http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/seireo06.html 【緑したたる金春禅竹】より
精霊の王/中沢新一
註:以下は上記の本からの抜粋である。
第五章 緑したたる金春禅竹
宿神(シャグジ)が住まいし、宿神が守護する空間のなかでは、植物や動物が人間に姿を変えたり、目に見えない霊的な存在が人間の世界にあらわれたりする、「変身」の過程がごく自然におこる。そこでは、たがいに異なる存在どうしを隔てている隔壁が溶解して、そのあいだを流動的ななにものかが行き来するようになるのだ。猿楽のような芸能は、諸存在を深いところでたがいに通底させる、この変身や変容の過程に注目して、それを象徴的に表現しようとする。そのために、植物と人間とのあいだに通底路を開こうとする作品を、いくつも見ることができる。
金春禅竹による『芭蕉』はそういう作品である。ワキの僧は禅竹が親しかった一休和尚かと思われる。女に化けた芭蕉の精霊が人をたぶらかすという中国の話があるが、その話を大幅にアレンジしたものである。草木成仏という日本独自の仏教的思想を演劇化したものである。
「劇場国家にっぽん」では、このように、いろんな日本独自の思想を演劇化して、日本人はもちろんのこと、外国人にもできるだけ数多く見てもらいたいと考える次第である。能というものは、本来、日本の仏教思想を演劇化したもので、法相宗の総本山・興福寺で始まったものである。興福寺は、いうまでもなく藤原氏の菩提寺である。そういうように、能というものは、本来、日本の仏教思想を演劇化したものであるから、植物と人間とのあいだに通底路を開こうとする作品を、いくつも見ることができるのである。
しかし、金春禅竹によるこの『芭蕉』くらい、植物と人間のあいだに開かれた存在の通底路に、濃密な現実感をあたえることに成功した作品も少ない。抽象的な能の舞台が、むせかえるような植物の呼吸や、幹や葉の内部を聴取不能なざわめきとともに流れていく樹液のうごめきなどに、ゆっくりと浸されていくのだ。その呼吸音、その樹液の動き、植物的なざわめきが、そのままに女性の姿へと変容する。全編がいぶし銀の美に満ちている。
わたしたちは、「シャグジ」と呼ばれるきわめて「古層の神」の感覚が、このような植物的な存在層への変容の衝動に、深く突き動かされているのを、すでに見てきた。植物的な存在層からむっくりと起きあがった力は、樹液とともに植物の体内を流動して、人間の世界に近づき、そこで胞衣に守られた童子神(ちいさ子の神)やすばやい身ごなしの動物に姿を変えて、人間の世界に躍り出るのである。植物から動物へ、そして人間へと、すばやくなめらかに変容していく流動的な力の実在を、「シャグジ」という古い概念はとらえようとしている。そしてそのシャグジ概念のもっともみごとな中世的表現のひとつが、『芭蕉』という作品なのだ。
芭蕉の精であるこの女性を、ミッシェル・セールのような哲学者だと「ノワーズnoise」の存在である、と言うだろう。ノワーズ、古いフランス語で「諍(いさか)い」をあらわしている。バルザックはこの古仏語の語感を利用して、「美しき諍い女 la belle noiseuse」という存在を創造した。しかし、ノワーズのさらに古い語感を探っていくと、異質領域から押し寄せてくる聴取不能な存在のざわめきのことを、言い当てようとしているのがわかる。不安な波音を発する海のしぶきとともに出現するヴィーナスの像などが、そのようなノワーズの典型だ。ヴィーナスは海の泡から生まれたとも言われるが、またいっぽうではその泡は男女の交合の場所にわきたつ泡だとも言われる。いずれにしても、それは世界の舞台裏からわきあがってくる不気味なざわめきにつながっている。『芭蕉』では植物の領域から、そのようなノワーズのざわめきが、読経僧のもとに押し寄せている。
しかしそれは、諍いや欲望のゆらめきをもたらすノワーズではなく、植物から人間に覚醒を伝えようとするノワーズなのだ。芭蕉の精は、有情(意識活動をおこなう動物的な霊体)の差別を否定してしまっている。有情であれ非情であれ、無差別で絶対的に平等な存在の真如がおのずからおこなう表現のあらわれとして、そのあいだにはなんの差別もない。もしも、有情と非情のあいだに違いがあるとすれば、有情は自然状態にあらがって異和的な活動をおこなおうとするのに対して、非情のほうは、自分がおかれている自然状態のうちにまどろんでいようとしているところにある。そこで芭蕉の精は、まず人間の自然状態である女性に変身をとげた上で、有情非情をともどもに超越する仏法に触れようと願ったのである。
