http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/maramyo01.html 【妙見信仰の世界性】 より
摩多羅神の神像図(「摩多羅神の曼陀羅」)といわれているものが、古くから伝えられているから、まずそれをよく見てみよう。
中央には摩多羅神がいる。頭に中国風のかぶり物をかぶり、日本風の狩衣(かりぎぬ)をまとっている。手には鼓をもって、不気味な笑みをたたえながら、これを打っている。両脇には笹の葉と茗荷(みようが)の葉とをそれぞれ肩に担ぎながら踊る、二人の童子が描かれている。この三人の笹と茗荷の繁る林が囲み、頭上には北斗七星が配置される。
再掲の部分は以上であるが、頭上の北斗七星に注目願いたい。北斗七星は航海をする海の民にとって誠に大事な星であるが、それが何故こんなところにでてくるのか? 不思議といえば不思議ではないか。さあ、では、いよいよここでの問題、「何故摩多羅神の頭上に北斗七星があるのか」という問題に入っていこう。
私は先に、『「古層の神」としての本質を持つ宿神という存在が、猿楽を日本文化のアイデンティティの向こう側に広がる、広大な人類の神話的思考の領域に連れ出して行くのと一緒に、それを東北アジアの古代文化に、さらには環太平洋神話学の広大な世界へといってしまうのである。』という中沢新一の言葉を紹介したが、「古層の神」と摩多羅神との繋がり、「古層の神」と北斗七星との繋がりはどうなっているのか、それが終局的な問題である。しかし、その前に、はたして「古層の神」とは何か? この基本的な問題から解きほぐさなければならない。
古層と簡単にいうが、古層とはいつの頃のことなのか? 古墳時代か。弥生時代か。縄文時代か。旧石器時時代か。皆さん、どう思います・・・???
私がまえに黒曜石に焦点を当てて旧石器人の遊動について勉強したことがある。1万年前、2万年前の旧石器時代においても人々の行き来は結構盛んであったようだし、山の尾根筋を歩いて日本列島を遠くまで遊動した人たちもいた。そういう人たちは自ずと星をナビゲーターにせざるを得なかったであろうし、日常的な生活においても星は身近な存在であったにちがいない。星に対する親近感と神秘性が渾然一体となって、私は、旧石器時代においても星信仰はあったのではないかと思っている。しかし、ここでは単なる想像であるから、それをもとに古代信仰について云々することは差し控えよう。今後の学問的な研究に期待したい。
縄文時代に入れば、まちがいなく星信仰は古代信仰といえるほどに成熟したものになっていたようだ。その辺の事情は、「縄文の星と祀り」(堀田総八郎、1997年12月、中央アート出版社)をご覧頂きたい。
それまで光り輝いていた星が太陽が昇り始めるときに星の煌めきが消える瞬間がある。その点を「フラッシング・ポイント」という。上記の本によれば、「フラッシング・ポイント」と神南備など特異な形状の山や磐座を結ぶ線を「天文祭祀線」と言い、祭祀にかかわる縄文遺跡の多くはその「天文祭祀線」上にあるのだそうだ。 堀田総八郎 は、上記の本の中で、『 特定の煌めきが消えた瞬間に、星の精(神)が山の上に垂直降臨し、そこからさらに「天文祭祀線」を水平に通って祭祀点に至ることで、神との気脈が通じると考えたのでしょう。』・・・と言っているが、私も判るような気がする。「古層の神」とはそういう星の精(神)であろう。
ところで、妙見信仰は、そういう「古層の神」に、道教における星辰信仰、特に北極星・北斗七星に対する信仰が習合して出来上がっていく。
道教では、北天にあって動かない北極星(北辰ともいう)を宇宙の全てを支配する最高神・天帝(太一神ともいう)として崇め、その傍らで天帝の乗り物ともされる北斗七星は、天帝からの委託を受けて人々の行状を監視し、その生死禍福を支配するとされた。そこから、北辰・北斗に祈れば百邪を除き、災厄を免れ、福がもたらされ、長生きできるとの信仰が生まれ、その半面、悪行があれば寿命が縮められ、死後も地獄の責め苦から免れないともされた。
この北辰・北斗を神格化したのが『鎮宅霊符神』(チンタクレイフシン)で、それが仏教に入って『北辰妙見菩薩』と変じ、神道では『天御中主神』(アメノミナカヌシ)と習合したという。
この北辰・北斗信仰がわが国に入ったのは推古天皇のころというが、その真偽は不明。ただ、奈良・明日香の高松塚古墳の天井に北斗七星が、北壁に北斗の象徴である玄武像(ゲンブ、亀と蛇とがかみついた像)が描かれ、また正倉院御物にも金泥・銀泥で北斗七星が描かれた合子(ゴウス)があることなどからみると、奈良時代に知られていたのは確かである。
しかし、ここで大事なことは、妙見信仰には、新しい時代の信仰が習合しているとはいえ、古代信仰がその基盤(ベース)にあるということだ。中沢新一の言い方に倣って言うならば、「古層の神」としての本質を持つ星の精(神)・「妙見さん」という存在が、私たちを日本文化のアイデンティティの向こう側に広がる、広大な人類の神話的思考の領域に連れ出して行くのと一緒に、それを東北アジアの古代文化に、さらには環太平洋神話学の広大な世界へ連れて行ってしまうのである。
上述のように、私は、旧石器時代にも星の精(神)は人々の意識の中にあったと思っているが、それは不確かなので、その真偽は今後の学問的研究に待つことにして、ここでは、「古層の神」は「縄文の神」であり具体的には星の精(神)であるとしておきたい。星の精(神)はいうまでもなく「天の神」である。ところで、「縄文の神」としては、「地の神」が居られる。これを忘れてはなるまい。
次に、妙見さんと摩多羅神との繋がりについて触れておきたい。
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