったりするわけでございます。

それから、父親が「秩父音頭」というのをやっていまして、毎日毎日七七七五の「秩父音頭」がうたわれて、私は小学生で߽もって、寝るときに、枕の߽もとに響いてくるわけです。それでいつの間にか体中に七七七五が染み込みまして、七七七五は五七調でございますから、五七五と同じでございますので、五七五が染み込んで、そして私のような男ができあがった。だから、ほんまの野生と、五七五の形式がくしく߽結びついて、そこに生き߽もの感覚が育つという思いがあります。

そして、いつの間にか私は自分が俳句だと思うようになりました。よく気取った言い方で、

私にとって俳句はアイデンティティーであると、このアイデンティティーなんていうわけの

わからない言い方をすると、とて߽得意でございまして、よく人様の前でそういっております。そういう思いにいまなっているのは、あそこが原点なのでございます。

時間がないので、がつがつ急ぎながらしゃべっていますが、実は船橋洋一さんから少し外国

のこと߽もしゃべれといわれておりまして、その船橋さんがそこにおられるので、ちよっと逃げられないので、しゃべります。

いま、外国で 200 万を下らない。特に英語圏で、さっきのブライスをきっかけに大変な数

になっているということを申しあげた。そのときの中心の一人だったゲーリー・スナイダー、この人に、愛媛県がいま国際俳句賞というのを出しているのですが、その国際俳句賞をおくることになりまして、スナイダーさんが数年前ですが来日しました。いろいろお話を承ったんですが、そのお話の中で彼がいっているのに、俳句というのは――この言葉が非常に貴重な言葉だと思っているんですけれど߽も――「一個の完結したイメージ以上の߽ものである。」という言い方をしました。一個の完結したイメージだけじゃない、と。

特に欧米の人たちは、俳句とは何ぞやというのを非常に考えております。ただ「俳句的瞬間」ぐらいの考え方が割合多くて、俳句的瞬間という߽もの、それをとらえることが俳句なんだというぐあいに思っているんですが、どう߽もそれだけじゃ満足しない人がふえている。ということは、俳句というやつを、ハイクを自分たちの生活の中に文化人として肥やしていきたい、自分たちの文化を養いたい、そういう考え方なんですね。

それから、短い詩であるというのが非常に魅力でありまして、三行で書くのがほとんどのようでございますけれど߽も三行詩を書くことによって、最߽も短い形式の詩に親しむ。それに親しむことを通じて、自分の生活の文化を肥やしていきたい。そう考えている。考えているんだけれどもそれだけじゃないものがどうやらあるんだ、あるんだと、皆、心ある者は思っているようでございます。

一個の完結したイメージ以上のものである

このゲーリー・スナイダーさんみたいな人が余計そういうことを感じる方なのでございましょう、この言葉を私たちとの話の中でしておられました。「一個の完結したイメージ以上のものである。」と。

そして彼は、「国際非日本語ハイク運動」、日本語でない国際的なハイクの運動、これをやりたい、と。だから、単なる短い詩であるとか、単なる映像を楽しむというだけの߽ものじゃない、߽もっと奥深いとろの味わいをつかみたい。そのためには、日本の俳句という߽ものを߽もっと勉強したいというので、彼は京都へ来て座禅までしております。そういう考え方、これが、いま一番本気になって行われている、俳句というものを考えている人の姿だと私は思っております。それで、私が子ど߽ものときに体験して、体にしみ込ませましたほんまの人間と思えるような野生の人。その人たちとと߽にある五七調の、これを「民族詩」と私は申しますが、民族詩としての俳句。これを߽もっと߽もっとスナイダーさんたちに学んでもらいたい。スナイダーさんにも学びたいというお気持ちがあ߽る。そう思って、おりまして、だからまだまだ国際的なハイクは経過途上でございまして、これから本当に彼はハイクというものの神髄がわかる。わかったときは、日本の俳句がまたわかるときであろう。我々が本当に手が握れるときであろう。こう思っているのでございます。

舌足らずでどうに߽もならんわけですけれど 前方にとにかく時計があるということが非常に悪いわけでございますから、これをにらみながらのことなので、ご勘弁いただきたいと思

います。どう߽も失礼いたしました。(拍手)

斎藤 大変興味深い話をどう߽ありがとうございました。時計が邪魔でございましたけれ

ど߽も日本記者クラブから、お礼に記念品をお贈りしたいと思います。

それから、始まる前に、控え室で一つだけ選んで書いてくださいということで書いていた

だいた߽ものをご紹介します。読み方を間違えていたらいけませんけれど߽も先生の俳句で、「水脈(みお)の果炎天の墓碑を置きて去る」という句。戦死者に加え、糧道を断たれた状態で多くの餓死者がでたトラック島、海軍主計中尉として一年の捕虜生活を送って、帰ってこられたときに詠まれた句だそうでございます。(拍手)

(文責・編集部) 

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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