このような認識こそ、まぎれもなくシャグジ的、宿神的である。この「古層の神」をめぐる思考にあっては、鉱物的な層、植物的な層、動物的な層、人間的な層をつらぬいて流動しつつ変容をとげていく、ひとつの遍在する力の流れこそが実在と感じられていた。その力の流れは、大地の下を流れる水脈に触れる植物の根の先端で目覚め、植物の組織の中を移動していく樹液のざわめきに、姿を変えていく。この植物的なざわめきが、そのまま芭蕉や葛の精となって人の前に出現してくることもあれば、胞衣に守られた胎児として、あるいは小猿のような童子の姿をした「ちいさい神」に変身して、人間の世界のごく近くにあらわれてくることもある。シャグジ的な思考では、存在の異質な層をつらぬいて変身しつつ流動していく力の実在こそが重要だったので、そこでは植物と動物、非情と有情との間に、決定的な差異などがあろうはずもなかったのである。
金春禅竹の『芭蕉』で興味深いのは、このようなシャグジ的・宿神的な認識をもっている芭蕉の精と、法華経を読経する僧の思考とが、完全な一致をしめしている点なのである。僧は夜な夜なあらわれる不思議な女性が、仏法の理解に精通していることに驚いている。しかし芭蕉の精である女性のほうは、たんに仏法を聴くためにわざわざ人間の女性に変身してここにやってきているというよりも、自分が抱いているシャグジ的思考の正しさを、法華経によって再確認しようとしてここに来ている、というふうにさえ感じられる。
この不思議な女性は、非情の植物と有情との本質的な違いを否定するみずからの思想を語ったあとで、その考えを「草木成仏」の思想と言いかえて、それは法華経のどういうところに出てくるのか、と僧に質問している。そしてその問いを受けた僧は、経巻を捧げながら、こう語るのである。「薬草喩品あらはれて 草木国土有情非情も みなこれ諸法実相の」「みねのあらしや(身にあらじや・峰の嵐の掛詞)」「谷の水音……されば柳は緑 花は紅と知ることも ただそのままの色香の 草木も成仏の国土ぞ 成仏の国土なるべし」(『謡曲集下』)。芭蕉の女は、有情と非情の無差別を、シャグジ的な思考の側から、植物が独力で生み出した思想を語っている。それに対して僧は、法華経に展開された思想のほうから、それを全国的に肯定しているのだ。ここでは、列島に形成されてきた最古層に属する存在の思考と、法華経的に理解された仏教とが、別のほうからやってきて、おたがいを理解しあってなかよく手を結び合う、感動的な光景がくりひろげられている。
『芭蕉』を書く金春禅竹は四十代の盛りの時期にあって、宿神的な存在思想の本質的な正しさを、仏教哲学によって再確認するとともに、逆に抽象的な仏教哲学にもなまなましい存在変容のリアルをあたえていこうとする野心を抱いて、この作品をつくっている。この時代に、さまざまな芸能の徒をつうじて、縄文時代の野生の思考に直結する回路をそなえたシャグジ的な思想は、未曾有の高さにまで登りつめようとしていた。それと同時に、この列島に移植された仏教の思想は、シャグジ的な存在思想に親和性を抱くほど、すでにここの大地に深く根を張っていたのである。
植物の領域へむかって変容を遂げていく意識の働きのなかから、人間の女性の姿をした芭蕉の精は出現したのだった。その運動を、芭蕉の精はあっさりと「草木成仏」と言い切っている。このことばを、金春禅竹はこの時代の天台宗のなかで圧倒的な影響力をもっていた、「天台本覚」の思想から借りてきている。草木のようにこれまでは伝統的な仏教哲学が、意識をもたない「非情」の存在として、悟りの可能性を否定してきたものたちに、天台本覚論は、森羅万象を網羅する統一的な存在論を打ち立てようとしていた法華経の思想によって、覚醒への扉を開こうとしていたのである。それどころか、植物のほうが、自然体のまま真如のすなおな表現となっていたのだから、成仏するもしないもなく、すでにして存在の真理(ダルマ)そのものだと、論ずるにいたった。
そのような「草木成仏」論を代表しているのが、つぎのような思考である。原文は漢文なので、わかりやすい現代語に直してみた。
草木成仏のこと
本覚論の立場からすれば、主体と環境は一体になって働きをおこなうので、草木成仏ということには、まったく疑いがない。ただし、これには無限に多様な解釈が可能であり、通常の解釈については、ここではあらためて述べない。いま私がしめそうと思うのは、これのもっとも奥深い意味であり、そこでは(あえて逆説めいて)「草木不成仏」と言われる。その理由を説こう。草木は環境世界を構成し、すべての生物は、そのなかで活動する主体をなしている。環境世界はそのままで(複雑な構造体である)すべての世界として、豊かな恵み(徳)をもたらしている。いっぽう生物も生物として、主体的な活動による恵みを世界にもたらしている。そこでもしも草木が成仏してしまうことがあると、環境世界が縮小してしまうことになるから、もろもろの主体を入れる器である世界が小さくなってしまうだろう。ゆえに、草木成仏という考え方はすぐれた表現とも言えるけれども、まだ徹底した思想というまでには至っていない。ほかの領域についても、同じことが言える。地獄の住人の成仏、餓鬼的な存在の成仏、菩薩たちの成仏なども、みな同じである。あらゆる存在者が、自分の存在様式(当体)を捨てることなく、その当体のままで存在の真理の表現であるのだから、(複雑な構造体である)この世界も、そのままでいついかなるときも存在の真理と離れることがない、というのである。もしも、当体を成仏させ(本質的に変化させ)てしまえば、そこにはただ仏界があるだけである。あるがままの世界(常住の十界)を変える必要はまったくなく、草木にも(存在の真理は)常住しているし、すべての生物にも(存在の真理は)常住なのであるし、物質界の元素にもそれは常住なのである。よくよく、このことを考えてみなさい。
ただし本覚論で、草木成仏という場合には、草木は非情であるがゆえに成仏しないという考えを打破するためである。草木はただの草木であって、生物にも仏にも徳を施すことがない、草木はいつまでたってもただの草木で、有情になることもできないなどという人たちがいる。そこで、こうした考えを、本覚論は打破しようというのだ。本覚論はつぎのように思考する。草木は非情でありながら、有情と同じ徳を持っている。草木成仏などというと、非情の草木が有情に転化してから成仏するとも考えられがちだが、事実を言えば、非情の草木そのままに有情であり仏なのである。よくよく、このことを考えてみなさい。(伝源信作『三十四箇事書』、『天台本覚論(日本思想大系9)』より引用)
ここには、じつに大胆なことが主張されている。インドにおこった仏教思想では、存在(ダルマ)はその真理においては底無しの無限なのであるが、そこに意識の土台である「アーラヤ識」が発生したとたんに、底が出来てくると考えられた。この「アーラヤ識」は深層意識の土台をなす。一方ではそれは底無しである存在の真理に接触しているから、それ自体として永遠な真理をあらわしている。しかし、もう一方では底ができて真理から遮られている土台の上に、いっさいの意識現象が発生してくるわけであるから、「アーラヤ識」は迷妄と悪の根源でもある。この「アーラヤ識」を迷妄と真理の二次性で理解するか、それともそれを迷妄と真理の和合した一元論でとらえるか、ここにのちの仏教哲学の分裂的発展の種がまかれたのだった。
日本の天台宗で発達した本覚論では、「アーラヤ識」は真理と迷妄が和合した意識の土台であり、しかも妄と悪を発生させる意識の部分も、永遠の真理の転変にほかならないのだから、それを存在の真理の一表現とみなそうとしたのである。妄悪を否定する必要はない。妄悪そのままで、そこには永遠の真理が常住しているのであるから、妄悪はそのままでよし、という論理である。もともとの天台宗の考えでは、真と妄のあいだにある否定と対立の関係は厳然としてあった。それが平安時代から鎌倉時代にかけて、そこにあったインド仏教的な強烈な否定性は消失して、存在を大肯定する思考が、大きく前面にあらわれてきたのである。
「草木成仏」のような考えも、こういう流れの中から生まれている。生死と涅槃が一体であることや、煩悩と悟りが一体であることなどを、本覚論では「相即」の論理を駆使して展開した。生死即涅槃(しようじそくねはん)、煩悩即解脱(ぼんのうそくげだつ)、無明即明(むみようそくみよう)。この論理の徹底によって、有情と非情の差別も消失した。植物でさえも、人間や動物のような有情と同じように成仏ということが可能なのである。いや、そもそも成仏と不成仏のあいだになんの隔てがあろうはずもなく、すべては絶対的な存在の真理の表現にほかならないのであってみれば、成仏などをめざすことのない植物のほうが、自然のままにすでに成仏をとげているものとして、不成仏であるとも言えるだろう。
恐るべき「相即論(そうそくろん)」である。「即」があらゆる差異を串刺しにしてしまう。そのことで差異が消滅するわけではないが、「即」なる一点で差異と同一性が激しくクロスするこの論理では、どうしても否定性は後に退いて、徹底した一元論の側面が表に出てくるようになる。こうして日本天台が発達させた本覚論では、インドや中国の仏教が思いもかけなかったような思想の展開が、じっさいにおこったのである。あらゆるところで、相即の論理が利用された。非情は即有情なのである。主体は即環境なのである。煩悩は即解脱であるから、煩悩を否定する必要はなにもなく、植物と人間のあいだにさえ、決定的な違いなどはない、という考えがここから生まれてきた。
伝統的な、というか正統的な仏教は、強力な現世否定への傾向をはらんでいる。煩悩の巨大な集積体である現世は否定すべき相手であり、その否定を実行できるのは、反自然の意志を抱いて環境世界からの離脱を果たそうとする「有情」(動物と人間がおもな構成員である)でしかないので、動物の立場から観たらまるで死んでいるような意識活動しかおこなわない、植物のような「非情」などは自然状態にまどろんでいるだけで、そこからの離脱は実行する可能性がない、と考えられた。つまり、インドや中国の仏教の思考法は、徹底した二元論としてつくられていたのである。
ところがこの列島で発達した仏教では、はじめからこのうちの反自然への意志が希薄だった。人間と自然は一体になって、ひとつの全体性をつくりなしているという感覚や思考が強力なこの列島では、現世否定の出家でさえも、反自然への意志が強調されるかわりに、自然との再融合として理解されることのほうが多かった。反自然のテーマを内蔵した二元論よりも、人間と環境をひとつの全体としてとらえようとする一元論への傾向のほうが、はるかに強かったところで、諸存在を巨大な統一のもとに包摂しようとする法華経の思想をなかだちにしながら、本覚論は発達したのだ。
そして、その本覚論と芸能の徒の宿神的思考が、正面から出会ったのである。宿神(シヤグジ)的思考は、もともと録したたる列島の自然とともに発達をとげてきた。しかもその来歴は、おそろしく古い新石器的思考(野生の思考)にまで食い込んでいる。この思考は諸存在をダイナミックな変身・変容の過程としてとらえている。そこではもとより非情と有情の区別があろうはずはなく、植物的な存在層で活動する力=意識は、なめらかな斜面を滑るようにして、動物的な存在層で活動する力=意識に姿を変え、そのまま連続的な変身過程をとおして、人間の意識活動の中で動きはじめるのである。「草木成仏」などは、本来のシャグジ的思考からすればあたりまえのことで、それを仏教哲学が肯定しはじめたという事態が、芸能の徒に本覚論に対する深い関心を呼びおこすことになったのであろう。
そのために、世阿弥や禅竹が活躍した室町期になると、猿楽のみならず、立花(いけばな)から造園術や茶道にいたるまで、本覚論の表現をかりて、芸能の徒が自分たちのおこなっている芸能に内在する「哲学」を、たくみに語りだすようになった。たとえば、あるいけばなの伝書には、こう書いてある。
万木千草にいたるまで、ありとあらゆる植物が、四季折々の風情を持っておりますが、すべて釈迦が深い禅定のうちに体験した存在の真理の上に、咲き出したものでございます。このとき釈迦の深い悟りのうちには、真実の存在の姿である法界が如実にあらわれ、そこで草木国土のすべてが成仏をとげているのであります。そこで、森羅万象、非情有情のへだてもなく、すべてにたいして草木国土という名前をあたえられたのでございます。これをもって見まするとき、この世界にあるものでゆめおろそかにできるものなど、ひとつとしてないということがおわかりでしょう。松や杉を芯に用いるのは、真如実相(しんによじつそう)(存在の真理のあるがまま)の心をあらわすと心得てください。開落の花は随縁真如(ずいえんしんによ)(本来の因果にそって存在の真理があらわれるさま)の道理をあらわしていると、ご理解ください。また四季によって変化しない植物をながめては、不変真如(ふへんしんによ)(永遠の真理)や真如平等(しんによびようどう)(存在にへだてなし)などの教えを瞑想なさってください。(『立花故実(りつかこじつ)』一四六七年、前掲『天台本覚論』より引用)
芸能は、日本で発達した独特の仏教哲学である本覚論に、理論的なバックボーンを求めた、と言えるかも知れない。宿神的思考は変身と変容をとげていく、ただひとつの霊的実体というものに動きと形をあたえようとしているのである。これは単一実体の変容として、世界の多様なあらわれを理解しようとする、インド哲学におけるサーンキャ学派の神話的思考と類似したところを持っている。いっぽう本覚論は、徹底した一元論と煩悩・迷妄を肯定する思想によって、「外道哲学」のひとつであるサーンキャ学派の思想に接近していると、早くから批判されていたぐらいである。だから、宿神(シヤグジ)思想と本覚論は、はじめからたがいに引き合うものをもっていたのだ。
しかしじっさいには、それは「おもてむき」のことだったのではないだろうか。なぜなら、このような哲学思考に対して、芸能は微妙な違和感を抱いていたのではないかと思われるふしが、たくさんあるからだ。芸能はあくまでも身体をなかだちにする。そこでたとえば、仏教の抽象的な思考が「即」のひとことで、思考の中で処理してしまう過程を、芸能は具体的な身体や物質の過程として、現実化してみせる必要がある。本覚論の一元論と、宿神的一元論は表面上はたしかにそっくりの主張をしているように見えるけれども、宿神的一元論には、とびはねる躍動性の原理が内蔵されていて、それが物質の変身や変容を生み出している。これは本覚論のような観念論の「おもてぐち」に立てる思考ではない。具体的なマテリアルとともに思考が展開していると言う意味では、宿神(シヤグジ)的思考は、いわば唯物論の方角からつくりだされた一元論なのである。
そこで草木成仏にせよ不成仏にせよ、非情の植物がそのまま(即)仏界の表現であるという哲学の命題は、変身・変容の過程そのものとして、芸能によってとらえかえされることになる。哲学の思考は「即」によって、矛盾しているものを一瞬にして統一する離れ業をおこなってみせるけれども、その「即」が一瞬に取り押さえてしまった事の内部でおこっている過程を問題にしないのだ、とも言える。しかし、芸能はなによりもその「即」の内部の構造や、そこでおこっている運動にこそ、最大の関心を寄せるのである。
こうして、芸能は純粋に観念的な哲学思考に対しては、進んで「後戸」の場所につこうとすることになる。徹底した「相即論」が開いた草木成仏のことは、金春禅竹の芸能的思考によって、ダイナミックなシャグジ・宿神空間にたちおこる変身と変容の過程としてとらえかえされる。そして、芭蕉から人間への変身の過程を抱え込んだ霊的存在(芭蕉の精)が、人間の前に出現することをとおして、異質領域の「相即」が実現されている。
抽象的な観念の運動は、いつしか停滞に陥っていく。ところが、芸能の思考が「後戸」の場所から、そこに物質性をそなえた振動を加えることによって、哲学の思考は背後から励起されることになる。『芭蕉』を観ることによって、私たちは本覚論の説く「草木成仏」の思想に、具体性をもった生命が注ぎ込まれていくのを実感する。植物と人間をつなぐ、この録したたる通底路で、哲学の思考は自分を生命の発動につないでいく「後戸の神」を、みいだすことになるのだ。
ところが面白いことに、その天台本覚論じたいが、自分にとっての「後戸の神」を必要としたのである。比叡山における本覚論の伝統は、慧心流(えしんりゆう)と檀那流(だんなりゆう)というふたつの流派に分かれて、それぞれの発達をとげている。そのうちの檀那流の本覚論の教えのなかに、それは出現したのである。このとき、仏教哲学である本覚論の「後戸」に立った神の名前を「摩多羅(またら)神」という。
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